井口健二のOn the Production
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2007年10月31日(水) 再会の街で、鳳凰、黒い家、エンジェル、ザ・シンプソンズ、その名にちなんで、SAW4

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※今回このページでは、東京国際映画祭の特別招待作品と※
※コンペティション作品で日本での公開が迫っているもの※
※及び試写で見せてもらった映画の中から、僕が観て気に※
※入った作品のみを紹介しています。         ※
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<コンペティション作品>
『再会の街で』“Reign Over Me”
アダム・サンドラー、ドン・チードルの共演で、9/11の被
害者を描いた作品。
チードル演じる主人公は、ニューヨークで歯科クリニックを
開業している。しかも患者は引きも切らず繁盛しているよう
だ。ところが、彼が創設したはずのクリニックは、雇い入れ
た他の医者たちの思うが儘になっており、彼は裁量権も奪わ
れている。
そんな彼だったが、表面的には家族と共に安寧な生活を送っ
ていた。その彼が街角で大学時代の同級生の姿を見掛ける。
サンドラー扮するその同級生は9/11で家族を失い。政府の
見舞い金などで暮らしに不自由はなかったが、世間とは隔絶
した生活を送っていた。
そんな彼を励まそうとした歯科医も、最初は拒絶されるのだ
が…。やがて同級生の方から彼に誘いが掛る。そこで歯科医
が見たのは、1970年代の彼らの学生時代を再現したような同
級生の生活態度だった。
正直に言って、いつまで経っても9/11を引き摺っているハ
リウッド映画にはいい加減にしろと言いたくなっている。確
かにテレビで生中継されたあの衝撃は大きかったが、自分の
国がしてきたことを棚に上げて、これ見よがしに被害者面さ
れるのも呆れてしまうものだ。
そんな気持ちで、多少覚めた眼で見た映画だったが、テーマ
をどこに置くかは別にして、人生の辛苦からの立ち直りを描
くこの映画は、確かに優れた作品だった。特に終盤の同級生
が家族に対する想いを語るシーンは、その故が何であれ等し
く理解できるものだ。
一方、歯科医の抱える問題に関しては、勤務先の問題にして
も夫婦仲の問題にしても、自分たちとあまり変わりないとも
思えるもので、それはそれで理解できるというか、いろいろ
考えさせられるものもあった。
その意味では、普遍的に考えさせられる作品であったことは
確かだ。ただあまりに前面に9/11が出てくるのは、アメリ
カ人以外としては一言言いたくなってしまうのだが。
なお、家族への想いを語るシーンで愛犬のことに触れられた
のには、ある程度の予想はしていたが、犬を飼っている者と
しては思わず涙腺に来た。本来なら爆笑のシーンかも知れな
いが、これはしてやられたという感じだった。

<コンペティション作品>
『鳳凰〜わが愛』“鳳凰”
第2次大戦前後の中国東北部を舞台に、それぞれ罪を犯した
男女が刑務所で出会い、時代に翻弄されながらもその純愛を
全うする物語。中井貴一が中国人の役柄での主人公を演じる
と共に、プロデューサーとしても参加した日中合作映画。
主人公は、婚約者に悪戯した男に暴力を振るって15年の刑罰
を受ける。しかも刑務所でも反抗的な主人公は懲罰を受け、
そこで暴力的な夫を殺害した罪で投獄された女性と出会う。
そして互いに生きる望みも失った2人は、徐々に心を引かれ
合って行くが…
最初は封建的な中国、やがて日本軍の進駐から満州国設立、
そして国民政府の支配から中国共産党へと、目まぐるしく変
化する時代の中で、恐らくは民衆もそうだったのだろうが、
それ以上に過酷な運命に晒される男女の物語が綴られる。
しかも映画は、撮影時期の関係もあるのだろうが、ほとんど
が雪景色のシーンで、それも大粒の雪や吹雪が容赦なく襲う
シーンも描かれている。それらがすべて本物であることは見
ていれば判るもので、その過酷さは見事に表現されていたと
言えそうだ。
またその間には、たぶんCGIも使用されていると思われる
幻想的なシーンも挿入され、それが過酷な中での一瞬の和み
にもなっていて観客を落ち着かせてくれる。その描き方や構
成も良い感じだった。
ところで物語の中には、グォ・タォが演じる男性の副主人公
がいて、この男の設定が死体を担いで歩いているところを咎
められ殺人の罪に問われたとされている。そしてこの男が、
友の遺体を故郷に連れ帰ろうとしたと主張しているのだが…
実は今回の東京国際映画祭「アジアの風」部門で上映された
『帰郷』という作品が同じような男を描いていた。
遺体を担いで歩くなんてことは、落語の「黄金餅」以外では
あまり想像できなかったが、『帰郷』を観ていると昔のキョ
ンシー映画を思い出して、なるほど中国では遺体は故郷に帰
すものだと納得した。『鳳凰』の中では台詞しか出てこない
が、その実態は『帰郷』の方で観ることができた。
実は『帰郷』は事情があって全編を観られなかったもので、
このページでの紹介はしない予定だが、映画祭でのちょっと
した相乗効果と言えそうな組み合わせで面白かった。

