井口健二のOn the Production
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2007年01月31日(水) バベル、蟲師、さくらん、ママの遺したラヴソング、しゃべれども しゃべれども、主人公は僕だった、パフューム

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『バベル』“Babel”
2000年の東京国際映画祭で『アモーレス・ペロス』によりグ
ランプリと監督賞を獲得したアレハンドロ・コンザレス・イ
ニャリトウ監督が、昨年のカンヌ映画祭で監督賞に輝いた最
新作。モロッコ、メキシコ、東京で進む物語が、関わる人々
の心と心の繋がりの喪失と再生を紡ぎ出す。
物語の発端はモロッコの砂漠地帯。ジャッカルを撃つため、
羊飼いの幼い兄弟に渡されたライフルから、1発の銃弾が発
射される。
一方、カリフォルニア州の南部サンディエゴの住宅では、両
親が海外旅行中の幼い兄妹の世話を任された乳母のメキシコ
人女性が、メキシコで行われる息子の結婚式に帰るため、替
りのベビーシッターを探すがなかなか見つからない。
さらに東京では、聾の女子高生が父親と2人で住む高層マン
ションに、刑事が父親と話したいと訪ねてくる。そしてモロ
ッコでは、負傷したアメリカ人女性を乗せた観光バスが砂漠
で立ち往生している。
モロッコでは英語、フランス語とベルベル語、アラビア語、
メキシコでは英語とスペイン語、日本では手話と日本語、題
名の基となった「バベルの塔」さながらにいろいろな言語が
飛び交い、もどかしいコミュニケーションが行われる中で、
心と心の繋がりが喪失し、再生する。
3大陸を縦横無尽に行き来するこの複雑な物語の中で、実は
1本の電話やテレビ画面がその繋がり合いを紐解いて行く。
そしてその全ての繋がりの判る瞬間が、何とも言えない心を
打たれる瞬間に繋がっている。
時間の流れを複雑に入り組ませるのは、最近の映画の流行で
もあるが、それがちゃんと纏まっている作品は多くはない。
ましてや、その一瞬に全ての物語が1本の線に纏まり、そこ
に感動も生じさせるこの作品は、映画の醍醐味を感じさせて
くれるものだ。
すでに報道されているようにこの作品では、日本編の菊地凛
子と、メキシコ編のアドリアナ・バラッザがアカデミー賞の
助演女優賞候補になっている。しかし映画を見ていると、何
故この2人が主演賞候補ではないのかとも、疑問に感じてし
まうところだ。
ただしこの作品では、モロッコ編のブラッド・ピットもゴー
ルデン・グローブでは助演賞候補に挙げられていたもので、
結局、この映画の主役は物語そのものであって、俳優ではな
いという感じもしてくる。
アカデミー賞では、助演女優の他に、作品、監督、脚本、編
集、作曲賞でも候補になっているが、菊地凛子の演技ぶりに
は感動もしたし、受賞も期待したいところだ。

『蟲師』
漆原友紀原作の漫画を基に、『スチーム・ボーイ』などの大
友克洋監督が1991年『ワールド・アパートメント・ホラー』
以来、約15年ぶりに撮った実写作品。昨年のヴェネチア映画
祭でワールドプレミア上映された。
100年ほど昔の話。「蟲」とはその頃はまだ日本中にいた神
秘的な生命体のこと。それは悪霊や精霊とも違うが、時とし
て人間にとり憑き、不可思議な現象を引き起こす。そして、
そんな蟲に憑かれた人を癒すための蟲師と呼ばれる者たちも
活動していた。
主人公のギンコは、自らも蟲を呼び寄せる体質を持つ蟲師。
そのため日本中を旅して、蟲に憑かれた人々を癒してきた。
ところがある日、蟲の記録を書にして巻物に封じる能力を持
つ女性・淡幽の屋敷から急な呼び出しがあり、訪れると、淡
幽が謎の高熱を発し倒れていた。その謎を解くため書庫に入
ったギンコに、巻物に封じられた蟲たちが襲いかかる。
このギンコ役をオダギリ・ジョー、淡幽役を蒼井優が演じる
他、大森南朋、江角マキコ、りりィ、李麗仙らが共演。
物語の展開上、ほとんどのシーンは大自然を背景に描かれる
が、その背景を得るために総走行距離5万キロにおよぶロケ
ハンが行われたということだ。そして最終的に選ばれたロケ
地は、一部は機材をヘリコプターで運搬する程の山奥だった
りもしたようだが、その効果は充分に映画に現れている。
試写会の舞台挨拶で監督は、「探せば意外とあるものです」
と語っていたが、それでもそれを探し出し、そこでロケ撮影
を敢行する熱意は感じ取りたいところだ。
一方、実在しない蟲の映像化はCGIで行われているものだ
が、昆虫的なものから書に変化したものまで、多様な蟲が見
事に描き出されている。特に、オダギリや蒼井の顔面や身体
を這い回る書と化した蟲は、無気味ではあってもグロテスク
ではなく、その辺の表現も見事だった。
因に、オダキリ、江角、大森の配役は、監督や原作者の希望
とされているが、蒼井に関してはオーディションで選ばれた
ものだそうだ。2005年8〜11月の撮影時期から考えると、ま
だブレイク以前のことのようだが、初々しくて、正に最適な
配役を得たと言えそうだ。

