Leaflets of the Rikyu Rat
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2006年07月13日(木) クロネコ宅急便

 恋愛沙汰と言うものは多くの場合、客観的に見て、非常に陳腐でくだらないものだ。たとえ当人にとっては絶対的なものであったとしても。
 そして己の恋愛の顛末も、ひとたび文章化してみれば衝撃を受けるほどのくだらなさを呈すことになるだろう。
 その顛末を己の眼で客観視し、噎せ返るような感情に止めを刺したい。
 そして可能ならば、次回のくだらない(けれど僕にとっては非常に重要な)恋愛へ生かせるように。

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 事は彼の挙動不審な様子が目に付き始めた頃より始まる。
 挙動不審、と言っても最近良く言う“キョドってる”というような意味ではない。“いつもと違う”と言う、真っ当な意味で挙動が不審だった。
 そもそもその一番初めのきっかけは何だったのかと言うと、僕が彼をmixiに招待したことから始まる。
 一般の人間にmixiが大々的に普及する少し前、同じようにゲイの間でもmixiが爆発的に流行った。
 ゲイは流行と言うものに非常に敏感だ。早速ゲイ雑誌でも取り上げられた。一時期ゲイバーはmixiの話題が席捲した。
 そんな訳で、ゲイにとってmixiは単なる友人との交流の場であるだけではなく、同時に“出会いの場”としても大きく活用されている。(従って、鍛えた肉体を露出するなどしたゲイがちらほらと散見する、一般人から見れば非常に気持ちが悪い状態も垣間見られる。)
 どちらかと言うと、彼をmixiへ誘うことに積極的だったのは僕の方だった。
 出会いの場としてのmixi、という側面に一抹の不安を感じたことは事実であった。
 だが、それよりも彼を信頼しつつ、お互いに楽しいネットライフを送れれば良い、と思っていた。
 しかし、不安は的中した。

 簡単に言えば、ただそれだけのことだ。

 とりあえず、己の気持ちを辿るためにも、詳らかに書こうと思う。
 彼はmixi内をフラフラと彷徨い、たまにメッセージを送りマイミク要請を出し、(ちなみに彼のトップ画像は僕が撮影した。多くのゲイに好まれやすい格好、服装をしている。)ときには要請され、そして晴れてマイミクとなり、楽しいmixiライフを送り出しているように見えた。
 それほどゲイの友達も多くなかった彼に友達が増えたことを、僕も嬉しく思っていた。
 この日記を長く(かつ注意深く)読んでいた人間は知っていると思うけれど、彼は生まれも育ちも日本で、三歳の頃に帰化し国籍は日本になっているものの、血筋は在日三世の韓国人である。新しくなったマイミクには韓国人の方もおり、彼と非常に仲良くしているのを僕は喜んで見ていた。
 そしてある日突然、その韓国人のひとが日本に遊びに来る!ということになった。
 彼は実を言うとそれほど乗り気な様子を僕に見せてはいなかった。期待もあったとは思うが、それ以上に不安もあったのだろう。また、今回の来阪ではマイミクの男性以外にも二名友人を同伴するということで、それ以外の男性と話が合うかという不安もあっただろう。韓国人の男性は日本語、英語共に堪能であるようであったが、他の男性がそうであるかも分からなかったようだ。
 あっという間に月日は流れ、彼らが日本にやって来る日は訪れた。彼は昼前に仕事が終わるということで、午後から大阪を案内することになったようだ。僕は自分の家で独り勉強をしていた。
 その日、夜中の一時ごろ電話がかかってきた。

 「ごめんごめん、終電乗り遅れてさ、今から帰るよ」

 この時点では特に気にも留めていなかった。
 遥々日本までやってきた方をもてなせたかどうか、僕も気がかりだったのだが、終電を乗り過ごすほど楽しめたのでは、と思い、安心した気持ちになっていた。
 「○○まで」タクシーに場所を告げる声が聞こえて来る。
 それは彼の実家の方向であり、少し僕が不快に感じたのは事実だ。(何故一人暮らしの部屋へ戻らないのだろう?)そして、これみよがしにタクシーに乗ったのだ、とわざわざ僕へ伝えようとした風にも思えた。(疑りすぎかもしれない。しかし、更に疑えば、その後僕はすぐに電話を切ったので、その後に「やっぱりさっきのところへ戻って」と言うことも、可能性という面からすればありえることなのだ。)(ただ僕の直感ではこの日はこのまま帰ったのではないか、と思っている。)
 暫く日が経ち、僕は彼の家へ泊まりに行った。
 その日は僕の誕生日の翌日だった。
 僕は彼から貰ったバースデイカードに書いてあった、「ずっとそばにいるからね。愛してるよ。」という言葉に素直に感激し、幸福感で一杯だった。
 その際に「この間はどうだったか」と尋ねると、「顔が大きかった」などと言う、韓国人の方の悪口しか得られず、不思議に思った。

 (終電に乗り遅れるほど楽しんだはずなのに?)