<特別招待作品>
『黒い家』(韓国映画)
1997年に発表された貴志祐介の日本ホラー小説大賞受賞作を
韓国で映画化した作品。
同じ原作からは1999年に日本でも映画化があり、その作品も
確か東京国際映画祭で観た記憶がある。しかし原作発表から
10年を経て、映像表現の方法も格段に変化した今、この原作
にはピッタリの映画化が実現したと言えそうだ。
保険会社に勤める主人公に、ある日掛ってきた電話は、女性
の声で「自殺でも保険金は出ますか」と尋ねてきた。その質
問に対して幼い頃に目の前で弟に自殺された記憶に苦しむ主
人公は、必要以上に思い止まるよう説得するのだったが…
そんな彼が手掛けている案件は、最初は保険金詐欺のように
始まる。だがそれは、彼を思いも寄らぬ恐怖に引き摺り込ん
で行くことになる。
原作は、日本での映画化の前に読んでいて、日本版の映画を
観たときには物足りなく感じたことを覚えている。その物足
りなさが何なのか当時はよく判らなかったが、結局のところ
サイコパスというテーマの部分が、当時は僕も理解できてい
なかったのかも知れない。
実際、日本映画のときは、出演者は髪を振り乱すような狂気
は演じていても、それはサイコパスを演じていたのではなか
ったようにも思える。それが今回の韓国映画で、同じ登場人
物が一種淡々と演じられる姿には、本当の意味での恐怖が味
わえたものだ。
そしてそれを支える映像演出も確かなもので、上映中には驚
愕の声や、手で顔を覆って指の隙間からスクリーンを観てい
る女性の姿も数多く見られた。基本的にホラー小説の映画化
なのだから、これくらいにはなって欲しいという感じの観客
席の様子だった。
特に、後半の相手が本性を現してから始まるノンストップの
恐怖演出には、久し振りにホラー映画の醍醐味を堪能した感
じがした。
なお監督のシン・テラは、本作が商業映画は初監督というこ
とだが、壺を得た演出には感心した。因に監督は、10数本の
短編作品を手掛けた後、2005年には自主映画で長編SF作品
も製作しているとのことだが、その作品も観てみたいものだ
し、今後もこのような作品を作り続けてくれることを期待し
たい。

