井口健二のOn the Production
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2007年09月10日(月) 未来予想図、ロンリーハート、僕のピアノコンチェルト、夜顔、僕がいない場所、めがね、インベージョン、Mayu

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『未来予想図』
Dreams Come Trueの同名の楽曲を原案として、現代に生きる
若者の恋模様を描いた作品。
学生時代からつきあっていた男女が、自分の夢を全うするた
めに別々の道を歩まざるを得なくなる。そのための別れは、
厳しい痛みを伴うことになるが…
今更ながら、女性の社会進出が進む中では、こういう男女の
物語も数多く発生しているのだろうなと思わせる作品だ。
脚本は、狗飼恭子と志羽竜一という2人が手掛けているが、
古典的なすれ違いのストーリーの中に、バルセロナを訪れた
り、伝統的な打ち上げ花火職人の話を織り込んだり、さらに
そこにウェブを介在させるなど、現代社会の状況を巧みに反
映させている。
主人公の2人は、大学の映画サークルで結婚式シーンの新郎
新婦役に駆り出されたことから付き合いが始まる。そして、
2人は卒業後も付き合いを続けていたが、女性が当初の希望
だった編集の職場に再就職が叶い仕事を始めた矢先、彼に長
期の海外での仕事が決まる。
彼の赴任先はスペイン・バルセロナ。2人は卒業旅行でその
地を訪れており、10年後にまた一緒に来ようと誓いあった場
所だった。そして、一緒に来て欲しいと望む彼に対して、彼
女は別れを告げる。こうして別々の道を歩み始めた2人だっ
たが…
主演は、去年9月に『アジアンタムブルー』を紹介している
松下奈緒。相手役は『仮面ライダー剣(ブレイド)』の竹財
輝之助。他に、原田泰造、西田尚美、加藤雅也、石黒賢、松
坂慶子らが脇を固めている。
監督は、平山秀幸監督作品や先に紹介した田壮壮監督の『呉
清源』の助監督を務め、今回が長編デビューの蝶野博が担当
している。
元々の楽曲が、未来予想図を思い描いて、それを思い続けて
いれば、何時か願いは叶うというような内容のようで、映画
も2人の未来予想図が結実するまでを描いている。
もちろん映画は、バルセロナに行ってしまったり、夢物語の
ような部分も有りはするが、そこには、現在にどんな困難が
待ち構えていても、それを乗り越えて行く勇気が必要である
ことも描いていて、その辺の描き込みはなかなか巧みなよう
にも感じられた。

『ロンリーハート』“Lonely Hearts”
1940年代後半に全米を震撼させた結婚詐欺師にして連続殺人
犯レイモンドとマーサの犯罪を描いた作品。脚本・監督のト
ッド・ロビンスンは、映画でジョン・トラヴォルタが演じる
刑事エルマー・C・ロビンスンの孫にあたるそうだ。
犯罪の手口は、当時は沢山いた戦争未亡人を狙って、新聞の
交際欄「ロンリーハーツ」で住所を捜し、文通で相手の資産
状況を見極めて交際を申し込み、巧みに信用させて結婚、そ
して財産を奪ったら消えるというもの。
軍人の妻であったという自意識の高い当時の戦争未亡人は、
世間の目を気にして、詐欺と判っても警察に被害を訴えるこ
とが少なかったという事情もあったようだ。しかし、レイモ
ンドとマーサが出会ってからは状況が一変し、彼らは短絡的
に殺人を犯すようになる。
このレイモンド役を、『チャプター27』にも出ていたジャ
レッド・レトが演じ、マーサ役をサルマ・ハエックが演じて
いる。特にレトの変貌ぶりは見事で、撮影は当然『チャプタ
ー27』の方が後のものだが、これは実に凄い。ぜひ両者を
見比べてほしいものだ。
トラヴォルタは、近年は饒舌な役柄が多いということだが、
本作では最初は本人も躊躇したというほどの寡黙な役柄で、
過去を背負い、その経緯もあって捜査に熱中してゆく刑事を
熱演している。
他に警察側の共演者は、トラヴォルタとは4回目になるジェ
ームズ・ガンドルフィーニ。また、ローラ・ダーンも出演し
ている。
アメリカ史上最悪の犯罪の一つとも言われ、女性が死刑に処
せられたのも珍しいことのようだが、映画ではその最初から
最後までの克明に描いている。しかも、捜査の様子も丁寧に
描かれていて、そこには監督の思い入れも感じられるところ
だ。
なお試写はソニーの新試写室で観せてもらったが、フィルム
送りの揺れのない画面は非常に見易くて気持ちが良かった。
ただ、打ち込み字幕の左右に滲みのようなものが見られて、
その原因は判らないがちょっと気になった。

