井口健二のOn the Production
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2006年11月10日(金) 酒井家のしあわせ、めぐみ、沈黙の傭兵、恋人たちの失われた革命、パプリカ、ファミリー、華麗なる恋の舞台で

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『酒井家のしあわせ』
サンダンス・NHK国際映像作家賞・日本部門を2005年に受
賞した呉美保の監督デビュー作。この賞は脚本段階で選考さ
れるもので、大林宣彦監督の下にいたこともある呉は、フリ
ーランスのスクリプターをしながら脚本を書き上げ、栄冠に
輝いたということだ。
そしてその脚本を自らの初監督で映画化したものだ。
物語は、三重県伊賀上野が舞台。酒井家は、中学2年の息子
と5歳の娘を含む4人家族だが、実は母親は再婚で前の結婚
では夫と長男を事故で亡くしている。そして息子は先夫との
間の子で、娘は再婚後の子供だが、父親は別け隔てなく接し
ようとしている。
しかし息子は思春期で、両親の存在をウザク感じており、一
方、しつけに厳しい母親の態度に対しては、夫婦の間も何と
なく言い争いが日常茶飯時となっている状況だ。そんな家庭
の姿が、息子の目を通して語られて行く。
とまあ、ここまではどこにでもありそうな一家の風景なのだ
が、ある日、父親が突然ゲイをカミングアウトして家を出て
行ってしまったことから、一家に危機が訪れる。そして母親
は、その町を離れ、実家のある大阪へに引っ越しを決めるの
だが…
ちょっと普通ではありそうもない話だが、もしかしたらどこ
にでもあるかも知れない、そんな物語だ。家族の幸せを一番
に考える父親と、その考えを理解し切れていない家族。監督
は女性だが、僕にはこの父親の行動が何となく良く理解でき
るような気がした。
僕も同じ立場になったら、こんな行動も考えてしまうかも知
れない。ふとそんなことも考えてしまった。もちろん、物語
は映画的でやり過ぎのお話ではあるが。これがある種の男の
ロマンでもあるかもしれない、とも思えた。

出演は、息子役を3歳の時から芸歴があるという『血と骨』
などの森田直幸、父親役をユースケ・サンタマリア、母親役
を友近。そして幼い妹役が鍋本凪々美。実際に中学2年とい
う森田の演技が良く。また、両親役の2人も見事に填ってい
た。
他に、濱田マリ、栗原卓也、三浦誠己、谷村美月、本上まな
み、赤井英和、高知東生。
同級生を演じる栗原は、大阪府大会優勝経験もあるサッカー
少年だそうで、同じくサッカー好きという森田とのボールを
使ったシーンは様になっていた。また谷村は、「海賊版撲滅
キャンペーン」のキャラクターとしてお馴染みの顔だ。

『めぐみ』“Abduction: The Megumi Yokota Story”
北朝鮮による日本人拉致事件を、初めて日本人以外の目で追
ったドキュメンタリー。監督はアメリカ在住のクリス・シェ
リダンとパティ・キム夫妻。製作を『ピアノ・レッスン』な
どの女性監督ジェーン・カンピオンが手掛けている。
1977年11月15日朝、普段通り学校へ向かった少女は帰ってこ
なかった。当時13歳の少女・横田めぐみを襲った拉致事件。
認定被害者数16人とされるこの国際的陰謀を、彼女の両親で
ある滋、早紀江夫妻と、同じく被害者・増元るみ子の兄照明
の姿を中心にまとめている。
1977年というと、SF映画史的には『スター・ウォーズ』が
アメリカで公開された年だ。それからすでに30年が経過して
いる訳だが、それでもまだ歴史の中に織り込むには早過ぎる
という感じがする。現時点でも動いている事件という感じの
するものだ。
実際、新潟の事件が報道され、世間に知られるのは1997年の
ことだから、それからはまだ10年しか経っていない訳だが、
恐らくそれまで政府にも相手にされなかったものが、一転、
小泉パフォーマンスの材料にされるなど、政府に利用され続
けた事件とも言える。
彼女の生死を含め、北朝鮮が隠し続ける事件の全貌はいまだ
明らかでないし、その点ではこのドキュメンタリーも中途半
端な形で終わらざるを得ない。しかし、事件は決してうやむ
やにしてはいけないものだし、その意味でこの作品が世に出
ることには意義がある。
ただし日本人にとっては、ここに映される映像の大半は何度
も見てきたものの繰り返しに過ぎないし、新たに得られる情
報はほとんどない。さらにそのカメラの先にあるのは被害者
の家族ばかりで、それに対する政府の動きなどもほとんど描
かれない。
その点では大いに不満も感じるが、この作品がまず拉致事件
を世界に知らしめることを目的としたものであるとき、それ
は仕方のないことと考える。実際、この作品が来年のアカデ
ミー賞の候補にでもなったら、それは大きな力を生むことに
なるはずだ。
現時点で、北朝鮮以上に事件に幕を引きたがっているのは、
北朝鮮への食料支援名目の農作物の買い付けにより農家票を
獲得したい政府与党のように思えるが、この作品が世界の世
論を動かして、事件の幕引きを阻止してくれることを期待し
たい。

