井口健二のOn the Production
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2007年05月10日(木) ショートバス、選挙、ジーニアス・パーティ、監督・ばんざい!、イラク−狼の谷−、怪談、ベクシル−2077日本鎖国−

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『ショートバス』“Shortbus”
2001年12月に紹介した『ヘドウィグ・アンド・アグリーイン
チ』のジョン・キャメロン・ミッチェル監督の第2作。前作
もかなり衝撃の作品だったが、本作も描かれる映像はかなり
衝撃的なものだ。
舞台はニューヨーク。この町で暮らす若者たちの姿が描かれ
る。若者といっても子供ではない。すでに分別もある年代の
者たちが、人生に迷い、今の自分がこれで良いのかと悩む姿
が描かれる。
主人公となるのは、まず1人は、カップルの恋愛コンサルタ
ントをしている東洋系の女性。彼女は芸術家の夫を愛し、セ
ックスにも満足はしているが、実は彼女自身がオーガズムに
達したことがない。
そして、ゲイのカップルが彼女に相談に訪れ、思わず悩みを
口にしてしまった彼女は、彼らに誘われるまま、「ショート
バス」という名のクラブを訪れることになる。そこは男女が
思うが儘のセックスを楽しめる場所。そこで彼女は、自分探
し旅を行うことになる。
一方、ゲイのカップルも、自分たちの関係を見失いそうにな
っている。そしてそこに、彼らに憧れる若者や彼らにストー
カー行為をしている男。さらに初老のゲイや、SMの女王な
ども絡んで物語が展開して行く。
何しろ物語の展開がセックスに絡むものばかりだから、映像
もそういうシーンが次々に登場する。このため画面は暈の連
続なのだが、暈も昔に比べれば画質の劣化も少ないから、そ
れほど気になることはなかった。
でもまあ、普通に見れば、かなり破廉恥な作品ということに
はなってしまうものだ。とは言え、そこに描かれている内容
は、純粋に現代人が抱える悩みのある一面とも言えるものだ
し、その意味では、これは正しく現代を象徴する作品になっ
ているとも言える。
なお巻頭に、自由の女神に始まるニューヨーク・シティの巨
大なジオラマが登場する。このジオラマはその後も何度か登
場するが、何しろ素晴らしいものだし、その撮影テクニック
がまた見事だった。
ところがプレス資料によると、これがCGIなのだそうだ。
正直俄には信じられない気持ちだが、『ヘドウィック…』で
もアニメーションを提供したジョン・ベアの作品とのこと。
『ニューヨーク1997』のCGIシーンが、実は模型で模
擬したものだったことを知る者には、正に隔世の感という思
いだった。

『選挙』“Campaign”
主にNHKで作品を発表しているアメリカ在住のドキュメン
タリー監督・想田和弘による日本の地方選挙の内幕を描いた
作品。2006年10月に行われた川崎市議補欠選挙に立候補した
自民党公認候補の奮闘ぶりを描く。
主人公となるのは山内和彦という1965年生まれ、東大卒で自
営業、と言っても趣味が高じた切手コイン商という人物が、
自民党の候補者公募に応募し、東京の人なのに自民党公認の
落下傘候補で川崎市議補選に出ることになる。
地盤、看板が重要と言われる地方選挙で、彼には当然地盤は
ないのだが、補欠選挙の特性として、政党の公認(看板)が
あれば現職議員たちが応援をしてくれる。そんな訳で、それ
こそ小姑のような地元各議員の後援会の人たちの指導の下、
選挙戦が開始される。
そこでは、ビラの配り方から握手や名前の連呼の仕方、さら
に電柱にもお辞儀しろという理不尽にも思えるアドバイスま
で、実に馬鹿馬鹿しい発言が飛び出してくる。それらを、監
督兼カメラマンの想田が、まさに密着して観察し続ける。
作品は、<観察映画シリーズ>の第1作と称されているもの
だが、それはまさに観察に徹したもので、作品には説明的な
ナレーションも音楽も一切なく、被写体だけが映り続ける。
ところがこれが、見ていて笑いが出るほど滑稽なのだ。
作品は今年のベルリン映画祭に出品され、そこでル・モンド
紙からは「魅惑的な主人公を描いたカリカチュア」という評
価が出されている。僕の観る限りここには戯画化したような
演出もないし、恐らく事実が写されているだけなのだが…。
それが戯画に見えてしまうほどの馬鹿馬鹿しさなのだ。
想田は、多分アメリカでの選挙運動はよく見ているのだろう
が、その日本在住者とは違う目線が、恐らく在住者が撮る以
上に不思議な光景を描き出す。
まあ正直なところは、どうせこんなものだろうと予想してい
た通り部分もあったが、現実に映像で見せられるその異様さ
には改めて驚かされる。認識を新たにもさせてくれたし、見
せてもらって良かったとも感じられた。
因に、川崎市議は今年4月の統一選挙で通常の選挙が行われ
たが、舞台となった選挙区に山内和彦の名前はなかったよう
だ。定数+1で争われたこの選挙区では、山内を除く現職の
他に、元議員秘書という新人が自民党公認で立候補したが、
唯一人落選している。
この辺の事情も<観察>していてくれると面白かったと思う
が、それはないのかな?