『さくらん』
女流写真家の蜷川実花が、安野モモコの原作とタナダユキの
脚本、土屋アンナの主演を得て作り上げた江戸・吉原の遊郭
を舞台にした作品。2月開催のベルリン映画祭で特別招待作
品のオープニングを飾る。
江戸・吉原。華やかな花魁道中の横を、1人の少女が女衒に
連れられ通り抜けて行く。そしてその先の玉菊屋という見世
に預けられた8歳の少女は、「きよ葉」と名付けられて禿と
なり、花魁への道を歩み始める。
吉原と言われると、落語などでもいろいろ聞いてきたから、
それなりの予備知識は持っていたつもりだが、いざ映像で見
せられると、成程こんなだったのかと目を見張る部分も多か
った。
と言っても、ここに登場する吉原は、安野、タナダ、蜷川の
感性で再構築されたもので、実物とは違うのだろうと思いつ
つ、それでもその色彩感覚や造形の素晴らしさには、こんな
吉原があってもいいんじゃないかと思わせてしまう世界だ。
もちろん描かれるのは遊女の世界、きれいごとの話ばかりで
はないし、騙し騙されの男女の物語も展開する。しかし主人
公のきよ葉=後に日暮は、客に「なめんじゃねえよ」と言い
放ち、気に入らない遊女には飛び蹴りを食らわせるという規
格外れの豪快さ。
そんな主人公をど真中に据えて、ちょっと不思議な感覚の青
春映画が展開される。もちろん遊郭という特殊な世界の話で
はあるのだけれど、逆にその特殊さが、不思議だけれど現代
社会には通じてしまいそうな、そんな感覚も覚えた。
そして物語は、落語の「紺屋高尾」や「品川心中」などの遊
郭噺にでも出てきそうな生き生きとした人間模様が描き出さ
れ、その感覚も僕には嬉しいものだった。
出演者は、豪快な花魁を見事に演じた土屋を筆頭に、椎名桔
平、成宮寛貴、木村佳乃、菅野美穂、石橋蓮司、夏木マリ、
市川左團次、安藤政信、永瀬正敏、美波、山本浩司、遠藤憲
一、小泉今日子。
また美術スタッフとして、美術の岩城南海子、衣装スタイリ
ストの伊賀大介、杉山優子、花の東信、グラフィックデザイ
ンのタイクーングラフィックスなど、30歳前後の若い顔ぶれ
が揃っているのも魅力的な作品だった。

