祖父の思い出などを少々。
長距離トラックの運転手だった父が反面講師にするほどの 暴れ者だった祖父。亡くなる頃は流石におとなしく なり、遺影はくまのぷーさんに出てくるティガーの ようなやさしい笑顔だったが、小学生の頃は昼間から 飲み仲間と湯飲み茶碗で冷酒をあおり、大声で喧嘩を していたのを覚えている。
父が結婚する前にも警察から引き取り依頼の電話があり 父と叔父が一緒に警察署まで引き取りにいくこと数えき れず。父も叔父たちも祖父を反面教師として地道な仕事 ぶりで人生を過ごしたのだそうだ。かつては商売をして 随分お金もあったらしいが、祖父の放蕩により財産らし きものはほとんどなくなってしまったらしい。
祖父が亡くなったとき父から聞いた話。 葬儀のあと戸籍を何気なくみていると兄弟たちの誕生日が 変なのだという。父が、10月10日。叔父が4月4日。本人は 7月7日。・・・要するに誕生日がゾロメなのだ。ここで父 たちは気がついた。この誕生日はみんな正確ではないことに。 ばくちも打っていた祖父のことだ。縁起を担いで、生まれた 子供たちの誕生日をみんなゾロメで戸籍に登録したに違い ない!!いや、まさにそうなのだろう。
豪快な祖父であった。 僕の好きな祖父の逸話の一つである。
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