Leaflets of the Rikyu Rat
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読書をしていて情景描写に眼を走らせる。 風景が脳裡に浮ぶ。躍動する。 本から眼を離す。己の部屋を見る。雑然としているけれど、しかし何も無い。
読書をしている時ですら、己は風景には何の関心も無いのだと気付かされる。 興味は専ら心理描写へと注がれ、そしてまた自然では無く人物が運動する描写にも心は惹かれる。
読書からは離れて、装飾と言うものにもほとんどと言って興味が湧かない。 全く無い訳では無いのだけれども、それに費やす時間と金銭と労力とを秤にかけると忽ちその秤は傾き出し片寄った状態で留まることになる。 結果として自分の身嗜みと言うものが最低限に抑えられる。
従って身嗜みは自己のためではなく他者のためのものに過ぎなくなる。 と思ってから、それがあまりに当然のことのように思われ恥ずかしくなる。きっと誰だってそうだ。 自己が他者にどう思われるか気になるから自己を装飾するのだ。
普段から自己を装飾することなど無いから、 性的に気になる他者と相対することになると、途端に自分が見窄らしい服装でしかないように思われ居た堪れなくなる。 どうでも良い他者には貶され無い程度の服装をするのすら面倒に感じられ、極力接しないように努める結果外出しなくなる。 どうでも良い他者なのだからこちらも気にしなければ良いのだが、 しかし第三者に貶されると己と言う人間の価値が漸減して行くような感覚に囚われてしまうのだった。
熊と別れてから数ヶ月しか経たないが、何人かから告白めいたものを受けた。 それらはあるときには唐突に、またあるときには慎重に、 そしてまたあるときには冗談めかして、更には言葉には出さずに行動で示されたものもあった。
僕は冷めていた。彼らを拒絶した。 彼らに僕の何が分かっているのだろうかと思った。 表出された外観、当たり障りの無い会話をする僕(そして最低限の身なりをした僕)をひとつのアイコンと看做し、 そしてその固定された「僕」へと接近されること。億劫。
己が他者にされると最も傷付くことをいとも容易く遣って退けた自分にげんなりとしたが、 それは自身にとってどうしようもない感情だった。他者の排除。 何故そのような感情が生じたのかを考えると、単純に僕が彼らを求めなかったせいなのだと言うことを自覚した。
恋は勝ち取るものでなければならない。 たとえそれが向こうからやって来ようと、こちらから追いかけるものであろうと。 そしてその恋と言う感情が、彼らに対して生じなかったために全てが億劫だったのだ。 (僕にとって、)恋は勝ち取るものでなければ意味が無い。
僕には今しなければならないことがある。 恋などしている場合では無い。しかし切望している。 そして残念ながら今の僕にそれはまだやって来ない。 今の僕には何も無い。
何も無くも無い。
再び読書に戻る。 ただ時だけが過ぎて行く。 風景は殺されたまま、懈怠の感覚だけが集積される。
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