井口健二のOn the Production
筆者についてはこちらをご覧下さい。

2009年03月29日(日) 路上のソリスト、チャンドニー・チョーク、エンプティー・ブルー、ジャイブ、ヴィニシウス、テラー・トレイン、Sing for Darfur

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『路上のソリスト』“The Soloist”
ロサンゼルスの路上で暮らしていたチェロ演奏家とLAタイ
ムズのコラムニストとの交流を描いた実話に基づく作品。
ロバート・ダウニーJr.が扮するロサンゼルスのコラムニス
トのスティーヴ・ロペスは、ある日、訪れた公園で心安らぐ
清らかなヴァイオリンの音色を耳にする。それは驚くことに
たった2本の弦だけで奏でられているものだった。
その演奏をしていたホームレスの男に声を掛けたロペスは、
その男がジュリアード音楽院に学んだと聞いて興味を持つ。
名門音楽学校に学んだ人物がなぜ今はホームレスなのか、ロ
ペスの取材が始まる。
この音楽家ナサニエル・エアーズを演じるのが、2004年『レ
イ』でレイ・チャールズを演じてオスカーに輝いたジェーム
ズ・フォックス。今回もチェロとヴァイオリンの演奏家を見
事に演じている。しかも心の病んでいる人を演じる姿は圧巻
だ。
しかし物語は、単に音楽家の半生を描いているだけのもので
はない。何故このような人物が生まれてしまったのか、そん
な現代社会の歪みのようなものも併せて描いて行く。心を病
んでいる人は彼だけではないのだ。
監督のジョン・ライトは、前作の『つぐない』でも複雑な人
間の心の闇を描いてみせたが、今回はもっとストレートに、
いろいろなものに押し潰されてしまう人の心を描いている。
それは人の優しさにも起因しているようだ。
そして、そんな音楽家に支援の手を差し伸べようとするロペ
スもまた、世間のしがらみの中で、自分に行き先を見失って
いる人物だったのかも知れない。そんな2人の交流が優しく
描かれて行く。
共演は、2005年『カポーティ』でオスカー候補になったキャ
サリン・キーナーと、2004年『リバティーン』などのトム・
ホランダー、1999年『トゥルー・クライム』などのリサ・ゲ
イ・ハミルトン。
因に、ロペスとエアーズの交流は今も続いており、映画の原
作となったコラムも連載中。物語は終っていなのだそうだ。

『チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ』
                 “चाँदनी चौक टू चाईना”
チャンドニー・チョークとは、インドの大都市オールド・デ
リーに在るバザールのこと。そこの住人が、ひょんなことか
ら中国に行ってしまうという物語。
物語の発端は万里の長城近くの中国の寒村。そこには昔1人
の英雄がいて北の襲撃から村を守っていた。ところが現代の
その村に北条と名告る男の一味が現れ、村の財宝や文化遺産
などを略奪し始める。しかも一味の武力は強力で村人たちは
手も脚もでない。
そんなとき村人たちに1つの啓示が下りる。それは英雄の生
まれ変わりが村を救ってくれるというものだった。そこで村
の長老2人がその生まれ変わりがいるというインドに向かう
のだが…
主人公のシドゥはチャンドニー・チョークにある屋台店で料
理人をしていたが、いつも幸運ばかりを願って占いなどには
精出すものの、実際の努力は皆無という男。ところがある日
のこと、彼の前に中国から来た老人2人が立ち、彼が英雄の
生まれ変わりだから悪人に苦しめられている村を助けるため
一緒に来てくれと頼まれる。
こんな主人公に、怪しげな通訳として同行する占い師や、一
方が主人公の憧れの女性でもある数奇な運命の双子の姉妹と
その父親などが絡んで、上映時間2時間37分のコメディアド
ヴェンチャーが展開される。
上映時間はインド映画としては短い方かも知れないが、歌在
り踊り在りのヴァラエティに富んだ作品が展開される。正直
なところは、出だしのテンポにはこれが2時間半続いたらど
うしようという感じもあったが、そのテンポも加速度的に上
がって、後半はあれよあれよの展開になる。これもまあ映画
の構成としては見事なものだ。
出演は、ボリウッドを代表するアクションスターの1人とさ
れるアクシャイ・クマール。彼自身がチャンドニー・チョー
ク出身で、俳優になる前にはバンコクのレストランで働いて
いたこともあるとのこと。本作は自身のルーツを訪ねるもの
でもあったようだ。
共演は、双子の姉妹を1人2役で演じたディーピカー・パー
ドゥコーン。かなりのワイアーアクションを演じている他、
インド系と中国系の2役を演じてみせたのも見事だ。他に、
『少林寺三十六房』などのゴードン・リュウが北条役で登場
している。

