井口健二のOn the Production
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2007年06月10日(日) ヒロシマナガサキ、馬頭琴夜想曲、スピード・マスター、レッスン!、題名のない子守歌、私のちいさなピアニスト

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『ヒロシマナガサキ』“White Light/ Black Rain”
アメリカ在住の日系3世で、アカデミー賞ドキュメンタリー
部門に3度ノミネートされ、受賞歴も持つスティーヴン・オ
カザキ監督が、1981年に初めて広島を訪れて以来、25年の歳
月を掛けて完成させた長編ドキュメンタリー。
監督は、英訳された『はだしのゲン』を読んで広島、長崎の
被爆者についてもっと知りたいと思い、広島を訪れて取材を
開始。その結果、1982年に発表された『生存者たち』で最初
のノミネートを果たした。
その後、1995年にはスミソニアンで開催予定だった原爆展が
米国内の猛反発で中止され、それに伴い予定された映画の製
作も中止になるなどの挫折も味わうが、2005年には『マッシ
ュルーム・クラブ』で再びノミネートを勝ち取っている。
そのオカザキ監督が完成させた本作は、今年8月6日の広島
原爆投下の日に、HBOから全米向けに放送予定となってお
り、日本ではそれに先立つ7月23日から岩波ホールでの一般
公開が行われるものだ。
内容は、広島、長崎での被災者や、アメリカに渡った原爆の
乙女の1人の笹森恵子さん、『はだしのゲン』の作者の中沢
啓治氏、韓国人被災者の金判連さんなど原爆を直接体感した
人たちや、さらに原爆投下機エノラゲイの乗員、技術者への
インタヴューと、その間に当時の惨状を撮影した記録フィル
ムなどが挿入される構成になっている。
その構成は、多分にアメリカの視聴者を意識したものになっ
ているが、その中に現在の東京渋谷や原宿などの映像が挿入
され、そこでは1945年8月6日と聞かれて何も答えられない
若者の姿が写し出されると、何とも言えない気分になってし
まうものだ。
4月に紹介した『夕凪の町 桜の国』を観たときにも考えた
が、原爆はその瞬間の破壊力だけでは終わらないということ
を、僕らはあまり教えられてこなかったように思える。最近
ではそれ以前の原爆投下の事実すらあまり教育されていない
ようだが、平然と核軍備を口にするような政府の下ではそれ
も仕方がないのかも知れない。
今回の作品は、その意味でも重要な作品ではあるが、僕自身
はこの作品で不満に感じる点がない訳ではない。それは先に
も書いた、後遺症やその後の差別の問題があまり描かれてい
ないことだ。しかしそれは、アメリカ人の監督に任せるので
はなく、自分たちの問題として日本人の監督が描かなくては
いけないものなのだろう。

『馬頭琴夜想曲』
1918年生まれ、41年日活入社以来、鈴木清順監督の『けんか
えれじい』や、伊丹十三監督の『タンポポ』、熊井啓監督の
『千利休』など、日本映画の歴史を支えてきた美術監督・木
村威夫が、2004年の『夢幻彷徨』から映画監督のメガホンを
取り始めたその第3作。
実は『夢幻彷徨』の試写状も貰っていたが、時間が合わずに
見逃したもので、今回は初めて木村監督作品を鑑賞した。
試写会では先に監督の挨拶があり、そこでこの作品に掛けた
思いなども語られたが、本作まではいずれも短編で、いろい
ろな試みはしているが助走段階のもの。ちょうど初長編を撮
り終えたばかりなので、評価はそれを観てからにして欲しい
というような話だった。
そして本作に関しては、ボーイソプラノとモンゴルの馬頭琴
という2つの題材から作った物語で、撮影では敢えて映画の
セオリーを外しているとの説明もあった。
という作品だが、まずは確かに実験的な要素も多い作品で、
見方によっては他愛ない作品とも言える。テーマの根底には
長崎の原爆があって、その辺りは日本人としてちゃんと受け
とめたいという気持ちにもなるが、全体として強いテーマに
なっている訳ではない。
元々が美術監督であるから、美術的な面ではそれぞれ観られ
るところもあるが、お金が掛けられているというようなもの
でもないし、逆にシンプルさの中に価値が見いだされること
にはなるのだろうが、それが特別に刮目するようなものでも
なかった。
まあ、実験的作品と言うのは評価もしにくいが、漠然と観て
いるだけならそれもいいし、とやかく言うようなものでもな
いようにも感じる。ただ、観ている間はそれなりに楽しくも
あったし、観終えた時には微笑ましくも感じられて気分は悪
くはなかった。
なお、モデルの山口さよこと鈴木清順監督が特別出演してい
て、それも取り立ててどうこう言うようなものでもないが、
お互い楽しそうに観えたのは、それはそれで良いという感じ
がしたものだ。とにかく次の長編作品の完成が早く観たい。

