連載 「小鳥物語」

2013年10月23日(水) 第四章 事件 2203年 東京冬 (1)

第四章 事件 2203年 東京冬 (1)


 純一の母花枝は何時になく気ぜわしく家事に追われていた。今日は海外で仕事をしている夫の剛が休暇で帰国するのだ。

既にオーストラリアからこちらに向かっているはずだ。花枝は先週から仕事を調整して今日と明日の二日をフリーにしていた。

純一はヨウジュスとレナ・ラスコールとミュー・リンガを誘って、空港まで父を迎えに行く事にした。父の新しい実験農場の話や珍しいお土産なども楽しみだった。

花枝は昔からの習慣のようにお正月は家族皆で過ごしたいと思っていたのだが、昨年に続いて、今年のお正月にも剛が帰って来なかったのでとても残念がっていた。

それが急に一月十五日に帰国するというのでとても喜んだ。それで昨日からお正月と全く変わらない沢山のおせち料理を色々と手作りしていたのだった。

それらの料理を華やかにテーブルいっぱいに並べて、今年こそ家族揃って新年を祝いたいと考えていた。

純一はいつも自分の部屋にラピスを出してやっていた。レナ・ラスコールとミュー・リンガが来たのでラピスはリビングに飛んで来てはしゃぎ回った。

彼女達もラピスが大好きで、何時もならラピスが飽きるまで相手をしてやるのだが、今日は初めて見るトラディショナルなおせち料理に夢中になっていて、ちょっと相手をしてやっただけだった。

それがおおいに不満だったラピスは自分に注意を向けようと色々悪戯をした。

レナ・ラスコールの髪をくちばしで引っ張ったり、ミュー・リンガのイヤリングに噛み付いたり、テーブルに置かれた物をかじったり、挙句には料理の盛り皿の中に踏み込んで食べたりした。

「ラピス駄目よ」

レナ・ラスコールがラピスを手で追うと負けずにその指に噛み付いた。

「純ちゃん。ラピスの悪戯が過ぎて困るよ。そうだ。大好物のレタスで誘って純ちゃんの部屋に連れて行ってくれない」

「ラピス、レタスあげようね。さあおいで」

純一はレタスの上にラピスをとまらせて自分の部屋に連れて行った。だが、察しの良いラピスは直ぐにまんまと純一の部屋に連れてこられてしまった事に気付き苛立って部屋の中をぐるぐる飛び回り、チョロンチョロンと大きな声で鳴きながら暴れた。

「あれ。ラピスが完全に怒っちゃったよ」

純一はラピスの怒りの凄さにすっかりびっくりしてしまった。冗談ではなかった。ラピスは目を剥いて怒りに燃えて、攻撃して来るではないか。

「レナちゃん達と遊びたかったのか。そんなに怒ったってしょうがないでしょ」

純一のそんな言葉が通じる訳も無く、ラピスは狂ったように飛び回り、鳴き続けて、純一に飛びかかった。無駄と思ったが、純一はラピスに籠に入る様に優しく声を掛けてみた。

「ラピス籠にお帰り、ラピス籠に帰りなよ」

だが、そんな純一の言葉は、火に油を注いだようなものだった。純一の言葉をかき消すかのようにチョロンチョロンチョロンと甲高く鳴き続けてドアに体当たりし始めた。

「ラピスラピス、やめろ、だめだめ」

「これじゃドアに頭を打って死んじゃう」

純一はたまりかねてドアを開けた。ドアが開いた瞬間、ラピスはめったに見せない宙返りをうって、狭い隙間をすり抜けると、あっという間にリビングへ飛び出して行った。

「レナちゃん、今のラピスの声聞いたろう。凄く暴れてドアに体当たりするんだよ」

「あれ、ラピスったら。しょうがないねえ」

レナ・ラスコールはラピスを肩に乗せて優しく言った。

「もう大丈夫よ。ちゃんとお皿に被いを掛けたからね。ラピスちゃんのお相手をしてやりましょうね。何か美味しい物をあげようか」

「ああ、びっくりした。ラピスったら怒ると怖いね。こんな事初めてだよ」

純一はすっかり何時もの無邪気な小鳥に戻って、嬉しそうにレナ・ラスコールやミュー・リンガの肩を駆け回っているラピスを眺めて溜息をついた。

出掛けなければならない時間になってやっとヨウジュスがやって来た。だが、すっかりはしゃいでいるラピスは籠に戻ろうとはしなかった。

純一はラピスをこのまま放して行こうか籠に戻して行こうか迷ったが、花枝が大丈夫だからと言うのでそのままにして行くことにした。

ラピスはお腹が空けば餌を食べに自分でちゃんと籠に戻て行くから心配する事は無い。
ところがその日、何かが何時もと違っていた。

純一達と、父の剛がマンションの部屋へ帰宅した時、勇んで玄関に迎えに出るはずの花枝の姿が無かった。

玄関ロビーの飾り棚の上に豪華な赤いバラの花束が置いてあった。だが、それ以外は家を出た時と何も変わりなかった。

急に買い物でも思いついて出掛けたのかもしれないと思い、あまり気にも留めず話に夢中になっていた。

だが突然純一はテーブルの上のお菓子を口に運んでいる内にとんでもない事に気が付いた。

「ああ!」

と、大きな声をあげて飛び上がった。家にいないのは母の花枝だけじゃない。ラピスもいないではないか。純一は持っていたティーカップからお茶が飛び出してしまう程の勢いで立ち上がった。

