手かざしで 当るものなら 当ててみたい (By 梅玉)
パチンコ台の盤面に向かって、手をかざし、祈っている人を見かける。
拝んでいるおばあちゃんも見た。あれも宗教かしら…!?
フルタイムの講習が始まるまではコマ仕事なので、日中、家に居ることがある。
すると色んな人がやってくる。優柔不断に優しく対応していると、中々帰ってくれないので、しょっぱなから不機嫌を装う。ダンナや子ども達からはそれでも甘いと言われている。
昔、全員外交といってボーナス時に預金の勧誘に家を回った。話も聞いてくれず、ドアのチェーンを掛けたまま睨まれるのには悲しくなった。なので、話も聞かずに頭ごなしにシャットアウトするもなぁ、と思ってしまう。ノーサンキュの一言で爽やかに引き下がってもらいたいもんだ。
で。そんな来客?の中でも対応に困ってしまうのが、宗教関連の人達だ。
前にも日記に書いたかもしれない。
世界を救おう、その気持ちは有り難いが、自分勝手で今のところ関心がない。
宗教を信じられる人は幸せだなと思う。強いとも思う。
ただ、そうは思うが、なれそうもない。自然や、命、形のないものに対して、神や、仏の存在を感じる事はあっても、唯一のものを信じる気にはなれない。
セールスマン相手よりは穏やかに断りを入れると、では小冊子だけでもと手渡された。何でもヤモリの手や、進化について書いてあるらしい。
うちの家にもヤモリがたくさん居るんですよ、
と、嬉しそうに言った婦人の話し振りが面白くて、読む気もないのについ受け取ってしまった。小冊子といえども手間が掛かっているだろうに…。
そのあと用があってすぐに外出した。
辻のところで、何人かのグループが地図を片手に集まっているのが見えた。
何気に集団行動というキーワードが頭に浮かんで、何となく腹立たしくなった。
普及、信者を増やすことが、それほど大切な勤めなんだろうか。
自然に辿り着くのが宗教なんじゃないのかな。どの宗教、宗派も、全ての幸福と平和のために強く信じているからこそ… だとは思うが。
さて。人生の寿命もあと半分切った。
なぁ、神さま。こんな罰あたりでも宗教を信じる日はやってくるのかな?
Sako