井口健二のOn the Production
筆者についてはこちらをご覧下さい。

2007年10月20日(土) すんドめ、ユゴ、アニー・リーボヴィッツ、アース、ペルセポリス、眠れる美女、ぜんぶフィデルのせい、俺たちフィギュアスケーター

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『すんドめ』
岡田和人原作、「ヤングチャンピオン」に連載中の人気コミ
ックスの実写映画化。
成績優秀でもなく、スポーツ万能でもない普通の男子高校生
を主人公にして、隣の席に美少女転校生を迎えたことから始
まる青春物語。しかも、その美少女から耳元で、「オナニー
厳禁」と言われてしまったことから主人公の苦悩が始まる。
原作は、連載が好評なだけでなく、3巻まで出ている単行本
は10万部を突破、さらに携帯配信コミックスのダウンロード
数でも記録を作っているとのことだ。
そんな人気コミックスの映画化だが、そのヒロイン役にはグ
ラビアアイドルの鈴木茜を起用して、官能シーンはないが、
かなりエッチなシーンは見事に演じさせている。と言っても
R指定になるようなものではないが、まあ男性なら楽しめる
という程度には描かれているものだ。
そして映画化では、美少女系のヒロインの対抗馬として巨乳
アイドルの次原かな扮する京子の役柄を膨らませて、二宮敦
扮する主人公との三角関係を展開させ、それなりの物語を作
り上げている。実は、最近の日本のコミックスはキャラばか
り立って、物語の弱いケースが多いと聞いていたが、この映
画化ではその辺にも注意は払われていたようだ。
ヴィデオ制作のインディーズと言うか、DVD売りが主目的
と思われる作品ではあるが、試写会の上映前に行われた監督
と、主演3人の挨拶でも、制作態度は真面目なように見えた
し、これだけやってくれれば文句はないという程度には仕上
がっている。
なお、試写会は、渋谷のアップリンクという比較的狭い会場
で、しかも上映は挨拶をした監督と主演者も一緒に見ること
になったため、僕の直ぐ後ろには、鈴木茜が映画の衣装その
ままで座っているという状況だった。これは僕としては意外
と緊張してしまうもので、上映後に席を立って目が合ったと
きに、「頑張ったね」と一声くらい掛けてあげられれば良か
ったのだが、それもできなかった。
でもまあ、そう言ってあげたいくらいには頑張っているよう
に見えたし、続編にも期待したい。

『ユゴ|大統領有故』(韓国映画)
1979年10月26日に起きた朴正煕・韓国大統領暗殺事件をフィ
クションとして描いた作品。
この暗殺事件は、韓国大統領府が運営する秘密料亭で起きた
ために、酒の席での口論が発展して偶発的に起きたものか、
この映画が描くように、KCIAの部長によって周到に準備
されたものかは、首謀者も処刑されて謎に包まれたまま現在
に至っている。
映画の中では閣下と呼ばれる大統領(映画では朴正煕という
名前は出てこないが、高木正雄という日本名は出てくる)。
韓国の近代化を成し遂げたとされる閣下だったが、急進的な
改革は国内に歪みを呼び、デモ隊への弾圧も武力行使が通常
になっている。
そして、長髪やミニスカートの取り締まり、日本の歌謡曲の
放送禁止など、学生民衆への弾圧は日に日に高まっている。
ところが、閣下の実態は、酒と女に明け暮れ、その秘密料亭
でもミニスカートの若い女性を侍らせ、呼び寄せた人気歌手
には日本の歌謡曲を日本語で歌わせているという始末。そん
な閣下の尻拭いが主な仕事のKCIAの部長はストレスの塊
になっていた。
そして…という物語が描かれるが、韓国では繁栄の記憶だけ
が残る朴政権時代は、ナショナリズムの象徴でもあり、今で
も国民の支持率は高いのだそうだ。従ってこの映画に対する
批判も強く、特に遺族からの訴えに対しては裁判所が、憲法
で禁じられている事前検閲を容認して、映画の一部削除を命
じる結果にもなっている。
その削除された部分は、主には巻頭で、今回の日本公開でも
その部分は画面全体が黒く塗りつぶされて上映される。因に
削除されたのは、閣下と若い女性の官能シーンだそうで、そ
の直後に女性の母親が捜査官に向かって語るシーンが映像で
描かれていたようだ。
でも、そのシーンをカットしたからと言って、映画の描きた
かったことが損われているものではない。学生逮捕者に対す
る拷問シーンの再現なども含みながら、当時の韓国の実態が
再現されて行く。
監督は、1998年の『ディナーの後に』が鮮烈な印象を残すイ
ム・サンス。主演はペク・ユンシク、ハン・ソッキュ、ソン
・ジェホら。また、人気歌手のキム・ユナが現場に居合わせ
た歌手役で出演して、「悲しい酒」「北の宿から」などを日
本語で聞かせてくれる。
描かれた物語は真実かどうか。監督は「日本人にはコメディ
として観てもらっていい」と発言しているそうだ。

