2013年10月25日(金) |
第二章 秘密 2201年 東京春 (3) |
第二章 秘密 2201年 東京春 (3)
純一は雛の飼育に消極的で頼りない自分達の為にノアが誰を呼ぶのか気になったが、唯何もしないでその到着を待っている訳にもいかないと思った。
暫くの間雛をヨウジュスに任せて、純一はコスモビルの屋上の小鳥達の部屋に来てみた。
小鳥の雛を育てる為に占師の老女が使っていた道具か、孵化間近になった小さな命の為に用意した餌か、役に立つ物が何かないか探してみようと思ったのだ。
孵化したばかりの雛の口に餌を上手に入れてやる為にはそれ専用の道具を使った筈だ。
純一は毎日のようにこの隠れ部屋に来て、小鳥達に餌を与えていたが、あの雛の姿を見るまでは小鳥の餌と言えば細かく固い雑穀類のことだけだと思っていた。それ意外は想像していなかった。
だが、今はそんな固い雑穀類など、孵ったばかりの雛には決して与えてはならないという事を教えられるまでもなく直感していた。
純一はふと棚の上に目が止まった。隅の空き箱に口の細い薬のチューブのような物が何本も入っていた。
純一はその箱をテーブルの上に下ろして、チューブを手に取りキャップを開けてみた。
ノズルのような口からペースト状の黄緑色の物が飛び出し、ぽたりと靴の上に落ちた。青臭い臭いが鼻をついた。
「これだな。さすがだね。僕って冴えてる。あっと言う間に見つけたぜ。けど、あっと言う間に汚れちゃったよ。やれやれ酷い臭い」
純一は箱の底に一片の古ぼけた紙切れを見つけた。それはその使い方が書かれたメモ書きだった。
「お湯で暖めるのか。よし、わかったぞ。もう大丈夫だよ。ノアの孫達の代わりに僕達がオオルリを育てなくちゃいけないんだ」
純一は一つ一つ鳥篭の中を覗き込んで小鳥達の様子を一羽ずつ見て回った。小鳥達はつぶらな瞳を輝かせて、近づく人の気配に待ちわびた人の出現を待っていた。
しかし、見慣れない少年の姿に、じっと身を硬くして身構えたり、伸び上がって鋭く鳴いたりした。
「ここにいる小鳥も絶対僕達が守るんだ」
翌日の朝、純一はヨウジュスからの電話で起こされた。
「純一、驚いたよ。ノアが呼んだこがもう来てるんだよ」
「ノアが呼んだのは子供なのか」
「そんなに小さなこじゃないよ。凄く可愛いの、心臓がもうドキドキ」
「はあ、可愛い子。ヨウジュスったら。待ってろよ。待ってるんだぞ。今行くから」
純一は部屋を飛び出しヨウジュスの住んでいるマンションまで走った。
にこにこしているヨウジュスの側に見知らぬ少女が二人ちょっと恥ずかしそうにはにかみながら立っていた。
「私はレナ・ラスコール。お友達のミュー・リンガちゃん。彼女、一緒に来たんだけどかまわないわよね」
純一達は思いもよらない展開にちょっとびっくりした顔をして少女達の顔を見つめた。
レナ・ラスコールはサラサラとしたボブカットの黒髪から黒いメタリックのヘッドホンを外して華奢なうなじに引っ掛けた。
その手首に銀のバックルが三個付いたごつい黒革のリストバンドを付け、首に銀のチョーカーをしている。
ぴったりと体にはりついた様に見える黒い半袖シャツに黒いミニスカート、ソックスもヒールの高い革靴もやはり黒で揃えている。
全身黒ずくめできめた装いに、すけるような肌の白さが際立ち、黒い瞳がきらきらと光っていた。
「ミュー・リンガです。レナちゃんに誘われてついて来ちゃった。よろしくね」
レナ・ラスコールの腕にもたれる様に手をからめたままで、ミュー・リンガはいたずらっぽくヨウジュスに流し目をおくった。
彼女は極薄いジョーゼットのふわりとしたワンピースを着ている。
ハイネックの襟は首の後ろで大きな蝶結びになっていて、しなやかな薄紙を何枚も身にまとったペーパードールの様に淡い色が透けて見えている軽いドレスが彼女のちょっとした細かな身動きにさえ、ふわりふわりと揺れて、まるで妖精のように見えるのだ。
肩に掛かった緩いウエーブの艶々した長い髪を指ですくって後ろへ跳ね上げて軽く頭を揺すった。
「僕は純一。始めまして、よろしく。こっちは友達の佐竹ヨウジュス。あ、もう紹介は済んでるかな。勿論そりゃあ、僕達はさ、本当に全然かまわないよ。手伝ってもらえれば本当に助かるよ。」
「それで、ベイビーは何処なの。ベビールームかしら」
レナ・ラスコールがヨウジュスの広い部屋を見渡して尋ねた。
純一はヨウジュスに目配せして、どう返答すべきか解からない戸惑いを伝えようとした。
ヨウジュスは先に立って少女達を部屋の奥へ導いた。純一は後からついて行った。
そこには占師の老女が使っていた薄い天幕が張ってあった。その中にはテーブルが置かれ、その上に雛の入ったカプセルがセットされていた。
照明が中に灯ると天幕全体がちょうちんのように淡く光り、メタリックなカプセルが照らし出された。
「ベイビーさ。カナリアの雛なのさ。可愛いだろう」
「あら、どうしましょう。こんなに小さいベイビーは初めてよ」
「レナちゃん。ミューは小鳥飼ったことあるよ」
「え、ミューちゃんほんとう。知らなかったわよ」
「そりゃいいや」
「でもでも、こんなに孵ったばかりの見たの初めてよ。小さいねえ」
「でも小鳥には違いないから大丈夫だよ。僕の手伝いしてくれるかい」
ヨウジュスがミュー・リンガの顔を覗き込んで優しく微笑んで言った。
「そうね。解からなかったらノアに聞けば良いよね。ヨウジュスどうすればいいの」
ヨウジュスは嬉しそうにミュー・リンガに餌のやり方を説明し始めた。オオルリの雛は無事育ちそうだった。
これから滅多に見れない野鳥の成長が観察できるようだが、同時に、ヨウジュスとミュー・リンガの寄り添った後姿に、半ば強制的に別の観察もさせられるのだと、純一は思わず深い溜め息をついた。
「純一君、私ね喉乾いてるの。ちょっとさ。ベビーはミューちゃんとヨウジュスに任せて私達は何か飲み物とスナックを買いに行こうよ。そうねケーキも買おうか」
レナ・ラスコールが純一の手を取って自分の方へ引き寄せると、そのまま彼を出口の方へ引っ張った。
純一は背中を向けているヨウジュスに声を掛けたが彼は振り向かなかった。
( 続く )
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