井口健二のOn the Production
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2006年12月20日(水) デジャ・ヴ、エンマ、孔雀、ピンチクリフ・グランプリ、フランシスコの2人の息子、モーツァルトとクジラ、輝く夜明けに向かって

『デジャ・ヴ』“Deja Vu”
『パイレーツ・オブ・カリビアン』の製作者ジェリー・ブラ
ッカイマー、『トップ・ガン』の監督トニー・スコット、そ
して主演はアカデミー賞を主演助演で各1回受賞のデンゼル
・ワシントンという最高の布陣で挑むミステリー。
ハリケーン・カテリーナの傷跡からようやく復興が始まった
ミシシッピー川下流の大都市ニューオリンズ。そこで、毎年
2月末日に行われる全米最大のカーニバル・マルディグラは
今年も盛大に行われようとしていた。
ところが、そのパレードに向かう乗客を満載したフェリー船
が爆発炎上し、死者500人を超える惨事となる。その捜査に
向かったATFの捜査官ダグ・カーリンは、直ちに爆発物の
証拠を収集し、テロ事件として捜査が開始される。
その捜査の機敏さに目を付けたFBIの特別捜査班が彼に協
力を求める。彼が案内されたのは、「タイム・ウィンドウ」
と呼ばれるモニター装置の前。そこには、7個のスパイ衛星
が感知した情報に基づく地上各地の映像が自在の視点から写
し出されるという。
しかし情報処理に時間が掛かり、見られるのは4日と6時間
前の映像で、しかもリピートはできない。そこで、現場の重
要ポイントをいち早く判断できるカーリンに協力が求められ
たのだ。
一方、その前にカーリンは、事件の鍵を握ると思われる若い
女性の遺体を発見しており、直ちに彼は「タイム・ウィンド
ウ」でその女性の家を写し出すように指示する。そこには、
4日前の元気な女性の姿が写し出されるが…
脚本は、『POTC』のテリー・ロッシオと新人のビル・マ
ーシリィが手掛けているが、実はマーシリィは、脚本家の卵
が集まるウェブのチャットルームでロッシオに見いだされた
ということで、以来4年掛けてこの脚本を仕上げている。
デジャ・ヴがパラレルワールドの記憶という説は、ジャック
・フィニーの“Time After Time”などでも採用されている
が、本作はそのアイデアを見事に完成させたものだ。実際、
完成までに4年を要したという脚本は、かなり周到に構築さ
れている。
しかもその結末には、SFファンとしては思わずやられたと
唸ってしまった。これはある意味、ハリウッド版『イルマー
レ』の裏返しなのだが、これこそが正しい結論と言えるもの
だ。その上、そこに持って行く演出の上手さが、それを際立
たせている。

前半のフェリーの爆発炎上シーンなどのVFXの見事さや、
「タイム・ウィンドウ」の映像の巧みさが映画を盛り上げて
いる。そういった意味で、見所満載の作品と言えるものだ。
ただし、あまりに男っぽい話で、サーヴィスカットのような
シーンを除いては、ほとんど色気も何もない。しかも、緻密
に構築された物語は、理科系のSF作家の作品の感じで、そ
の点では、一般の映画ファンには多少物足りない面もあるか
も知れない。
でも、SFファンとしては、今時こんなSF作品に出会える
とは…という感じで、本当に嬉しくなる作品だった。
なお、1回の鑑賞だけでは前半に振られているはずの伏線が
チャンとは確認できておらず、そのためもう一度見たいと思
っている。それが確認できたら、再度書くつもりだ。