『アニー・リーボヴィッツ』
       “Annie Leibovitz: Life Through a Lens”
初期のRolling Stone誌の表紙を飾り続けた女流写真家を題
材にしたドキュメンタリー。実の妹が監督となって製作され
た作品で、功なり名を遂げた姉の姿を、そのまま撮影した作
品という感じのものだ。
1949年生まれ。1967年に軍人だった父親の赴任により家族で
フィリピンに渡り、そのとき手にしたカメラで家族写真から
撮影を始める。1970年に単身サンフランシスコに移住して、
絵画と写真を学びながら、当時は新興雑誌だったStone誌の
仕事を開始、同年ジョン・レノンのカヴァーストーリーを手
掛けて評判となる。
1975年のローリングストーンズのツアーに同行。彼らがバッ
クステージでくつろぐ写真は、友人にしか撮れないとも言わ
れ、一躍名声を得る。そして1980年、レノンの死の数時間前
に撮ったヨーコとのポートレートはStone誌の追悼号の表紙
を飾ることになる。
1983年Vanity Fair誌に移籍。ロックミュージシャンだけで
なく、映画スターやセレブを被写体にした写真を撮り続け、
Fair誌を飾ったデミ・ムーアの妊婦ヌード写真では論争も巻
き起こした。
そして現在は、ファッション誌からCMまで手広く扱い、特
にその被写体に合わせて創造される背景の巧みさには、他の
追随を許さないものがあるようだ。
こんな彼女の人生が描かれているものだが、映像ではオノ・
ヨーコを始め、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ベ
ッド・ミドラー、ウーピー・ゴールドバーグらへのインタヴ
ュー。さらに、ジョージ・クルーニー、キルスティン・ダン
スト、キーラ・ナイトレー(「オズの魔法使い」の写真スト
ーリーのようだ)の撮影風景なども織り込まれていて、それ
は観ていると面白い。
ただ、例えばローリングストーンズのツアーへの同行では、
当然あったはずのドラッグの問題は言及はされるが実態はぼ
かされている感じだったり、また戦火のサラエボ取材にも同
行し、死も看取ったスーザン・ソンタグとの関係が、本当は
どうだったのかという点も中途半端な感じで、その辺は身内
が監督していることの限界も感じられた。
まあ、全体的にはきれいごとに終始してしまっている感じだ
が、1970年代から現代までのポップカルチャーの流れを垣間
見られるところは、それなりに面白くも描かれていた。