 そしてその日から、僕は、韓国人の男性と会ってからの彼について深く考え続けた。
 そこで、彼の“挙動不審さ”に気付くことになる。
 まず、最初に不審に思ったのは、彼が深夜にmixiにログインしていたことだった。
 元来彼は根っからの早寝早起き体質で、それは滅多なことでは崩れない。崩れるとしたら酒か仕事か男か、だ。ただ、仕事に精を出した彼はmixiにログインする気力もなく眠りに付く。酒か男だなあ、と感じたのだった。
 そして、僕がメールを送っても、適当な返信しかくれなくなった。いちばん酷かったのは、僕が、知人から「知り合いに獣医がいないか」と尋ねられ、何か大変なことがあったのだろうかと思い、しかし僕には獣医の知り合いなどおらず、医師と獣医は違うだろうとは感じつつ、もしかしたらと思い彼を頼ったときのことだった。
 彼は件名に「知らないなあ」、本文には「疲れたから寝るよ。」とだけ打ち、僕へ送った。ちっとも親身になってもらえず、しかしその時は寂しいとは思わず、友達に申し訳ない気持ちになりながらどうやら僕の周囲にも獣医の知り合いはいないらしい。すみませんとメールを返し、釈然としないまま眠りに就いたのだった。
 翌日、夜に電話をしたが話中で繋がらなかった。結局、諦めた。
 更に翌日、僕は彼の家に泊まりに行っていいかとメールを入れたら、「今日は急病診療所で深夜まで働くから無理だ」と断られた。
 仕事なら仕方無い。

 しかし、翌日、彼は休みをとり韓国へ三泊四日の旅行をすることになっていた。そもそも彼は普段から月に一日しか休みを取らず、二人で一日ゆっくりデートすることなども滅多にないような状態であったので、僕と一緒に過ごして貰えないということを幾分寂しく思っていたのは事実であった。
 が、彼が韓国へ行くことは数ヶ月前から決まっていたことだったし、それに、お母さんとお兄さん、お兄さんもまたゲイで、そのパートナーのゲイの方、計四名で行くとのことだった。従って、お母さんに孝行するのなら、と思っていたのだが、今は全く状況が異なる。韓国には“例の男性”がいるのだ。

 このときには、僕はもう決定的な確信を抱いていたと言っても過言では無い。

 具体的な証拠などは無かったが、絶対的な確信があった。
 なので、彼が韓国へ出発する前日の深夜、僕は彼にメールを送った。
 折角の韓国旅行を詰まらない気分にさせてしまったら申し訳無いと思いつつ、しかし疑念を払いさることもできず、更にもしここで彼にメールをしなければ、確実に彼は韓国でその男性と逢うことが予想された。そして僕の手の届かないところで彼が好意を抱いている相手に逢うということ、それはもはや文章化するまでも無く自明な結末が待っていることだった。
 たった一週間前に貰ったばかりのメッセージカードの言葉がぷかりと宙に浮かび、沈んだ。

 僕は夜中の一時から三時まで、何度も何度も自分の気持ちを確かめながら、繰り返し推敲し、メールを書き上げ、送った。
 無理を言って会いに行くのでも無く、電話で話すのでも無く、
 パソコンからのメールにしたのは、
 実際に面と向かって喋って言うと、自分で自分の言葉に責任がもてなくなりそうだったり、
 何を言っているんだか訳が分からなくなってしまいそうだったり、
 つい感情的になっていろんな気持ちが溢れて泣きそうになってしまいそうだったからかもしれない。

 結局彼が僕からのメールを読んだのは彼が韓国から帰ってきたときで、そして全ては僕の予想通りになっていた。

 僕は彼のことが嫌なくらい良く分かっていた。
 そして彼もそのことを既に十分に理解しているようであった。
 とんとんと話は進み、僕と彼は別れることになった。

 僕はとりたてて非難はしないように努め、彼もまた無駄な弁解は“ほとんど”せずに全ては終わった。
 いつもは雄弁な彼がそうではないことは、「こうすることが、お互いのためにいいことだったんだ」と一方的に囁くかのようであった。
 
 ほとんど唯一と言って良い彼の弁解の言葉は、僕を最大限に傷付けた。
 それは「家族観の違い」についてであった。
 まさか今更そのようなことを言われるとは露ほども思っていなかった。
 この期に及んでそんなことを言い出すならば、何故彼は僕を一度振った後に「また付き合ってくれ」なんてことを言い出したのだろう。
 何故僕なんかと再び付き合いたいなんて思ったのだろう。とっくに覚悟の上では無かったのだろうか。
 (そう僕に思わせるかのごとく、ことあるごとに彼は「ずっと一緒にいよう」と確かめるように言ったのだった。)
 そりゃあ、純粋な韓国人の血を引く彼が、韓国人の男性と家族観が一致したのは当然のことなのだろう。
 しかし己の浮気を棚に上げて「家族観の違い」を免罪符的に掲げられればもう僕にはどうしようも無い。


    「もちろん不備はあります。限界だってあります。しかし及ばずながら精一杯のことはやっているのです。
    僕らができないでいることを見るよりは、できていることのほうに目を向けてください。」(村上春樹「海辺のカフカ」)


 一生懸命彼と付き合っていて良かったことを思い浮かべる。
 できることなら彼のことを恨みたくなんてないからだ。
 もちろん、彼と付き合っていて良かったことなんて幾らでもある。
 ただ、最悪の終焉が、僕の持つ凡そ二年半の記憶へ暗く重い影を落とそうとしている。それが何よりも深く悲しい。
 
 恐らく、綺麗な想い出なんてものを綺麗なままで残しておきたいなどと言うのは烏滸がましいことなのだろう。差し出がましいことなのだろう。


    「いいか、ホシノちゃん。すべての物体は移動の途中にあるんだ。
    地球も時間も概念も、愛も生命も信念も、正義も悪も、すべてのものごとは液状的で過渡的なものだ。
    ひとつの場所にひとつのフォルムで永遠に留まるものはない。宇宙そのものが巨大なクロネコ宅急便なんだ」(同上)


 世界は変化する。僕も変化する。

 新しい世界。新しい僕へ。


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