井口健二のOn the Production
筆者についてはこちらをご覧下さい。

2009年07月26日(日) アバンチュールはパリで、2012(特別映像)、アニエスの浜辺、わたし出すわ、イメルダ、ウォッチャーズ、虫皇帝、プール

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『アバンチュールはパリで』“밤과 낮”
2000年東京国際映画祭(TIFF)で審査員特別賞を受けた『オ
ー!スジョン』(日本DVD発売名:スジョンの愛)などの
ホン・サンス監督による2008年の作品。
主人公は、韓国内で友人と一緒に違法なドラッグを試し、そ
の友人が逮捕されて彼の名前を自白したとの情報に慌てて飛
行機に飛び乗り、パリに来てしまったという男。そんな男の
パリでの行状が綴られる。
映画では上記の顛末が巻頭のテロップで紹介される。僕はそ
こで最早笑いのモードだったが、この作品はそんな雰囲気の
コメディだ。
因に主人公は国選という肩書きを持つ画家。それがどれほど
権威のものか知らないが、一応先生と呼ばれるものらしい。
ところが、何せ上記の状況だから、所持金もあまりないし、
韓国に残したままの妻とは国際電話でほぼ毎日泣きくれてい
るという有様。
そんな男が、パリで昔のガールフレンドに出会ったり、泊ま
っている民宿の主人に紹介された美学生の女子に観光案内を
してもらったり、そして出会った若い女性に恋心を募らせた
り…というお話が展開される。
サンス監督は、以前の作品でもシナリオは用意せずにその日
の思いつきのメモで撮って行くとのことだったが、今回もそ
うなのだろうか。物語は実に取り留めもなく進んで行く。し
かし最後まで話の筋が振れないのは、コンセプトがしっかり
頭に描けているということなのだろう。
ただしそのコンセプトは、男性にはかなり手厳しいものがあ
って、正直にはそこまで描かなくても…と思ってしまうとこ
ろもあるのだが、男の情けなさみたいなものは本当にうまく
描いてしまう監督と言えそうだ。
主人公の画家役は、1999年のアクション作品『ユリョン』な
どのキム・ヨンホ。共演は、テレビドラマの『チャングムの
誓い』などに出演のパク・ウネ、同じくテレビドラマ『ホジ
ュン』などのファン・スジョン。
なお、監督の2000年作品を観たときには、その大胆なセック
ス描写に本当に驚かされたものだ。その監督でこの題名は…
という気にもさせてくれるが、それは観てのお楽しみ。因に
本作の製作者は、2006年のTIFFに出品された『浜辺の女』と
同じ女性だそうだ。

『2012』(特別映像)
日本では今年11月21日に公開されるローランド・エメリッヒ
監督の新作について、その約15分間のフッテージが世界初お
披露目された。
この作品に関しては、2008年3月1日付第154回の記事など
でも紹介しているが、マヤ暦がこの年の年末に終っているこ
とから、その時に世界が滅亡するのではないかとする予言に
基づく物語とのことだ。
ここまでの情報は以前から知られていたものだが、今回の映
像のお披露目と共に行われた監督の記者会見によると、ジョ
ン・キューザックが扮する物語の主人公は離婚歴のある作家
で、その主人公が偶然に人類滅亡が事実であることを知って
しまう…という展開。
一方、アメリカ政府は密かにその災害から地球上の生物の種
を残すべく方策を考えているが、救える個体の数は限られて
いる。それを知った主人公は、自分の元妻と子供たちを救う
ために獅子奮迅の活動を開始するが…となって行くようだ。
この物語が、世界滅亡の大スペクタクル映像と共に描かれる
もので、お披露目されたのは主にそのスペクタクル映像だっ
たが、これが何ともエメリッヒらしい外連一杯に描かれたも
ので、次から次のその映像はかなり満足できた。
ただまあ、エメリッヒの作品は得てしてそのスペクタクルば
かりが強調されて、人間ドラマの多少弱いことが常に指摘さ
れるものだが、今回は元夫であり元父親の主人公が、自分が
失ったものを回復するために活躍するというもの。それは特
に強調しなくても自ずと良い人間ドラマになりそうだ。
一方、それに並行して描かれる政府の動きの方でも、滅亡の
事実を民間に知らせるべきか否かの葛藤も在るとのことで、
それは小松左京『日本沈没』の原作本の中でも言及されてい
るものだが、それが明確に描ければ、それもまた良いドラマ
になる。

