005:釣りをするひと 主が釣りをしている。 糸を垂らされた湖は、何処までも透き通ってしかし底は知れず、藻やいきものの影も無く、ただしんと静まってある。 それもその筈だ、この湖の本来の役割は巨大な水鏡。 剣聖界に起こる全ての事象を映す、神々のルーペである。 そんな所に釣り糸を垂らし、日がな一日飽く事も無く時間を貪っている主に、シュテルは畏れながらも声を掛けてみた。 『あの……』 「何だ」 『何をなさっているのですか』 「見れば判るであろう」 『……何か釣れるのですか?』 「まずは一匹、構って貰いたがりの図体のでかい黒いのが掛かったな」 『…………』 いつもの事だが、主はひとが悪い。求める答えを貰えず言葉を詰まらせた下僕を、その湖より深く蒼い目で面白そうに見やっている。 「他に何が釣れると思う?」 『何か釣れる、とは思いませんが……』 居心地悪くなりながら、シュテルはようよう言葉を継ぐ。 『では、何故、釣りをしていらっしゃるのですか』 「……………」 ガルデンは湖に視線を戻し、口端を微かに吊り上げた。 「こうしているとな……我等が嘗て駆けた地、剣聖界アースティアに溢れる思念が、この糸を伝って私に流れ込んでくるのだ」 湖面を見ている様で、何処か違う場所を見ているような、そんな捉え難い切れ長の目が細められる。 「我等が神界と剣聖界のあわいに封じられて、もう随分な年月が経った。 此処でそう思うくらいなのだから、地上の尺で計れば、それこそ気の遠くなる程の時間だったのであろうな」 『……………』 「その長い時間に何が出来たかと言えば、水鏡に映る剣聖界と流れ去っていく刻を、ただぼうと見送る事だけ。 ……余りにつまらんのでな。こうして、剣の大地に今も生きる者達の声を聞いて、無聊を慰めているのだ」 退屈は魂を腐らせる。 腐らせる事こそが「彼等」の目的なのであろうが、と続けて意地悪く笑う主。 「我等は、『リューと乗り手』としては余りにも強大な力を得てしまった。 それだけならば、階級制限等の『剣聖界のルール』で束縛出来たのであろうが…… 生憎私もお前も、肉・霊共に剣聖界のルールには属さない存在ときている」 『「彼等」に出来る事は、秩序と体系の破壊者たるあなた様とこのシュテルを、剣聖界という己が箱庭から追放し…… あわいに封じた上で、緩慢な魂の死を待つ事のみだった、と……」 「『彼等』は気が長いからな。何せ、少なくとも剣聖界よりは年を食っている。 剣聖剣邪の混ざりものが堕落するまでにどれだけ掛かろうと、そう気にはすまい」 そして、 「そんな風に気が長いから、この『声』も中々聞き取れぬのだ」 と、綺麗な黒の竿を撫でる。 「此処に生きる者にとって、剣聖界に溢れる声は余りに小さく、早口で、本来ならばノイズとしてしか処理されぬ。 どんなに必死に願おうと、それが『彼等』の耳に届く事は滅多に無い。 しかし私には……よく聞こえるのだ」 『それは、どんな……』 「神を呪う声だ。全てに絶望した者の断末魔、悲しみと怒りに身を焦がす者の怨嗟の叫び。 神など居ない、神など要らないと啜り泣く幼子の訴え…… 体系の破壊を望む声、混沌を願う声。実に感情的で素直な声が、退屈に蝕まれる私の魂を程好く刺激してくれるのだ」 『神を呪う……声』 「私は神を否定する者。剣聖界の理を無にかえすもの。 そんな『私を呼ぶ声』の中でも特に良い叫びを上げた者には、この力を分け与えてやる事も吝かではない」 「!!」 いきいきと熱を帯びて見える主の表情に見惚れていたシュテルは、我に返って『しかし』と口を挟んだ。 『剣聖界との過度な接触・干渉は、神界に於いてはタブーとされております。 もしこの事が発覚すれば、どうなるか』 「それならそれで、退屈はせんだろうさ」 今より悪くはなるまい、と言い返され、おまけに 「お前は如何するのだ?」 等と唐突に質問される。 「私が禁忌を破っている事を密告するか? すれば、恐らくお前の『存在の罪咎』は赦され、『彼等』に属するリューとして此処を出、剣聖界に戻る事も出来よう」 『…………』 主の傍に居れるならと、自ら進んで追放されたこの下僕だったらどう答えるかも、全て判っている癖に。 こんな風にわざわざ問いを投げ、決心を迫る意地の悪い主にシュテルは、 (釣られた………) と深く深く思いながら、共犯者となる旨だけを短く伝えた。 ――――― <「文字書きさんに100のお題」配布元:Project SIGN[ef]F 様> ――――― 色々な思い付きを詰め込みすぎて訳が判らなくなってしまいました。(ショボーン) お題「004:マルボロ」は、以前モテモテ王国の方で書いたので省略しました。
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