TOM's Diary
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2005年05月24日(火) 外交問題

どうも外交問題はわかりにくい。
ご近所付き合いに置き換えて、こんな風に考えてみよう。
以下はあくまで架空の近所付き合いの例である。

−−

隣の家とは昔から仲が悪かった。
そもそも、お隣も我家も先祖代々受け継いできた土地に
住んでおり、それぞれの敷地の境界がはっきりして
いなかったのが原因なのだが、一時期は全面的な抗争にまで発展した
こともある。
なにしろ隣家は昔ながらの大地主で、昔から力で土地を拡大してきた
ような家柄だ。その当時はだいぶ力が弱っており、我家との抗争で
多くの土地を一時的に失った。

その後、すぐにきちんと測量してもらいなんとか和解をした。
抗争で占拠した土地は返上し、どちらの土地かはっきりしない
ところに関しては過去の文献などをもとに適切と思われる方に移譲した。
文献でも不明確な部分は双方の話し合いで決着した。
それによって、一度は双方とも納得し、和解もしたかに思えた。

しかし、代が変わってから土地の一部に関して問題が持ち上がった。
文献の曖昧な記述の部分を示して、そこを返せというのだ。
実は最近になって我家の土地から井戸が出たのだが、調べてみると
その水脈は隣家の土地の下を通っていなかったのである。
すると隣家の主人は本来そこは我家の土地であるといいだしたのだ。
その場所は奥まった傾斜地で日も当たらず、井戸でも出なければ
ほとんど使いみちはない。
そのためか、その部分は文献でははっきりしない部分だったが、
異議はまったくでずに我家の土地と言うことになっていた。
それを今さら・・・ほとんど言いがかりである。

挙句に墓参りに行くと「うちと抗争をしていた奴の墓参りなんて
絶対に許さない」とか、「当時の謝罪も済んでいない」とまで
言い始めた。我家の教育方針にまで口をだす。子供たちが隣家に
憎しみを持たないように、というわけでもないが、隣家とのことは
簡単にしか話していない話していない・・・
教育云々と言われる筋合いではないと思うが、どうも気に入らないらしい。

隣家では子供たちに我家のことをなんて教えているのか判らないが
隣家の子供が、我家の離れに卵やペットボトルを投げつけられたり
もしてきた。明らかに我家に憎しみを持つように教育しているとしか
思えない。
それに対する謝罪はなく、「遺憾だが、しかし、原因はそっちにある」
と言ってきた。呆れて開いた口が開かない。

なんとかしなければと話し合いの場を持とうということになった。
その前日、家のものが「今年は墓参り止めておけば」と提案して
きた。隣家とこれ以上仲がこじれるのを案じての発言だったが、
墓参りを止めるなんてとても考えられない。

もちろん隣家とうまくやっていけるように出来ることはやっている。
例えば、隣家の離れは母屋から離れているのだが、我家の敷地を
通り抜ければすぐに移動できる。隣家からの要望もあり、通り抜け
られるように塀の一部を壊して門をつけたりもした。
隣が金で困っていれば、うちで取れた野菜を譲ったりもした。
うちの仕事を手伝ってもらって賃金を払ってあげたりもしている。
その際には機械の使い方などを教えたりもしている。隣家はその
技術を使って我家に断りも無く商売を始めているが、我家はその
技術を習得するのに莫大な資金を投入したのにと思うと悔しい
思いもするが、あえて目をつぶっている。

にも関わらず、墓参り中止などということは考えらえられない。
ご先祖様になんて言い訳すればいいと言うのだ。

「そんなことできるか!」と怒鳴った声が隣家に聞こえたのだろうか。
朝になって隣家から「急用が出来たから」との一方的な話し合いの
中止連絡が来た。延期ではない、相談さえなく一方的な中止である。
果たして隣家に、この問題をなんとかしようかと言う意思はあるのだろうか?


裁判に持ち込もうと思った。
仮に隣家が正しいのなら素直に受け止める覚悟も出来ている。
が、裁判に持ち込まれたら不利だと思っているのか、あの手この手で
訴訟の妨害をしてくる。

そろそろ、それぞれの家の当主が直接話し合いをしなければならない
時期になっているのは判るが、とても話し合いをしたいと言う気には
なれない。それでもなんとか話し合いの場所がもてたと思ったら、
一方的に中止させられてしまう。

いったい隣家は我家になにをしたいのやら・・・
ケンカを売っているとしか思えない。
生憎我家では、以前の抗争のあと、一切のケンカをしないと言う
家訓があるので、どんなにケンカを売られても買うわけにはいかない。
それを知っていてわざと挑発しているのかも知れない。
しかし、家訓なんて変えようと思えば簡単に変えられる。
実際、我家の子供たちは家訓を変えたくてしょうがないようだ。

これ以上挑発されるとさすがの我家も家訓を変えざるを得なくなるだろう。

−−

日中間の問題を出来るだけ、ご近所付き合いに置き換えたつもりだが、
こうやって考えるとますます腹が立ってくる。
もちろん隣家の立場に立った見方もするべきかもしれないが、
理解しがたい部分もあるので、それはまたの機会にしたい。
やはり隣家になんとか理解を示してもらわないと、これ以上問題が
大きくなると双方にとって不利益が発生しかねない。
同じアジアの国として、なんとか仲良く出来る方策をとって欲しい
ものだ。


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