『スピード・マスター』
『ワイルド・スピード』『頭文字D』の対抗馬と自称する和
製ストリートレースムーヴィ。
実は、試写会で隣の席にいた人が、上映中に頻りと携帯電話
を開くので気になって仕方がなかった。その人はどうやら時
間経過を見ていたらしい。僕は映画鑑賞中にそういう他人に
迷惑の掛かるようなことはしないが、隣の人にはそれほど退
屈で時間の経つのが遅く感じられる作品だったようだ。
でも、だからと言って単純に切って捨ててしまっては身も蓋
もない。実は僕もこの紹介文をサイトに載せるかどうか、今
も迷っているのだが、この映画には、何かを始めようという
意欲が多少なりと感じられた。それでその意欲を買って敢え
て苦言を述べさせてもらう。
この作品を観て最初に感じるのは、なぜ『ワイルド・スピー
ド』の直後に、『頭文字D』を日本映画界が作れなかったの
かということに尽きると思う。
日本の警察が撮影許可を出すはずのないストリートのレース
では、『ワイルド・スピード』に勝てるはずがない。それが
山路のレースなら、それなりに誤魔化せたというものだが…
それを香港映画に撮られてしまった。
で、残る日本の不法レースシーンは埠頭ということになって
しまったようだが、元々埠頭レース自体はサーキットの真似
事だから、本物のサーキットレースの面白さに適うものでは
ないし、無理矢理作った倉庫内の爆走シーンも、所詮CGI
アニメーションでは…ということになる。
ただしこのCGIには、多分精一杯頑張ったのであろうこと
は評価したいと思うが、どんなに見事なCGIでも、そこに
つながる実写の部分が弱いと、努力は思うほどには報われな
い。その実写の部分が日本では撮影不可能だった訳だ。
でも、そこは工夫次第だとも思える。『ワイルド・スピード
3』にしても、新宿大ガードの先が道玄坂という、その馬鹿
馬鹿しさだけで観客は湧たものだ。勿論そこにはアメリカで
撮影したスタントシーンも挿入されてはいるが、CGIだけ
でも充分行けたようにも思える。
こんな展開の工夫が、この映画には欠けていたように感じら
れる。埠頭レースは、お台場から品川倉庫の辺りを想定して
いるようにも見えたが、それをもっと上手く表現できなかっ
たかと思うところだ。どうせ夜間のシーンなのだし、誤魔化
しはいろいろ出来たはずのものだ。
一方、映像が無理なら、せめてストーリーで勝負といきたい
ところだが、これが、親父が倒れて潰れかけた修理工場と、
そこに現れた元走り屋。対するは、その土地が目当ての金持
ちの息子が敵役では、いくらなんでも陳腐というか…
こんな陳腐なストーリーを映画化したいと思ったのなら仕方
がないが、『頭文字D』でなくても、レース物のマンガなら
いくらでもあると思うし、ちょっとしたマニアに聞けばいく
らでも候補は挙げてくれたと思える。そんなものを探す努力
をして欲しかった。
それにしても、元走り屋が修理工場に住み込む切っ掛けとい
うのが、その工場の娘に、屈強な男たちが暴力を振るおうと
するというものなのだが、これがいい年の男が少女に向かっ
て拳骨を振り上げるのではリアルさが感じられない。
女同士の喧嘩ならまだしも、大の男が少女に向かって拳骨を
挙げるなんて常識ではあり得ないし、やるならもっと別のこ
とだろうというところだ。もっとも、映画の成功より女優の
イメージが大切なら、これ以上のリアルさは無理なのかも知
れないが…これも工夫次第のものに思える。
他にも言いたいことはいくらでもあるが、言わずもがなの部
分もあるし、敢えて一番気になったポイントだけを書いた。
この意見が次回作のヒントになってくれることを願いたい。