『ママの遺したラヴソング』
            “A Love Song for Bobby Long”
スカーレット・ヨハンソンとジョン・トラヴォルタ共演作。
ヨハンソンは一昨年のゴールデングローブ賞で主演女優賞候
補に選ばれた。
ニューオーリンズで1人の女性の葬儀が営まれる。その葬儀
の参集者は少ないが、みな彼女を愛していたようだ。そして
その訃報は数日後に娘のパーシーに伝えられる。遅延は、彼
女のボーイフレンドが伝言を怠ったためで、彼女は直ちに亡
き母の暮らした町へと向かう。
実は、彼女は幼い頃に母親と別れ、祖母に育てられていた。
そんな母子だったが、母親は彼女に住んでいた家を遺してい
た。ところがその家には2人の見知らぬ男たちがおり、彼ら
はその家をパーシーと共に母親から相続したと主張する。
パーシーは、仕方なく彼ら同居することになるが…元は大学
の文学部教授だったボビーと、彼の教え子で作家志望のロー
ソンというその2人は、アル中の上に落ちぶれ切った風情。
こんな3人が反目し合いながらも共同生活を続けて行く。
1968年に映画化もされたカーソン・マッカラーズの『心は孤
独な狩人』が繰り返し登場して、人の孤独についての物語が
描き出される。母親との思い出を持たないパーシーと、家族
に捨てられたボビー。そしてある理由からボビーの許を離れ
られないローソン。
現代人にとって「孤独」というのは大きな関心事かも知れな
い。周囲にどんなに多くの人がいても、心を通わすことが出
来なければ、それはいないも同然だ。そんな心に孤独を抱え
た3人が、その孤独から脱却しようともがき続ける。
1984年生まれのヨハンソンは2000年頃からこの計画に参加、
本作が初監督のシェイニー・ゲイベルと共に4年越しで映画
化に漕ぎ着けたということだ。
従って物語のパーシーは高校を不登校という設定で始まって
いるが、そこから何年か経っているであろうという展開が、
さらに物語を深くしている感じもした。正に撮影当時20歳の
彼女にピッタリの物語という感じのものだ。
一方、トラヴォルタは、初老という設定が滲み出てくるよう
な雰囲気で、これも見事に演じ込まれている。また、劇中で
ギターを弾きながらの歌声などは、“Hairspray”でミュー
ジカルに戻ってくるのが本当に楽しみになってきた。
なお映画は、ジャズ発祥の地ニューオーリンズを舞台にして
いるだけあって、いろいろな種類の音楽に彩られており、そ
れも楽しめる作品となっている。また、ちょっと自虐的に使
われる各種の文学作品の引用も面白かった。

『しゃべれども しゃべれども』
TOKIOの国分太一が、二つ目の落語家に扮する青春ドラ
マ。監督は『学校の怪談』などの平山秀幸。
主人公の今昔亭三つ葉は、古典落語しか演じず普段も和装で
通すという一徹者。しかし、前座から二つ目になって暫くが
経つが真打ちには程遠く、師匠からは未だに自分の落語が物
にできていないと言われ続けている。
そんな三つ葉が、ひょんなことから、大阪から引っ越してき
た小学生と、無愛想が身に付いてしまった若い女性と、喋り
下手の野球解説者に落語を教えることになって…
落語は、昔TBS主催で国立小劇場で開かれていた落語会に
数年通った時期もあって、そこで園生、小さん、先代正蔵、
馬生、志ん朝、円楽、談志、柳朝などが演じた古典の有名な
話はほとんど聞いた記憶がある。
だから、この映画の中で伊東四朗と国分によって演じられる
「火焔太鼓」も、確か何回か聞いているはずで、落語会を聞
きに行かなくなってずいぶんが経つが、演じられる姿を見て
いて懐かしさが込み上げてきた。
もちろんかなりの大ネタとなる噺は、全編が見られるわけで
はないが、そのツボを押さえた編集は見せ場を巧妙に繋いだ
もので、全編を知っている者にはその間の省かれた部分も浮
かんでくるような見事なものだった。なお、伊東と国分は撮
影では全編を通して演じているそうで、DVDの特典映像に
でもなったら嬉しいところだ。
一方、大阪から引っ越してきた小学生を演じる森永悠希は、
桂枝雀の芸を写すという設定で、これが見事に枝雀を再現し
てくれる。ちょっと仰け反り気味の姿勢から、顔を歪めて大
げさに演じる「まんじゅうこわい」は正に生き写しで、ちょ
っと涙も滲んでしまった。これも全編を見てみたい。
落語のことばかり書いてしまったが、物語は、喋ることを仕
事にしていながら、他人に自分の想いを伝えることには無器
用な主人公が、そのもどかしさに怒りながら徐々に成長して
行く姿が描かれる。
そしてその物語は、佃島から浅草上野、神楽坂に池袋、西新
宿と、主に東京の北側で進められ、つまり、歌舞伎町や六本
木、渋谷といった最近の東京を象徴するスポットを排除する
ことによって、本物の東京の良さを再確認させてくれるよう
な作品になっていた。
他の出演者は、女性役で香里奈、解説者役で松重豊、主人公
の祖母役で八千草薫など。
公開は初夏、ほうずき市の頃にもう一度見てみたい作品だ。

