2009年10月16日(金) |
第22回東京国際映画祭・コンペティション部門(1) |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページは、東京国際映画祭での上映作品の中から、※ ※僕が観て気に入った作品を中心に紹介します。 ※ ※まずはコンペティション部門の上映作品の紹介です。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『ACACIA』 芥川賞作家でもある辻仁成による2002年『目下の恋人』以来 となる監督作品。 辻監督が名誉市民にもなっている函館を舞台に、独居老人ば かりが住む住宅団地に暮らす元プロレスラーの男と、彼の家 に居候することになった少年と、それぞれの家族と、その周 囲に暮らす人々を描く。 少年の家は母子家庭で少年自身は苛められっ子だったが、あ る日のこと大魔神と呼ばれる元プロレスラーの男が苛めの現 場に遭遇し、少年を助けたことから交流が始まる。そして少 年の母親から暫く預かって欲しいと頼まれてしまう。 この大魔神にアントニオ猪木が扮し、少年役を2006年『暗い ところで待ち合わせ』などに出演の林凌雅が演じている。他 に北村一輝、石田えり、坂井真紀、川津祐介らが出演。 劇映画の主演は初めてと思われる猪木は、まあ台詞廻しなど にはきついところもあるが、それを子役の林らがよくカバー している感じだ。もっとも映画祭の外国人審査員は字幕で観 るから、あまり違和感はないかも知れない。 それに今まではアクション俳優と認識していた北村が腹話術 など意外と芸達者なところを見せてくれるもので、その辺に は感心した。因にエンドクレジットには腹話術指導という項 目があったから、これは今回学んだもののようだ。 監督自身は、事前に行われた映画祭の公式記者会見で挨拶し て、「初めて自信が持てない作品」と称していたが、独居老 人や子供の苛めなどは外国でも共通の問題であろうし、その 問題はよく描けていたように思えた。 また映画の中には、函館山から見下ろして観る打ち上げ花火 などの風物も登場して、それは素晴らしかった。
『少年トロツキー』 俳優としても活躍するジェイコブ・ティアニーが自ら脚本・ 監督を手掛けたカナダ作品。因にティアニーの監督作品とし ては第3作のようだ。 両親にレオンと名付けられたために、自分を赤軍の闘士レオ ン・トロツキーの生まれ替わりと信じてしまった高校生の物 語。そのため彼は自分の人生をトロツキーの人生に重ねて設 計し、まずは父親の経営する工場で組合作りに着手、ストラ イキを決行する。 そんな息子に手を焼いた父親は、主人公をトロツキーと同様 の公立学校に転校させるのだが、そこで高圧的な教育姿勢を 目の当りにした主人公は、生徒たちを扇動して学校側に要求 を突きつけてしまう。そしてそれがマスコミにも取り上げら れて… 1970年『いちご白書』をその時代に観ている者としては、い ろいろと考えてしまう内容の作品だった。監督の政治姿勢が どこにあるのかは判らないが、最近の何事にも無関心な若者 たちに一石を投じるつもりなら、これもありと言える作品だ ろう。 実際に映画の中にも「無関心」という言葉が繰り返し出てく るのだから、監督の意図もそこにあるのかも知れない。ただ し映画では、トロツキーという存在を前面に出してお話を面 白おかしく描いてはいるが… なお出演者の中にジュヌヴィエーヴ・ビジョルドの名前を発 見。『まぼろしの市街戦』や『コーマ』、1969年の『1000日 のアン』ではオスカーにもノミネートされたカナダ生まれの 女優はまだ健在のようだ。
『ダーク・ハウス/暗い家』 社会主義体制下の1978年と戒厳令下の1982年、その2つの時 代がリンクして物語が展開するポーランド作品。 社会主事体制下で起きた陰惨な事件を戒厳令下の警察が捜査 する。その物語は、容疑者が逮捕されて行われる事件の現場 検証と、容疑者が語る4年前の事件の再現とで進められるの だが、そこにはそれぞれの時代を背負ったいろいろな思惑が 絡んでいた。 正直に言って、それぞれの時代のことをあまり認識せずに観 ていたら、かなり混乱してしまった。さらに描かれる事件は 1つだけでなく、その他の経緯も絡むので、何も知らずに観 ていると相当にややこしいものだ。 しかし映画を観ている間は、雪原に建つ一軒家などの風景が 鮮烈で、思わず引き込まれてしまう力強さは感じられた。そ れに捜査員たちが強い酒を飲みまくり、それで混乱して行く 様などは恐らく風刺としても強烈に描かれているものだ。 