父が再び入院した。
今週末、蟹を食べに行く計画は先延ばしとなった。
仕事が終わってタクシーで病院へ行く。
付き添っていた姉、そして同じく仕事帰りの兄と顔をあわせた。
「お前達と喋るのは疲れたから早く帰れ」という相変わらずの父に安心して、
帰りは乗り換えの駅まで兄の車で送ってもらう。
相性が悪いというのか、兄とは子どもの頃からろくに話もしない仲だった。
独り身のまま実家を出てしまった兄とは顔を合わすことも少なかった。
それが。
「おまえももう幾つになるんやっけ? 定期健診とか受けた方がいいぞ」
「お兄ちゃんも(独身なので)ちゃんと食べてるんか?」
などと話が途切れることなく話している。
兄も私も随分と変わった。一昨年に母が亡くなった時にもそう思ったが。
自然と互いに思いやれるぐらいに、兄も、私も老けた。
そして病院のベッドの上の父はもっと老けた。
…先日、仕事先で、ご年配の方から昔の写真を見せてもらう機会があった。
戦後まもない日本。初代通天閣の立つ大阪。京都。
その方はもうすっかり貫禄のあるおじいちゃんなんだけど。
セピア色の写真の中には丸メガネの痩せたシャイな青年が写っていた。
50年、60年、どんな事があったんだろう。
何のために生きているんだろうな…、体の弱った父はそう言った。
いつかは来る終焉へ向かって、それでも一生懸命、前を歩いていく人がいる。
後ろをついて来る人がいる。
怖いけれど、しんどいけれど、励まされて、励まして、ちゃんと生きていたい。
ままごとにしていた碁石 父が囲碁を打つ事はもうないでしょうか
Sako