『僕のピアノコンチェルト』“Vitus”
またまた少年ピアニストのお話。
主演のテオ・ゲオルギューは1992年生まれ、2004年サンマリ
ノ国際ピアノコンクールなどで優勝歴を持っており、実際、
最後のコンサートシーンの撮影は、製作費削減の為に有料で
入場者を募って行われたが、入場券は即時完売したという程
の人気者ということだ。
また、彼の演奏シーンはこの他にも繰り返し登場し、プレス
資料の解説によれば、それぞれ演奏される楽曲にも意味が込
められているようだ。そして物語では、そんな音楽に天分を
持つ少年が、その天分ゆえに、周囲との軋轢で苦しんで行く
姿が描かれる。
とまあ、普通に書けばこんな内容の映画だが、『山の焚火』
で知られるフレディ・M・ムーラー監督の作品は、そう一筋
縄で行くものではなかった。そして、その物語は子供の姿を
見事に描いて、爽快な結末へと繋げて行く。
ムーラー監督の以前の作品は見ていないが、1940年生まれの
ベテランの作品歴によると、H・R・ギーガーのドキュメン
タリーを手掛けたり、1969年に“2069”という作品が在った
り、さらに1998年の『最後通告』は幻想的なミステリーだっ
たということだ。
そんな監督が、子供の夢を描きたいとして作り上げたこの作
品は、サン=テグジュペリの『星の王子様』に准えた少年の
姿を生き生きと描いている。それにしてもこの展開は、正に
子供だったことを忘れていない大人の作品と言えそうだ。
因に、この映画の主人公について監督は、『ブリキの太鼓』
のオスカルと、『デューン/砂の惑星』のアリアを引き合い
に出している。
共演は、『ヒトラー〜最後の12日間〜』でドイツ系俳優と
して初めてヒトラーを演じたブルーノ・ガンツが、少年に理
解のある祖父の役を楽しげに演じている。また、主人公の幼
少時代を演じたファブリツィオ・ボルサニも、ピアノは自分
で演奏しているそうだ。
演奏される楽曲は、リストの『ハンガリー狂詩曲』『ラ・カ
ンパネラ(鐘)』、ラヴェル『道化師の朝の歌』、モーツア
ルト『ロンド イ短調』『レクイエム』、チェルニー『エチ
ュード』、スカルラッティ『ソナタ』、バッハ『ゴルトベル
グ変奏曲』、シューマンの『ピアノ協奏曲イ短調』などで、
その内の多くはゲオルギュー自身が演奏している。
これらの音楽も存分に楽しめるし、ちょっと捻った物語も期
待以上に楽しめた。

『夜顔』“Belle Toujours”
1976年のルイス・ブニュエル監督作品『昼顔』(Belle de
Jour)の後日談。オリジナルに主演したカトリーヌ・ドヌー
ヴは出演しなかったが、アンリ役のミシェル・ピコリは38年
後の自分の役柄に再挑戦している。
監督は、1908年生れ、今年99歳のマノエル・ド・オリヴェイ
ラ。恐らく現役世界最長老の映画監督は、1957年に短編を映
画祭初出品し、1990年以降は毎年1作ずつを発表して、来年
100歳で発表する作品もすでに製作中とのことだ。
その監督が、ブニュエルと脚本家のジャン・クロード・カリ
エールへのオマージュとして作り上げた作品で、2006年のヴ
ェネツィア映画祭に出品されて喝采を浴びた。
物語の発端は、パリのコンサートホール。クラシックの演奏
会を楽しんでいたアンリは、かつての友人の妻で今は未亡人
のセヴリーヌの姿を発見、その後を追うが、彼女は彼を避け
るようにタクシーに乗り込んでしまう。
しかし、いろいろな偶然から再び彼女を見かけたアンリは、
彼女が出てきたバーのバーテンダーから彼女の宿泊先を聞き
出す。そしてそのホテルを訪ねたアンリだったが…
オリジナルでの2人の関係やその他の出来事が踏襲されて、
微妙な男女の物語が展開して行く。
僕自身、オリジナルはブニュエルの特集か何かで見たはずだ
が、細かいことはあまり覚えていない。でもまあ、夫には貞
淑だが、それでも欲望に抗し切れない女性が昼間だけの娼婦
となり、そこに夫の友人が現れて…という程度のことを知っ
ていれば充分だろう。
そして物語は、オリジナルで生じた謎が核となって行くが、
所詮この作品はオリジナルを壊す訳には行かないもので、そ
の辺は微妙な扱いとなっている。でも本作は、それらを超越
して男女の物語が展開するものだ。
ドヌーヴが出演しなかったセヴリーヌ役には、ブニュエルの
『ブルジョワジーの密かな愉しみ』にも出ているベテランの
ビュル・オジェが扮している。
この状況では、女は逢いたくないだろうし、男には恋慕の情
が再燃する。まあ自分も男としては理解できてしまうところ
だ。上映時間70分の作品は、映画ファンへのちょっとした贈
り物という感じの作品だ。

