京のいけず日記

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2004年01月07日(水) お座敷小唄の甘美な謎

●----- 落書き遊び 茶屋遊び -----●

したごころ
勇の義父、周助先生に小遣いをせびって、せっせと遊女通いしていた頃の歳三さん。

どーみても、下心見え見えの、がっついたお兄ちゃん。

京都時代は色男も洗練されて、きっと粋に上手に遊んだんだろうなぁ。

女の人の髷って複雑怪奇。髪結いさんてすごい!こんな頭で生活してた昔の女の人もすごい!

本当はね、伊東深水の美人画「雪」のような女の人のとなりに、歳三さんを、しっぽりとおいてみたい。きれいやなぁ。

何考えてんだか。


今日から子ども達の中学校、小学校も始まって、
ようやく明日から仕事モードに突入。

母は少し落ち着いた。
実家の近所に住む、しっかり者の姉に今も頭が上がらない。
末っ子の甘えた根性は大人になっても直らないが、
今年は親孝行するぞ。時間がもう動き出したから。

マヒナスターズのリーダー和田弘さんが逝去されたという。

ああ、あの人が…、って思うほど、そこまでいっちゃいないけど、
子どもの頃、なぜか「お座敷小唄」が好きだった。

♪富士の高嶺に 降る雪も 京都先斗町に 降る雪も …ってやつ。

記憶が間違ってなければ、
近くの寺院でやっていた日曜学校で、
この歌を覚えたような気がする。番茶を飲みながら。

日曜学校の若いお坊さん達が、
やっと小学生になったぐらいの子ども達と、

♪ぼくがしばらく 来ないとて 短気おこして やけ酒を …って歌うか?

うーん、やっぱり思い違いなのか。

でも、父や母は、歌にはまったく興味がなかった。
テレビもチャンネル権を奪取するまでは歌番組など見たこともなく
チャンバラかクイズ番組ばかりだったはず。

だったら、
幼い私にお座敷小唄を教えてくれたのは誰だったんだろう?

今と違って、大人は雲の上の別の世界の存在だった。
父親以外のはじめての大人の男の人…。

もしかして、はじめての恋…? 
 いったい誰やったんや、おっちゃん!?


「お座敷小唄」

富士の高嶺に 降る雪も
京都先斗町に 降る雪も
雪に変りは ないじゃなし 
とけて流れりゃ 皆同じ

好きで好きで 大好きで
死ぬ程好きな お方でも
妻という字にゃ 勝てやせぬ
泣いて別れた 河原町

ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない
(まだまだ続く)


Sako