井口健二のOn the Production
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2009年05月17日(日) フィースト3、ココ・シャネル、呪怨、ARTISANAL LIFE、未来の食卓、バッド・バイオロジー、ラスト・ブラッド(追記)+製作ニュース

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『フィースト3−最終決戦−』
            “Feast III: The Happy Finish”
4月19日付でパート2を紹介したシリーズのパート3。現状
ではこれで最後のようだ。
実際にはパート2と同時に製作されて上映時間も97分と80分
だから、超大作なら纏めて一気の公開もありかなというくら
いのものだが、内容的にはかなり展開も変えて、それなりに
別作品の感じには成っている。
そのパート3のお話は、兎に角何でもありの展開で、変な救
世主が次々登場したり(どんな連中かは観てのお楽しみ)、
意味不明の地下道が登場したり、大体がB級どころか、C、
D級と言った感じの支離滅裂なものとなる。
もちろんそれが狙いの作品だし、その点では考えて作られて
いるものだが、お話を紹介しようとすると最早それ自体が拒
否されているような展開で、正に「いやはや」と言う以外の
言葉が見つからない。
それにしても、ギャグの一部には苦笑と言うか咄嗟には笑え
ない部分もあって、この辺はある種の映画表現の限界への挑
戦という感じもする。パート1の受賞のときには「過去の作
品を徹底的に研究した」という発言があったが、それに近い
ものなのだろう。
とは言え、補聴器のギャグなどは実際に体験者でないと、そ
ういう事態の発生状況も分からないものだが、これを一般的
な映画のギャグとしてしまう辺りもかなりの挑戦といった感
じのものだ。もっとも自分の体験では本人が一番気付かずに
いて、それが笑えたものだが…

脚本は前2作と同じくパトリック・メルトンとマーカス・ダ
ンスタン。監督も同じく俳優の息子のジョン・ギャラガー。
出演者もほぼ同じだが、本作にはさらに、XMA(Extreme
Martial Arts)の新人クレイグ・ヘニンセンが登場して得意
の技を見せてくれる。
ホラーと言うより、スプラッターも通り越して、グロテスク
な描写のオンパレードと言う感じだが、それでもエログロに
落としていない(バストの露出などはあるが)ところが作者
たちの見識と言った感じで、その辺は判って作っているのだ
ろう。
もちろん、血みどろの映画だから、その手の作品に馴れてい
る人にしか勧められないが、後半にはそこまでやるかの展開
もあるし、エンディングには皮肉たっぷりのテーマソングも
登場するし、好き者にはそれなりに楽しめる作品だった。

『ココ・シャネル』“Coco Chanel”
シャーリー・マクレーンの主演で、アメリカでは昨年9月に
テレビで放映されたフランスのファッションデザイナー=コ
コ・シャネルの伝記映画。
1921年に香水「シャネルNo.5」を発表し、1920年、30年代の
ファッション界で一時代を築いたシャネルが、戦時中の疎開
を経て1954年にパリで活動を再開する前後の様子を描きなが
ら、一介のお針子からファッションデザイナーとして成功す
るまでの青春時代を描く。
孤児院の出身で家柄も学問もなく、それでも天賦のデザイン
の才能で女性たちを魅了したガブリエル“ココ”シャネル。
そんなファッション界の巨匠の若い日々では、恋に破れ、ま
た悲劇に見舞われながらも成長して行く姿が描かれる。
シャネラーなんていう言葉は既に死語かも知れないが、少し
前までのシャネルは日本女性の最大の憧れだったようだ。そ
んなシャネルの真実の姿が描かれる。
と言っても、本作は元々がテレビ映画だからそれほど深く掘
り下げているものではない。それでも、マクレーンの演じる
シャネルは、マルカム・マクダウェルが演じるパトロンを手
玉に取るなど溌溂として、それを観ているだけでも元気が湧
いてくる。そんな感じで気楽に楽しめる作品だ。
なお若き日の姿は、スロヴァキア出身のバルボラ・ボブロー
ヴァという女優が演じているが、こちらも良い感じだった。
脚本は、ルキノ・ヴィスコンティの協力者だったエンリコ・
メディオーリ。監督は、2003年4月に紹介した『EXエック
ス』などのクリスチャン・ディゲイ。なお監督はカナダ出身
で、基本テレビの人のようだ。
ただ、フランス人を描いた伝記映画で、舞台もフランスの物
語なのに、台詞がほとんど英語というのは気になるもので、
これもテレビ映画でしかもマクレーンの主演では仕方ない面
もあるが、出来たらフランス語の吹き替え版が観たくなった
ところだ。
なお、ココ・シャネルの伝記映画では、フランスでオドレイ
・トトゥ主演による“Coco avant Chanel”という作品も作
られており、こちらはワーナーが製作に参加して、アメリカ
での配給はソニーが担当したようだ。どちらの会社でもいい
から日本公開して欲しい。


