| 2009年10月26日(月) |
第22回東京国際映画祭・コンペティション以外(3)+まとめ |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページは、東京国際映画祭での上映作品の中から、※ ※僕が観て気に入った作品を中心に紹介します。 ※ ※以下はコンペティション以外の上映作品の紹介です。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『メアリーとマックス』(WORLD CINEMA部門) 実話に基づく物語とされるオーストラリア製の人形アニメー ション。 1976年という時代背景で、それぞれが心に病を抱えるオース トラリア・メルボルン在住の8歳の少女と、アメリカ・ニュ ーヨーク在住の44歳の男性とがペンパルとなり、その後20年 に及んだ文通による交流が描かれる。 少女は両親からアクシデントで生まれた子供と言われ、それ が心の傷となったまま孤独に生きている。一方の男性は、ア スペルガー症候群で他人とのコミュニケーションが苦手。そ んな2人が手紙や贈り物の遣り取りで交流を深めて行く。 そしてそれぞれは、少女から大人の女性へ、また壮年期から 老人へと人生の変化を遂げて行く。そこには意見の相違など いろいろな紆余曲折があり、長い時間の流れが互いの手紙の 朗読とそれに関る事象の映像で描かれる。 その主人公の声を、少女役は『シックス・センス』でオスカ ー候補になったオーストラリア人女優のトニ・コレット、男 性役は『カポーティ』で受賞のフィリップ・セーモア・ホフ マンが演じており、さらにエリック・バナらが声の共演をし ている。 映像はかなりデフォルメされた人形によるコマ撮りアニメー ションだが、そこそこの社会性と、ユーモアにも満ちたキュ ートな物語が展開されて行く。また、愛情に恵まれなかった 2人の、それでも愛を求める切ない物語が描かれたものだ。 なお、男性の書棚にASIMOVと記された本があったり、彼自身 がニューヨーク・SFファンクラブの会員であるなどといっ た説明もあり、その辺は実話と言うことなのかな。また物語 の中ではルイス・キャロルに模したカバン語を連発するシー ンも描かれていた。 物語の結末も見事で、心に染みる作品になっていた。
『風のささやき』(アジアの風部門) イラク北部のクルド自治区(クルディスタン)を舞台に、カ セットレコーダーに録音した人々の声を他所で再生してメッ セージを伝える男性を主人公にした物語。 映画の最初の方で、イラクの官憲に捕まった主人公が手紙を 勝手に配達するのは法律違反だと説明されるシーンがある。 それが、彼がやっているカセットテープを運ぶことを指して いるのか、それまでは手紙を運んでいたのかは判らなかった が、確かにカセットに録音した音声を他所で再生することが 親書の運搬に当るのかどうかは微妙なところだ。 それに彼が行っているのは、人から人へのメッセージの伝達 だけではなく、特定の場所で捧げられる神への祈りの代行も 行っているようなのだ。 そんな法律の抜け穴のような仕事をしている主人公だが、実 は物語の舞台となるクルディスタンは、イラン・イラク両国 の北部に位置し、すでにクルド共和国を宣言はしているもの の独立は認められていない地域。そんな国際情勢も背景にし た物語が展開される。 そこでは、当然独立派に対する弾圧も厳しく、一方独立派の 住民はゲリラとなって抵抗を続けている。物語の中でも、そ んな独立派を支援する地下放送局や、住民が避難して無人と なった村、故郷に残した妻の身を案じるゲリラのリーダーな ども登場してくる。 なお、映画祭のパンフレットでは『山の郵便配達』の題名が 挙げられていたが、緑豊かな山岳地帯が舞台だった中国映画 と比べると、本作の舞台は正に砂漠の山岳地帯。その荒涼と した中で、弾圧を受けながら生きる厳しさも伝わってくる作 品だった。 また、映画祭での本作の国籍表示はイランとなっていたが、 アメリカのデータベースによると製作国はイラク・クルディ スタン自治府(Regional Government of Iraqi Kurdistan) となっている。本作の監督はイラン領クルディスタン人で、 撮影が現地ロケで行われたとも思えないから、製作自体はイ ランで行われたのかもしれないが、いろいろ微妙な感じだ。 因にイラク・クルディスタン自治府は、現イラク政府が憲法 上で認めているものではあるようだが…
