「ヤフ●ク」で手に入る人間関係なんてどんなもんだろう。
などと。相変わらず天の邪鬼なことを考えてしまう。
今さらながら上場話題となった「ミ●シィ」のことだ。
オークションで招待メールが取引されている。
仕事柄、ネットの可能性に否定的ではいけないのだが。
天の邪鬼的には、
(話題になったから。みんながしているから。流行っているから)
まずここで拒否反応… (^^ゞ
いや。何より。 …しんどくないんだろうか、と思ってしまう。
「ミ●シィ」デビューする人達は、
顔の見える人間関係をネットに持ち込むことに疲れないんだろうか。
デビューといえば。子ども達の人間関係の輪を広げ、ルールを学ぶために、
公園デビューは有意義なものだった。
それでも中には公園デビューじたいが呪縛となって。
母親を追い詰めたり、子どもを見失ったり、捻じ曲げたことはなかったか。
コミニュケーションはファッションじゃない。
煩わしく振り回されるのは、現実だけでたくさんだ。
なんて。…おいおい。そんなに人間関係に疲れているのか。
いや。ちょっと偏屈だが、けして人間嫌いじゃない。
一人で居ることが好きだが、人を避けて、ひきこもったこともない。
これで友情や仲間といった言葉が何より好きな人間だ。
おぉ。ナイスタイミング。
「束縛なんてもうたくさん」って。ほらCMでも言ってるぞ。
しがらみをネット上に持ち込まず、ちょっと距離がある関係が楽なだけなんだ。
と、まぁ。
こんなひねくれた考えは私だけかと思いきや、高2の長女が同意見だった。
まぁ。彼女の場合は、日々顔を合わし、声を聞き、話し、肌で感じる…
目の前のコミニュケーションだけで、手一杯、精一杯なんだろうけど。
…子どもの頃、友達の友達の友達の輪を辿ってけば、世界中の人と知り合いになれるんじゃないかな。などと胸をワクワクさせていた。
世界は性善説にあふれ、利害関係も、しがらみもない、幸せに包まれている。
今もそんな子どもっぽい私がいて、夢見てる。
ビジネスや、駆け引きの場でないのなら。
とてつもなくだだっ広い世界で、名前や、顔が何だろう。
例えば今モニタを通して、私がいて、ウダウダを読んでいるあなたが居る。
相変わらず、ひねくれている。何て馬鹿な奴だ。と、あなたは思っている。
あるいは共感したり。あるいは腹立たしく思っている。
互いに明かしたもの以外、本名や、肩書きや、素顔は何も知らない。
あなたは、あなた。私は、私。
それだけでは駄目なのかな。
友達の友達は友達…じゃないかもしれない、笑って言える関係がいい。
…F先生。やっぱ興味なし、知りませんではいかないかなァ? (-_-;) ボリボリ
Sako