『エンプティー・ブルー』
本業はCGデザイナーという帆根川廣監督が、2003年から独
学で映画作りを開始し、初長編作品として完成させた映画。
製作には5年の歳月が掛けられたとされ、実際に群馬県で行
われている撮影は、四季折々を背景にして長期に渡っている
ようだ。
物語は、世間との折り合いに付けられない青年が、いつも階
段を昇っている夢を見続け、その中で1人の少女と出会う。
その少女の存在が語る意味は…こんな主人公と、周囲とのぎ
こちない交流が描かれて行く。
本業がCGデザイナーということではゲーム業界などにも関
係があるのかも知れないが、物語は最近のゲームではありそ
うな展開という感じのものだ。まともには掴み所のない、ち
ょっと不思議な感じのお話が展開されて行く。
ただし物語の全体は最近の若者の閉塞感というか、最近では
日本人だけでない全世界的に広がる閉塞感みたいなものが、
かなり明確に描かれているものでもあり、その点では若者だ
けではない観客層にも共感は得られそうな作品だ。
プレス資料の中で監督は、「リトマス試験紙のような作品」
と称しているが。現代人には共感の反応を示す人の方が多そ
うだ。
出演は、2008年9月紹介『ぼくのおばあちゃん』などに出演
の秦秀明。長編映画は初主演だそうだが、演技講師などもし
ているという実力派俳優の起用が、新人監督には鬼に金棒と
いう感じだ。実際かなり掴み所のない役柄をちゃんと解釈し
て演技に結びつけている。
他には長谷川葉生、今井雄一、小寺里佳、、福岡志保美など
馴染みのない俳優ばかりだったが、それぞれ手堅い演技をし
ていた。これも秦がいたお陰なのかな。そうだとすれば、な
かなかの人材だ。
監督の出身地の群馬県で行われた撮影は、上にも書いたよう
に四季折々を捉えているが、それと同時にかなり不思議な雰
囲気の風景も写しており、それらは最近流行りの癒し空間に
も似た映像を描き出している。
その映像の印象が強い分、物語の意味の掴み難い作品だった
が、全体的な感じは良いものだった。

『ジャイブ/海風に吹かれて』
『おくりびと』のグランプリ受賞で話題になった2008年モン
トリオール世界映画祭の招待作品。この作品にも地方の祭り
や葬儀の様子など日本の風物が描かれており、グランプリ受
賞の呼び水になったのかな…という感じもする作品だ。
物語の主人公は、東京に出てIT会社を立上げ業績を伸ばし
たものの、一緒に始めた人物の裏切りに遭い挫折した男。そ
んな主人公が、葬儀には出られなかった祖父の四十九日の法
要に合せて故郷の北海道江差に帰ってくる。
そして高校時代の同級生の女性にであった主人公は、彼女の
言葉から忘れていた高校時代の夢に再チャレンジしてみよう
と思い立つ。それは、1人乗りヨットで北海道を無寄港一周
すること。そして地元の仲間と共にその準備を始めるが…
因に、映画祭で上映されたときの題名は「/」から後だけだ
ったが、一般公開に合せ改題されたとのことだ。ところがそ
の前に付けられたカタカナの部分の意味がプレス資料にも書
かれていない。
それでネットを検索してみると、これはヨット用語で「風下
航での方向転換」とのこと、これが案外危険なものなのだそ
うだ。
つまり、このタイトルにはそういう意味が持たされているも
のだが、それをわざわざ調べなくてはならないのはどうした
ものだろう。作品はそれが判っている人だけを対象にしたも
のとは思えないのだが。
それはともかくとして映画は、追い風の中を一所懸命に走り
続けてきた男性が、ふと自分が独りぼっちになってしまって
いたことに気付き、そこからの方向転換による再生を描いた
もので、それなりに現代人の共感は得られそうな内容だ。
ただしそこには、北方領土の問題など、社会的な要素も織り
込まれており、それはそれとして興味深くも観られる作品に
なっていた。まあ、海に関係する北海道民なら避けては通れ
ない問題なのかも知れないが。
出演は、石黒賢、清水美沙、上原多香子。他に、六平直政、
北見敏之、大滝秀治、加賀まりこ、津川雅彦らが脇を固めて
いる。
上にも書いた地元の祭りの様子や、他にも不思議な雰囲気の
漂う炭坑の跡地など、ちょっとした観光気分の味わえる作品
にもなっていた。

