Leaflets of the Rikyu Rat
DiaryINDEXpastwill


2006年12月19日(火) 安川奈緒「MELOPHOBIA」

 近頃安川さんのフレーズを引用して日記を書くことが多かったせいか、毎日間断なく何人かの方が「安川奈緒」と言うキーワードで飛んでこられます。最近少しずつ増えては来ましたが、ちょっと前までは彼女の名前で検索をかけても一桁しかヒットしないと言う状況で、あれだけ素晴らしい詩を書く方がこれほど周知されていないと言うのも珍しいと思います。しかも折角彼女の詩を読んで彼女のことをもっと知りたいと思ったひとも、ネットからは全くと言って良いほど彼女の情報を得られない状況です。
 と言う訳で、今日は日記はひとまず置いといて、安川さんの詩が大好きなにんげんのうちのひとりとして、(残念ながら僕も彼女に対する情報はほとんど持っていませんが、)彼女の詩に対する僕の感想を書いて行きたいと思います。そして彼女の名前で検索をかけてくる数人の方と感覚を共有できたら嬉しい。
 「あたなはわたしを知らない わたしはあなたを知らない しかし別に見知らぬままでも心中はひかりかがやいて」いければ、すごく嬉しい。

 先日、彼女の第一詩集「MELOPHOBIA」が発売されました。これを手に入れるのがまず大変だった。(以下その経緯をずらずらと書くので読むのが面倒なひとは次の段落まで飛ばしてください。)この詩集の発売について僕が情報を得たのは遅ればせながら12月13日で、この日は遠足の前で興奮して眠れない子のように僕も寝付けなかった。(彼女の詩集を読み終わった今も興奮しているけれど。)14日朝、大急ぎで紀伊国屋まで行ったけれども在庫無し。店頭の在庫検索で在庫が無ければ「×」と出るはずなのですが著者名を入れても「該当する(中略)はありません」と引っかかりもせず。とぼとぼと家に帰って検索。amazon、楽天、e-hon他全滅。引っかかりもしない。発行元のはずの思潮社はこのご時世にサイトも無い。今月号には詩人年鑑により詩人の住所まで詳らかに掲載されてしまっているし、詩人さんが一般的で無いのはいいにせよ、それを編集する出版社もどこまでアナクロなんだ。ととぼとぼと寝る。15日夕、バイト先の小さな本屋のPCから時間が空いたときにダメ元で検索するとe-honに引っかかる。11月発売と載ってある。3日〜3週間で出荷。どんだけ幅が広いんだ…と思いつつ、その本の存在を確かめることができ歓喜。続いてamazonを確認すると12月20日発売で予約受付中とある。まだ発売していないのだろうかと混乱する。どこかで注文して取り寄せようかとも思ったが、僕が働いているのは小さな本屋なので取り寄せに時間がかかるため、翌日もう一度紀伊国屋梅田本店へ予約に赴くことにする。16日朝、紀伊国屋で予約する前に念のため詩集のコーナーを覗くと、まるでずっと前からそこにあったかのように一冊だけ棚に収められていた。試しに店内にある在庫検索の機械で「安川奈緒」と入れてみたら今度はきちんと「○」が出た。狐につままれたような気分になりながら家に帰って読み、爆発した。興奮で。

 本書は現代詩手帖に投稿していた作品群を、二つの長編詩で挟んだような格好になっています。まず目次だけで格好良い。

 目次(本当は縦書き)

 玄関先の攻防  7

 women under the influence
   96.9.12 Friday sunny  18
   夏至を恨む  22
   週末のおでかけ  25
   ボンボン ボンボン スイート  29
   戦時下の生活  32
   今夜、すべてのメニューを  36
   背中を見てみろ バカと書いてある  41
   神代辰巳のナンバースリー  43
   マッケンジーのピンク  45
   ANTIFLOWER  48
   MELOPHOBIA  52

 太陽黒点を抱擁する「ヘイ、そこのイカロス」
   鬱病デートコース  56
   耐えられない川  60
   雨粒万歳  64
   サンドペーパーに描かれた自画像  68

 《妻》、《夫》、《愛人X》そして《包帯》  73

 あとがき  96

 最初に書いておくと、僕は詩を書きもしないし、ちょこちょことは読むけれど詳しい訳でもないし、評論できるほど知識がある訳でもない。だから単純な感想になる。正直に言うと、最後の「《妻》、《夫》、《愛人X》そして《包帯》」は長大過ぎて僕には理解しきれないところもあった。(なので、これから何十回も読んで行きたい。)詩手帖投稿時代の作品「STREAM」が「耐えられない川」と改題され四編に拡張された(或いは四編の中に「耐えられない川」が組み込まれた)「太陽黒点を抱擁する「ヘイ、そこのイカロス」」も面白いとは思うけれど、「・」の並ぶ画面を見ていると紙面がゲシュタルト崩壊を起こしているような錯覚を受けてしまう。従って僕が読みやすくかつ感動したのは「玄関先の攻防」とかつての投稿作品群「women under the influence」。特に後者は一抹の感慨を得ながら読んだ。しかし、読みながら違和感を感じた。微妙に推敲が為されていたためだ。たとえば最もそれが顕著に表れているのが「マッケンジー、ピンク」。「マッケンジーのピンク」と改題されていることからもその変化が分かる。