『アース』“Earth”
BBCの製作で、地球の生態系の現時点での姿を描いたドキ
ュメンタリー。
北極圏の白熊の子育てから始まり、その部分は先に紹介した
『北極のナヌー』とも似ているが、北極から南極までを網羅
的に描いている点では、本作の方が見所も多いし、映像も堪
能できる。またそれは、地球にはまだ自然がこんなに残って
いるのだと思わせる反面、その自然が最早風前の灯火である
ことも明確に伝えている。
地球の温暖化は、北極の氷を蝕むだけでなく、雨季乾季によ
って司られてきたサバンナの気候を不安定にし、また海水温
の上昇によってクジラの餌であるプランクトンを減少させる
など、ざまざまな影響を生じさせているようだ。そんな地球
の自然の、今置かれている状況が見事に描かれている。
因に本作は、あらかじめ作られた構成に沿ってスタッフが世
界各地に飛び、5年間、延べ2000日の撮影によって製作され
たもので、『北極のナヌー』がアーカイヴの映像を編集して
作られているのとは、根本的に手数の掛け方が違っている。
そしてその撮影は、全編をHDのヴィデオシステムで統一さ
れており、画質の安定性や均一さなどでは、鑑賞にも違和感
を生じることが少なく、快適に観ることができた。
さらに見事なのは、自然の移り変わりをディジタル処理で一
気に見せるなどのVFXの素晴らしさ。もちろん慎重に観て
いればその繋ぎは観えてくるものだが、雪に埋もれたランド
スケープがあっと言う間に花に満ち、新緑から紅葉に変化し
ていく様子には、思わず息を呑まされた。そんなテクニック
も随所に見せながら、地球の自然の今が描かれる。
ただし、シネラマや70mmの大画面を知っている自分にとって
は、ヴィスタサイズのHDはどうしても横への広がりに物足
りなさも感じられた。今の映画ファンには理解できないかも
知れないが、シネラマの大画面は、このような題材を写すの
にこそ適していたものだ。
BBCの製作ではHDは当然だが、できることなら上下を多
少切ってでも70mmフィルムに変換し、湾曲スクリーンに包ま
れてこの映像に浸りたいという思いにも駆られた。
なお、オリジナルのナレーションはパトリック・スチュアー
トが担当している。

『ペルセポリス』“persepolis”
題名はギリシャ語でペルシャの都市という意味だそうだ。
「リベラシオン」誌や「ニューヨーカー」誌などの誌面も飾
っているというイラン出身、フランス在住の女性イラストレ
ーター=マルジャン・サラトピが、2000年から発表している
半自伝的なグラフィックノヴェルを、原作者自身の脚本、共
同監督によりアニメーション化した作品。
主人公の少女マルジは、ペルシャ=イランに生まれ育ち、パ
ーレヴィ国王時代からイスラム原理革命までを体験する。そ
して、革命後は14歳で単身ウィーンに留学、そこでもいろい
ろな体験をした後に一時帰国。革命政権下での一般市民の生
活も体験する。
物語の中では、パーレヴィ時代には学校での教えの通りに、
シャーは神に指名されたと信じて崇拝していた偶像が革命で
打ち砕かれたり、また革命政権下の生活では、闇で売買され
ている西欧音楽のカセットや酒の取り締まりなどが、皮肉込
めて描かれている。
一方、ウィーン留学中は1980年代の若者カルチャーの洗礼を
受け、その風俗が多少ノスタルジックに描かれたりもしてお
り、その辺りのノスタルジーや、革命政権下のイランの市民
生活がある意味生の声で語られる点など、いろいろな面での
興味の引かれる作品だ。
ただ、原作に忠実すぎるのか、本来の描かれている物語は起
伏に富んだものであるはずなのに、映像化された作品に起伏
があまり感じられない。現象だけを綴っているものだから平
板になるのは仕方はない面もあるが、もう少し何か一工夫欲
しかった感じはした。
なお声の出演者では、マルジ役をマルチェロ・マストロヤン
ニとカトリーヌ・ドヌーヴの娘のキアラ・マストロヤンニが
演じ、母親役のドヌーヴと母娘共演を果たしている。また祖
母役を、『ロシュホールの恋人たち』などでドヌーヴの母親
役を5度も演じているダニエル・ダリューが演じているのも
話題を呼びそうだ。
因に、マルジャン・サラトピは、6月に紹介した映画『オフ
サイド・ガールズ』のオリジナルポスターのデザインも担当
していたそうだ。