『呪怨・白い老女/黒い少女』
清水崇監督原作による恐怖シリーズの新作2本が同時公開さ
れる。今年は1999年に第1作がヴィデオ発売されてから10周
年とのことで、公開には「呪いつづけて、10周年」というキ
ャッチコピーが付けられている。
オリジナルというか前作2003年版の映画作品はテレビでしか
観ていないが、それでもその恐怖体験は見事なものだったと
記憶している。特にその余りの理不尽さは、基本的に怨念は
その加害者のみに向けられると思っていた者にはショックだ
ったものだ。
本作はその続編となるものだが、前作までの男の子の霊に代
って今回は、それぞれが「白い老女」と「黒い少女」の霊と
なっており、多少の目先は変えられている。ただし、舞台は
同じ家であるようだ。
そして、それぞれその家に関わった人間たちが、呪怨(「つ
よい恨みを抱いて死んだモノの呪い。それは、死んだモノが
生前に接していた場所に蓄積され、『業』となる。その呪い
に触れたモノは命を失い、新たな呪いが生まれる」と定義さ
れている)によって狂い、新たな呪いを生み出して行く。
ドラマの構成は、全体的にはそれぞれの霊が呪いを持つに至
る物語を成すものだが、それぞれ主人公も異なるエピソード
がオムニバス的に集合されたもので、そのエピソードごとに
恐怖シーンが設けられている。
この構成はオリジナルから同じものだが、これがこのシリー
ズの特徴にもなっている。そしてそれが恐怖のつるべ打ちの
ような効果を生み出していくものだ。この展開が当時は新鮮
だった。
出演は、「白い老女」が南明奈と鈴木裕樹、「黒い少女」が
加護亜依と瀬戸康史。ただし構成は上記のようにエピソード
の積み上げだから、その他にも、宮川一朗太、勝村政信らい
ろいろな人物が登場している。
なお、同時期に任天堂wiiのゲームも出るようで、会場では
そのデモも行われていたが、リモコンを懐中電灯に見立てて
屋内を探索するゲームはかなり恐そうだった。