会見によると、映画の全体では1400〜1500のVFXショット
が盛り込まれるそうで、一部観られたその映像はかなりのク
ォリティで描かれていた。これならエメリッヒ監督最大のヒ
ット作『ID4』の再来は大いに期待してよさそうだ。

『アニエスの浜辺』“Les plages d'Agnès”
ヌーヴェル・ヴァーグ時代から活躍するフランスの女流監督
アニエス・ヴァルダが、自分自身のことや、1990年に亡くな
った生涯のパートナー=ジャック・ドゥミ監督の思い出など
を綴った自伝ドキュメンタリー。
ヴァルダは幼少の頃をベルギーの海岸に近い場所で育ったの
だそうで、一方、ドゥミ監督の代表作の『シェルブールの雨
傘』と『ロシュフォールの恋人たち』の舞台が共に湊町であ
ったことなどから、浜辺にこだわって自分の生涯を描きたく
なったのだそうだ。
そこには浜辺で遊ぶ幼少時代の再現映像や、そこにオーヴァ
ラップする現在の姿などが自由奔放な映像で綴られる。それ
と共に、ヴァルダ自身やドゥミ監督の数々の名作のフィルム
クリップや当時の撮影風景の映像なども挿入されて、映画フ
ァンには観ているだけで楽しくなる作品になっている。
もちろんそこにはドゥミ監督の死などの陰も在りはするが、
全体的には80歳を越えてまだ闊達な女流監督の元気いっぱい
の姿が写し出されている。中でも、パリ市内のシーンでも浜
辺にこだわって大量の砂を運び込んで撮影したというエピソ
ードなどは、今でも実力の在るところを見せてくれる。
その一方でヴァルダのいろいろな交友関係も描かれ、そこに
はジャン=リュック・ゴダール、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジ
ェーン・バーキン、ヴァルダが自作にその曲を使用したドア
ーズのジム・モリスンなども登場する。特に『ラジュテ』な
どのクリス・マルケル監督が、猫のキャラクターに模しなが
らいろいろ述べる下りは愉快だった。
また一時はハリウッドにも移り住んだヴァルダが、ハリウッ
ド映画で起用しようとしたものの映画会社の反対で断念した
という後の人気スターの若き日の姿と現在のコメントなども
紹介され、これはファンには思いがけないプレゼントになっ
ている。
僕自身が体験したアニエス・ヴァルダの作品は、学生時代に
アートシアターで観た『5時から7時までのクレオ』と、複
数の監督が参加した『ベトナムから遠く離れて』程度で、そ
れほどの思い入れはなかったが、この作品に描かれた彼女の
半生には思っていた以上に魅かれるものを感じた。
作中ジャガイモの着ぐるみ(私物だそうだ)まで着てはしゃ
いでみせるこの小母ちゃんの作品を他にも観みてみたくなっ
たものだ。