『沈黙の傭兵』“Mercenary for Jstice”
スティーヴン・セガール主演によるアクション作品。
『沈黙』シリーズ最新作と銘打たれるが、以前にも書いたよ
うに別段主人公などが共通するシリーズという訳ではない。
それにしても、この『沈黙』という冠を最初に付けたのは、
1992年“Under Siege”の邦題を『沈黙の戦艦』としたワー
ナーだが、はっきり言って台詞廻しが下手で寡黙になりがち
なセガールの作品には、見事に填ったものだ。
ということで、今回のセガールの役柄は、CIAの手先とな
って隠密任務を遂行する傭兵部隊のリーダー。折しもアフリ
カの独裁国の内乱で、民主化を目指す反政府側に加担してい
るが、実はその裏では利権を巡る取り引きも進んでいた。
しかし主人公たちは、そんな裏取り引きには関知せず、犠牲
者を出しながらも上層部からの命令のままに任務を成し遂げ
る。と言っても寄せ集めの傭兵部隊は、内部のいさかいも絶
えず、そんな中で主人公は、信頼できる一部の人間を核に任
務を遂行して行くものだ。
そして、次ぎなる任務として、南アフリカの最高難度の刑務
所に収監された男の奪還作戦が命じられる。しかしそれもま
た利権に絡むもので、それを察知した主人公は…しかも守ら
なければならない戦友の家族を人質に取られて…そんな複雑
な状況の中で作戦が繰り広げられる。
まあ単純にアクション映画だし、展開には多少無理があるに
しても、見ている間だけ楽しめればそれで良いという作品。
その意味ではかなり楽しめるし、見た後の爽快感もそれなり
に感じられる。それだけあれば充分だろう。
それに今回は、特に前半の戦場のシーンなどはかなり大掛か
りで、それも充分に楽しめる。基本的に戦争映画は好きでは
ないが、この作品は戦争の是非などを描くものではないし、
ましてや戦争を美化するような英雄的な描き方もしていない
から、その意味では気楽に楽しめた。
製作は、『沈黙の聖戦』『…標的』『…脱獄』に続けてラン
ダル・エメットとジョージ・ファーラ。『悪魔の棲む家』の
リメイクに参加、“Day of the Dead”“Red Sonja”などの
リメイクも計画して、最近のアクション映画では特に注目を
集める2人のお陰で、セガールも存分に力を発揮できるよう
になったようだ。

『恋人たちの失われた革命』“Les Amants Reguliers”
1968年のカルチェラタン闘争を発端に、最終的な年号の表示
はなかったが、恐らく1970年までの3年間のパリの若者たち
の姿を描いた上映時間3時間2分、モノクロ・スタンダード
の作品。
監督・脚本のフィリップ・ガレルは1948年の生まれだから、
1968年にはちょうど20歳。そしてこの映画の主人公のフラン
ソワも20歳の設定という作品だ。
16歳のときから作品を発表している監督は、この当時はすで
に認められた存在で、そんな監督と学生運動との関わりがど
うであったかは判らないが、この作品が監督による当時の出
来事に対するオマージュであることは間違いない。
物語は、カルチェラタンの闘争に参加して革命を叫びながら
も、結局、革命は成就せずに挫折を味わった当時の若者たち
の姿を写して行く。
主人公は20歳だが、詩人として有望視されており(当時の監
督の分身というところだろう)、闘争の後は、画家や彫刻家
などの芸術家のグループの一員となっている。しかしそのグ
ループは、革命の挫折を繰り言のように話しながら、やがて
はヘロインなどの麻薬に溺れる集団になってしまう。
そんな中で主人公は、彫刻家の恋人を得て、いつしか将来を
夢見るようになるのだが…
日本での学生運動は1969年がピークで、監督より1歳下の僕
はちょうどそのさ中を大学生として体験してきたものだが、
日本の場合は、70年安保は最初から止めようもないと諦めて
いたし、その後に成田などもあったから、それほどの挫折感
は持たなかった。
それに比べると、フランスの学生は本当に革命を夢見、挫折
して行ったことが、この作品でよく判った。そんな中で、主
人公の祖父が挫折感を漂わす孫に檄を飛ばすシーンなどは、
ちょっと微笑ましくも感じられた。因に、主人公とその祖父
は、監督の息子と父親が演じているものだ。
ただし、映画はそれぞれのシーンをかなりの長廻しでじっく
りと撮っているもので、懐かしさを持て見られる僕にはそれ
なりに入って行けたものだが、そうでないとちょっと取っ掛
かりがきついかも知れない。でもまあ、こんな時代が40年前
にあったということを理解してほしいとは思ったものだ。