『僕がいない場所』“Jestem”
ポーランド在住の女性監督ドロタ・ケンジェルザヴスカによ
る2005年の作品。
主人公の少年は、母子家庭に育ち、母親を愛してはいるが、
母親の奔放な生き方にはついていけなくなっている。そんな
少年は、1人で川辺に係留された廃船に住み、空缶や鉄屑を
集めては現金を得て生活を続けている。そして街の人々は、
少年を哀れに思い援助の手を差し伸べようとするが、少年は
施しを受けようとはしない。
しかしある日のこと、少年の暮らしている廃船を1人の少女
が訪れる。彼女は船の係留場所の近くに建つ屋敷の次女だっ
た。しかも少年より年下と思われる少女は酒に酔っていた。
彼女は美しい容姿の姉に劣等感を抱き、親にも疎外感を持っ
て、そんな気持ちを酒で紛らせていたのだ。そんな彼女に、
少年はともに街を逃げ出そうと話をするが…
冒頭で、孤児院に収容された少年が身元を聞かれるが、頑と
して答えないというシーンが登場する。そこで発せられるの
が原題のjestem、英語ではI amという意味のようだ。少年が
身元を明かさないのは、母親の元に戻されるのが嫌なのかも
知れない。でも彼は母親への愛情を失っている訳ではない。
そんな微妙な心の動きが描かれる。
主演の少年と彼の許を訪れる少女の配役は、ポーランド全土
から探し出されたそうだが、特に当時は養護施設にいたとい
う少女役のアギニェシカ・ナゴジツカは、立場は逆だが『禁
じられた遊び』でブリジット・フォッセーが演じた少女を思
い出させて愛しくなった。
しかも彼女は、最初の登場シーンでは酒に酔っているところ
から、徐々に立ち直って行く姿を演じているが、その演技も
的確だったように思える。もちろんそこには監督の指導もあ
るのだろうが、その演技力は素晴らしいものに感じられた。
前回紹介の『この道は母へとつづく』が母親の許へ向かうの
に対して、母親との決別を模索する本作はちょうど逆の立場
の作品に見えるが、実はどちらも母親への絶ちがたい愛情を
描いている点では共通しているものだ。しかしこの作品の母
親は余りにも無責任で、親の立場を描けば描くほどこういう
内容になってしまうのは悲しい話だ。
なお、撮影は監督の夫でテレビ版『デューン』なども手掛け
るアーサー・ラインハルトが担当。また、音楽をマイクル・
ナイマンが手掛けているのも話題になりそうだ。

『めがね』
去年1月に紹介した『かもめ食堂』の荻上直子監督、小林聡
美主演、もたいまさこ共演による新作。
何処とは知れない、多分南の島。そこのとある一角で暮らす
人たちに「来た」という予感が走る。そして島の空港に小型
旅客機が着陸し、そこから2人の女性が降り立つ。その内の
年配の女性は真っ直ぐ海岸へ向かい。用意されていた小屋の
前で人々と挨拶を交わす。
もう1人は、何か都会を逃げ出してきたような雰囲気の女性
で、彼女は旅行鞄を引き摺ってその小屋を通り過ぎ、とある
民宿にたどり着く。そこで大して迷わずに到着した彼女は、
「ここにいる才能がある」と言われてしまう。
そして、観光スポットも何もないその島の民宿を舞台に、人
生の休暇のような物語が開幕する。
小林が演じる後から来る女性は、映画の後半に現れる若い男
には「先生」と呼ばれていたりして、何か文化系の仕事をし
ているようだ。一方、先に現れるもたいが演じる年配の女性
は、映画の中でも全くの謎の人物とされている。
でもそんな人たちが、世間とのしがらみを断ち切って、ある
期間をその場所で過ごす。それが何だと言われると、もうそ
れには全く答えられなくなってしまうのだけれど、まあこん
な話があってもいいかなあという映画だ。
癒しというならその通りのものだし、多分去年の『かもめ食
堂』を楽しめた人なら、その感覚は今回も楽しめる。
僕自身がどちらがより好きかと聞かれれば、『かもめ食堂』
の方を挙げるが、本作の方が主人公の引き摺っている部分が
多いだけ、かえって親しみの湧く人もいるかも知れない。現
実を逃れられない人には、一服の清涼剤になる作品だろう。
他の共演者は、市川実日子、加瀬亮、光石研。それに薬師丸
ひろ子が出演している。
また、映画に登場する食事から、美術、編み物、体操までの
それぞれを、各分野で実績のある女性たちが担当しているの
も話題になりそうだ。