『レッスン!』“Take the Lead”
『Shall We ダンス』にも登場した社交ダンスの聖地ブラッ
クプールで、4年連続優勝という輝かしい記録を持つ実在の
ダンサー、ピエール・デュレインの実話に基づく物語。
デュレインがニューヨークのスラム街の小学校で始めたダン
ス教室は、今では市内120校に拡大し、全米に広がりつつあ
るという。
映画はその活動を紹介したテレビドキュメンタリーにインス
パイアされたもので、実は、実際にデュレインが指導をした
のは小学校だが、映画化ではその舞台を高校に移すことで、
さらにドラマティックな物語に仕立てている。
デュレインは、ある日街角で若者たちが乗用車に危害を加え
ているのを目撃する。彼の姿を見て若者たちは逃走するが、
デュレインは、その車が近くの高校の校長の自家用車である
ことを知る。
翌日デュレインは高校を訪ね、昨日の出来事は伏せたまま、
生徒たちに社交ダンスを教えることを申し出る。彼には、社
交ダンスが若者たちの人生を正しい方向に導く指針になると
いう信念があったのだ。
しかし最初は、そんな考えが他の教師たちに通じるはずもな
く、それでも校長の判断で任されたのは、手に負えない生徒
を他の生徒から隔離するために設置された居残り教室。そこ
ではHip-Hop音楽が鳴り響き、社交ダンスなど見向きもされ
なかったが…
まあ、『Shall We ダンス』で見たようなシーンも登場する
し、全体的には甘さも感じられる話ではあるが、元々リズム
感のある若者たちという設定では、話のテンポの良さも気持
ち良く感じられたものだ。
それに、映画製作者が彼しかいないと考えたというデュレイ
ン役のアントニオ・バンデラスや、『Shall We…』にもダン
サー役で出ていたというカティア・ヴァーシラスらによるダ
ンスシーンは、映画の登場人物でなくても学んでみたくなる
ようなものだった。
さらに、スタンダードのダンス音楽をHip-Hopにリミックス
する面白さや、セオリー通りのダンスとセオリーを外したダ
ンスとを見事に対比させた描き方など、これは本当にダンス
や音楽を判っている人たちが作り出した作品と感じられた。
それにしても、本当に踊れる人たちのダンスは見ていて気持
ちが良いものだ。

