さて、何週間ぶりの日記でしょうか。えあですこんにちは。 1週間2週間、果ては1ヶ月とか日記を書かなかったところでえあさんにしてはそうそう珍しいことではありませんが、あえて言おう、お久しぶりですこんにちは。と。 ……あえて言おうと言ってみたかっただけですが何か。
ここ暫く消息を断っていたのはまあいろいろあって忙しかったり疲れたりスラムダンクを読破したりしていたからなのですが、今日あたりからはそろそろ、その間の日記を書き始めていこうかと思います。 日付は、書いた日付ではなくその出来事の日付で書いていきます。
私的な面で大部分が構成されている上、面白くもなんともない日記ですので、ネタ目当ての方は読み飛ばしぷりぃずです。
非常に唐突なんですが、うちの母はどこから見ても病人でした。 元々高血圧持ちで、背中が痛いと始終言っていましたし、何より全身が傍目から見てもありえないほどに酷くむくんでいました。
下半身は言うまでもなく上半身も腕から胸から顎下に至るまで全身がパンパンになり、最近では体重も3桁に突入する程になっていました。 症状は去年の春あたりから目立ってきていましたが、もしかしたらその前からだったかもしれません。元々太ってはいる方だったので見落としていた時期もあったかもしれません。
むくみの症状が出る前の、高血圧だけだった頃からですが、当然何度も病院に行くことを勧めてきました。が、その度にお金がないだのなんだのという理由を盾に頑として聞かず、こちらが金なら何とかする等と説得すれば逆切れする始末。 なんかもう、その繰り返しに正直疲れて、いい加減ホームに入ってくる電車の前に気持ちよく飛び込みたくてしょうがない毎日になってきていました。
だってさあ。別に私は憎くてあなたの嫌いなことを勧めてるわけじゃないんだよ。お母さん、あなたの身体が心配だからこそ言ってるんだよ。 ……いや、正直に言うよ、私の為だよ、私が見ていられない。
もう嫌だ。
もしかしたら病院にいけばまだ間に合うかもしれないのに。
あの時手を打っておけばという絶望はもうたくさんなんですよ。
しかしまあ、ほんとに電車にGoした所でただ自分が楽になるってだけで。 何の解決にもならないのでそれは心の奥にステキドリームとして秘めておくしかなかったというここ何ヶ月かだったのですが…… その必要は突如としてなくなりました。
どういう経緯で趣旨替えをしたのかは分かりませんが、3月13日の朝、唐突に、「病院行くから、出来れば会社休んで」と母が言い出したのでした。
夢かと思いました。 というか、この日何故か、母が病院に行った、という夢をみていたんです。 まだ夢を見ているんじゃないだろうかと、本気で思いました。
病院に行ったからって、絶望が広がるだけかもしれないといえばそうなのですが…… なにもしない絶望よりは、目の前に具体的に提示される絶望の方が、私にとってはまだマシなものでした。
父も仕事を休み、車で市立病院へ行きました。 母は長い距離を歩けるような状態ではなく、一見しただけで芳しい状況ではないと分かる様子でしたので、病院に入ってきた私たちを見て、すぐに受付の人が車椅子を持ってきてくれました。 新患受付をするときも、その受付の人が、先に必要と思われる所を予約しておくから、と、書類を作ってくれました。
まず内科と……循環器科……婦人科……消化器科……
当たり前極まりないですが、だんだん具体化してきたな、と思いました。 内科はとりあえず調べる為で、心臓の働きが弱ければむくむから循環器……確か卵巣腫瘍で腹水が溜まるから婦人科……消化器はなんだろう……おたんこナースで読んだ腹水溜まってたいじわるなおばさんはどこの腫瘍だったか……
……。漫画とか、嫌ですね。知らなくていいような変な知識がつきます。
まず回された内科で、問診票を書いて順番を待ちました。 待合室は主に老人の方々でいっぱいで、母は車椅子に座らせたまま待っていました。 車椅子からソファーに移動するのも大変だったのです。
診察を待っている間に幾度か看護婦さんに呼ばれ、尿検査や採血、心電図、レントゲンなどの検査を行いました。 それぞれの検査室へ、車椅子を押して移動しました。別に看護婦さんがついてきてくれるわけではないので、私が押したり父が押したりしました。 車椅子の足を置くところに足を乗せることすら、手で介助しなければ出来ないような母の有様に、涙が出そうになりましたが、車椅子ドリフトー!!とか周囲にはた迷惑な所業をやることで我慢しました。 母からも苦情が来ました。
採血など、腕がむくみすぎて血管を捜すのも一苦労の様子で、ただ血を抜くだけで数十分かかったりするなど、手間を取りながらも一通りの検査を終えました。 内科の前に戻ってからまた一時間ほどは待ちましたでしょうか。 ようやく診察室からお呼びがかかりました。
「心不全ですね」
父親は煙草を吸いにどこかに行ってしまったので私と母で診察室に入りますと、裏から蛍光灯で照らせるアレ(名称不明)にレントゲンの写真を貼り付けてそれを見せながら内科の先生はそう言いました。 心電図では心臓の動きが悪く、レントゲンを見ると心臓が肥大していることが分かると。 なので、循環器科に行ってください、と、かなり待たされた割には数分程度で診察は終わりになりました。
