京のいけず日記

もくじ前の日次の日


2005年04月01日(金) ついたちの夜の夢 

サブタイトルは「五稜郭の碁石」 …にはは。

・・・・・・・・・・・・・・・・

例年なら桜の花もちらほらほころんでいる時分なのに、今年はまだ便りを聞かない。ずいぶんと肌寒い晩である。

母の春子は、放蕩人の夫、夏夫に、とうとう我慢の糸が切れたのか、昨晩、3つ違いの兄と、まだ赤ん坊の妹を連れて、家を出て行ってしまった。

冷酒をあおり、ごろりと寝てしまった父親の横で、幸は、小さな掌に碁石をのせて遊んでいた。まあるく、なめらかな、冷たい石の感覚が好きだった。

煤けた畳の六畳間。卓袱台以外にこれといって道具のない質素な部屋の片隅に、立派な碁盤が置いてある。父親の夏夫のものだ。

花札、競馬、競輪、競艇、麻雀、パチンコ、ビリヤード…。自称、勝負師の夏夫が、時にはその妻より、子供より、愛してきたものたちだ。好きな囲碁ですら、夏夫にとっては賭博の対象だった。

風がうなる。
立て付けの悪い戸がガタガタと鳴った。

母が帰って来たのだ。幸はそう思った。
急いで出ようとする幸を、夏夫が止めた。

「いい。あの男だろう。石を片付けろ」

風に髪を乱した背の高い男が戸口に立っていた。

囲碁を打つ歳三さん「今晩は」
その男は幸を見ると微笑んだ。

「こ…んばんは…」
確か前に一度、夏夫が連れてきたことがある。

土方という男だった。
年のころは30代半ば。少し顔色が蒼白いが、鼻筋の通った、涼しげな目もとを持つ好男子だった。


「幸ッ。台所へ行って酒を持って来い。茶碗もな」
夏夫はようやくのろのろと体を起こし、隅にあった碁盤を運んできた。
気の利いた座布団の一つすらない。

勝手知ったように土方が腰を据えると、
「あんたも変わった男だな。…で。今日は何を持ってきた?」
と夏夫が嬉しそうに聞いた。

土方は上着の内ポケットをまさぐると煙草を取り出した。
薄茶色のパッケージにはSHINSEIとある。
碁盤の上にぽんと投げた。

「おい、おい。まさか、こいつを賭けようというつもりじゃないよな!?」

「あんたは何を賭ける?」

「…ふざけた男だ。おい。幸、酒はまだか」

夏夫の声は決して怒っていない。それどころか楽しそうでもある。
アマチュアにしては夏夫の囲碁の腕は相当なものだ。金を賭けて打つ。相手にもよるが、煙草銭どころの話ではない。

幸がその小さな両手に一升瓶と茶碗を二つ抱えてやって来た。

「こういうのはどうだ。お前が、わしに万が一勝ったら、この子をやろう」
そう言うと、夏夫は幸のか細い体を抱いて膝の上に乗せた。

土方は憮然としている。

幼い幸にも夏夫の言っていることは理解できた。
捨てられる。それが夏夫ならやりかねない事さえ、幸には分かっていた。

大きな博打に手を出し、借金まみれの夏夫に何度泣かされてきたことか。
腕のいい職人であった夏夫は職も失い、家も手放した。
母の春子は3人の子供を連れ、何度死のうと思ったかしれない。

ちょうど土方が初めてこの家にやってきたのも、春子と、夏夫が大喧嘩をしている真っ最中だった。夏夫とは街の碁会所でたまたま知り合ったらしい。カモになると踏んだ夏夫が、この男を誘ったのだろう。

気詰まりな沈黙も一瞬だった。
土方に醜態を見られてしまった夏夫は、余計に腹を立て、部屋の中の物という物に当り散らした。

「あなた。やめて下さいッ」
赤ん坊を抱えての春子の懇願も、もはや届かない。
兄は怯えたように春子の服をぎゅっと握って泣いていた。

「どいつも、こいつも、俺を馬鹿にしやがってッ!クソッ」
夏夫が自棄になって投げたビール瓶が、戸口付近に立っていた幸を襲う。

顔に当たるッ!
幸が目をつぶった瞬間だった。大きな影が彼を包み込んだ。

「あ…」
ひょいと体が浮いた。
足元には砕け散った琥珀色の破片が、幾つも散らばっている。

「おい。…馬鹿な真似はやめろ」
低いが、凄みのある、よく通る声だった。
土方が身をもって、飛んでくる凶器から幸を守ってくれたのだった。



「どうだ、土方。お前が勝ったら、幸をくれてやる」
夏夫がにやりと笑った。

「…正気なのか?」

「ああ。その代わりに、あんたも煙草なんかじゃ駄目だ。あんたが負けたら、もっと大切なものをくれ」

「大切なもの…?刀か…?」

「そんなもんはクソにもならねえ。どうだ。その金ピカの懐中時計は?」

「これか……」
ほんの一瞬、思案するように、土方は首をひねった。

「よかろう。俺が勝ったら、その子はもらう」

「成立だな。よし、幸、のけ」

夏夫はうるさそうに手を払った。
幸の顔が不安で押しつぶされたように歪んでいる。

夏夫は怖いが、何といっても父親なのだ。
目の前の男が、例えどんなに優しく、いい男だとしても、父親に捨てられるのは嫌だ。そう思うと、幸の目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

夏夫が負けるわけがない。そうだ。負けるもんか。
幸は父親と静かに対峙している男の顔を、そっと覗き込んだ。

「どうした?」
何ともいえない微笑が、土方の口元に浮かんでいる。


 ・・・いつかに続く・・・・


さぁ。どっちが勝つでしょうか?
幸の運命やいかに。夏夫は、すさんだ生活から立ち直れるのか!?

なんて。おしまい。すみません。 m(__)m

以上、私だけのエイプリルフールの夢話でした。
函館であの碁石を見てからおかしいのよね…。


Sako