『牛は語らない/ボーダー』(natural TIFF部門) 実はこの作品に関しては、直前の作品と上映時間が重なって いて、観るべきかどうか迷ったのだが、映画祭の広報から強 く勧められたので不完全な鑑賞になることを承知で観ること にしたものだ。 このため鑑賞は巻頭の12分が欠けているが、その部分は映画 祭のパンフレットで補っている。 その物語は、ソ連崩壊後に起きたアルメニアとアゼルバイジ ャンの紛争が終結し掛けた頃を背景にしたもの。その国境の 近くで1頭の牛が瀕死の状態で見つかる。そしてその牛は無 理矢理とある牧場につれてこられるが…ここまでがパンフレ ットから得た情報だ。 その牛は、連れてこられた牧場で元気は取り戻すが、犬には 吠えられたり、人間たちも辛く当ってくる。そして牛はいつ も鉄条網で仕切られた国境線を眺めている。その先に観てい るものは一体何なのだろうか。 ソ連崩壊前は、国境線もなく自由に行き来できた場所が、今 は鉄条網によって仕切られている。しかしそんな人間の事情 は牛には判らない。そんな不条理な物語が、牛の目を通して 描かれているようだ。 最初の状況説明がどのように行われたかは判らないが、映画 の本編では台詞は一切無し。途中で歌声や叫び声などは聞こ えるが、字幕が付くような台詞は全て排除されている。それ は牛が物語の主人公なのだから当然ではあるが、それでも物 語が判る(しかも途中から観ていていても…)のだから、そ れは見事なものだ。 国境線を見つめる憂いに満ちた感じの牛の表情が何とも言え ない作品だった。直前の作品も素晴らしかったので本作の巻 頭が欠けたことは仕方がないが、何とかして最初からちゃん とした形で観直したいものだ。
『クリエイション/ダーウィンの幻想』(natural TIFF部門) このサイトの製作ニュースでは、昨年9月15日付第167回で 取り上げている『種の起源』の著者チャールズ・ダーウィン とその妻エマを描いた作品。ただし、この製作ニュースは重 大なネタバレを書いていることが判明したので、これから読 むのは控えて欲しいものだ。 物語は、ダーウィンがビーグル号での世界を巡る旅から帰っ てきてから、『種の起源』を発表するまでの期間を描いてい る。その時すでに『種の起源』の草稿は発表されており、地 上の生物は神が作ったとする教会に対抗する論調は進歩的な 人々の関心を呼んでいた。 このため本の完成には大きな期待が寄せられていたが、実は 彼の妻エマは敬虔なキリスト教の信者であり、教会の神父と も付き合いの深い家族に対して、それを否定するような本の 執筆には躊躇いもあった。そして、彼には家族の死という重 圧も掛かっていた。 そんなことから健康も優れないダーウィンは、水治療といっ たちょっと怪しげな療法にも手を出すようになり、それもま た彼の身体を蝕んでいく。そんな中で、ダーウィンが『種の 起源』を書き上げるまでが描かれる。 なお物語の創作には、ダーウィンの末裔で“Annie's Box” と題されたダーウィンの伝記なども発表しているランダル・ ケイネスが参加しているものだ。 監督は、2003年『ザ・コア』や1993年『ジャック・サマース ビー』などのジョン・アミエル。主演は、実生活でも夫婦で あるポール・ベタニーとジェニファー・コネリー。実際の夫 婦が演じることの安心感のようなものも感じられた。 ただし、この2人はジェニファーがオスカーを受賞した『ビ ューティフル・マインド』での共演が切っ掛けで結婚したと 思われるが、本作の題材にはその作品に似通ったところもあ り、それを思い出してしまうのは辛いところだ。 なお本作は、日本での配給がまだ決まっていないようで、そ のような作品が観られるのも映画祭の魅力というところだ。 まあ宗教の問題などは日本人には中々判り難いものではある が、『種の起源』はそれなりに知られたものでもあるし、一 方、映画監督は日本でも実績がある人、さらに主演の2人も 日本のファンはいると思われるところで、何とか本作の一般 公開も実現して欲しいところだが。
『台北24時』(アジアの風部門) 2006年12月に紹介した『パリ、ジュテーム』など、最近流行 りのようにもなっている1つの都市に纏わる短編集。さらに 本作では、1日24時間のそれぞれの時刻を順番に描くという 仕掛けにもなっている。 物語は、それぞれが6時、9時、12時、15時、18時、20時、 0時、4時を中心に描かれたもので、そこでは木に登った猫 の騒動や、幼い2人の男女の物語、ビジネスマンの不倫や、 ボスの女を監視する話、問題のある少女とその父親の物語、 帰宅途中の出来事、家出少女の帰宅、天安門事件に絡む女性 バレリーナの話などの物語が語られる。 その作品は、全体的にはコミカルなものも多かったが、夜間 が背景の作品では多少重いものもあって、特に締め括りはか なり重厚な感じにもなっていた。この作品が最後というのは 何かの意図があるのだろうか。 全体で94分の作品で、それぞれの作品は平均で10分強、従っ てそれほど深い話にはなっていないが、人生のいろいろな局 面みたいなものも描かれていて、それなりに面白い作品も含 まれていた。 さらに、一部分にアニメーションが使われたり、モノクロの 記録映像が出てきたり、展開上ではちょっとファンタスティ ックな描写があったりもして、内容的にはヴァラエティにも 富んだものになっていた。 なおそれぞれの作品は、監督も製作プロダクションも全て独 立に作られているもので、監督には本業の人だけでなく、本 来は俳優の人なども含まれているようだ。また本来は監督の 人が出演している作品もあったようだ。 