循環器科は内科の隣でしたので、同じ待合室でまた同じような内容の問診表を書かされてから待つことになりました。 検査はひとまず終わっていたので、今度は一時間程度だったでしょうか、ただただひたすら待った後に診察室に呼ばれました。
「循環器じゃないような……」
やはり父は煙草を吸いに行ってしまったので、私と母で診察室に入りますと、循環器科の女医の先生は、そのように首を傾げました。 心臓の働きは悪いことは悪いが、おなかにこれだけ水が溜まっていれば当然悪くなるとのこと。心臓が悪くて溜まるなら、肺に水が溜まって、それで苦しくなって病院に来る筈だ、と言うのです。 母は呼吸は苦しくないといいますし、実際肺には特に水は溜まってないそうでした。
血液検査の結果を診て、先生は「輸血をしたことはありますか」と聞きました。 ないですと答えると、「身内にC型肝炎の人はいますか」と聞きました。 これもいなかったのでいないと答えました。 「消化器科に行ってください」 先生は、そのように言いました。
消化器科…… 急に不安が大きくなってきました。 内科、のうちは漠然としすぎていて、不安の対象が見定まっていませんでした。 循環器科、は高血圧もありますし、正直覚悟していたというか、想像の範疇でした。 けれど、行けと言われたのは消化器科…… 消化器科というのはどこを担当するのでしょう。 胃とか、腸とか、……よく分からないですが、呼吸器以外の臓器であるのだと思いました。
臓器に、ただ事でなく悪い所があるというと……。
消化器科の待合室でもまた同じような問診表を書かされ、かなり待たされることになりました。 待つのはともかくとして、問診票はどうにか共通には出来ないものなのでしょうか。 しばらくしまして、ようやく診察室に呼ばれました。
「こんなに水が溜まってたら検査のしようもない」
多分そろそろわざと席をはずしてるんじゃないだろうかということに思い至りましたがやはり父はいなかったので、私と母だけで先生の前に行きますと、消化器科の先生はそのように言いました。 「循環器科の先生はなんて言ったの」 と聞くので、内科から循環器に回され、消化器に来る様に言われた経緯を話しますと、 「確かに肝臓にちょっと出てるけど……循環器混んでるから回したのか……?」 などとポツリと言いました。 「循環器が先だと思うんだけど。とにかく、水をどうにかしなくちゃ何も出来ない」 先生はそう言いましたが、私たちにそんなことを言われても、です。 なんか大病院の縦割り構造が見えた気がしてきました。
診察室から出て、さりげなく途方にくれつつ待ってみました。 そろそろ診療時間も終わりの頃になっていて、待合室で待つ人の数は少なくなって来ていました。 ……ここらあたりまでのどこかで昼ごはんを食べたはずなのですが、どこの診察の間であったか思い出せません。
暫くぼおっと待っていると、診察室から看護婦さんが出てきて、「採血に足りない項目があったから、もう一度採血をしてきて」と言われました。
先程、母も看護婦さんも大変な思いをして、かなりの時間をかけてこなした採血です。 またあれをやるのかぁ、と母はげんなりとしていましたが、採血室にやってきて、先程もお会いした看護婦さんと再対面しますと、あちらも同じように思ったようでした。
また時間をかけて採血を終え、消化器科の前に戻りました。 それからやはりまた大分待ちました。もう待合室には、私たちを含めて数えるほどしか人はいませんでした。 人が一人減り、二人減りして行きますと、病院内が酷く静かに感じられました。 廊下を掃除するおばさんたちの雑な掃除を母の車椅子をゆらしながら並んで見ていました。 「隅っこまでモップではいてないよねあれ……」 「そうだよね……てか、なんかゴミ落としてってるけど」 「……時間給だからそれでいいんだよきっと」 多分よくないと思います。
いい加減、眠くなるほどに待たされた後、看護婦さんが出てきて、次の行き先を告げられました。 今度は、「循環器科に行くように」だそうです。
循環器科に戻ってきました。 循環器科の前は、内科の前でもあるので先程来たときには特に混んでいたのですが、ここももう待っている人は入院患者のおばあさんがひとりしかいませんでした。 循環器科の待合室は2階にあり、すぐそばは吹き抜けになっていて、1階の総合ロビーみたいな一番広い待合室が見下ろせたのですが、そこはもう電気も消えていて、暗くなっていました。 窓から覗く景色も、もう暗い色に染まり始めていました。
やがて、母と私は診察室の中へ呼ばれました。
やはり、父はついてこなかった診察室で、循環器科の女医の先生は私と母にこう告げました。
「婦人科系の、腫瘍マーカーが出ているようです」
婦人科外来へ予約しておくので、明日そちらに行くように、ということと、恐らく入院することになるだろうということを、先生は私たちに告げました。
診察室で母がエコーを取っている間、車椅子があいていたので、私は車椅子に乗ってみることにしました。 車椅子は、結構、小回りが利くようです。 待合室には誰もいなくなっていたので、その場でくるくる回ってみました。 窓から見える、日が落ちてシルエットになった病院の庭木が、高速で流れていきました。
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