『ISAMU KATAYAMA-ARTISANAL LIFE』
皮ジャンデザイナー片山勇の仕事ぶりと生活を追ったドキュ
メンタリー。
一応ドキュメンタリーとしたが、監督・構成の牧野耕一はス
カパラなどのミュージシャン系の作品が多いようで、本作も
そんな感覚で作られているようだ。従って、何かを主張する
目的で製作されているものではなく、映像感覚と音楽が溢れ
た作品になっている。
しかも、被写体と友人でもある監督は撮影しながらやたらを
話をしてしまうし、本来冷静さを求められるドキュメンタリ
ーとは違っているもののようにも感じられる。
そんな訳でいろいろ気になりながら観てしまった作品だが、
エンディングクレジットを観ていたら製作総指揮が片山勇と
なっていた。つまりこの作品は片山本人のPR、若しくはプ
ロモーション目的の作品のようだ。
それならこの作り方も理解するし、多少あざとい感じはする
がそれはそれとして評価すべき作品だろう。特にヴィジュア
ル面には若者受けの要素は多分にあるし、さらに音楽では、
スカパラなどに加え、GLAYがエンディング主題歌を提供する
などこれでサントラ版を出せたら大したものだ。
ただしこの作品で何かを理解できたかと言うと、あまりその
ようなものではない。片山が仕事を始めた切っ掛けなどは紹
介されるが、それは作品の中でも格好良過ぎると言われるよ
うなもので、そこから何かを得られるものではない。
もちろん片山の仕事への拘わりのようなものは存分に描かれ
ているが、作品のタイトルにartisan=職人と掲げているな
ら、この程度の拘わりは当然のことのようにも思えるし、そ
れが今の若者に欠けているというのは今更の主張だろう。
それに登場人物の紹介字幕がすべてローマ字なのは、海外へ
のプロモーション目的もあってのことかも知れないが、その
色が緑というのは目には優しいが読み取るには苦労の要るも
のだ。まあ読ませるつもりもないのかも知れないが。
さらに本作にはミラノでのファッションショーのシーンなど
も出てくるが、それも状況がはっきりと説明されないので、
それが成功したのかどうかも判らないし、ハリウッドのバイ
ヤーとの取り引きも何がどうなっているのか…

ただまあ、そんなこんながごった交ぜで、この作品から何か
を考えたりするようなものではないが、取り敢えず片山勇を
プロモーションするということではそれなりに目的は達して
いるのかな。少なくとも試写会に集まった長髪の連中には受
けていたようだ。

『未来の食卓』“Nos enfants nous accuseront”
南フランスの村を舞台に、学校や老人向けに行っている村営
給食センターの食材を全てオーガニック(自然食)にすると
いう試みを取材しながら、現状の全世界が直面している食の
危険を訴えた作品。
映画の巻頭で国際会議の模様が紹介され、そこでは「人類史
上初めて、子供の寿命が親のそれを下回る」という報告が発
表されている。その理由は癌の発病による死亡が増えている
ためで、その原因として食物に含まれる有害物質が指摘され
る。
そんな事実を踏まえて、食品をオーガニックにするという試
みが紹介されるものだ。そしてそのオーガニック食材に関し
て、自然農法を実施することの問題点や行政の農業施策、既
存の農業従事者との対立なども描かれる。
効率重視の農薬漬け農業の問題は、すでに除草剤の遺伝子に
もたらす影響など各所で指摘されているところだが、本作で
はさらに広範な農薬の危険性が訴えられている。そこには硫
酸銅なども挙げられていた。
ただ、わざとここに挙げた硫酸銅などは、確かに毒物ではあ
るが元々自然界に存在していたものだし、これを画面の賑わ
せのつもりか、特に危険が指摘される他の人造化学物質など
と同列に掲げている辺りで、この作品の描き方が気になり始
めた。
しかも作品の中では、危険性の具体的な証拠を求められたと
きに、「そんなことは科学雑誌を読めば判る」と言い返され
てしまうなど、いささか感情的な描き方をされているのも作
品の信頼性を損ってしまうものだ。
実際、この種のドキュメンタリーでは主張が如何に正しくて
も、製作者の感情が露骨すぎて観ていて退いてしまうことが
よくある。この作品ではその他にも、農薬散布の様子を殊更
大音量の音響で強調したり、過剰な演出が逆効果に思える部
分も散見された。
中でも、子供たちに危険を訴える歌をコーラスさせるシーン
では、その主張が正しいことであっても、政治的なプロパガ
ンダに子供を引き込む姿の典型のような感じもして、背筋が
寒くなる部分もあった。
もちろん農薬に頼る農法の問題は声を大にして訴えなければ
ならない問題ではあろうが、この作品のように感情的に描か
れては、僕のようにひねくれた根性で観るものには揚げ足を
取られるのが落ちのようにも思えた。
食と農の問題を訴える点では、4月に紹介した『キング・コ
ーン』の方が巧みに作られている感じがしたものだ。