『わたし出すわ』
『間宮兄弟』などの森田芳光監督が、1996年『(ハル)』以来
のオリジナル脚本で発表した作品。
北海道の函館を舞台に、東京から帰省してきた女性と、地元
に暮らすその高校時代の同級生たちの物語。その同級生たち
にはそれぞれ夢があり、その夢に対して女性は、題名のごと
く無造作にその資金を提供して行く。それがドラマを生んで
行く。
子供の頃に観ていたアメリカのテレビシリーズで『100万ド
ルを貰ったら』というようなタイトルの番組があって、それ
は突然100万ドルを提供された人々の悲喜交々のドラマを描
いたものだった。
それに最近では、深夜テレビで筒井康隆がホストになったゲ
ーム的な番組も作られていたようだが、いずれにしてもアイ
デアとしては目新しいものではないかも知れない。
ただし森田監督は、上映前の舞台挨拶で「金融機関も貸渋り
の世の中で、こんなことでもないかと思って作った作品」と
していたもので、確かに今の時代の中での社会一般に対する
アンチテーゼのような意味合いは在りそうな感じの作品にな
っている。
とは言うものの、登場する金を貰った人々の行動がかなりス
テレオタイプな感じなのは解せないところで、確かにそれは
現代を反映したものではあるが、もう少しその辺に捻りがあ
っても良かった感じはした。もっともそれが狙いという感じ
もしないではないが。
それに対してこの作品の最大の捻りは主人公の女性の方にあ
るのだが、それに関して僕はかなり心地よい感じで映画を観
終えることができた。ただまあこれが一般の映画ファンにど
う受け取られるかは心配なところではあるが…

主演は、『ラスト・ブラッド』『カムイ外伝』に続いて出演
の小雪。前の2作はそれぞれポストプロダクションに時間が
掛かったようで、今年それが一気に出てしまったものだが、
本当に良く頑張っている感じだ。
共演は、2006年『TANNKA』の黒谷友香、2008年『空へ』の井
坂俊哉、2009年『空気人形』の山中崇、2006年『雪に願うこ
と』の小澤征悦、2008年『あの空をおぼえている』の小池栄
子。他に、仲村トオル、ピエール瀧、藤田弓子、加藤治子、
永島敏行らが登場する。
映画では、高校時代のエピソードがディスプレイ表示のよう
な文字列で紹介されるなど、13年前の作品を髣髴とさせると
ころもあり、その監督の指向の先にあるものをもっと観たく
なる感じもした。

『イメルダ』“Imelda”
1986年に失脚した元フィリピン大統領の妻で、失脚後に一般
公開された大統領官邸マラカニアン宮殿に残された3000足の
靴、2000着のドレスなどで話題を撒いたイメルダ・マルコス
の半生を、本人の証言を許に追ったドキュメンタリー。
1929年にマニラで生まれ、第2次大戦後に進駐した米兵の前
で歌っているところを司令官マッカーサーに認められ、当時
フィリピンを訪れた作曲家アーヴィング・バーリンの前で学
校で教えられた英語の歌“God Bless Pilipinas”を歌った
ところバーリンに歌詞を直してもらったという逸話から始ま
る1人の女性の物語。
その後に国会議員だったマルコスと出会い結婚し、やがて大
統領夫人に。その半生は裕福な環境に恵まれ、貧困に喘ぐフ
ィリピンの一般民衆とはかけ離れたものだが、それでも本人
は貧困と闘い、民衆の生活の向上に努めたと言い切る。
しかし、彼女自身がマニラ首都圏知事に選出されたり、彼女
のために作られた居住環境省大臣なる役職で成し遂げたこと
は、靴やドレスと同様に民衆の生活実感からはかけ離れ、た
だ国の内外に無私無欲をアピールするためでしかなかった。
そんなイメルダの半生記だが、作った監督本人がイメルダに
心酔しているのかあまり批判的なものではなく、その辺には
多少の違和感を覚える。それでも真実というのは力のあるも
ので、そんな描き方でも不正の事実ばかりが浮かび上がるの
は面白いところだ。
それらが、イメルダの親族や子供時代の友人、マルコス政権
下で拷問を受けたと証言するジャーナリスト、当時の駐比ア
メリカ大使スティーヴン・ボスワース、当時の東アジア・太
平洋問題担当補佐官リチャード・ホルブルックらの証言と共
に紹介される。
そんなイメルダは、元大統領の死去後は帰国を許され、本人
の政界再進出は訴訟の問題に阻まれたが、息子や娘は政界に
進出、現在もその威勢を保っているとのことだ。それを国民
性とするのは簡単だが、それは日本でも対して変わらない民
衆の姿だろう。
なお、最初の作曲家のエピソードで、字幕ではバーリンとだ
け記されファーストネームが削除されていた。アメリカの作
曲家など日本の観客には無意味という判断かも知れないが、
“God Bless America”だけでなく、『ジャズ・シンガー』
や『ホワイト・クリスマス』も手掛けた作曲家は、日本では
アーヴィング・バーリンのフルネームで認知されているはず
のもの。これはちゃんと表記して欲しかった。

