京のいけず日記

もくじ前の日次の日


2004年05月01日(土) GW初日 つながり

「若かりし頃のタミオ」
父の若い頃

昔話の中の父の落書き。ちょっと、…どころか、かなり美形になった。
父を描こうと思ったのは○十年目にして初めて。歳三さんじゃないよ。


今年は落ち着かない年になりそうだ。

病室で皺だらけの母の顔を見ていると、大切なことにふと気がついた。
私は母のことも…。父のことも…。
単なる憧れである歳三さん以上に何も知らない。

まだ間にあう。母はまだそこに居る。


ふだんは実家へは寄り付きもしなかった兄が顔を見せる。
日頃、疎遠の者が顔を寄せる。みんながみんな優しくなる。
抱えきれない不安をみんなで分け合う。

そういう時でしか、みんなと会えないのなら。
私は、ひとりぼっちでいい。 
優しくなんかなくたっていい。独りで薄情に生きてやる。

…気の弱い、逃げるところは、父親似だな。


病院から実家へ戻り、家の中に父子ふたり。
ダンナの迎えが来るまで、家の娘達のように、父と母の昔話をせがんだ。

今ではすっかり気が優しくなった父も、
若い頃は相当無茶をしたらしい。

瀬戸内海に浮かぶ島で三人兄弟の長男に生まれて、
祖父と派手に喧嘩をし、島を飛び出した。

幼い頃、ちらっと見たことがある。
祖父の肩から腕にかけては見事な刺青があった。
記憶違いかと父に聞いたら、確かにあったようだ。

刺青…。でも、昔は今と違い、色々と事情があった時代だ。
エキサイティングなパワフルな時代と憧れるのは
しょせん、戦争を知らない世代だからか。

祖父は夏休みに遊びに来ている孫に見せまいと、
真夏でも七分袖をはおり隠していた。

思い出すのは砂浜で拾い集めた桜貝、
向いの小さな島へ、祖父が漕ぐ小さな舟で釣りに出たこと。
そんな記憶だけがまばらに残っている。

孫には優しい、おじいちゃんも、
土木関係の手配をする、やり手だったらしい。
その気丈な、父にしては巨大であったろう、祖父と
終戦後、南方から帰ってきた父は衝突し、勘当同然、島を飛び出した。
そして、その後で、母と知り合ったらしい。

父とはまったく性格の違う、真面目で、律儀な弟(叔父さん)
島での弟の結婚は大いに祝福され、兄貴として面白くなかったこと。
それでも父を頼って、島を出てきた弟夫婦の面倒を見たこと。

そんな昔話を懐かしむように父は話した。
どれほどの人生だったんだろう。今の父からは想像できない。

「親父と喧嘩しなければ、きっと、今とは違った人生送ってるな」

と、はにかむように笑う。

それは、あかん。あかんで、お父ちゃん。
例え、それが不本意だったとしても。
母と知り会わなければ、私も、兄も、姉も、この世に生まれていない。

私が生まれていなければ、うちの娘達も存在しない。

歳三さん達の時代がなければ
明治生まれだった祖父も、祖母も、この世にいなかったかもしれない。


みんな、つながっている。

話が聞きたい。声が聞きたい。遅すぎはしない。


Sako