とは言え、食と農の問題は真剣に考えなければいけないこと
はよく理解できたし、作品に登場する村長の主張などには耳
を傾けるべきものも沢山あった。その緊迫感には、多少の恫
喝も許されるのかも知れないとも思えた作品だ。
監督は、フランスのケーブルテレビ局カナル+などの演出家
で、1990年代からドキュメンタリー作品を発表しているジャ
ン=ポール・ジョー。監督自身が癌を経験してこの作品を製
作したのだそうだ。

『バッド・バイオロジー/狂った性器ども』
                    “Bad Biology”
1982年製作のホラー作品“Basket Case”などで知られるフ
ランク・ヘネンロッター監督による新作。なおフィルモグラ
フィーによると、映画作品では1992年の“Basket Case 3”
以来、16年ぶりの発表だそうだ。
7つのクリトリスを持つ女性と、ステロイドの注入などで自
分のペニスを巨大化させた挙げ句にそこに自意識が芽生えて
いるらしい男性。そんな2人が、互いに究極の相手を見つけ
るまでの行状が描かれる。
まあ、上記の説明から明らかなように、ある意味究極のエロ
グロナンセンスの世界が展開される作品だ。それを笑って観
ていられるかどうかは観客の勝手だし、それなりに笑って観
られる人にはそこそこの満足が得られる作品と言えそうだ。
ただ、作品としてはかなり軽いし、これがカルト的な人気を
集めた監督の作品かと思うと、多少物足りないところがある
のは否めない。1950年生まれの監督が年を取ったとは思いた
くないが、どこかで妥協した感じもあるのだろうか。
正直に言ってテーマが充分に消化されていない感じもして、
特に結末は予想通りのものでしかなかった。上映時間が85分
というのは“Basket Case”の91分とさほど違いはないのだ
が、この6分で描かれるものが案外大きいものなのだろう。
脚本家には、監督の他に本作の製作も担当しているラッパー
のR.A.ソーンバーンの名前が挙げられており、製作者がそ
れなりの権限は持っていたようだ。なおソーンバーンのフィ
ルモグラフィーでは、2001年ヴェネチア映画祭で上映された
ブラッド・レンフロ主演作“Bully”に楽曲を提供している
とあった。
出演は、歌手、舞台女優でモデルでもあるチャーリー・ダニ
エルスンと、本業はミュージシャンというアンソニー・スニ
ード。共に映画は初出演となっているが、それぞれ頑張って
演技していた。
なお映画の中には、写真家という設定のヒロインが撮ったと
されるスチル写真が何点か登場するが、その写真がいろいろ
細工の施されたもので、ちょっと『リング』を思わせるよう
な部分もあって面白かった。巻頭のクレジットには、Victim
Photoとして写真の制作者も出ていたようだが、そうとは知
らずにその名前を見逃したのが残念だ。