『ウォッチャーズ』“Homecoming”
スポーツで優秀な成績を残し、故郷に錦を飾ることになった
大学生とそのガールフレンドを襲う恐怖を描いた作品。
主人公は大学のフットボールで優秀な成績を残し、そのため
故郷の高校で彼の着けていた背番号が永久欠番されることに
なる。その式典に出席のため彼はガールフレンドを伴って帰
省するのだが、そこには彼が大学進学前まで付き合っていた
元カノの姿も在った。
しかも、その元カノの経営するボーリング場に集まった昔の
仲間たちとはしゃぎまくったガールフレンドは、酔っ払って
いては彼の両親に会えないとの配慮から1人モーテルに泊ま
ることに…そのガールフレンドが行方不明になる。
ところが、この行方不明事件に警察はなかなか動き出そうと
しない。その状況が、コミュニケーション手段の発達した現
代ですら成立する巧みな手法で描かれて行く。そして孤立無
援のガールフレンドの壮絶なサヴァイヴァルが始まる。
作品はアメリカのデータベースのジャンル分けでもホラーと
なっているものだが、ここに描かれているのはオカルト的な
恐怖ではなく、もしかすると人間の誰でもが陥るかも知れな
い現実的な恐怖を描いたものだ。
それは被害者の立場だけでなく、加害者にも容易になってし
まうもので、そんな現代の恐怖が巧みに描かれていた。しか
も映画では、いろいろと繰り出される状況判断のメッセージ
がなかなか相手に届かないというもどかしさも描いて観客の
共感を呼び込んで行く。
脚本は、ケイティ・L・フェッティング。映画化作品は2作
目のようだが、細かい状況まで配慮したシナリオはなかなか
のものだ。監督は、2002年『アメリカン・サイコ2』などの
モーガン・J・フリーマンが担当した。
出演は、テレビドラマの『The O.C.』でレギュラーを務めた
ミーシャ・バートンと、同じく“90210”で今期レギュラー
のジェシカ・ストループ。そして『ゴーストライダー』で主
人公の少年時代を演じたマット・ロングが大学生を演じてい
る。
日本人の感覚で言うホラーではないかも知れないが、アメリ
カではスティーヴン・キング原作の『ミザリー』と比較され
ているようだ。

