TOM's Diary
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2004年06月24日(木) 報道

最近、偏った報道が気になるようになってきた。
以前はそのようなことは思わなかったのだが、特にここ数年は特にそのように感じる。
報道の偏り方が大きくなったのだろうか?
それとも自分が以前よりグローバルな視点で物事を捉えられるようになったからだろうか?

偏った情報だけでは人間は正しい判断をすることは出来なくなってしまう。
もう少し、偏りのない報道はできないものだろうかと思ってしまう。

少し前、イラクで拉致事件が発生した際に政府が帰国費用を被害者に請求するとした問題で、あるニュース番組(個性的なキャスターを起用している番組)が各国の反応を紹介していた。
それによると、政府には自国民を守る義務があり、帰国費用を被害者に請求するなどと言う行為は政府としての責任をはたしていないのと一緒だと言う。

一方で、このような事例の場合、帰国費用は本人負担と言うことを法律で定めてあると言う国もあるらしい。たとえばドイツなどだ。なにからなにまで政府には頼らず、自分でできることは自分で正しく判断し負担すると言う考えはむしろ文化が発展しているからこそ出てくる考えだろう。そのニュース番組ではそれらの国の意見は紹介されていなかった。各国の反応として報道しているにも関わらずである。

そればかりか、帰国費用は政府が負担するべきだと言う国の中にも、人によって意見はまちまちであろうが、紹介されていたのは断固として本人負担には反対だと言う人物の(個人的とも思える)意見ばかりであった。

なにも捜索の費用までも本人に請求しようというのではない。チャーター機を飛ばすための何千万円もの費用のうちのごく一部を負担してもらうのは当然のことと言う考えもあるはずだ。
そもそも政府の勧告を無視して渡航したがために被害者となったのだ。そんな被害者のためにも、政府はすでに多額の税金を使っているのである。たかだか帰国費用の数十万円のために国民に判断を狂わせるようなキャンペーンをはるほどのこととは思えない。

少なくともキャスターの意向に合わない意見は無視するのではなく、あらゆる意見を満遍なく報道するのが正しい民主主義のあり方ではなかろうか?


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