また作品は全てHDカムで撮影されたもので、今回は上映も ディジタルで行われたものだが、映像のクリアさなどはフィ ルムとは全く違う感覚になっていた。ただしそれが旧来の映 画ファンに受け入れられるかどうかは判らないが… * * ということでコンペティション以外の作品は25本。コンペ ティションと合せると40本を紹介した。本当はもう数本観て いるのだが、いろいろな事情で割愛しているものもある。 そして映画祭では各賞の受賞作も発表されているが、今年 も1週間前に書いた予想は余り当らなかったようだ。因に、 グランプリは『イースタン・プレイ』、監督賞と男優賞も同 作からカメン・カレフとフリスト・フリストフが選ばれてい るが、男優賞は映画の原案も提供し、さらに撮影中に亡くな ったと言うのは、同情を買いやすい条件であったとは言える だろう。監督もその親友であるという点では同様だ。 作品自体は、10月18日付でも評価したように悪い作品では ないが、多少そんなこともあったかなとは思ってしまう。 それに対して女優賞は、『エイト・タイムズ・アップ』の ジュリー・ガイエで、これは見事に当ててしまった。ただし こちらも、女優が製作と共同脚本にも携わっているもので、 結局こういうことが評価に影響していることは否めない。そ れはまあ、映画を作ることに尽力しているのだから、悪いこ とではないが、そうしなければならないとなると、またいろ いろ難しくなってしまうものだ。 なお『激情』は審査員特別賞というものを受賞した。まあ 付帯の状況が無ければこれが一番だったということかも知れ ない。また観客賞は『少年トロツキー』、一番判り易くて面 白かったのは確かな作品だ。さらにアジア映画賞が『旅人』 に贈られたが、これも映画人には評価しやすい作品だったと 言えそうだ。それから特別功労賞が、『タレンタイム』のヤ スミン・アフマドに贈られた。これも受賞の理由は10月23日 付で書いた通りだ。 他に3作品ほどが受賞を果たしているが、いずれも僕は見 逃した作品なので紹介は割愛する。 * * 映画祭の全体に関しては、上映本数は約270本、これがど の範囲までを集計しているのかは判らないが、前年度の本数 は315本だったのだそうで、そこからは大幅に減少したと言 えそうだ。それは会場が六本木だけに限定されたことなどの 影響もあるかも知れないが、例年、朝10時頃から夜12時近く まで映画を観ていたのに比べると、今年は朝11時から夜11時 前には終っていたようで、本数の減少は会期中にも感じられ ていた。 いずれにしても全部は観られないことにはなるのだが、上 映本数の多さが映画祭の実力でもある訳だから、これは来年 に向けて頑張ってもらいたいものだ。 内容的には、イスラムとキリスト教の対立ような宗教的な 背景を持つ作品が多くなっていることは感じられたが、日本 人としては理解しなくてはいけないと思いつつ、中々難しい 問題もあるところで、そういう作品をどのようにアピールさ せるかも問題のように感じられた。 また、コンペティションに出品された『テン・ウィンター ズ』『永遠の天』を筆頭に、各国の現代史を描いたような作 品も多く観られたが、これも他国民の目で観ていると理解は できても、そこに思い入れが生じるまでには至れないものが 多く、そこに当時のニュース映像などが挿入されても他国民 の目では何らノスタルジーも生じなかった。そこには映画の 作り手の技量に掛かる面もありそうだが、これが他国民にも アピールできる作品になれば素晴らしいと思えたものだ。 この他の運営面では、一部に上映開始時間が遅れるなどの トラブルはあったが、概ね問題はなかったように思えた。た だし、例年会場近辺で配布される日刊の新聞があるのだが、 その4日目が当日の朝に品切れになっていた。聞くと、前日 の夕方から配布が始まっていたのだそうで、そこに何か人気 作品の記事でもあったのか、本来の配布日の朝には無くなっ ていたものだ。 例年なら最終日まで全ての日付が残っていたものだが、発 行部数を絞ったのかそういう事態になっていた。このため例 年はコレクションを完成させるために、最終日には鑑賞する 映画はないのに会場まで行っていたのが、どうせ不完全なら わざわざ行くことはないという気分にもなってしまった。 それに、例年の新聞は前日の記者会見の報告など生の情報 も入っていたものだが、今年はどの記事も事前に書かれたこ とが見え見えのものばかりで、特に各紙の記者による星取表 も無くなっていたのが残念なところだった。恐らくこれは、 経費の削減で生の記事を取材して編集する人員を削除したも のと思われるが、これでは日刊を出していることの意義にも 疑問を感じてしまうところだし、何かインチキをされている ようにも感じられたところだ。 世界不況の折りから、いろいろ運営上でも難しいものには なっているのだろうが、来年は1985年の第1回開催から25周 年を迎える節目でもあるし、例年にもました華やかな映画祭 を期待したいものだ。
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