『インベージョン』“The Invasion”
ジャック・フィニーが1955年に発表したSF『盗まれた街』
(The Body Snatchers)の3度目の映画化。
前の2回(1956、78年)の映画化はいずれも“Invasion of
the Body Snatchers”の題名で行われたものだが、今回は、
そのBody Snatchersの部分が取れてしまった。実はその辺に
原作からの改変があるものだが、それを題名で表わしている
のは嬉しいところだ。
物語は、スペースシャトルが軌道上で何かに衝突し、さらに
地球再突入時にばらばらに砕け散り、その破片がダラスから
ワシントンDCまでの広範囲にばらまかれるところから始ま
る。その破片には、再突入時の超高温にも耐える謎の微生物
が付着していた。
ところが、その調査を進める政府機関の発表は要領を得ず。
さらに政府命令によるインフルエンザ対策と称する謎のワク
チンの接種が始まる。そして街には、無表情な人々が出現し
始める。彼らは争うことをせず、その内に国家間の長年の紛
争も終結し始める。
それは宇宙から飛来した微生物が人類に感染したことによる
結果だった。ところが人類の中に、それに免疫を持つものが
いることも判明する。そして微生物に感染した奴らは、免疫
を持つ人間を狩り始める。
主人公の女性は、DCで精神科医を開業していたが、離婚し
た夫が最初に異常を見せ始める。そして彼女の息子が免疫保
持者であることが判明する。一方、感染しても眠らなければ
微生物が活性しないことも判明し、彼女は感染した奴らと、
そして睡魔とも戦いながら、息子を保護して研究施設まで送
り届けなければならなくなる。
この主人公をニコール・キッドマン、彼女の現在の恋人で微
生物の研究者を007後の最初の作品となるダニエル・クレ
イグが演じる。後半はかなりのアクションシーンも登場し、
サスペンスに満ちた物語が展開する。
監督は、『es』や『ヒトラー〜最後の12日間〜』のオリ
ヴァー・シュピーゲル。前2作はドキュメンタリータッチが
かなり重苦しい感じまでしていたものだったが、元々がSF
の本作ではそのリアルさが生きて、かえってバランスが良く
なった感じもした。
結末は皮肉と甘さがちょっと物足りない感じもしたが、オリ
ジナル映画化へのオマージュなども適度に挿入されていて、
その辺は嬉しくも感じられた。

『Mayu−ココロの星−』
21歳で乳癌になった女性による実話の闘病記に基づく作品。
主人公は、母親が長年癌と闘病し、自分も健康診断は欠かさ
ず受けていたというが、まさか21歳の若さで乳癌にかかると
は思っていなかったそうだ。そんな希な病気という注釈はつ
くが、患者が1人いるということは、他にもいる可能性は否
定できない。
そんな乳癌の危険性を、原作者は身を持って語っているもの
だ。そして、乳癌は早期に発見できれば完癒率は95%に近い
とのことで、その検診を勧める啓蒙活動であるピンクリボン
運動も登場する作品となっている。
とは言うものの、映画はかなりリアルでシビアな内容も描か
れ、実際に患者の人が見たらショックを受けるのではないか
と心配になるほどのものだ。でも、患者の人にはこのくらい
のことは常識の範囲なのだろうし、その分、啓蒙に繋がれば
作品は成功と言えるものだ。
主演は平山あや。去年は『バックダンサーズ』を見たが、そ
の時にも陰影のある役柄を丁寧に演じている印象を持った。
今回は患者であることや、癌と戦う勇気や、外部からの仕打
ちに対する弱さや、いろいろな側面があって、これもよく演
じていたと思える。
特に、検査のシーンではマンモグラフィーなども実施されて
おり、それを受けたことのある家内に言わせると尋常でない
痛みが伴うという検査も、実際に体験しているようだった。
その頑張りは賞賛したい。
共演は、両親役に浅田美代子と三浦友和。また同病の患者役
で京野ことみが味わいのある演技を見せていた。
ただし映画では、病院内で携帯電話を掛けるシーンが多々あ
り、僕の知っている都内の病院では、検査機器への影響など
の理由で、ほとんどが院内の携帯電話は使用禁止になってい
るものだが、北海道ではそれが許されているのだろうか、ち
ょっと気になった。
それから、患者が他の患者の手術跡に触れるというのは、冗
談にしても絶対にしてはいけないというか、できないことの
ように思えるが、その辺の演出も気になったところだ。

最近では、タレントの山田邦子がテレビ番組の知識で乳癌を
早期発見し、手術も成功したという話題もあったが、まだま
だ検診も充分に行われているとは言えない現状で、この映画
がその啓蒙の一助にでもなれば素晴らしいことだ。


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井口健二