『エンマ』
書籍取次会社の日本書籍販売(日販)が製作したヴィデオ作
品。
日販製作のヴィデオ作品は、すでに何本か見せてもらってい
るが、正直に言って今まではあまり気に入った作品の無いの
が現状だった。そんな中で今回の作品は、取り敢えず悪くは
ないと感じたものだ。
物語は渋谷の雑踏で始まる。その中に透明な液体と共に落と
されたハンカチ。そして主人公の若者は失神し、目覚めると
病院のベッドに寝かされていた。同じ部屋には、老若男女が
全部で6人、皆、直近の記憶を失っている。しかも病室には
鍵が掛けられている。
しかし、監視カメラらしきものがあるものの、医者が出入り
している様子はない。そんな状況の中で、刑事を自称する中
年の男が皆を尋問し始める。ところが、突然一人が苦しみだ
して死亡。そして徐々に記憶が甦り始めるが…
物語は、9月に紹介した『アンノウン』に似た感じだが、本
作の製作はいつごろのものか。プレス資料にはその辺のイン
フォメーションは紹介されていなかったが、時間的にヒント
を得たということはなさそうだ。
ただし、『ソウ』以降のソリッドシチュエーションスリラー
の流れを汲む作品であることは間違いない。一方、ビニール
袋に入った透明の液体にはオウムのサリンを連想させるとこ
ろがあり、その辺の無気味さは当時を知るものにはかなりの
インパクトだった。
とは言うものの、物語全体のテーマが今一つ見えてこない。
題名からして、多分エンマ大王による裁きが行われているの
だと思われるが、これによって犯罪者に地獄の苦しみが与え
られるものでもなく、ただ恐らく後悔の念は生まれるかも知
れないが、それもあまり明確なものではない。
脚本は、『シムソンズ』などを手掛けた大野敏哉、監督は、
『富豪刑事』などの長江俊和ということで、判って作ってい
るものだと思いたいところだが、正直に言って、本作の狙い
がサスペンスなのか、ホラーなのか明確でない感じだ。
それがサスペンスなら、話はぐちゃぐちゃでも構わないのだ
が、ホラーを狙うのなら、もう少し話をはっきりさせた方が
良い。
結局ホラーというのは、物語の中では理路整然としてるから
恐怖を生み出すもので、そこが曖昧だと恐怖感には繋がらな
い。何でもありでは、恐さも何もなくなってしまう。その辺
が日本の映画人には理解できていないことが多いようだ。


『孔雀』“孔雀”
文化大革命後の中国地方都市を舞台にした3人兄弟の物語。
長男と長女と次男の3人兄弟。長男は幼い頃の病で精神傷害
を負っており、両親はその長男に掛かり切りになっている。
そのため長女も次男も両親には不満を持っており、特に長女
には奇矯な行動が目立っている。
そんな長女が、落下傘部隊の降下訓練に遭遇し、1人の兵士
を好きになる。そして彼女は落下傘部隊に志願するのだが…
結局、夢破れた長女はその後もいろいろな男に手しては、失
敗を繰り返して行く。
一方、長男は、頭の弱いことでチンピラたちの餌食にされて
いるが、それを意に介することもない。そして街で見かけた
美女に心引かれたりもするのだが…やがて一つの恋に巡り会
うことになる。
そして次男は、真面目に学校に行き成績も優秀だったが、兄
の存在が負担となり、やがて街を出て行くことになる。
12年続いた文革が何の意味も残さず終りを告げ、人民に自由
が戻ってきたとき、人々はその自由の使い方を忘れていた、
という物語が展開するものだ。
物語の背景のことは、日本人である僕には正確には理解でき
ないが、ここに描かれているのは、そんな背景を超越した家
族の物語であり、長男の立場は別としても、長女と次男の心
情は、生活習慣の違いや国家体制の違いを越えて理解できる
気がした。
そしてその一家の暮らしぶりが、チャン・イーモウ監督や、
チェン・カイコー監督作品で撮影を担当してきたクー・チャ
ンウェイの初監督作品として見事に描き出される。
時代背景は1977年から数年間ということになるが、日本人の
目で見ると昭和30年代のような、そんな懐かしさも感じられ
る。もちろん異国の物語ではあるけれど、描かれる人間の心
の物語は、時代を超えて万国共通のものだ。
長女を演じるチャン・チンチューには、ポスト・チャン・ツ
ィイーの呼び声もあるようだが、ちょっとはにかんで見せる
仕種などには『初恋の来た道』のツィイーを思い出した。
なお、前半の降下訓練のシーンで、先に降りてきた女性兵士
がツィイーに極めて似ている感じがしたが、カメオの可能性
はあるのだろうか。ウェブのデータベースでは判らなかった
が、製作者のドン・ピンは、ツィイー主演の『グリーン・デ
ィスティニー』や『ジャスミンの花開く』の製作も手掛けて
いるものだ。