『眠れる美女』“House of the Sleeping Beauties”(ドイ
ツ映画)
川端康成が1961年、62歳の時に発表した原作を、『4分間の
ピアニスト』などにも出演の俳優で、監督経験もあるヴァデ
ム・グロウナが、脚色、監督、主演で映画化した作品。
ベルリンの街角に立つその家には老人たちが通って行く。女
主人の許可なしには入れないその家の中では、若い女性が深
い眠りに落ちたまま一糸纏わぬ姿で提供される。老人たちは
その眠ったままの女性と共に一夜を過ごす。
三島由紀夫が、「デカダンス文学の逸品」と評価した原作が
ドイツで映画化された。時代は変われど老人の性の問題は、
恐らくは昔以上に重要になっているとも思える今の時代に、
この作品の映画化は意味があるようにも思える。
同じ原作は、1968年に新藤兼人脚本により日本でも映画化さ
れたことがある。当時の僕は未成年で観ることができなかっ
たが、老人が裸の女性の乳房を鷲掴みにして突っ伏している
スチル写真が印象に残っている。
日本映画の主演は田村高廣だったようだが、当時のスチル写
真では、老人のやせた姿が「枯れ果てた」という感じを持た
せていた。その老人がそれでも性欲にさいなまれているとい
う姿が不思議な感じでもあった。
それが今回の映画化では、主人公はでっぷりとしたビール腹
で、まだまだ性欲もありそうなのが、物語的には判りやすい
感じにはなっている。ただし、そこに至るまでの経緯があっ
て、それが本来のテーマを描くようにもなっていたようだ。
また当時の日本映画では、一糸纏わぬ姿といっても映像上は
限界があったものだが、それも、今回は男性の一部に塗り潰
された部分はあるものの、女性に関しては規制もなく描かれ
ている。
ただ物語の進行の中で、女主人が「今夜は女性を2人用意し
ました」と言っているシーンと、実際に2人の女性が寝てい
るシーンとが繋がっていなかったように思え、確認はしてい
ないが、ちょっと奇異に感じられた。
なお主人公にその家を教える友人役で、マクシミリアン・シ
ェルが共演している。
因に、監督は1941年生まれ、2005年製作の本作は64歳の時の
作品のようだ。

『ぜんぶ、フィデルのせい』“La faute a Fidel”
ドミティッラ・カラマイ原作‘Tutta Colpa di Fidel’を、
『Z』などの名匠コスタ=ガヴラスの娘のジュリー・ガヴラ
スが長編監督デビュー作として映画化した作品。なお監督に
は、子供を題材にしたドキュメンタリー作品などで受賞歴が
あるようだ。
1970年パリ。スペインの名門一家の出身でフランスで弁護士
をしている父親と、ジャーナリストの母親を持ち、裕福な環
境で、学校は名門ミッションスクールに通っていた9歳の主
人公アンナの生活が激変する。
フランコ政権下のスペインで反政府運動を続けていた伯父が
処刑され、父親の姉の伯母と従兄弟が難を逃れて彼女の家に
やってきたのだ。そんな2人を疎ましくも思っていたアンナ
は、さらに家政婦のキューバ難民の女性から、フランコと戦
っている反政府活動家は共産主義者で、赤くて髭を生やし、
核戦争を起こそうとしていると教えられる。
ところが、その出来事を切っ掛けに父親の心情が変化し、ア
ジェンデ政権樹立を目指すチリの反政府運動への支援を開始
する。一方の母親は、中絶問題の取材から女性開放を目指し
て行動に出始める。そのため住まいは小さな家に引っ越し、
その家には髭を生やした男たちやいろいろな人々が出入りす
ることに…
さらに家政婦はギリシャ人やヴェトナムの女性に替り、アン
ナはミッションスクールへの通学は許されるが、キリスト教
教育は禁止されるなどなど…、生活は根底から覆されてしま
う。そして、それもこれも「ぜんぶ、フィデル(カストロ)
のせい」と思うようになるのだが…
監督は1970年生まれとのことで、当時のことをどれだけ実感
しているのかは判らないが、父親が『ミッション』を監督し
たときの体験や知識から、この原作に興味を持ったとのこと
だ。従って、物語は多少極端に走りすぎる感じもあって、そ
の辺が当時を実体験している自分としては多少面はゆいとこ
ろもあったが、当時の自分の周囲を思い起こすと、確かにこ
んな時代だったなあと言う感じは思い出させてくれた。
実際に、大学で学生運動をしていた同級生から聞かされた彼
の一家が、父親が労働運動家でこんな風だったようだ。映画
は戯画化風に描かれているが、現実もこれからそう遠くはな
かったものだ。
父親役を『息子の部屋』のステファノ・アルコシ、母親役を
ジェラール・ドパルデューの娘のジュリー・ドパルディーが
演じ、この両親に振り回されるアンナ役を500人の中から選
ばれた新星ニナ・ケルヴェルが演じている。

