井口健二のOn the Production
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2006年11月05日(日) 東京国際映画祭2006コンペティションその1

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※このページでは、東京国際映画祭のコンペティションで※
※上映された作品から紹介します。          ※
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『魂萌え!』
今年も日本からは2本選出された内の1本。桐野夏生の原作
を、『亡国のイージス』などの阪本順治が脚色監督した。
主人公は59歳の専業主婦。夫は定年退職となったが、かと言
って彼女自身の生活はあまり変わるものでもない。しかし、
突然夫が他界して告別式も終った日、夫の携帯電話が鳴りだ
して、受信すると親しげな女性の声が聞こえてきた。
一方、夫が趣味と言っていた蕎麦作りの会には毎週通ってい
たはずなのに、弔問に訪れた会長の言葉では、最近はあまり
顔を出していなかったという。果たして毎週出かけていた夫
は、その間どこで何をしていたのか。
これに、アメリカに渡ったままだった長男が葬儀で帰国する
や遺産相続として家屋を要求したり、見ず知らずだった老女
の面倒を見ることになったりと、平凡だった主婦の生活に、
ジェットコースターのような波乱が巻き起こる。
まさに波乱万丈という感じのお話だが、僕自身が主人公と同
じ団塊の世代の人間として周囲を見渡すと、これが結構思い
当たるような部分も多々あるものだ。それに物語には多分に
痛快な要素も含まれていて、見ていて拍手を贈りたくなるよ
うな作品だった。
正直に言って、死んだ夫も含めて、僕が男として共感を呼べ
るような男性は出て来なかったが、妻がこんな風に元気でい
てくれるのなら、僕も先に逝ってしまっても良いかなとも思
えて、何だかほっとさせてくれる作品でもあった。
なお映画の後半には、映画ファンにはサーヴィスのような展
開もあって、それも嬉しく感じられるところだった。

『ロケット』
20世紀前半にロケットの愛称で親しまれた実在のフランス系
カナダ人のアイスホッケー選手、モーリス・リシャールの半
生を追った作品。
フランス系であるがゆえにイギリス系が支配するスポーツ界
では数々の差別を受け、それでも前人未踏の大記録を打ち立
てたり、劣勢の試合を大逆転に導いたりする。そんな不屈の
闘志と何より闘争心を体現した選手。しかも彼自身は寡黙で
差別に異議を唱えることもなくゲームに邁進し続ける。
そんなリシャールだったが、選手としても絶頂期のある試合
中に、相手選手の悪質な行為に反撃した暴力行為でリーグか
ら出場停止処分が下される。そしてそれを理由にチームが彼
の解雇を決めたとき、それは同様の差別に欝積していた人々
の心に火を点ける。1955年3月17日、カナダ史にも名を残す
リシャール暴動が発生したのだ。
と言うリシャールの半生が、1932年からの戦前戦後の記録映
像も絡めて描かれる。映画ではドラマ部分もかなり色調を落
として描かれ、モノクロの記録映像との違和感も少なくなる
ように工夫されていた。また、一部には映画の出演者が記録
映像に合成されたりもして、それも良い感じだった。
ただ、これは日本語版だけの問題だが、仏英2言語で話され
ている台詞が字幕で区別されていない。このため映画の後半
で、それまでは英語でしか話さなかったコーチが、初めてメ
モを見ながらたどたどしいフランス語で選手を称えるシーン
は、本来なら最高に感動的なシーンとなるはずのものだが、
それが理解し難かったのは、少し残念な感じがした。