『ピンチクリフ・グランプリ』“Flaklypa-Grand Prix”
1975年に製作され、77年のモスクワ映画祭で児童映画部門の
グランプリと最優秀アニメーション作品賞を受賞。日本では
78年に一度公開された作品の再公開。
主人公は山の上に店を構える自転車修理屋。助手は楽天家で
行動力のあるカササギと、何事にも慎重なハリネズミ。
ある日、彼らは新聞で以前に主人公の弟子だった男が、最新
の技術を使って自動車レースに勝ち続けていることを知る。
しかしその技術は、実は主人公の許から盗んで行ったものだ
ったのだ。そこで主人公は、昔作り掛けたレースカーを完成
させ、盗まれた技術の名誉回復のため、自動車レースに参戦
して元弟子と闘うことを決意するのだが…
人形アニメーションという触れ込みだが、いわゆるコマ取り
のシーンもある一方で、ラジコンやワイアーで遠隔操演され
たものもあるなど、いろいろな技術が集大成されている。そ
の辺は今見ると判りやすいが、30年前によくそこまで思いつ
いたと感心するものだ。特にワイアーによる操演技術に関し
ては、ノルウェーで特許も取られているようだ。
内容は、前半の牧歌的な展開から、後半は白熱のレースシー
ンということで、その構成もよく考えられている。実際、今
見てもそれほど古臭さは感じられなかった。まあ、いい意味
のレトロなムードで充分に楽しめる作品ということだ。
実は、映画を製作したのは元家具職人ということで、その職
人芸というか、ディテールへのこだわりは見ていて楽しくな
るものだ。ジオラマ映画とでも呼びたくなる程の見事な風景
も展開する。
またカササギ(実はアヒルとのハーフという設定だそうだ)
や、ハリネズミなどの脇役の描き方も丁寧だし、さらに夢を
実現するためのいろいろな画策や、一方、敵による妨害工作
なども破綻なく描かれている。
もちろん児童映画の範疇の作品ではあるが、大人の鑑賞にも
充分に耐えられる。こういう手抜きのない製作態度は、ぜひ
今の人たちにも感じ取ってもらいたいものだ。
なお今回の再公開では、78年当時に制作された日本語吹替え
版もディジタルリマスターで再登場するが、その声優陣は、
八奈見乗児、野沢雅子、滝口順平、富田耕生、大平透、大塚
周夫、中西妙子、原田一夫、富山敬、横沢啓子。声優ファン
にはそれも話題になりそうだ。

『フランシスコの2人の息子』“2 Filhos de Francisco”
2005年のブラジル年間ヒットチャートでベスト10に3曲も送
り込んだという兄弟デュオ、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアー
ノの成功に至るまでの半生を描いた作品。
ゼゼことミロズマルは、ブラジルの農村地帯ゴイアス州で小
作農の長男として生まれる。父親のフランシスコは無類の音
楽好きで、すぐに第2子を産んで兄弟デュオとして売り出す
ことを夢見る。しかし子供は次々に産まれ、聖歌隊も出来そ
うな7人兄弟となる。
そしてフランシスコは、少し大きくなった長男に、最初はハ
ーモニカ、次には無けなしの財産を叩いてアコーディオンを
買い与え、さらに次男にはギターを持たせて、プロの音楽家
を目指すように環境を整える。
ところが、一家は地代を払わなかったために家を追われるこ
とになる。そして州都の都会にやって来た一家は、ぼろ屋に
住んで最低限の生活を始めるが、三男がポリオに罹るなども
あって、父親が工事現場で働く賃金では食べることもできな
くなる。
そこで、長男は次男と共にバスターミナルで歌い金を稼ぐよ
うになるが…。そこにちょっと怪しげなプロモーターが現れ
たり、悲劇に見舞われたり、録音してもレコードにならなか
ったり、自分の曲を他人が歌ってヒットさせたりと、失意の
日々が続いて行く。
と、何だかんだと言っても最終的には人気歌手になるのだか
ら、苦労はしただろうけど、結局は自慢話に見えてしまう。
ブラジルでは、『シティ・オブ・ゴッド』を越える大ヒット
だそうだが、それも歌手の人気の反映だから、作品の評価と
は違うものだ。
でもまあ、音楽映画というのは、その音楽が気に入ればそれ
だけでも楽しめてしまうもので、この作品の場合はセルタネ
ージョと呼ばれるブラジル版カントリーという感じの音楽だ
が、ちょっと哀愁のある曲調は心地よいものだった。
それに、映画の前半で兄弟の役を演じる子役2人が次々に歌
う歌声にも聞き惚れてしまった。また、歌詞が丁寧に字幕に
なっているので、その分、主人公たちの心情も判りやすく良
い感じだった。
8月に紹介した『Oiビシクレッタ』でも、一家の次男が歌
って稼ぐシーンがあったが、音楽好きのブラジル人は結構簡
単にお金を払ってくれるようだ。でもプロとしてヒット曲を
出すのは、沢山いるそういった少年たちに中の一握りなのだ
ろうし、そんな厳しさも、それなりに描かれていたようだ。
ブラジルの音楽シーンなどまるで知らないから、そういう興
味で見ることは出来ないが、劇中の音楽は心地よく、その意
味では気持ち良く楽しめる作品だった。