さらに旧体制下での犯罪が現体制下でも隠蔽されて行く過程 などは、実際に体制は変っても人間は変らない…そんな悲劇 が描かれているのだろう。こればかりは当事者でないと理解 できないのかも知れないが、そこへの憤りは感じられる作品 だった。 それにしても、捜査員の1人が妊婦というのはコーエン兄弟 監督『ファーゴ』へのオマージュなのかな。描かれる物語は どちらも雪の中での陰惨な事件の話だし、映画を観ながらふ とそんなことも考えてしまった。 体制を守るためには真実などどうでも良い。民主主義の世界 では起こらない話だとは思いながらも、もしかしたらと考え てもしまう作品だった。
『ストーリーズ』 2002年から数多くの短編映画を発表し、受賞歴の豊富という スペインのマリオ・イグレシアス監督による長編作品。因に 監督は2006年にも「長編」映画を発表しているが、その作品 は10の短編からなるものだそうだ。そして本作も全体を構成 する物語の中に複数の短編が挿入された特殊な構成となって いる。 そのメインとなる物語は、物書きを志す主婦を主人公とした もの。彼女は折々心に留まった出来事から小説を執筆してい るが、最近夜中に目が覚めて恐怖に襲われ、そのまま眠れな くなる症状が続いている。 そこで彼女は心理カウンセラーを訪ね、その原因を突き止め ようとするのだが…その治療に従って、彼女が書いた小説に 基づく短編作品が挿入されて行く。その短編は、バーテンダ ーの話や、歌手や、結婚式など最初は脈絡のないものだが。 なお短編のシーンはモノクロで撮影され、カラーで撮影され た現実シーンと対比されているが、そのカラーのシーンの中 にも、ちょっと非現実的な物語が起きたりして行く。そして 後半では心理治療と通じるようなモノクロの作品も登場して くるものだ。 それは、ファンタスティックというほどではないかも知れな いが、何か心に感じる作品でもあり、またスペイン内乱時の 銃殺隊の話など、あまり知らなかった歴史の話なども登場す る。そしてそのほとんどが人の死に関わるものでもある。 物語全体を概観しようとするとかなり複雑だが、それぞれの シーンが心に残るものでもあるし、作品としては深い情感を 得られるものでもあった。また、トラウマ治療の方法として EMDRという手法が紹介され、それにも興味を引かれた。
『ボリビア南方の地区にて』 ボリビアの首都ラパスは、他の多くの大都市とは異なり、南 部の低地帯に富裕層の住居が集まっているのだそうだ。そん な地区に建つ邸宅での物語。その邸宅には、女主人と3人の 子供と、先住民族の使用人たちが暮らしていた。 その長男は母親に溺愛され、ガールフレンドを連れ込んでも 何とも言われない。その一方で年頃の長女は母親に反抗的で 言い争いが絶えないが、それも愛情の発露のようにも感じら れる。そしてまだ幼い次男は、使用人の男性にいろいろな教 えを請うている。 そんな一家だったが、母親の貯えが底を尽き始め、暮らし振 りは厳しくなってくる。それでも子供たちを学校には通うわ せようと努力を重ねる母親だったが… 長く白人が支配してきた国で、徐々に先住民たちが力を付け てくる。それは暴力的な反抗ではなく、静かに先住民への権 力の移譲が進んで行く世界。そんな平和裏に進む歴史ではあ っても、そこに暮らす人々には悲しみも生じる。そんなボリ ビアの現在が描き出された作品のようだ。 ただし物語の全体は、邸宅での使用人と主人と関係を描いた ものにもなっており、そこには、アンソニー・ホプキンスの 『日の名残り』やピーター・セラーズの『チャンス』とは違 った背景での物語も興味深く描かれていた。 なおアンデス山脈では、時間は直線ではなく円を描いて進む のだそうで、それと呼応するように登場人物の周りを円を描 いて進むカメラワークにも興味を引かれた。 因に、国際題名(英語)は“Sounthern District”、邦題は 『ラパス南方の地区にて』の方が正しいと思われるが。