『アート・オブ・クライング』
1970年代前半のデンマーク・南ユトランド地方を舞台にした
家族のドラマ。
精神的に過敏で、直ぐに自殺を図ろうとする父親。そんな父
親に妻は諦め顔で、長男は家を出て都会で暮らし、長女は暴
走族と付き合っている。11歳の次男の主人公はそんな一家を
必死に纏めようとしているが、すでに家庭は崩壊寸前だ。
しかしその父親には、葬儀で会葬者全員が涙するほどの弔辞
を述べるという特技があった。そして父親がまた自殺を図っ
たとき、主人公は家族を平穏に保つため、父親が弔辞を述べ
る機会が増えるように、手を貸し始める。
この少年のキャラクターが実にユーモラスに見事に描かれて
おり、その意味では子役に勝る名優なしという類の作品だ。
しかし、いくら何でも物語がグロテスク過ぎる。物語では少
年が死を演出して行くことにもなる訳で、その辺の感覚が単
にお話として了解するには、ちょっと描き方が違うようにも
感じられた。
原作があるということだが、映画はそれぞれのシークェンス
ごとにテーマとなる登場人物がテロップで表示されるなど、
いろいろ面白い工夫もされているし、演出や俳優の演技にも
問題はない。その辺の手腕は充分にある監督と思われるが、
如何せん題材が過激すぎる。
主人公の少年を演じたヤニク・ローレンセンは芸達者だが、
煙草を吸ったりという描写は今時必要かどうかも疑問に感じ
た。それに、テーマの一部に近親相姦が描かれるのも、あま
り了解できるものではなかった。

『ドッグ・バイト・ドッグ』
日本の配給会社の出資で香港で製作された作品。ただし、製
作以外のスタッフキャストには日本人は一切関わっていない
ようだ。
カンボジアで孤児を集め、互いに殺し合いをさせて最強の殺
人者を育てる組織が送り出した殺し屋と、父親の背中を見て
警察に入った刑事との対決を描いたアクション作品。
この殺し屋をエディソン・チャン、刑事をサム・リーが演じ
る。他にラム・シューやペイ・ペイが共演。監督のソイ・チ
ェンは、すでにホラー映画などで実績を積んでいるというこ
とで、その意味では充分に名のあるスタッフキャストによる
作品と言える。
物語は対決する2人を交互に描くが、その内の殺し屋に関し
ては、ジェット・リーが主演した『ダニー・ザ・ドッグ』と
の共通点が否めない。そこで刑事も主人公になっている訳だ
が、こちらは憧れの的だった父親が実は汚職警官だったりと
いう、ちょっと食傷気味の展開となる。つまり、どちらもが
2番煎じの感じになってしまったものだ。
実際に、本作の企画とリー作品の公開との時間的な関係がど
のようであったのかは知らないが、僕はもっと殺し屋の話を
しっかりと描いて欲しかったと思うものだ。もちろんそれは
リー作品との類似点を指摘されてしまうものだが、それでも
カンボジアでの経緯などがもっと克明に描かれれば、充分に
勝負できる作品になったと思える。
それに比べて香港の刑事の話は如何にも陳腐で、取って付け
たような感じがしてならなかった。

『OSS117カイロ、スパイの巣窟』
1955年のエジプトを舞台に、各国入り乱れて繰り広げられる
スパイ合戦を描いたコメディ作品。
製作はフランス・ゴーモン社だが、巻頭のロゴマークにはそ
のモノクロ時代の古いものが使用され、それに続いて昔のラ
ンク映画を思わせる大きなドラが打ち鳴らされるというパロ
ディが登場。この辺から僕はニヤニヤし通しだった。
そしてプロローグはナチスドイツの機密を狙う作戦で、この
部分はモノクロで描かれるが、それに続く007を思わせる
タイトルから徐々に色彩が入ってきて、本編はカラーという
洒落た演出もあった。こういう遊び心で一杯の作品。
さらに舞台がエジプトということで、スエズ運河の景観が登
場するのだが、これが多分見事なCGIで、古い感じの運河
を昔のままの船が航行している様子には感心してしまった。
また、時代設定を50年代にしているために、植民地に対する
差別的な発言が繰り返されたり、その一方で、プレゼントと
称して大統領の写真を配るエピソードなどは、フランス人が
見たら、僕ら以上に笑えるものなのだろうが、その辺が充分
に理解できないのは悔しいところだ。
因に、OSS117シリーズは1960年代に何作か作られているが、
本作でそのシリーズ再開となるものかどうか。映画の最後で
は、次ぎはイラクでの作戦となっていたようだが…
それから、台詞では「ソビエト」と発言され、日本語字幕も
「ソビエト」となっていたシーンで、映画祭では決まりの英
語字幕にはそれが「ロシア」になっていた。アメリカの意向
なのか、その辺はちょっと奇異な感じがしたものだ。

