Leaflets of the Rikyu Rat
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2006年12月06日(水) 入居者募集中、うさぎ小屋(築22年)

 僕はいま誰とも付き合っていないという意味でひとりで、そういう意味で
気を遣わなければいけない相手はいない。自分がすることは自分で決めなけ
ればいけないし(と書いてこれは誰かと付き合っていたとしても同じことだ
と思った)、したいことは何でもできる。むしろ、やるべきことさえきちん
とやったならば、したいことを探し出してでもしなければならないのだと思
う。そして何かを自分のものにしたい。

 僕は僕自身と僕が興味を持てるものにしか意欲が湧かない性格で、それは
とても極端なきらいがある。そしてその興味が持てるものですら限定されて
いる。ただし限定されているが故に貪欲に、全てを知ろうと思う。把握しき
れないものには愛着も湧かないのだ。
 僕。僕の友達。恋人。僕の世界は僕の周囲にいる人々だけで回る。遠くの
国で戦争が始まろうが、誰かが死のうが、直接的に僕へと結びつかない限り
僕はほとんど気にも留めないだろう。それは誰かの死であって僕の死ではな
い。

  今この瞬間にも世界のどこかで誰かが死んでる
  でもそんなの私達にとっては無意味な命
  身内の命と天秤にかければ他人の命なんて価値はないわ
                       (小路啓之「イハーブの生活」より)

 僕が興味を持てるものは全て僕に結びつく。具体的に。本を読むのは視野
の広い考え方を身につけるためというより、僕のこころを代弁してくれてい
るものに共感するためにあるのだろうと思う。そのためには時代背景などの
部分で僕と一致していることが基本的に求められるために僕は現代小説ばか
りを読む。現代詩も少しだけ読む。文化的な土壌や風土が一致していること
が求められるために海外小説はほとんど読まない。経済学部に入ろうと思っ
たのは僕の身の回りがどのように作用しているのかを把握していたかったか
らだし、会計士になろうと思ったのは将来僕が所属するであろう企業だとか
法人だとかの成り立ちについて十全に理解しておきたかったからだ。

 こうして書くと僕は酷くエゴイスティックであるように見える。確かにエ
ゴイスティックではあるけれど、少しだけ弁解すると、僕は僕だけを大事に
するのではない。僕にとって大事なもの、大事だと思っている人々を本当に
大切に思う。長く長く大切に思い続ける。それらはたぶん僕にとってかけが
えのないものになる。たとえば僕は流行は嫌いだ。それは流行というものが
一時的でしかないからだ。愛着が持てないのだ。もしくは僕が愛着を持った
としても、彼らはひとりでに去って行ってしまうものなのだ。また僕は自然
に興味が持てない。それは僕の力が及ばないものだからだ。僕がどんなにて
るてる坊主に願いをかけても雨は降るし、風は吹く。僕と自然との間にコミ
ュニケーションは無いのだ。それはただ綺麗なものであり、美しいものであ
り、あるときには穏やかで、また厳しくもある。けれどコミュニケーション
は無い。それはそこにただ在るものなのだ。

 僕が行動するのは僕の城を築くためなのだと思う。城には住むひとがいな
ければならない。誰かを呼びたい。訪ねてきて欲しい。ひとりで住むのはさ
みしい。だけど僕のそれはまだうさぎ小屋くらいの大きさで、とてもじゃな
いけれどひとを呼べるようなたいした代物でもない。でも実を言うと、別に
僕は城なんて大それたものにはあまり興味が無い。一緒に住んでくれるひと
さえいればうざぎ小屋でも我慢できるし、その小屋を大切にすると思う。少し
欲を言えば、ふたりで一軒家を建てて穏やかに暮らしたい。そのためだった
ら35年ローンだって一生懸命返すだろう。それが僕だ。


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いつも投票ありがとうございました。(12/15)

加持 啓介 | MAIL

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