<特別招待作品>
『エンジェル』“Angel”
『8人の女たち』などのフランソワ・オゾン監督が、初の英
語作品としてイギリス出身の女流作家エリザベス・テイラー
の原作を映画化した作品。
原作者のテイラーは1912年生まれ75年没。当然映画スターと
は別人だが、結婚後の1945年頃から小説を発表。その作品は
ニューヨーカー誌やEQMMなどにも掲載された人で、没後
30年を迎えた2005年頃から再評価が始まっているようだ。
本作は、そのテイラーが1957年に発表した長編小説に基づい
ている。
時代は20世紀初頭。イギリスの片田舎の雑貨店の2階で母親
と共に暮らすエンジェル・デヴェレルは、いろいろな想像を
広げながら、その想像を文章に綴ることが好きだった。
それは学校では教師の失笑を買い、家でも母親や伯母の理解
は得られないものだったが、ある日ロンドンの出版社に送っ
た原稿に対して、社まで来てほしいとの連絡が届く。そして
出向いたエンジェルに対して、出版社は破格の待遇で出版す
ることを申し出る。
こうして出版された小説は大評判となり、その後も次々に出
版された本は、いずれもベストセラーとなって行く。そんな
彼女は、子供の頃から憧れだった屋敷を購入し、町に絵画を
寄贈したり、作品が舞台化されたり、一躍著名人となるが…
オゾン監督の作品では、『8人の女たち』にしても『スイミ
ング・プール』にしても、聡明な女性たちを主人公としてい
るが、本作も文筆に長けた若い女性を主人公にしている。そ
の女性が、周囲の無理解や恋に破れながらも、自分の決めた
道に邁進して行く物語だ。
そんな女性の姿は、現代にも通じるものだろうし、現代女性
の賛同も得られるものになりそうだ。まあその分、男の姿が
多少だらしなく描かれているのは、男の自分としては哀しい
部分でもあるが、それも仕方のないところだろう。
エンジェルを演じるモローラ・ガライは、2005年5月に紹介
した『ダンシング・ハバナ』でディエゴ・ルナの相手役を務
めていた若手女優で、今回は堂々としたヒロインを演じてい
る。また、オゾン作品には常連のシャーロット・ランプリン
グも出演している。
なお、往時のロンドンの風景や、イタリア、ギリシャ、エジ
プトなどを訪問するシーンには観るからに…という感じの合
成が使われているが、それが何ともクラシカルなのも作品の
雰囲気にマッチして良い感じのものだった。

<特別招待作品>
『ザ・シンプソンズ MOVIE』“The Simpsons Movie”
人気テレビアニメーションの初の映画版。お騒がせファミリ
ーが映画館のスクリーン狭しと大騒動を巻き起こす。
映画祭での上映では、日本人のミュージシャンによるゲスト
トークがあって、そこで映画版のテーマソングのアレンジが
テレビとはちょっと変えてあるという紹介があった。
それもそうなのだろうが、それとは別に僕が気付いたのは、
映画の最初で上映が始まったときには画面の左右に少し黒み
があったのが、本編になると画面が左右にちょっとだけ広が
るということだ。
この広がりは多分、初映画版と言うことで最初が1:1.78の
HDサイズから、本編は1:1.85のアメリカンヴィスタにな
ったものと思われるが、さすがシネマスコープを最初に手掛
けたフォックスの拘わりというか、誰がそんなことに気付く
のか…という代物だ。
そんな事細かな部分に始まって、いろいろな拘わりのある作
品。しかもかなりマニアックというのが、この作品の魅力だ
ろう。後は観客の趣味嗜好によって、それにどこまで気付く
かというところだ。
物語は、シンプソンズ一家の住む町の近くの湖の汚染が進ん
で危機的な状況になる。この事態にシュワルツェネッガーが
大統領を務める政府は町の隔離を断行。ところが、何故かシ
ンプソンズ一家だけは脱出に成功して…というもの。
これに、風刺やら何やらのギャグがふんだんにちりばめられ
て、特に風刺の部分は大人の観客にも充分に楽しめるものに
なっている。
ただ、物語は一見ハッピーエンドのように見えるが、実は根
本の問題は全く解決されていないもので、これを政府の横暴
に対する民衆の抵抗という形で決着させるのには、ちょっと
無理があるようにも思えた。まあ、その辺は観客の取りよう
でもあるが…
なお、シュワルツェネッガー大統領の声は本人ではなかった
ようだが、他に大物ハリウッドスターの本人が声優を務める
ゲストキャラクターも登場して、この辺はテレビシリーズの
魅力がそのまま踏襲されている。
それに物語や映像のスケールも、映画館のスクリーンでの効
果を充分に意識したもので、映画館で観るだけの価値はある
作品と感じられた。