『浜辺の女』
ホン・サンス監督による2004年の『男の未来は女だ』に続く
最新作。実は、映画祭の直前に行われたプレス向けの試写会
ではフィルムの到着が遅れて日本語字幕が付くかどうか微妙
な状態だった。一応字幕は間に合ったものだが。
映画監督が、シナリオ・ハンティングのために訪れた海浜の
リゾート地で繰り広げるアヴァンチュール。
そこには以前からの友人のスタッフも同行するが、そのスタ
ッフが連れて来た若い女性や、通り掛かりでインタヴューを
した女性など、次々に関係が結ばれて行く。しかもその行動
範囲が狭いために徐々に女性たちが交錯したり、ややこしく
なって行く。そんな他愛もない話が綴られる。
ホン・サンス監督は、前作でも映画監督を主人公にしていた
が、本作はそれに続く作品だ。ただし今回は前作で監督役の
キム・テウはスタッフの役となっている。
多分本作もシノプシスだけ書いて、台詞は現場で作り上げて
行ったものと思われるが、その場で展開される会話などは極
めて現実的で、その描写は面白く感じられた。
ただしこの種の即興的な作品では、その世界にうまく浸れる
かどうかでどうしても評価が別れてしまう。
その意味では、今回の作品は人物があまり動き回らないだけ
入りやすかった感じもするが、それほど派手な事件が起こる
訳でもないし、見終えて何だと言われれば、この通りとしか
答えられない。でもいろいろ交わされる会話には、かなり含
蓄もあって、僕は面白かったのだが。
なお、前作で過激だったセックス描写はかなり緩和された。

『考試』
中国北西部の黒龍江省第2の都市チチハルからさらに数10km
離れた場所にある扎龍自然保護区の湿原地帯を背景に、その
中にある村の小学校で唯一人の教師として20年間勤めた女性
と、彼女の4人の生徒とを巡る物語。
その小学校で、年に一度の全国一斉のテスト(考試)が行わ
れることになり、先生は徒歩で湿原を抜け、往復8時間を掛
けて町まで試験問題を取りに行く。しかしそのついでに町に
住む娘2人を訪ねた彼女は、娘の1人が火傷を負い、仕事に
就けなくなっていることを知る。
それを知った彼女は、家族を守るために町の学校への転勤を
願い出るのだが、そのためには考試で地域トップの成績を取
ることが求められる。しかしそれは、毎年優秀な成績を収め
ている彼女の学校の生徒たちにはた易いことだったが…
「湿原を徒歩で抜け」と書いたが、それは増水期には船も通
う水路を、船の運行できない渇水期に胸まであるゴム長靴を
穿いて掻き分けて行くと言うもの。そのために湿原の両側に
は着替えのための事務所も用意されている。
ちょっと信じられないような情景だが、実は物語は実話に基
づいており、主人公の先生も4人の生徒も全部本人たちが演
じているという作品だそうだ。従って中国には、今でもこん
な過酷な生活が残っているようだ。
それにしても、このような湿原なら、フロリダのエヴァーグ
レイズにあるようなプロペラ船を使えば、いつでも簡単に行
き来できそうなものだが、鳥類の棲む自然保護区では使用が
禁じられているのだろうか。