『題名のない子守歌』“La Sconosciuta”
『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』の
ジョゼッペ・トルナトーレ監督が、2000年の『マレーナ』以
来7年ぶりに発表した作品。
映画は発端で、廃虚のような場所で若い女性を全裸にして品
定めをするという衝撃的な映像から始まる。映画ではこの後
にも、彼女たちを陵辱するシーンが次々に描かれ続ける。
物語の舞台は、イタリアのとある都市、その町に1人の女性
が現れる。彼女はウクライナからの出稼ぎ労働者と称してい
るが、金はかなり持っているようだ。そして彼女は、街角の
比較的家賃の高い賃貸部屋に居を構える。そこからは斜向か
いのアパートが見渡せる。
次に彼女は、その斜向かいのアパートの管理人に清掃人の仕
事を求めに行く。そして、「外国人は困る」という管理人に
破格のリベートを約束してその仕事を受けてしまうのだが…
そこには、彼女の遠大な計画が潜んでいた。
映画では次から次にいろいろな謎が提示されて行く、そして
その謎が徐々に解き明かされて行くのだが、ここから先は何
を書いてもネタばれになってしまいそうな、実に緻密に描か
れた物語だった。
しかも、主人公がその目的のためには手段を選ばない。その
衝撃にも凄まじいものがあった。もちろんそれだけ重要な目
的でもあるのだが、その辺りの描き方も、主人公のそれまで
の人生の哀しみも絡めて、実に心に染みる作品だった。
物語には、幼い少女が登場する。クララ・ドッセーナという
撮影当時5歳の子役が演じているものだが、そのいたいけな
姿にはダコタ・ファニングを超えるとの声も挙がっているよ
うだ。実際、少女と主人公のシーンには、『マイ・ボディガ
ード』でのファニングとデンゼル・ワシントンとの交流を想
わせ、本作特有の背景もあって感動的に描かれていた。
トルナトーレの作品には、ノスタルジックな感覚を楽しませ
てくれるところがあるが、本作はソ連崩壊後の東欧の悲劇の
ようなものも背景に感じられ、ノスタルジーという雰囲気の
ものではない。でも、そこに漂う人間同士の暖か味は見事に
描かれていた。
なお、本作の英語題名は“The Unknown Woman”で、原題も
それに近いもののようだ。しかしその直訳はちょっと日本人
には馴染まない感じもするもので、また今回の邦題にはそれ
なりに含む意味もあって良いと感じられた。

『私のちいさなピアニスト』(韓国映画)
2003年2月に紹介した『北京ヴァイオリン』に続く、幼い頃
から天分を発揮する子供と、その指導者を巡る物語。
主人公のジスは、さほど裕福ではない親の金で音大のピアノ
科を出たものの、最後に留学の夢を果たせず挫折した。留学
から帰国した同期生は、今や母校で教授の職にある。そんな
ジスが、あまり高級とは言えない町の一角にある2階建てア
パートでピアノ教室を開く。
キョンミンはそんな町に暮らす悪餓鬼。母親を幼くして亡く
し、祖母と一緒に暮らしているが、その悪戯ぶりは手に負え
ない。ところが、ふとしたことからジスはキョンミンの面倒
を見ることになり、そこで彼が絶対音感の持ち主であること
に気づく。そして自分で彼を育て上げ、指導者として世間に
認められることを夢見るのだが…
出演は、ジス役に「韓国のマドンナ」とも呼ばれ、歌手とし
ての人気も高いオム・ジョンファ。キョンミン役は、1997年
生まれで、この映画のために1年余を掛けて選び出されたシ
ン・ウィジェ。彼は、7歳の時にピアノコンクールで1位を
獲得しているそうだ。
他に、『シュリ』『MUSA/武士』などのパク・ヨンウ。
また、韓国でクラシック界の貴公子と呼ばれ、テレビドラマ
「春のワルツ」の劇中音楽でも話題を呼んだ若手ピアニスト
のジュリアス=ジョンウォン・キムが、ラフマニノフの「ピ
アノ協奏曲第2番」を演奏するシーンも挿入されている。
物語の全体の流れは、最初にも書いたように他の作品にも描
かれているもの。しかも、それは平生の僕らの生活とは掛け
離れた世界の物語。こうした作品では、如何にして普通の生
活者との共通点を描き出せるかがポイントになると感じる。
そうでないと全くの絵空事になってしまうものだ。
その点、この作品では、過去に挫折を味わった主人公がその
トラウマを克服し、成長して行く姿を描き出すことにその共
通点を置くもので、そこに至る周囲からの台詞などには、実
に共感を呼ぶ上手い演出がされていた。
クラシックの名曲の演奏も数々聞けるし、鑑賞後の満足度は
高い作品と言えそうだ。


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井口健二