『ヴィニシウス』“Vinicius”
「イパネマの娘」などの世界的ヒットで知られる作詞家で、
詩人、劇作家でもあったヴィニシウス・ヂ・モライスの生涯
を描いたドキュメンタリー作品。
1913年にリオデジャネイロの中流家庭に生まれたヴィニシウ
スは、大学では法律を修めて外交官となる一方、1956年に戯
曲“Orfeu da Conceicao”を創作。このときアントニオ・カ
ルロス・ジョビンと出会う。そして1958年、ギタリストのジ
ョアン・ジルベルトの参加を得て「想いあふれて」を発表。
これがボサノヴァの夜明けとなったと言われている。
因に、1956年の戯曲はフランスのマルセル・カミュ監督によ
って『黒いオルフェ』として映画化され、1959年のカンヌ映
画祭でグランプリを獲得したものだ。
そして1962年、ジョビンと共に「イパネマの娘」を発表。世
界的な名声を得て行くことになる。その後、2人はコンビを
解消するが、ヴィシニウスはさらにアフロ・サンバなどの新
たな音楽ジャンルを生み出すと共に、1980年に亡くなるまで
に400曲以上の作詞を手掛けたと言われている。
そんなヴィシニウスは、酒と女をこよなく愛し、生涯に9回
の結婚をしているが、最後まで本当に愛していたのは最初の
妻であったとか、ブラジルの外務省は彼の音楽活動は認めた
ものの、常にスーツとネクタイの着用を要求したなど、彼の
生涯を彩るいろいろなエピソードが語られて行く。
それらのエピソードは、当時のヴィシニウスが語る実際の映
像や、遺族や友人たちへのインタヴュー、さらに追悼式とし
て舞台で演じられた朗読劇などを通じて綴られたもので、そ
れらが見事な構成で纏められている。
また本作では、ヴィシニウスが手掛けた数々の楽曲の演奏が
いろいろな形で行われるのも聞き物で、「イパネマの娘」以
来のボサノヴァを聞き親しんできた自分には、全てが懐かし
く聞くことができたものだ。
それにしても、最初は学識も高く政治意識も高いヴィシニウ
スが、後半生は唯のヒッピーになっているというのも愉快な
話で、そんな男の生涯が、憧れを感じてしまうほどに実に楽
しそうに描かれていた。

『テラー・トレイン』“Train”
1999年のアカデミー賞で作品賞など5部門受賞の『アメリカ
ン・ビューティー』に出演。ケヴィン・スペイシーの娘役を
演じていたゾーラ・バーチが主演するホラー作品。
レスリングの国際大会で東欧を訪れていたアメリカの大学生
が、次の試合地に向かうため乗り合わせた列車内で恐怖体験
に見舞われる。
バーチが扮するアレックスら4人の選手は、リトアニアでの
試合の後、ホテルを抜け出して異国の夜を満喫する。しかし
度を過ごして翌朝の集合に遅刻、彼らに同行したコーチ及び
彼らを待っていた監督と共に次の列車で他のチームメイトを
追うことになる。
ところが彼らが乗ったのは、ちょっと乗務員たちに異常な雰
囲気の漂う列車だった。それでも車内で遊びに興じていた彼
らに恐怖の出来事が襲いかかる。そしてその出来事の背景に
ある真の目的とは…
バーチの前作は“Dark Corner”という2重人格物のホラー
作品で、本作の後にも締め切りに追われた女性脚本家が恐怖
体験に遭遇する“Deadline”という作品が待機中のようだ。
オスカー受賞作に出ていた女優が…という感じもするが、こ
れだけ立て続けというのは、それなりに本人も好きというこ
となのだろうか。
それに本作では、その背景にある真の目的というのがそれな
りに考えて作られている感じもした。因にこれは、車社会、
銃社会のアメリカでは供給も潤沢だが、そうでない国で同様
の需要が有ったら…というものだ。