『台北に舞う雪』 2001年日本公開『山の郵便配達』や、2003年東京国際映画祭 で上映された『ヌアン』(2005年日本公開時の題名は『故郷 の香り』)、それに昨年8月に『初恋の想い出』という作品 も紹介しているフォ・ジェンチイ監督の最新作。 現代の台湾を舞台に、都会での歌手の夢に挫折し山間の町に やってきた女性と、その町で慎ましく暮らす若者の静かな交 流が描かれる。 新人賞を受賞した歌手のメイは突然声が出なくなり、相談す る相手もなく1人で山間の町に来てしまう。そこで出会った のがモウと呼ばれる青年で、彼は父を亡くし母親とは生き別 れた後、自分の面倒を見てくれた町の人々のために身を粉に して働いていた。 そんな青年の世話で徐々に町にも溶け込み、また青年の紹介 した漢方医の処方で歌声も取り戻して行くメイ。しかしその 頃、彼女の所属していた台北のレコード会社では彼女の捜索 も進めていた。そして1人の芸能記者が彼女の行き先を突き 止めるが… お話自体は全く他愛ないものだし、そこで特に何かが起きる ものでもない。でも物語の全体が、静かに佇む山間の町で心 豊かに展開されて行く。そして題名の持つ意味が見事に語ら れる。 出演は、北京の中央戯劇学院出身でチャン・ツィイーに続く 才能と言われるトン・ヤオと、日本映画の『暗いところで待 ち合わせ』などにも出演のチェン・ポーリン。他に、モー・ ズーイー、トニー・ヤン、ジャネル・ツァイなど台湾の若手 スターが演技を競っている。 今年7月紹介の『プール』ではタイの風物詩コムローイとし て登場した紙製の熱気球が、ここでは天燈(テンドン)とい う名前で登場する。また、単線で2〜4両編成の気動車が走 る鉄道の風景なども美しく描かれた作品だった。
『イースタン・プレイ』 ブルガリアの首都ソフィアを舞台に、変貌して行く都市と、 その中でもがき苦しむ若者たち。そこに存在する民族間の対 立や新旧の文化の対比などが描かれる。 主人公となるのは2人の兄弟。弟は父親と一緒に暮らしてい るがネオナチに被れて暴動にも参加している。一方の兄は、 過去の問題で親元を離れ音信不通だったらしいが、美術学校 を出て才能はあるものの、木工所で塗装の仕事をしている。 そんな2人が、弟の居るグループがトルコ人旅行者を襲い、 その現場に行き合わせた兄が旅行者たちを救ったことことか ら邂逅する。しかしその後に兄が久しぶりの帰宅しても、父 親は冷たくしか当たれない。 そんな行き場のない若者たちの思いの中で、弟は兄への信頼 に活路を見いだそうとし、兄はトルコ人旅行者の娘に自分の 将来を夢見る。そして彼らの住む町では、旧市街が取り壊さ れ、ビジネスセンターが作られるという広大な空き地が作ら れている。 程度の差こそあれ、恐らくは世界中の若者たちが直面してい る問題がこの作品に描かれている。それはネオナチなど日本 とは少し違うかも知れないが、将来への不安などその背景に あるものは同じだろう。 なお物語は、兄を演じたフリスト・フリストフの実体験に基 づくもののようだが、その俳優は撮影終了目前に事故で亡く なっているそうだ。 ただし本作では、ブルガリア語、トルコ語、英語がそれぞれ の場面で使われているが、字幕でそれが区別されておらず、 一部でその状況が判りにくい部分もあった。気が付けば判る ことではあるが、他のコンペティション作品では、括弧の使 用などで区別しているものもあり、気にして欲しかったとこ ろだ。
『見まちがう人たち』 角膜移植によって朧げにものが見えるようになった男を中心 に、その男が治療を受けた医療企業の従業員や、男が出入り するショッピングモールの警備員などが行き交うアンサンブ ルドラマ。 題名は、初めて目が見えるようになった男性が、今までは聴 覚や触覚だけだった世界との違いに戸惑う姿に準えて、いろ いろな登場人物たちの思惑の違う出来事が描かれて行く物だ と解釈するが、正直に言って視力の回復した男以外の物語は あまり目新しいものでもなく、ただ物語を煩雑にしているだ けのように感じられた。 これならもっと視力の回復した男の物語に絞っていろいろな エピソードを描いた方が良い作品になったと思われるが、そ の男の物語も、見えていると恐怖に囚われるが目を瞑れば大 丈夫だなど常識的なものばかりで、結局その辺の考察にも欠 けているのだろう。 監督は、映画に登場するチリ南部の町ヴァルディヴィアの出 身で、4年間のイギリス留学の後に帰国して故郷の町の変貌 振りに驚き、この物語を構想したということだが、この作品 では肝心のその驚きが伝わってこなかった感じがする。 テーマ的にはこれで良いのだと思うし、シリアスをユーモア で撮るという監督の考え方も理解はするが、通り一遍のコメ ディではその思想も活かされない。テーマに沿って取材を重 ねれば、ユーモアは自然と産まれてくるものだと思う。 テーマは面白いし、その寓意性などももっと活かされるべき 作品だとは思うが、何かが全体的に足りない作品に思えた。
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