<特別招待作品>
『その名にちなんで』“The Namesake”
『モンスーン・ウェディング』などのミーラー・ナーイル監
督による2006年作品。
ピュリツァー賞受賞作家ジュンバ・ラヒリの原作に基づき、
母国を離れてニューヨークに移り住んだインド人女性を中心
に、異国の地で環境や文化の違いに戸惑いながらも健気に暮
らして行くインド人一家の姿を描く。
特に、夫婦の間に生まれ正式名は別にあるが親にはゴーゴリ
と名付けられた息子が、自分の名の由来を含めて、自らのア
イデンティティーに目覚めて行く姿が描かれる。しかもこの
息子が、親族に反対されることは承知で白人女性を好きにな
ったりという、いろいろな出来事が女性監督らしい細やかな
演出で描かれて行く。
昔は人種の坩堝と言われた合衆国で、インド人の立場がどん
なものかは全く判らないが、映画ではインド人同士の横のつ
ながりの強さは明確に描かれていた。「付き合うだけならど
んな女性でもかまわないが、結婚はインドの同じ地方出身者
に限る」という台詞は、映画の中で何度も出てきたものだ。
ただし、主人公にとってそれはさほど重要な問題ではなく、
そんな民族的な話よりもっと普遍的な家族の問題が描かれて
いる。ナーイル監督は、『モンスーン…』でも家族の問題を
見事に描いていたが、その流れの先にある作品というところ
だろう。
因にゴーゴリは、ロシア作家に因んで名付けられているが、
大学で名告るたびに「『外套』の作家だね」と返される。し
かもその後に「天才だけれど人格的には破綻者だった」など
と続けられるもので、恐らく日本の大学では、名前も聞いた
ことのない学生がほとんどだと思われるが、西洋人の教養の
レヴェルの高さを改めて認識した。
なお、本作の製作者には小谷靖、木藤幸江という日本人の名
前が並んでいる。彼らの名前をデータベースで調べると『輪
廻』や『予言』といった題名が並んでいて、日本ではジャパ
ニーズホラーを手掛けていた人たちのようだが、見事な転身
という感じだ。
それから、ナーイル監督の名前はいろいろに表記されるが、
今回の表記はこのようになっていたものだ。ただし舞台挨拶
に立った木藤プロデューサーは、「ナイール」と呼んでいた
ようにも聞こえたが、聞き違いだろうか。
因に監督は、ジョニー・デップ主演による“Shantaram”の
撮影開始を年末に控えており、その準備のため今回の映画祭
への来日はなかった。今後来日があったら、名前を確認した
いものだ。

『SAW4』“Saw IV”
毎年この時期になると登場するホラーシリーズの第4弾。
シリーズの第1作は、ソリッドシチュエーション・スリラー
という新ジャンルを創設したとまで言われたものだが、実は
そこから続く2作はそのジャンルへの拘わりが、それはそれ
で面白いものではあったが、多少マンネリ化の様相も呈して
きていた。
それが本作では、勿論ジャンルの特性は保ったままで、新た
な展開に挑んでいる。
実は、第3作の公開時に行われた来日記者会見で、ダーレン
・リン・バウズマン監督は第4作以降の継続シリーズは他の
監督に任せたいと語っていたものだが、この脚本を見せられ
たらこれはやりたくなる、そんな感じの見事な展開を繰り広
げた作品だ。
物語は、ある死体の司法解剖から始まる。これがまず、過去
にここまで丁寧に解剖を描いた映画はないだろうと思わせる
位に見事なもので、そしてその遺体の中から物語の進行の定
番となっているある物が発見される。
一方、前作の事件を捜査していた刑事が2人行方不明となっ
ており、遺体から発見された物は、行方不明の刑事の生命を
賭けた殺人鬼ジグソウからの挑戦状だったという展開だ。そ
して今回の主人公となる刑事が、それに挑むことになるが…
まあ、それにしてもこの映画の製作者たちは、毎回々々よく
ぞここまで手の込んだ人間の殺し方を考えつくものだと思わ
せる。今回も、奇妙なからくりを五万と用意して楽しませて
くれる。そして今回は、それに加えて背景のドラマもしっか
りと描かれているものだ。
脚本は、「プロジェクト・グリーンライト」という新人登竜
門において、初めてホラー作品で受賞を果たしたパトリック
・メルトンとマーカス・ダンスタン。その直後から大量のオ
ファーが舞い込んだというコンビが、シリーズ本来のシチュ
エーションをしっかりと踏まえて、見事な展開を作り上げて
いる。
これは正に、シリーズを見続けてきたファンへの最高の贈り
物という感じの作品だ。
なお、エンディングクレジットの部分で、YOSHIKI作
曲によるXジャパンの楽曲が流れる。YOSHIKIの楽曲
は先に紹介した『カタコンベ』でも使われていたが、独特の
雰囲気の曲がこの映画にもマッチしていた。
因に、バウズマン監督の次回作では、YOSHIKIが製作
総指揮を勤めることにもなっているようで、2人の繋がりは
深そうだ。


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井口健二