「ラピスラピスラピス。ラピスが……」

手に絡みついたカップを慌ててその場に置くと、部屋の隅から隅までラピスの姿を探しながら小鳥を呼び続けた。だがラピスはいない。何という事だ。いったい何があったのだ。

純一は外へ飛び出した。皆はそんな純一の様子を呆気に取られて見送ったが、何となく胸騒ぎがしてあたりを見回した。

花枝のバッグがソファーの脇に置いてあるし、コートも残されている。

「純一がやけに慌てて小鳥を探している様だけど。おかしいな、何で逃げたのかな」

ヨウジュスが手にケーキを持ったまま心配そうにおろおろと純一の部屋とリビングを行きつ戻りつしながら言った。

「純一ったら、大丈夫かな」

「あのラピスが消えちゃったわ。何で何で」

「それにしても、花枝は今日はのん気だね。今頃買い物かな。」

父の剛も立ち上がってキッチンの方を覗いたり、花枝の仕事部屋を覗いたりした。

「おじさま、このおばさまのハンドバッグにお財布が入ったままよ。どうしたのでしょう。コートも着ないで外出するなんてちょっと変ね。ミューちゃんどう思う?寒いよね」

「そうね、今日は本当に寒いよね。レナちゃん何か変じゃない。今頃、おばさまが買い物に行くなんて。おじさまの帰りを待ってないなんて信じられないよ」

ミュー・リンガが花枝のロングコートを羽織ってみながら小声で言った。

「ハンドバッグも持ってないし、コートも着ないで何処に行っちゃったのかしら」

レナ・ラスコールが心配そうな顔をした。

「そうだね。ちょっと辺りを見てこよう」

ヨウジュスとレナ・ラスコールとミュー・リンガの三人は外へ出てみた。一時間ほど純一の行きそうな所を当たって見たが姿はなかった。その上花枝にも行き会わなかった。

まったく何の手がかりも見出せないまま三人は途方に暮れてしまった。

 純一は消えたラピスを探し回った。最初はマンションの廊下に並んでいる観葉植物の枝にでもちょこんと止まって、迎えに来てくれるのを待っているのではないかと思った。

ラピスがすぐに見つかるとしても、一刻も早く自分の手に乗せてやりたいと急いだ。ラピスは自分を待ちわびてしょんぼりしているに違いない。

早くその場所を探してやらなくてはと、ラピスの名前を呼びながら探し回った。しかし、ラピスの姿は何処にもなかった。

 夜十時過ぎ、父の剛は花枝の捜索願いを出した。今年の冬一番の最低気温を記録する程の真冬の夜に、所持金も持たず連絡の一つも無く帰らないという事は誰が考えても異常な事だった。

その上十ニ歳の息子までが未だに帰らない。やはり、何も持たず出て行ったきり何の連絡も無い。

久しぶりで家族揃って楽しく過ごせると喜んでいたのにとんでもない事になってしまった。

 剛は先程からコンピューターの前で長い間待たされていた。やがて、若い警察官が画面に現れた。

「ええと、矢島さん。今のところ何の確信も持てないのですが、ご婦人の身元不明者の事故としては、今日四件報告されていますね」

「よろしいですか、まず、海岸道路のパノラマブリッジで交通事故があり、重症を負った婦人が一人」

「ええと、それから、スリップ事故で、歩道を歩いていた婦人が巻き込まれています。これは旧市街地のバイパス道路です。それから、ええと、旧市街地の工場跡地で、婦人の行き倒れが一人あります」

「それから、文化ホール正面の外階段で落下事故で婦人が意識不明の重態ですが身元不明です。文化ホールはご自宅の近くですが、どうでしょう。一応当たって見ますか」

「はい、そのご婦人はどちらの病院ですか。妻の顔写真を送って問い合わせてみます」

「警察としても、矢島花枝さんの捜索は引き続き行います。パトロールの方にも手配しておきます。では病院にこのまま転送します。暫くお待ちください」

暫くして救急病院から応答があった。剛は早速、花枝の顔写真を送信して、文化ホールで怪我を負って担ぎ込まれた婦人と照合してもらった。やがて救命センターの看護婦が出た。

「お写真から見て、矢島花枝さんに間違い無いです。こちらといたしましても、患者さんの身元が解かってほっといたしました。では矢島花枝さんのご主人ですね。至急当院へお越しください」

「ああ、良かった、見つかった」

「奥様はどうしたというのでしよう。ホールのあんな階段で怪我を負われるとは。誰も普通あんな所に行かないのに」

「とにかく、意識不明の重態ですが、患者さんが待っていらっしゃいますからね。では救急の夜間受付へ大至急来てください。警察にはこちらから報告しますので」

コンピューターの画面が青くなり、電話が切れた。剛がエレベーターホールでじりじりしながらエレベーターを待っていると、エレベーターのドアが開き純一が失望した悲しげな顔で降りて来た。

「父さん、ごめんなさい。ラピスが見つからないんだ」

「かあさんが大怪我して病院に運ばれたんだよ。これから行くから純一も一緒に来なさい」

剛は降りて来た純一と入れ替わりにエレベーターに乗り込んだ。純一も再び飛び乗った。


( 続く )


 < 次のページ  もくじ  前のページ >


KIKI