私が見舞いに行くと、
角部屋の窓から庭が見渡せる病室のベッドで、父は気持ち良さそうに寝ていた。
父の鼻先に顔を近づけて、呼吸を確認する。
父の胸が規則正しく上下するのに安堵をつく。
何だかおかしい。
そうして。ベッドのそばの丸椅子に腰掛けて、昼下がりのゆっくりとした時間を、何も喋らず、ただじっと父の傍に居る。
定員6人の部屋は住人が3人。いずれも年配の男性ばかりで静かな部屋だ。
今日はまだ誰も面会の人が来ないのか、話し声もしない。
30分…、1時間… 2時間… 止まったままの時間が過ぎていく。
父は変わらず、穏やかな寝息を立てている。
今日はこのまま起こさずに声もかけずに帰ろうか…。
お尻を浮かせた矢先に血圧計を手にした看護婦さんが入ってきた。
彼女は父のベッドの傍に立つと、優しい声で言った。
「○○さぁーん、ご気分はどうですか?血圧、計りましょうね」
逞しい腕に支えられて、やせ細った父の上体が起き上がる。
「お… なんだ。おまえ来てたのか」
「うん。さっきから…。あんまり気持良く寝てるから…」
起こさなかった。
私がもらした言葉に気づいて、彼女が申し訳なさそうに笑う。
「ごめんねー。気持よく寝ているところ起こして」
悪いこと言ちゃった。
気まずさを笑いで隠して、ふと思う。
私は何て薄情者だと。
テキパキとした彼女の問いかけに、父がぼそぼそと答える。
父は夢の世界から帰還したのだ。
もし、あのまま声もかけずにただ見守っていただけだとしたら…
父は気持ちよさと引き換えに、そのまま亡くなってしまう事もあるかもしれない。
妨げないのがいいのだろうと、私が勝手に思い込んでいるだけだ。
いつだって。…そうなんだ。
私には押しのけて踏み込んでいく情というものがないんだろうか。
父はとみに意欲を失いつつある。
酒も、競馬も…、好きな野球チームの中継も、囲碁も、昔話も…
感じたり、考えることじたいが面倒なようだ。
穏やかな終焉に向かって、
年老いて辛くないように、有り余る欲や、重い荷に振り回されないように、
体力や、気力や、記憶や、感情や、さまざまなものを
神様が取り上げていくのではないか…。そう思う。
欲しくもないと思う者の口に食物を運ぶ。
たまさかの安らかな眠りを妨げ、健康な人の日々の時間割に合わせる。
疲れて気力を喪失している者を励まし、手取り足取りやらせる。
大切にするとはどういうことだ。
良かれと思ってやったことを幸せだと思ってくれるだろうか。
生きて欲しいのではなく、
自分のために生きていて欲しいのかもしれない。
どこか諦めた感情で、ただじっと状況を見つめているだけの薄情な私がいる。
辛い姿を見るのが嫌なだけの、弱い臆病な私がいる。
情けない。
Sako