『ラスト・ブラッド』(追記)
この作品については4月5日付でも掲載しているが、実はあ
る点が気になって2度目の試写を観に行った。それは映画巻
頭のアクションシーンで、背景となる1970年代の営団地下鉄
丸の内線が見事に赤く塗られた車両で登場してくるのだ。
このシーンは、最初観たときは良くできたCGIかとも考え
たのだが、何か気になった。そこで見直してみると、エンド
クレジットにアルゼンチンで撮影されたシーンがあると表示
され、その後に協力としてブエノスアイレス地下鉄の名前が
挙がっていた。
そこで思い出したのは、以前に新聞記事で読んだ東京を引退
した地下鉄の車両が南米に渡って第2の人生を送っていると
の情報。なるほどこれがその車両だったのだと思い至った次
第だ。これはCGIなどではない正真正銘の実写なのだ。
映画では、塗装も塗り直されたのか見事に美しい赤い車両が
疾走していて、これには本当に嬉しくなってしまった。そん
な訳でこの映画は、東京の地下鉄マニアにも必見の作品かも
しれないと思い、追記することにした。
        *         *
 今回の製作ニュースは2つ。
 まずは、2003年2月2日付で紹介した映画の製作が中止に
なるまでの顛末を描いたドキュメンタリー『ロスト・イン・
ラ・マンチャ』で、その元となったテリー・ギリアム監督の
“The Man Who Killed Don Quixote”の製作が再開される可
能性が出てきた。
 オリジナルの製作は2000年9月に6カ月の準備期間を経て
開始されたものだが、その僅か6日後にロケ地近くの川の増
水でセットが流失したり、ドン・キホーテを演じていたフラ
ンス人俳優のジャン・ロシュホールが以前から患っていた背
中の痛みが悪化するなどのアクシデントに見舞われて中断。
結局、保険会社との話し合いで製作中止が決定された。
 その後は、キホーテ役にクリストファー・リーが立候補す
るなど、直ちに再開の気運もあったのだが、映画化の権利=
ギリアムが執筆した脚本を一時は保険会社側が管理するなど
の障害が立ちはだかり、簡単には再開できなかった。
 その再開に、2006年4月14日付で紹介したギリアム監督作
品『ローズ・イン・タイドランド』などを手掛けたイギリス
の製作者ジェレミー・トーマスが乗り出したもので、すでに
映画化権の買い戻しにも成功しているとのことだ。そして、
ギリアムと共にオリジナルを手掛けたトニー・グリゾーニが
脚本を改訂する作業にも取り掛かっていると伝えられた。
 なおこの件に付いてギリアムは、「僕は、自分がアイデア
に固執するタイプではないと思っていたが、このアイデアは
自分で映画を作るまで僕を放してくれそうになかった。現在
はこれを完成させることに全力を注いでいる」と語っている
ようだ。
 またギリアムは、現代から17世紀に飛ばされて従者のサン
チョ・パンサにされてしまう配役に、オリジナルにも出演し
ていたジョニー・デップとの話し合いを行っていることも認
めているが、現在最も忙しい俳優の1人とも言われるデップ
のスケジュールを調整するのも大変なことになりそうだ。
 因にデップは、5月22日にカンヌ映画祭で行われるギリア
ム監督の新作“The Imaginarium of Doctor Parnassus”の
ワールドプレミアに、共演のコリン・ファレル、ジュード・
ロウらと共に出席する予定なので、その席で正式の回答が出
されるかも知れない。
 キホーテ役には、一時はギリアムとは『モンティ・パイソ
ン』時代からの盟友マイクル・ペイリンの名前も挙がってい
たが現在は未定。しかし撮影は、ギリアムの意向では来春に
は開始したいとのことだ。
        *         *
 もう1本は、『ターミネーター』の公開が迫っている製作
会社ハルシオンの計画で、2007年10月15日付第145回でも報
告したようにフィリップ・K・ディックの権利を獲得した同
社が、その権利に基づく最初の作品として“Flow My Tears,
the Policeman Said”(邦訳題:流れよ我が涙、と警官は言
った)を映画化すると発表した。
 この原作は、1974年に発表されて翌年のローカス賞やジョ
ン・W・キャンベル記念賞などを受賞した作品だが、1968年
に発表された『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と並
んでディックの絶頂期の作品と言われているようだ。内容は
2度目の内戦によって警察国家となったアンチユートピアの
アメリカを背景にしたもので、その世界での有名人から突然
無名の人間にされてしまった男の行動が描かれる。
 スタッフ・キャストや製作時期は未定だが、『ターミネー
ター』の次の作品ということにはなりそうだ。


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井口健二