『パプリカ』
1991年に雑誌連載で発表された筒井康隆の原作小説を、『東
京ゴッドファーザーズ』などの今敏が脚色、監督したアニメ
ーション作品。
他人の夢の中に入り込む装置SDミニの開発を巡って、その
未完成の装置が盗難・悪用されて、装置の暴走により現実と
夢が入り混じり始めた世界を描く。
パプリカとは、この物語の主人公で、装置を使って相手の夢
に入り込み精神分析を行う女性の呼び名。ところがある日、
最終調整の済んでいない装置が盗難に遭い、その装置に関わ
ったことのある人々の現実の中に夢が侵入し始める。
それは最初に装置の開発を行ってきた研究所の所長を襲い、
次いで開発の中心人物だった天才科学者も襲われる。この事
態にパプリカは、昏睡した科学者の夢に乗り込み、その根源
となっている夢を探し出して、盗まれた装置の所在を突き止
めようとするが…
先に『悪夢探偵』を紹介したばかりだが、本作は悪夢と言う
より誇大妄想狂の造り出した夢世界で、何しろ次から次に奇
っ怪なものが登場してくる。その映像はパレードの形で表現
されるが、いろいろなものが列を為して練り歩く姿は見もの
だった。
夢を描く映像というのは、イマジネーションの極致とも言え
るもので、生半可な作りでは観客を満足させられない。この
作品の場合は、原作にある程度のことまでは書かれていると
は言うものの、これはまさに原作者の頭の中を覗いている感
覚で、筒井康隆の奔放なイマジネーションが見事に映像化さ
れたものだ。
それはまた、生物でないもののが生物化したり、メタモルフ
ォーズや液状化など、まさにアニメーションの世界そのもの
と言えるもので、最近はCGIなどで実写でもかなりの映像
が造り出せるが、この作品こそは、アニメーションの特性が
最も活かされた作品と言うことができそうだ。
また最近のアニメーションでは、実写でもできると思わせる
作品も見かけるが、この作品はアニメーションだからこそ、
と言える感じのものだ。それに、2面性を持ったパプリカの
愛らしさやセクシーさも、なかなか生身の俳優では描き出せ
るものではない。
また、作品には映画青年の夢みたいなものも描かれていて、
その点でも気に入った。さらにプロの声優たちに交じって、
筒井、今の声の登場も聞き物となっている。

