Leaflets of the Rikyu Rat
DiaryINDEX|past|will
2006年09月07日(木) |
degeneration |
努力できることは才能なのか。 違う、環境だと僕は思った。 環境によって努力は当然となり勤労は必然となり常識は常識となる。 ということはつまり、環境によって努力が苦痛で無くなる場合、それは最早努力では無いのだろうか。 無いとしたら、努力とは苦痛を我慢し続け精進することなのだろうか。 つまり耐え忍ぶことが努力なのだろうか。 とすると努力とは忍耐力なのだろうか。 忍耐力は集中力で補えるのだろうか。
などと努力するための手段を探すため必死に仮定を繋いでも、僕には徒為だ。 努力が苦痛で無くなる環境作りが必要なのだと思う。 努力を努力なのだと自覚しなければ良い。 僕は努力など出来ないのだから。 無意識でやっているそれを、楽しんでやっているそれを 他者が努力と名付けてくれればしてやったりなのである。
別に努力したい訳じゃない。 欲しいのは結果と他者からの評価だ。
|