『モーツァルトとクジラ』“Mozart & the Whale”
アスペルガー症候群と呼ばれる知的障害を伴わない自閉症を
描いた実話に基づく作品。
主人公は、数字を見るといろいろ計算をしなければ気が済ま
なくなる性分。その計算は天才的に素早いものだが、周囲か
らは疎ましいものと取られ、結局、彼自身が世間との接触を
保てない自閉症となってしまう。
しかし、その点を除けば、彼自身は大学を優秀な成績で卒業
した学歴の持ち主で、そんな彼は、知的障害を持つ人も含め
た自閉症の患者を集めたサポートグループを独力で立上げて
いる。そしてそのグループに、やはりアスペルガー症候群の
一人の女性が現れたことから、彼の人生に転機が訪れる。
物語は実話に基づいているが、その実在の人物は自分が病気
だとは判らず、ある日、主治医から『レインマン』を見るよ
うに言われて、初めて自分の病気を知ったということだ。そ
して今回は、その彼の人生を、『レインマン』でオスカーを
受賞した脚本家のロン・バスが物語に仕立てたものだ。
彼自身は頭の中で計算を繰り返しているだけだから、僕らの
素人考えでは世間との折り合いもさほど難しくないように思
える。しかし実際は、世間の無理解が彼の症状を助長し、彼
を世間から締め出してしまっている。
そんな彼と世間との関係が、彼と同じ症状の女性との関係の
中で巧みに描かれて行く。映画は2人の関係を中心に描いて
いるが、各局面ではお互いの相手が世間を代表している感じ
で、世間の無理解ぶりが見事に描き出されているものだ。
ただし描かれているのは、ちょっと問題のある男女の恋愛物
語という感じで、多少並外れたところはあるが、ほとんどは
普通の人間でも思い当たるようなものばかりだ。従って、映
画自体は何も構えることなく観ることができるものだ。しか
し、どうしても構えて観ざるを得ないのが辛いところだ。
主演は、『ラッキーナンバー7』も同時期に公開されるジョ
シュ・ハートネットと、『サイレントヒル』などのラダ・ミ
ッチェル。監督は、ノルウェー人のピーター・ネスが手掛け
ている。

『輝く夜明けに向かって』“Catch a Fire”
1980年代の南アフリカを舞台に、アパルトヘイトに対抗する
ANC(アフリカ民族会議)による自由の戦士となったパト
リック・チャムーソの実話に基づく物語。
南アフリカ最大の製油所セクンダ。そこで監督の地位にある
チャムーソは、2人の娘と美しい妻に囲まれ、少年サッカー
チームを指導するなど充実した暮らしを楽しんでいた。
しかしある日、彼は友人の結婚式からの帰途で警察の検問に
遭い、近くの鉄道で起きたANCのテロの犯人と疑われて暴
行を受ける。その場は真犯人が捕えられて開放されるが、こ
の時、今までは「ラジオ・フリーダム」を聞くこともなかっ
た彼の心に何かが芽生える。
そして、彼の少年サッカーチームが大会で優勝した夜、彼が
ある女性の家を訪ねていたときに製油所で爆破テロが発生す
る。ところがアリバイを明かせない彼は、テロリストとして
公安部隊の拷問による取り調べを受けることになる。
それでも結局、濡れ衣は晴れるのだが、その間の公安部隊の
悪辣な行為は、彼をANCの自由の戦士へと導いて行く。
物語は、デレク・ルーク扮する黒人の主人公と、ティム・ロ
ビンスが演じる白人の公安部隊の大佐を対比して描いて行く
が、結局のところは、アパルトヘイトの上に踏ん反り返って
いた白人が、自らテロリストを造り出していたという現実が
明白にされているものだ。
つまりこれは、アメリカとイスラエルが、現在アラブ諸国で
やっていることと同じようにも見える。
もちろんテロはテロであって、映画の中では人命を傷つけな
いようにするなどと言い訳はされるが、許されることではな
い。しかしこの映画は、そのことを踏まえた上で、その根源
がどちらにあるかを訴えている。
なお、脚本は映画にも登場するANCの幹部だったジョー・
スロヴォの息子で、『ワールド・アパート』や『コレリ大尉
のマンドリン』などのショーン・スロヴォ。彼の姉のロビン
が、アンソニー・ミンゲラら共に製作を担当している。
製作総指揮はシドニー・ポラック、監督は、オーストラリア
人で、『パトリオット・ゲーム』や『裸足の1500マイル』な
どのフィリップ・ノイス。


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井口健二