『俺たちフィギュアスケーター』“Blades of Glory”
今年3月の全米公開では2週連続の興行成績第1位に輝いた
作品。
『主人公は僕だった』のウィル・フェレルと、日本では『モ
ンスター・ハウス』『サーフズ・アップ』の声優くらいしか
馴染みがないが、アメリカでは若手人気No.1コメディアンと
言われるジョン・ヘダーの共演で、フィギュアスケートの世
界を描いた爆笑コメディ。
主人公の2人は、フィギュアスケート男子シングルスでライ
ヴァル同士だったが、ある競技会でのライヴァル心を発揮し
すぎたトラブルで、アメリカスケート協会を永久追放されて
しまう。そして、1人は町のスポーツショップのインストラ
クター、もう1人はアイスショウの出演で食いつないでいた
が、彼らのレヴェルの高さはそういったところでも他人と噛
み合わない。それに2人には、いつか競技に復帰して栄光に
輝きたいという野望もあった。
そんなある日、彼らに耳によりな情報がもたらされる。実は
彼らが追放されたのは男子シングルスだけで他の競技には出
場できる。そして、フィギュアスケートペアは、男女のペア
に限定されず、男子同士でも可能ということだ。さらに元コ
ーチが、実はペアスケーティングのコーチを目指したことも
あり、しかも北朝鮮で開発された死と隣り合わせの究極の大
技「アイアン・ロータス」を完成させたいと考えていた。
とまあこれだけの設定を作って、そこにフェレル、ヘダーの
ギャグを満載するのだから、これはもう笑えることは間違い
ない。ただし、男子ペアということでは当然その手のギャグ
が中心になる訳で、これは良識のある人たちには眉を顰たく
なるようなものなのだが、テレビでもオカマが大人気の今の
日本では、結構そのまま受け入れられてしまいそうだ。
なお、主人公たちのスケーティングは特訓の賜物とのことだ
が、当然映像は、ワイアー・ワークやVFXが満載で、普通
ではできないような大技が続出する。ところがその振り付け
は、2002年ソルトレイク冬季五輪の開会・式閉会式の総合演
出も勤めたサラ・カワハラが担当しているのだからこれは本
物。そんな遊び心も満載の作品になっている。
また、画面には、スコット・ハミルトン、ナンシー・ケリガ
ン、ブライアン・ボイダノ、ドロシー・ハミル、サーシャ・
コーエン、それにペギー・フレミングなど、現役から往年の
名選手までが続々登場し、フィギュアファンにも注目(?)
の作品になっている。
アメリカのコメディは、全米興行第1位を記録しても日本で
はなかなか劇場公開されることが少ないが、今回は日本でも
受け入れられやすい題材と判断されたのかな?これを突破口
にもっと公開されることを期待したいものだ。


 < 過去  INDEX  未来 >


井口健二