京のいけず日記
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2004年05月28日(金) |
真剣10代しゃべり場 家族の介護 |
優しいメッセージ、メールありがとうございます。 右往左往。 お医者様に2、3日の命と…、どん底へ落とされたかと思うと、翌朝は意識が戻り安堵。「一喜一憂しないで、自然のままに何事も受け入れて…」と訪問看護婦さんの言葉。 週末はゆっくり母の側に…。
家族の介護 どこまでできますか?
中3の娘がビデオに撮った NHKのしゃべり場を見た。
気持ちだけでは介護はできないと話す15歳の少女。
親の介護は義務だと言い切る18歳の少女。
義務だけの介護は介護じゃないと反論する少女。
親の介護のために、やりたいこと、夢をあきらめるのは嫌だという少年。
俺の親は(犠牲で)夢をあきらめることを望んでいないと激する少年。
もし、将来、結婚して、奥さんが(自分の親の介護を)嫌だと言ったら、 正直言って、僕はどうするか分からない。
「だけど。僕は母さんが好きですし」と言った少年は、まだ14歳だ。
病院、施設に入れるか入れないか。
介護される親の気持ちはどうか。
家族の絆。恩返し。
義務や愛情だけで介護はできるのか。
そういった言葉が、10代の彼らの口から熱く飛び出す。
17の年。長い間ずっと寝たっきりで、同居していた祖母を家で看取った。 親の介護や、親への恩返し…そんなことは露ほどにも考えず、 自分のことや、夢ばかり、前ばかり見ていたような気がする。
今も、うろたえているばかりの私。この子達以下だな。
ふと考えた。
親である私が、子どもに一番望むことは…? 達者で。悪いことしたらあかん。自分らしく生き抜いてほしい。と思う。
では、子どもの私が、親に一番願うことは…? いつまでも元気で…が言えない今、せめて安らかに…と願うしかない。
母は、呆けたとはいえ、徘徊もなく、 人に対して猜疑心や、攻撃的な人格の崩壊もなく、おだやかだ。 それでも、ここ数年間、家族や、介護の手を必要としてきた。
誰にも迷惑をかけず生きること、また死んでいくこと。 現実は…。それは無理な話だと思い知らされる。
出来るなら、誰の世話にもなりたくない。 お金が必要なら、今からお金を貯めよう。 呆けないように趣味を持とう。 病気にならないように体を鍛えよう。
どう死んでいくか…。軸を反転。 これからの長い道のり、こんな夢に向かって歩いていけばいいかな。 明るい未来。冗談のような。だけど、いい目標だ。
寿命までちゃんと生きる。 そして、いつか、自然のままに、枯れるように、乾涸びて死にたい。 カッコ良く死にたい。強くならなきゃ。
実家から帰る車の中。 「もし母のようになったら、無理に起さんでもええしな」とダンナに言ったら
「寿命から見ても、僕が(私)をみることはないよ」と。 甘い。甘いぞ。おぬし。何が起きるか分からない世の中…。 男の人って、なんで、こやねん。
ところで。出演者の中に架空の女の子に恋するオタク少年がいた。
もしかして、私も歳三さん(土方歳三であって異なもの)オタク…かいな!?ギョッ。 いいもん。誰が何と言おうとも。 オタクだ。はい。
Sako
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