『ジーニアス・パーティ』
『アニマトリックス』で話題になったスタジオ4℃の呼び掛
けで、日本のアニメ界で活躍する7人のクリエーターが競作
した短編集。
顔触れは「ポポロクロイス物語」の福島敦子、「超時空要塞
マクロス」の河森正治から、「マインド・ゲーム」の湯浅政
明、「カウボーイビバップ」の渡辺信一郎まで、本来の監督
だけでなく、設定やメカ、キャラクターなどのデザインを手
掛けている人たちが、それぞれオリジナル作品を作り上げて
いる。
作品の内容は、それなりにストーリー性のあるものから前衛
的なものまで種々雑多で、ストーリーもSFから青春ものま
でいろいろだが、基本的には未来もののSF的な題材が多く
なっていたようだ。
中には、どんな宗教にかぶれているんだか、ナレーションで
延々と薄っぺらな御託を並べているような作品もあって、こ
れはどうかと思ったが、その1本を除けば全体的な作品の粒
は揃っている感じがした。
映像は、効果のつもりか、わざとらしくぎくしゃくした描き
方のものもあったが、ほとんどはCGIの効果で、視点移動
などもスムースだし、またデフォルメやメタモルフォーゼな
ども、見ていて気持ちの良い作品が多かった。
ただ、前衛的な作品では、ルネ・ラルーやノーマン・マクラ
ーレン、それに久里洋二などを見てきた世代としては、今の
時代に最新技術を使ってもっと何かできるのではないか、と
いう感じもした。
当時の限定された技術の中で見事な作品を描いていたラルー
やマクラーレンらが、現代の技術を駆使したら、一体どんな
作品が作られるか、そんな作品が見たかったところだが、そ
れはまあ追々生まれてくることを期待したい。
なおストーリーでは、2番目の河森作品『上海大竜』が、設
定などもいろいろ細かく考えられている感じで面白かった。
ただ、敵対する存在というか、その背景が明確に提示されな
いのだが、その辺りも含めて長編に仕上げて欲しい感じもし
たものだ。

『監督・ばんざい!』
北野武監督の第13作。「ウルトラ・バラエティ・ムービー」
と称されていて、いろいろなジャンルの映画がサンプルのよ
うに登場する。
前にも書いたと思うが、北野映画は嫌いではない。ただし初
期の頃は見逃していて、僕が試写で観たのは「キッズ・リタ
ーン」からだと思うが、概ね好きな作品だ。その好きな理由
は、どの作品もそこに生の人間の存在が感じられるところだ
ろう。
特に、たけし本人が主人公を演じているときは、彼自身が醸
し出す人間臭さが好きなのだと思う。それはそれとして今回
の作品には、これも人間臭さではあるのだが、いろいろな意
味での迷いが感じられた。
映画の中でも出てくるが、北野監督は「ギャング映画は二度
と撮らない」と宣言しているのだそうだ。その監督が、最初
に「ギャング映画」のサンプルを提示する。これで「本心は
またやりたいのだろうな」と感じてしまうのは単純かも知れ
ない。でも、そんな下心を感じてしまった辺りから、僕には
この作品が消化し切れなくなってしまった。
映画監督が次回作を模索するというのは、フェデリコ・フェ
リーニの作品を挙げるまでもなく、すでに知られた手法だ。
北野監督がそれに挑戦しようというのなら、それはそれでも
良いのだが、どうもそれが中途半端に終っている。特に前半
のサンプル部分が切れ切れで、ただの自嘲に終ってしまうの
も、観ていて心苦しくなった。
一方、岸本加世子、鈴木杏、江守徹が登場する後半のメイン
の物語も、何かもたもたしていて、最初に感じた消化不良が
最後まで緒を引いてしまった。どうせならこのメイン部分だ
けで、ちゃんと映画を作って欲しかったところだ。そうすれ
ばどんな作品であろうと、評価はし易かったように思える。
つまり前半のサンプル部分がじゃまに思えたものだ。
下心に見えた「ギャング映画」を撮りたいのならまた撮れば
いい。今回も最初にサンプルで提示されるシーンは切れがあ
ったし、観客としてもそれは観たいところだ。その他にもア
クションシーンの出来はどれも満足できるものに思えた。
ただし、こんな下心を見せた直後に「ギャング映画」を撮っ
たら、それこそ「やっぱし」と思われることは必定だろう。
ここはもう1本、奇天烈な「ギャグ映画」を見せてもらって
から、本格的な「ギャング映画」への再挑戦を期待したいと
ころだが。

