駅のエスカレーターですれ違う瞬間、妙な視線を感じた。
逆方向へ降りていくその人は、振り返るようにしてまだこちらを見上げていた。
( …? 覚えはないが、どこかで担当した受講生さんの一人かしら…)
首をひねりながら、駅ビルにあるパン屋へ入った時、視線の謎が解けた。
私じゃない。彼女が振り返ってもまだ見ていたのは、エスカレーターで私の前に立っていた紫の服を着た年配のご婦人だ。
店の中、トングを持ってパンを選んでいると、後ろで話しかけるような小さな声がした。先ほどの紫の服を着た老婦人が腕の中に抱えた大きな人形に向かって、優しく何やら話しかけていた。
エスカレーターで後ろに立った私には彼女の背中しか見えなかったが、反対方向から妙な視線を寄こした人の目には、この光景が映っていたんだろう。
レジが隣同士になり、見ることなしに視線がいく。
小さなサンドイッチ一つ…。店員さんが優しく応対されていたが、人形を抱いたその人は、黒い革の財布から千円札を2枚も出したり、お金を支払うのに随分と戸惑っておられるようだった。
後の様子も気になったが、買物を終え、店を出た。
彼女と人形の帰りを、家で待つ人は居るんだろうか…。
人形以外に話し相手は居るんだろうか。
見ることもないテレビをつけて、小さなパンを人形の彼女と分け合って…。
それでも… きっと彼女は幸せなんだろうな。
あの人形の名前… 何ていうんだろう。
Sako