『ファミリー』(韓国映画)
窃盗と傷害で3年の刑に服した女性が保護観察付きで出所し
てくる。彼女は、保護官の斡旋で美容院に勤め始める。美容
師は彼女の幼い頃からの夢だ。
そんな彼女が自宅に戻ったとき、歓迎してくれたのは、収監
中は日本へ語学勉強に行っていると聞かされてきた幼い弟だ
けで、父親は早く家を出て行ってくれと言い放つ。彼女もま
た、今は亡き母親の苦難を言い出し、父親との仲の悪さが描
かれる。
ここで彼女が改心していればまだ救いようもあるのだが、彼
女はその足で昔蔓んでいたやくざの許を訪れるといった有り
様だ。しかも、そこでも彼女は、収監前に事務所の金が紛失
したことを疑われて、ボスに殴り飛ばされる。
そんなどうしようもない娘でも、父親にとっては我が子であ
り、最後には許さざるを得ない。そしてその父親が白血病で
余命いくばくもないことが判ったとき、彼女は初めて父親の
愛の大きさに気付かされる。
父親が彼女のために出世を棒に振った元刑事であったり、弟
が本当に弟であるのかどうかなど、いろいろなサブプロット
も絡めて、かなり激烈な物語が展開する。
まあ、いくらなんでも話を作り過ぎているという感じもする
が、これが映画というものだろうし、仮にこういうシチュエ
ーションがあったら、こうなってしまうだろうなあという程
度には、話も出来ているものだ。その分、結末は見えてしま
うものだが…
主演は、韓国テレビで「涙の女王」と称されるスエ、映画は
初主演。父親役は、『友へ チング』でも主人公の父親を演
じていたチュ・ヒョン。そして「弟」役を、『奇跡の夏』の
パク・チピンが出演しているが、実は本作の方が先に撮られ
たもので、これがデビュー作だったということだ。
韓国では2004年に公開、『ブラザーフッド』『オールド・ボ
ーイ』などの男性映画を相手に回して、女性主演の作品では
最高の200万人の観客動員を記録したとされている。なお、
韓国映画で家族を描いた作品では、父子または母子の片親で
あることが圧倒的に多いそうだ。理由は不明のようだが。

『華麗なる恋の舞台で』“Being Julia”
サマセット・モームが1937年に発表した『劇場』を、『戦場
のピアニスト』でアカデミー賞脚本賞受賞のロナウド・ハー
ウッドが脚色。ハンガリー出身で『太陽の雫』などのイシュ
トヴァン・サボーが監督した作品。
1930年代のロンドン・ウェストエンドを舞台に、人気絶頂だ
が美貌が気になり始めているスター女優と、彼女を取り巻く
人々を描く。
彼女の名前はジュリア。スター女優らしく奔放な生活を続け
るジュリアだが、興行主で舞台監督の夫は、暖かくそれを見
守っている。そして、彼女はパトロンとも優雅なときを過ご
すなど、満ち足りた人生だが、そろそろ美貌の衰えが気にな
っている。
そんなある日、夫の許に興行経営術を学びにアメリカ人の青
年が現れる。彼女の大ファンだという青年は、彼女を自宅で
のお茶に誘い、情熱的に彼女に迫ってくる。そしてベッドを
共にしたジュリアは、舞台での演技にも一層輝きを増すこと
になるが…
程なく青年には若い女優の愛人が登場し、その愛人をジュリ
アが次に予定している舞台の共演者にと推薦してくる。しか
も、野心家の愛人はジュリアの夫にも手を伸ばしているよう
で、夫の演出は彼女にばかりスポットライトを当てているよ
うにも見える。
そんな状況にジュリアは為す術もなく従ってしまうのだが…
このジュリア役をアネット・ベニングが演じて、昨年のアカ
デミー賞で主演女優賞候補にもなった作品だ。そして彼女の
周囲を、ジェレミー・アイアンズ、マイクル・ガンボン、ミ
リアム・マーゴリーズ、ジュリエット・スティーヴンスンら
イギリス演技陣が固める。
つまり、ロンドンの演劇界が舞台の作品にアメリカ人の女優
が主演している訳だが、なるほどこの華やかさはハリウッド
スターという感じのもので、周囲の堅実な演技の仲で一層華
やいで見える仕組みのものだ。
物語は、モーム原作らしくユーモアと皮肉に満ちたもので、
この原作からハーウッドは、最後に思わず喝采してしまうほ
どの痛快なものに仕上げている。見終って直ぐもう一度見た
くなるような作品だった。
なお、個人的な話だが、映画の登場人物がビールを注文する
際に、beer a pintと言っているのが嬉しかった。
これは以前にイギリス旅行をしたときの体験だが、レストラ
ンで昼食にビールを飲もうとして、普通に頼むとhalf pint
でしか出てこない。それではちょっと物足りなくて、お変わ
りを頼めばいいのだが、それもまだるっこしい。
それが2日目に隣のテーブルの人が、beer a pintと言って
いるのが聞こえてきた。1英パイントは約0.56リットルで、
昼食に飲むには手頃だったものだ。その後はそうやって飲ん
でいたが、何日目かにアメリカ人らしい旅行客の男性が、う
らやましそうに僕を見ながら小さいグラスで飲んでいるのを
見て、優越感に浸った思い出もある。
そんな訳で、この台詞には嬉しくなってしまったものだ。


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井口健二