『主人公は僕だった』“Stranger Than Fiction”
ハリー・ベリー主演の『チョコレート』や、ジョニー・デッ
プ主演の『ネバーランド』を手掛けてきたマーク・フォース
ター監督が、『プロデューサーズ』での怪演が記憶に新しい
ウィル・フェレルを主演に迎えて発表したちょっとファンタ
スティックな人間ドラマ。
主人公のハロルド・クリックは、国税局の調査官。数字や計
算には強いが、何でも数えてしまう性癖があり、1人暮らし
で同僚の友人はいるが恋人はなし、過去12年間、平日には毎
日を全く同じ行動の繰り返しで生活していた。
ところがある朝、いつもと同じ32本の歯を計76回みがき始め
たとき、彼の頭の中に女性の声が聞こえ始める。その声は、
彼の行動や考えていることをナレーションのように語り続け
る。そしてある切っ掛けから、その声が作家のもので、自分
が執筆中の小説の主人公であることに気が付くが…
一方、同じ町の別の一角では、1人の女流作家が10年ぶりに
執筆中の小説を完成させようとしていた。しかし最後に主人
公を死亡させる方法が決まらず、執筆は行き詰まっていた。
彼女の書く小説では、最後に主人公が死ぬのが決まりだった
のだ。
作家とその作品の登場人物とが交流するという展開は、SF
ファンには平井和正の『超革中』など目新しいものではない
が、この作品では、そこにさらに文学部の教授を配して謎解
きをさせるなど、うまく捻った展開に作り上げている。
脚本のザック・ヘルムは、長編は本作が処女作ということだ
が、この作品でナショナル・ボード・オブ・レビューの脚本
賞にも輝いたものだ。
フェレルの演技は、『エルフ』『奥様は魔女』などでもその
怪演ぶりは見事なものだが、本作ではその怪演を押さえて、
心に染みるような見事な演技を見せてくれる。監督の作品歴
からはそれも当然だが、そこにフェレルを填めてきたところ
も見所と言えそうだ。
共演者は、マギー・ギレンホール、ダスティン・ホフマン、
クィーン・ラティファ。そして作家役にエマ・トムプスン。
ホフマンの怪しげな教授ぶりも見事だが、互いに恋すること
に無器用なフェレルとギレンホールが、恋に落ちる瞬間は、
恋愛ドラマとしても出色のシーンだった。

『パフューム』“Perfume: The Story of a Murderer”
1985年に出版されたドイツで、15週連続で1位を記録したと
いうベストセラー小説の映画化。
時代は18世紀。類希なる嗅覚を持って生まれた1人の男が、
禁断の香水を作ろうとする。それは女体の発する香りを留め
た物。その香水を作り出すため、男は女体そのものから香料
を取り出す狂気の方法を編み出す。
いやはや何とも恐ろしい物語というか、映像的にはかなり卑
わいな描写もあるし、内容的にも不道徳な物語ではあるが、
もちろん虚構の物語を、ここまで丁寧に克明に描き出される
と、正しく映画を堪能したという気分にさせてくれる。
原作は、ベストセラーになった後、スピルバーグやスコセッ
シがその映画化権を競い合ったそうだが、原作者のパトリッ
ク・ジュースキントは、頑としてそれを受け付けなかったの
だそうだ。
しかし、『薔薇の名前』などのドイツ人プロデューサー=ベ
ルント・アイヒンガーがその獲得に乗り出し、2000年に映画
化権を設定。『ラン・ローラ・ラン』のトム・ティクヴァを
脚本監督に起用して、原作発表から21年を経て映画化が完成
されたものだ。
なお脚色には、アイヒンガーとティクヴァ監督に加えて『薔
薇の名前』を手掛けたアンドリュー・バーキンが参加。2年
間を費やして脚色されたものだ。しかも原作はドイツ語で、
物語の舞台はフランスとイタリアという作品だが、脚本は英
語で執筆されている。
出演は、主人公に今まであまり大きな役はないようだが『レ
イヤー・ケーキ』や、2005年の『ブライアン・ジョーンズ』
ではキース・リチャーズに扮しているという新人のベン・ウ
ィショー。彼に狙われるヒロイン役に、2003年『ピーター・
パン』でウェンディに扮したレイチェル・ハード=ウッド。
また、彼に調香の基礎を教える調香師役にダスティン・ホフ
マン。さらにヒロインの父親役にアラン・リックマンらが共
演している。
この配役は、脚本が英語だからこそ実現したものと考えられ
るが、実はこの作品では、舞台がヨーロッパ大陸であるにも
かかわらず英語の台詞があまり気にならなかった。物語が明
白に虚構であるということもあるのだろうが、名優の演技が
それを超越した部分もあるのかも知れない。自分でもちょっ
と意外に感じたものだ。
なお、クライマックスには750人が一斉に演技をするという
スペクタクルシーンが登場。迫力のシーンが作り上げられて
いる。


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井口健二