Leaflets of the Rikyu Rat
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来年試験に受かったら東京で就職先を探そう、 落ちたら鹿児島の実家に帰って勉強しよう、と決意する。
たまにフラリとどこかへ行きたくなることがある。 基本的に僕は甚だしくインドア派であって、 また「どこへ行くか」と言うことより「誰と行くか」と言うことを重視する。 何処かへ行ったとき、そこに在るものはただ在るものとして目に映り、 僕にとってはほとんど意味を持たない。 誰かと行くことによってその場所は初めて、 「誰々と行った想い出の場所」「こんなことが有ったところ」と言う意味を持つのである。
と言う話を以前ひとにしたら「すごく色眼鏡を通すんだねえ」と言われたけれど、 本当にその通りで、だから僕は普段家に篭もるのだと思う。
勿論例外もあって、純粋に場所自体を好きになることもある。 誰もいなくても(ひとりで行っても)良いところだなあと思うこともある。 そういう場所は明らかに人工的なところが多い。 鹿児島の自然の中で育ってきた僕は自然というものにほとんど興味が無く、(在って当然なものであり、) 都会的無機的人工的なものに惹かれるのだ。
(大阪に住んで四年、その“あって当然なもの”である自然が無いことに小さな違和感を覚えはしたものの、 無いからと言って特に大きな障害が生じるわけでもなく、僅かな郷愁を感じる程度である。)
付き合っていたひとと別れて、大阪と言う場所は僕にとって辛い意味付けで飽和してる。 僕が良く行っていたところほど強く意味付けがなされていて、僕は居たたまれなくなる。 それで、ここではないどこか、何の意味付けもされていない真っ白なところへフラリとどこかへ行きたくなるのだと思う。 当然、そんな場所へひとりで行っても何の感慨を受けることもないだろう、 ただ単に意味から逃れる、という逃げに他ならないのだとは思う。 それでもどうしても大阪から離れたい、 そしてどこにも行きたくないと言う背反する感情が衝突している。 結局僕は当ても無く梅田へ繰り出し雑然とした人込みの中を歩き、疲労し、帰って眠る。
従って、大阪から逃れるため、 都会的無機的人工的なものに惹かれるため、 そして就職先が圧倒的に多いと言う現実的な理由もあり、 資格が取れたら東京へ行こうかなあと思った。 行けるのはいつになるか分からないけれど。
その上僕は或る意味非常に恋愛至上主義的な考えを持っているので、 大阪でも何か柵が発生したらどうなるのか全くわからない。 実際彼と付き合っていたという理由で大阪に就職する気が満々だったのだ。 就職する前に別れて良かったなあ、なんて今は思っているが、 こんな自分の性格は多分これからもなかなか変わらないのだろう。
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