 旧

  集中力がとだえてあなたが見知らぬ人に
  なることを もしくはあなたが見知らぬ
  人になるまえに集中力がとだえることを
  どのように書けばいいのか

  グリーンのマッケンジー
  マッケンジー、グリーン

 これが以下のように変わっている。 

 新

  集中力が途絶えてあなたが見知らぬ人になることを もしくはあなたが見知らぬ人になる
  まえに集中力が途絶えることをどのように書けばいいのか グリーン映画のスターマッケ
  ンジー

 他にも

 旧

  「ほんとうにこわい ほんとう」

 新

  「本当の恐怖に接するための資格について」

 旧

   金はある この手のなかに ただ ねがう
   のはこの手が どこかで 知らない都市で
   わたしからはなれて 暮らしていることそ
   して まだ見ていない映画はあなたの 身
   体のなかにある

 新

   金はある この手のなかに ただ 願うのはこの手が どこかで 知らない都市で胴体か
   ら離れて 暮らしていることそして もう一度見たい映画はあなたの胃袋のなかにある

 旧

   「看板を立てて あなたの値段をつけて」

 新

   「看板を立てて あなたの値段をつけて なるべく安く勉強して」


 筆者に変化が出たならば作品に変化が出るのは当然のことであって、読者の作品に対する好き嫌いはあるにしても、僕は基本的に書き手の変化を見守りそして受け入れて行きたいと思う性格だ。ただ、僕が彼女の投稿時代の作品を何度も何度も読み直していたためなのかもしれないけれど、「リズムが悪くなってしまったのではないか」と、そう感じた。それがすごく残念だった。のだけれども、あとがきを読んで納得できた気がした。以下、あとがき最後の一段落。

   中学、高校、大学と朝から晩までテレビばかり観ていた。それ以外何もなかった。
  明石家さんまの輝く歯を見つめながら、「空耳アワー」のタモリのサングラスの向こ
  うにある目を想像しながら、音楽と詩は無関係だと思った。紙面から囁きかけてくる
  ような詩は下劣だと思った。音楽的快楽から身を引き剥がした詩以外は信じられない
  と、いつでも甘くなろうとするナルシスティックなリズムを殺した詩以外は信じられ
  ないと思った。音韻論とかそういう難しいこととはまた別の次元で、詩の内なる敵は
  何よりもまず音楽なのではないかと思った。だからMELOPHOBIA(音楽恐怖
  症)、有言実行できていたらとてもうれしい。この世は音楽を愛しすぎている。

 うーん、格好良いあとがきだなあ…という感想は置いておき、彼女の詩のリズムが「改変」(改悪?改良?)されていたのにもひどく納得した。
 「ボンボン ボンボン スイート」は題名から既にリズムを醸し出しているような気もしするけど…と言う意地の悪い突っ込みは置いといて、それでも僕は彼女の詩のリズムともつかないリズムが大好きなので、複雑な心境でもある。
 
 かつて現代詩手帖の選評を受け持っていた武田氏が、彼女の詩(「STREAM」、詩集では「耐えられない川」へと改題)についてこう書いていた。

  「安川の作品にはいつも社会派叙事詩的なところがあって、これにもそういうと
   ころがある。映画で言うとゴダールが映像を否定して言葉を前に出すという逆
   説的な方法を映画作家だとすると、安川さんは逆に言葉を隠して映像を出すと
   いう画面になっていると思うんです。こちらが見たいものを見せてくれないで、
   見たくもなかったものに見たい欲望を起こさせるような、意表をつく喚起力を
   感じました。」

 正に的確なコメントだと思う。しかし本当に言葉は隠されているのか。むしろ溢れていると言っても過言では無いような気もする。隠されるが故にその言葉の端々から映像が溢れ僕らの視覚を刺激する。そしてその詩に彼女の思考や思想が入っている。その詩にはいつも失望があり困惑があり現実への不満があり、しかし希求がある。その希求がひかりかがやいている。それが僕の胸を打つ。たった100行足らずの詩が。これでもかと。


  「私は誰とでも寝ますよ」
  「僕も誰とでも寝ますよ」
  「ライバルですね」
 
  泣くな 泣くようなテレビじゃない 今日は不用意に原爆と口に出してもいい 自分のせ
  いで誰かが自殺すると思ってみてもいい 間違いの手旗信号にうっとり見とれていた敗残
  兵たち 窓は縛るためにある そして今からとても楽しみ インポテンツ・トゥルバドゥー
  ルの夜 (「玄関先の攻防」より)

 たとえば現実に期待しなければわざわざ「私は誰とでも寝る」などと言う必要は無い。泣く必要も無い。現実を突き放しながらも懸命に引き寄せようとしている様子はとても切実で胸に迫る。
 彼女は1983年生まれの大阪市在住らしい。(「MELOPHOBIA」の帯より)
 僕は1984年生まれで、同じ土地にこんなすごいひとがいるのだと考えるだけで僕も頑張れるような気がした。
 96ページ、2100円の詩集「MELOPHOBIA」。
 一見高く感じるかもしれないけれど、間違いなく値段以上のものが詰まっている。自信を持ってオススメします。

 最後に。

 旧

   表現の正確さに 若さが 根絶やしにされてしまう

 新

   表現の正確さだけが 若さを花開かせる

 この作者の変化が、僕はなぜだかとても嬉しかった。


 / My追加
いつも投票ありがとうございました。(12/15)

加持 啓介 | MAIL

DiaryINDEXpastwill

エンピツユニオン