『イラク−狼の谷−』“Kurtlar Vadis: IRAK”
本国では歴代動員記録を塗り替えたという2006年製作のトル
コ映画。
イラク北部クルド地区を舞台に、アメリカ軍による民間人の
虐殺や捕虜虐待、さらには売買目的の捕虜からの臓器摘出な
ど、実際の事件にインスパイアされたシーンを織り込んで、
トルコから潜入した元特務機関員の男と現地女性の交流と復
讐が描かれる。
クルド地区は、本来のクルド人と、アラブ、トルコの人たち
が入り混じり、アメリカ軍の監視の許、一応の平定が保たれ
ているが、その実態は…という作品だ。
物語は、実際に起きたアメリカ兵によるトルコ兵拘束事件を
背景に、それに抗議する目的でクルドに潜入したトルコ人の
男と、これも実際に起きた結婚式での祝砲をテロと見做され
て新郎を射殺されたアラブ人の女が主人公となる。
もちろん実際の事件は、発生した場所も異なるし、脈絡はな
いものだが、どちらもアメリカ軍が引き起こした事件である
ことは間違いないものだ。そして特に最初の事件がトルコ国
民の心を深く傷つけ、今回の映画製作の切っ掛けになったと
されている。
またこの作品では、ビリー・ゼイン演じる民間人の男(CI
A?)が暗躍して、わざと完全平和が訪れないように画策し
たり、そこでの利権を吸い取ろうとしている姿が描かれて、
反アメリカの意図が明白に見えるようになっている。
その一方で、映画の中では、宗教的な指導者の導師が「自殺
テロはイスラムの教義に反する」と語るなど、イスラム過激
派に対するメッセージも打ち出されている。
実は、映画の製作国のトルコは日本と同じ親米政策を採って
いる国で、その国でこのような作品が作られることは驚きだ
が、映画はゼインの出演でも判るようにエンターテインメン
トで作られたもので、アクション映画としての面白さも充分
に味わえるものだ。
ただし、米軍の機関誌「STARS & STRIPES」では、この作品
に対し「映画を観ないこと、上映館にも近付かないように」
という勧告を行ったそうだが…
なお、映画は元々同じトルコ人秘密諜報員が活躍する人気テ
レビシリーズがあり、その映画版ということだ。本国での動
員記録もそこに一因がありそうだが、映画の中に描かれたト
ルコ人の国民感情も大ヒットの根底にはある訳で、その点も
理解したいところだ。
主演は、テレビシリーズにも主演したネジャーティ・シャシ
ュマズ、他に『キングダム・オブ・ヘブン』に出演のハッサ
ン・マスード、米軍関係では『メンフィス・ベル』のゼイン
の他、『ビッグ・ウェンズデー』のゲイリー・ビジーらが出
演している。

