Leaflets of the Rikyu Rat
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2006年12月11日(月) 看板を立てて あなたの値段をつけて

なんだってできる 気がする

僕が高校生の頃、僕は何もできなかった。
何をすれば良いのかも分からなかったし、
どうすれば良いかも分からなかった。そして誰も教えてくれなかった。
だから僕は自分自身がすごくちっぽけに思えたし、自分自身の価値なんて無いと思っていた。
価値の測り方なんて知らなかったし、誰も教えてくれなかった。勿論
そういうのは 教わるようなものでもない。

いつだったか、たぶん四年前か五年前、僕は日記に書いた。こんなこと
“もし僕を二時間五千円くらいで買ってくれるひとがいたら 僕は売るだろう。”
実際にはいろんな危険が伴うわけで
そんなリスクを考慮すれば僕がそう簡単に自分自身を売るはずもなく
ただ便宜的な記述だった それでも
純粋に僕を欲しいを思うひとがいると仮定したならば
僕は喜んでそのひとに僕を売るだろうと
僕もまた純粋に考えていた。それは
需要と供給の曲線のようにぴたりと一致して均衡を取るように
僕には思われた。ひどく投げ遣りな供給曲線だった。

大学に入って
いろいろなひとと付き合って
ゲイバーでバイトして
また別のひとと付き合って
様々なひとと出会って
何よりも衝撃を受けたのはお金の価値の 低さ だった。
尤もそれは僕がお金を非常に大切なものだと考えていたからだ。
そんなものを崇拝していたがために過ぎなかったのだと、少し後になって知った。

悔しい
そんなものを欲しがっていた僕は
「毟り取ってしまえばいい」
ブランド品を買うために身体を売る女に願う。
ふんだくってしまえばいい金を
需要と供給の一致で支払われた対価を
中身の無いブランドに替え
溺れればいい。
僕もまた溺れていたのだ。悔しい。
無ければ無いで困る。
悔しいけれど仕方の無いこともある。

「あるに超したことはないよね」
そう、あって困るものではない
自分のために使えばよい
大切なひとのために 使えばよい

僕は傲慢ですか 或いはそうかもしれない
むしろ僕は傲慢でありたい。批判されても痛痒を 微塵も感じない程に。
なんだってできる気がする。今なら僕は僕にうんと高値を付ける。
買えるもんなら買ってみろ。
尻尾を振って、忠犬の振り。

(題名は安川奈緒「マッケンジー、ピンク」より引用)


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加持 啓介 | MAIL

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