京のいけず日記
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明治2年(1869)5月11日 歳三没
まるで学ランの洟垂れ小僧?すみません。たらこ唇になっちゃった。 死んだら、魂は、どこへ往くのかな? もう二度と会えないのかな?
35歳 カケル 2.5倍
テレビも見ない。ラジオも聞かない。 病室の無機質な壁の隅を、焦点を合わすでもなく窪んだ目で眺めている。
何が見える? 何かを考えているの? 体だけが本能のように生きようとしているだけなのか。
それでも今日は話しかけると、とんちんかんだが会話になった。 それでも今日は、カステラをほんの少し食べ、美味しいと言った。
「また来るしな」と耳元で言うと 「おおきに。またおいでな。元気でやりや」
いつもの母。 「お母ちゃん、病人が心配してどうするんや」 はしゃいで言ったら、 続く言葉は意味不明の尻切れトンボ。ブツリと切れた。 そしてまた、病室の白い壁と、カーテンを、無言で見つめている。
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老々介護。年下の父は自宅で看取たいと言う。 外的手術も、投薬も、放射線も、もはや病院にいてもしょうがない。 寿命のままに。
病院の医師や、掛かりつけの医者、看護婦、ケアマネジャー、ヘルパー 自宅で看取るためのネットワーク。頭が下がる。
何より、いつも優しい姉に頭が上がらない。
家の天井にメリーでも吊るそうか、と、姉と真顔で相談する。 童謡のCD、アイスクリーム、母の好物カツオの造りも、今が旬だ。 美味しいものを食べよう。点滴じゃなしに。昔みたいに笑ってほしい。
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さすがに明治・大正生まれの人は体が丈夫ですね、と 医師が言う。 体にすっかり怠け癖のついた私達は、そうはいかないらしい。
天保生まれの歳三さん。教えてえな。 死んだら、魂は、どこへ往くんかな? 二度ともう会えないんかな?
私ね。時々、思うんよ。 もし、この世に、輪廻とか、そういうものがあるとしたら、 私の前世は、きっと、その辺にいる虫のような気がするん。
生まれてきて 生きて 種を残して ただ死んでいく。 それ以外に考えたこともなく。それ以外に世界はなく。 寿命まで生きる。そうして、やっと合格点をもらって。
神さまが人間の世界に送ってくれた。 そんなことを考える。 …おかしいかな? 私って変なんやろか?
だから時々 どう感じていいかさえ、自分の感情に戸惑ったり。 この気持ちをどう始末したらいいのかしら、と迷ったり。
優しい気持ちで満たされたと思ったら、 とたんに気持ちがはがれたように、薄情になったり。
悲しいのに一方で現実の計算をしたり。
とすると、自分は何て思いやりのかけらもない人間かと 嫌悪の淵に落とされたり。
しょうがないよ。虫だったんだもん、と言い訳したり。
神さまがいたら、こう言うかもしれない。 おまえには早すぎたようだ。もそっと、修行をしておいで、と。
Sako
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