『虫皇帝』
実体験に基づく闇金融を描いた小説などを発表している作家
・新堂冬樹のプロデュースによる虫同士の闘いを集めた映像
作品。
作品のコンセプトとしては、虫を昆虫と毒蟲に分け、それぞ
れから選んだ1対1の対決で勝敗を着けるというもの。その
リングは、対決する虫のサイズに応じた大きさのアクリル箱
の中で床面には足掛かりとなるようにウレタンが敷かれてい
る。そのリングで、どちらかが戦闘不能に陥るか、戦意を喪
失するまでの闘いが行われる。
闘うのは、標準体長25cmというダイオウサソリや20cmのベト
ナムオオムカデ。最大18cmになるというヘラクレスオオカブ
トの亜種や標準体長12cmのボルネオ島のクワガタなど。その
一方で、標準体長3cmのコオイムシや8cmのエジプト産サソリ
なども登場する。
これらの昆虫と毒蟲が1匹ずつ登場して1対1の闘いをして
行くもので、登場する虫の中にはかなり珍しいものも多いら
しく、それが実際に動き闘う姿が観られるということでは、
虫好きには堪らない作品と言えそうだ。
ただし、その闘いはかなり凶暴且つ凄惨なもので、実際に首
や頭部を千切ったり、相手に執拗に毒針を突き刺すなどの光
景も随所に描かれている。これは本人が虫好きだと言ったと
しても、お子様にはちょっと勧められないものだ。
それにしても、すでに関連のDVDなども発売されていると
いう本作で、動物愛護団体などから文句はないのかな。確か
に虫は動物ではないかも知れないが、生物であることには変
わりないはず。建て前だけで手をこまねいているのならそれ
も怠慢だろう。
大体が自然界では絶対に出会うはずのない2匹が闘うのだか
ら、それ自体が自然に反しているものだし、それで優劣を付
けたとしてもそれで何かの意味が在るものでもない。正に人
間の興味本位だけで闘わされているとしか言い様がない。
とは言うものの、その闘い振りの激しさには目を剥くところ
で、特に角や前脚を失っても闘いを挑んで行くなどの闘争心
には、所詮は虫の本能とはいえ、何とも言えないものを感じ
させられた。

『プール』
『かもめ食堂』『めがね』でも共演した小林聡美ともたいま
さこの2人が、タイのチェンマイで暮らす日本人を演じる作
品。ただし脚本と監督は前2作の荻上直子から替って脚本家
の大森美香。漫画家桜沢エリカの書き下ろし原作を大森自身
の脚色で映画化している。
チェンマイ国際空港に1人の若い日本人女性が降り立つ。到
着ロビーに出てきた彼女は誰かを探しているようだが、迎え
に来ていたのは1人の日本人男性。その男性の車に乗った彼
女は、途中から同行した中年の日本人女性と共にとあるゲス
トハウスにやってくる。
そこでは1人の日本人女性とタイ人の少年が彼女を待ってい
た。そして歓迎の料理も用意していたのだが、若い女性はそ
の歓迎も受けずに部屋に引き籠ってしまう。こうして若い女
性と彼女を待っていた女性とのちょっとぎくしゃくした生活
が始まるが…
そんな2人の関係がやがて明らかになり、その周囲の人々が
抱える問題も徐々に描かれて行く。しかしそれは当事者にと
っては重要なことでも、傍から観ればゆったりとした時間の
中に飲み込まれてしまいそうな些細なことかも知れない。
映画を観ている間は、小林、もたい共演の前2作と同じ雰囲
気を味わえた。それが良いか悪いかは別にして、これは最早
1つのブランドとも言えそうだ。そんな中で食材市場や、コ
ムローイと呼ばれる熱気球のようなタイの風物も織り込んだ
物語が展開して行く。
3作を並べるとお話はどちらかというと『めがね』の方に近
いかも知れない。それは家族の話が背景に在ったりというよ
うなことから受ける印象かも知れないが、各エピソードがか
なり飛び抜けていた『かもめ食堂』に比べるとそれなりに現
実的なお話だ。
それでもまあ、全体の雰囲気は共通しているから前2作が好
きな人には受け入れられるだろう。2人以外の共演者は「花
椿」などのモデルの伽奈と、『めがね』にも出演していた加
瀬亮。それにタイでのオーディションで選ばれたシティチャ
イ・コンピラ。
なお小林は、『かもめ食堂』のフィン語に続いて、本作でも
特徴のあるタイ語をスクリーン上では流暢に喋っている。僕
自身がタイ語を理解するものではないし、本当はどうなのか
は解らないが、タイ映画で聞き慣れた感じと違和感がないの
は素晴らしいものだ。
また今回の小林は、ギターの弾き語りと劇中歌の作詞作曲に
も挑戦しており、その出来もなかなかのものだった。


 < 過去  INDEX  未来 >


井口健二