『怪談』
三遊亭圓朝の名作「真景累ヶ淵」を、『リング』の中田秀夫
監督、『しゃべれども しゃべれども』の奥寺佐渡子脚本で
映画化した作品。
物語は、深見新左衞門の皆川宗悦殺しに始まり、富本の女師
匠・豊志賀と煙草売り新吉の恋物語へと続く。しかしそれは
親の代から続く因縁の果てに生じたものであり、やがてそれ
が怨念を生み、お久、お累、お園、お賤へと続く悲劇の連鎖
を描いて行く。
オリジナルは、口演すると8時間に及ぶとされる大作だが、
映画はその全編を2時間に見事にダイジェストしたものだ。
しかも豊志賀の心変わりなどは、映画化では初めて原作に忠
実に描かれていると言うことで、これが見事に現代にマッチ
するものになっている。
残念ながら僕は、「真景累ヶ淵」を通しで聞いたことはない
のだが、この映画に描かれた舞台や風景は一つ一つ納得でき
るものだったし、それはある意味リアルではない部分もある
のだが、それらが見事に作品として統一されたものになって
いた。
それに、最初に一柳斎貞水による講釈を据えることで、虚構
の物語への導入もスムースになっており、そこからはゆっく
り映画の世界に浸れる感じがした。
主演は、新吉役を歌舞伎の尾上菊之助、豊志賀を黒木瞳、お
久を井上真央、お累を麻生久美子、お園を木村多江、お賤を
瀬戸朝香。他に、津川雅彦、榎木孝明、三石研らが共演。特
に、尾上と黒木の堂々とした演技は、日本映画として恥ずか
しくないものだ。
また、撮影:林淳一郎、照明:中村裕樹、美術監督:種田陽
平、衣装デザイン:黒澤和子というスタッフも、完成された
舞台を思わせる重厚な雰囲気を描き出して、映画の完成度を
高いものにしている。
それにしても、物語は宗悦の怨念が許になる訳だが、その怨
みを晴らすために実の娘まで利用してしまうというのも酷い
話だ。しかも相手は、直接自分を殺した本人ではないのだか
ら、こんな理不尽な話もない。
そんな無茶苦茶な話を、この映画では、豊志賀の恋という一
点に集約させて、見事に理に叶ったものにしている。これは
原作の通りの物語だというのだが、その物語をこのように理
路整然と集約させてみせた脚色も見事だし、それを映像化し
た演出も素晴らしかった。
観る前までは、何で今さらこんな古典をという疑問も感じて
いたものだが、映画は確かに今の時代に再話されていいと思
える作品だった。

『ベクシル−2077日本鎖国−』
2002年『ピンポン』の曽利文彦監督によるCGIアニメーシ
ョン作品。元々曽利監督は、テレビや映画のVFXスーパー
ヴァイザーも努めるCGIアーチストということなので、作
品の成立自体には問題はなったようだ。
物語の背景は、日本が西暦2067年にハイテクを駆使した完璧
な鎖国に入ってから10年後の世界。日本は情報通信の出入り
は勿論、衛星からの光学的な監視も攪乱して、その国内の状
況はまったく不明となっている。
鎖国の原因は、ロボットとバイオ技術に関して原子力と同様
の国際監視が行われることに反対したため。詳しくは、精密
なアンドロイドとバイオ技術を応用した人間の延命技術を日
本が独占しようとし、それを規制しようとする国際社会から
孤立したということだ。
しかし日本からの軍事用を含むロボットの輸出は継続して行
われており、その貨物に隠れて、「近いうちに大変なことが
起こる」という情報がもたらされる。しかもその情報を運ん
だのは、若者そっくりなのに生体反応の検出されないアンド
ロイドだった。
この情報に、ハイテクを駆使する米国の特殊部隊Swordは、
「日本に関わるな」という大統領命令を無視して精鋭部隊を
日本に潜入させることにする。その目的は、内部から特定電
波を発信することで攪乱パターンを解析し、光学監視を復活
させるものだったが…
こうして、Sword隊員のベクシルとレオンは日本に向かうこ
とになる。そこには、鎖国によって強制退去させられるまで
のレオンの恋人マリアもいるはずだった。
鎖国までの経緯などにはかなり強引なところもあるが、それ
はフィクションだから認められる範囲だろう。その他の物語
全体の流れも、多少強引ではあるが、僕にはSFとして許容
できる範囲だった。
映像は3Dアニメーションではなく、3Dの背景の中にモー
ションキャプチャーを使った2Dアニメーションのキャラク
ターが演技をするというもので、フランス映画祭関連で紹介
した『ルネッサンス』などもこの方式だが、僕は多少違和感
を感じてしまうものだ。
でもまあ、アクションなどは見事な迫力で描かれているし、
そのアクションに絡んで時間制限を利用した設定などもうま
く機能していて、作品的には見応えがあった。それに全体の
雰囲気がそれほど重々しく作られていないのも、良い感じが
した。
声優は、ベクシルを黒木メイサ、レオンを谷原章介、マリア
を松雪泰子が担当しているが違和感はなかった。他は、大塚
明夫などプロの声優が担当している。
                   (5月12日更新)


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