脚本監督は、2007年にマーヴェルスタジオのアヴィ・アラド
が製作総指揮を務めた“The Killing Floor”という作品で
長編監督デビュー、本作が2作目というギデオン・ラフ。
ただし僕は、本作の脚本は認めるが、演出に関しては、肝心
の部分でフォーカスが合わなかったり、一緒に入浴している
はずの浴槽の水位が人物ごとに違っていたりで、多少詰めが
甘いように感じられた。次が有ったらもう少し注意してもら
いたいものだ。
なお、本作の撮影はブルガリアで行われたようだが、本作の
エンドクレジットでスタッフ名の最後がv若しくはvaで終る
人が沢山いるのが嬉しくなった。特にVFXなどはほとんど
がそうだったようで、このように現地のスタッフが起用され
るのも素晴らしいことだ。

『SING for DARFUR』“Sing for Darfur”
昨年の東京国際映画祭のコンペティション部門に出品された
作品。因に、映画祭では『ダルフールのために歌え』という
邦題だったが、当時は日本公開が未定だったために紹介を割
愛していた。その作品の日本公開が決ったものだ。
スペインのバルセロナで、内戦の続くスーダン・ダルフール
州支援のためのコンサートが開催される。その日1日のいろ
いろな人々の物語が、相互に繋がりを持ちながら点描のよう
に描かれて行く。
そこには、イギリスからコンサートを観るためにやってきた
若い女性や、彼女のバッグを奪うかっぱらいの少年、そのか
っぱらいの元締めの男、その使い走りをする若者…など、本
来は無関係だが、何故かその瞬間だけ繋がる人々が次々に登
場してくる。
そしてそこでは、コンサートのお陰でダルフールという地名
は口にされるものの、ほとんどは無関心と誤解や無知によっ
て本質とは異なる形で語られるものばかりだ。そんな物語が
その日1日を巡り巡って、深夜12時のある出来事で締め括ら
れる。
実は昨年の映画祭でこの作品を観たとき、僕はこのエンディ
ングのエピソードに感激し、この作品に芸術貢献賞が贈られ
なかったことを不満に思ったものだ。しかし今回作品を見直
していて、それより前の部分の余りにネガティヴなエピソー
ドの連続に驚いた。
確かにこのネガティヴさでは審査員が贈賞を躊躇うのも仕方
がなかったのかもしれない。しかしこの作品がダルフールと
いう特別な状況に呼応したものであると考えたとき、僕には
このネガティヴさがダルフールの現状を象徴しているように
も感じられた。
それはまるでパンドラの匣が開けられたときのように、あり
とあらゆる災厄がそこに展開されている。そんな物語の構成
のようにも感じられたのだ。そしてパンドラの匣の最後に希
望が残されていたように、本作も微かな希望を提示して終り
を迎える。
映画で政治問題を扱うときに、生のままの表現では反発を買
う可能性が大きい。そこでいろいろな手練手管でドラマ化を
して行くのだが、それも度が過ぎると元々の問題提起が消え
てしまうこともままある。
その点で言ってこの作品は、見事に問題の本質を描いている
ようにも思えた。
なお日本での公開を行うのは、2004年から“The World of
Golden Eggs”というアニメーションサイトを運営している
PLUS heads。今までの映画宣伝にない新規なプロモーション
が展開されそうだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


井口健二