『グラフィティー』
モスクワの美術学生が、ふとした切っ掛けで田舎の村を訪れ
る。そこで村の幹部の肖像を入れた風景壁画を頼まれた主人
公は、気軽にそれを引き受けるのだが、描き始めるとそこに
肖像を入れてくれるように写真を持ってくる村人が現れる。
それに対して主人公は、卒業製作の期限が迫っているなど、
時間を気にするが、村人たちはお構いなしに次々に写真を持
って来始める。そして主人公は、それが村人たちにとっては
重大な意味を持つものであることに気付かされる。
その写真に写されているのは、その村で起きた戦闘や、チェ
チェン紛争、さらには遠くアフガニスタンなどで戦死した村
出身の若者たちの姿だったのだ。
映画では巻頭に主人公が町で落書きをしているところを咎め
られ、バイクや自転車に乗った若者たちの集団から逃げ惑う
シーンが描かれる。それはかなり見応えのアクションで、そ
んな軽い乗りの作品かと思わせたのだが、実際の作品はその
ような軽い作品では全くなかった。
実際にチェチェンやアフガニスタンなどでどれほどのロシア
の若者たちが命を落としたかは知らないが、この映画に描か
れたように、それによって老人ばかりが残され、活気を失っ
た村が多数存在することは想像できるところだ。
しかし、映画の巻頭に描かれているような若者では、そんな
事実さえ気にせずに暮らしているのが現実とのことで、この
作品はそんな現実を描くことを目的とした作品のようだ。
僕自身を含めて、戦争を知らない日本人には想像もできない
現実がここには存在している。

『2:37』
映画の巻頭で、1人の学生が自殺を図って自らを傷つけたこ
とが示唆される。その時刻が午後2時37分。そして物語は、
その朝からの5人の男女学生の行動を追い始める。
作品では、インタヴューと実写のシーンが交互に展開される
が、最初は冷静なインタヴューの発言が徐々に危うい物語を
紡ぎ始め、それに呼応するように実写のシーンでも最初写さ
れていたシーンの裏に潜む厳しい現実を描き出して行く。
映画は、自殺したのが誰かという謎解きの興味で観客を引っ
張って行くが、実は描き出されるのは、そんな謎解きのよう
な甘いものではなく、10代最後の時を迎えている若者たちが
直面する厳しい現実の姿だ。
そこには身体障害という自分自身が直面することの無いもの
もあるが、多くは将来や家族の問題、また妊娠やゲイなど、
現代社会においてはいつでも起こりうる現実的なものだ。
だからこそこの作品は、カンヌ映画祭で20分間ものスタンデ
ィングオベーションで称えられたのだが…ただし、映画を表
面的に見てしまうと、特に謎解きに絡めた辺りがどうしても
納得できない部分になってしまうものでもある。
でも実は、この作品の狙いは、こんな現実に晒されても生き
て行かなければならない残された若者たちを描くことであっ
て、自殺してしまうことが何の解決にもならないことを主張
しているものだ。
なお作品は、監督が19歳の時に書き上げた脚本を2年掛けて
完成させたということだが、物語だけでなく、各シークェン
スの時間軸を重複させて描く演出なども見事な作品だった。

『松が根乱射事件』
1990年代前半の物語。主人公は小さな村の平和を守る巡査。
ところがある日、村でひき逃げ事件が発生し、死んだと思わ
れていた被害者の女が息を吹き返す。そしてその女は退院す
ると、怪しげな男と共に、主人公の祖父が所有する空き家に
住み始める。
それは、主人公の双子の兄が許したらしいのだが、その後、
カップルはいろいろ怪しげな行動をし始める。このカップル
の行動を中心に、主人公の一家が遭遇するいろいろなエピソ
ードが綴られて行く。
脚本監督は、『リンダ・リンダ・リンダ』の山下敦弘。監督
自身がいろいろな見方ができる作品と称しているが、正直に
言って焦点が定まり切っていない作品で、観客として何を見
ていいのか判らない。
刹那的な面白さを見ればいいのかも知れないが、それにして
はあまり面白さを感じられなかったし、ブラックな笑いとい
うには、タブーや道徳感に挑戦するものでもなく、ちょっと
ブラックさが足りないような感じがする。
それに乱射事件という題名には、どうしても『ボウリング・
フォー・コロンバイン』のようなものを思い浮かべてしまう
訳で、それに対してこの映像は余りに弱すぎる。監督は多分
その辺も笑いの対象と考えているのだろうが、これでは笑わ
れるのは監督本人になってしまうものだ。
いずれにしても全体的に散漫な印象で、これはという見所を
見つけることができない作品だった。監督の前作は好きだっ
ただけにちょっと残念な感じがした。

『フォーギブネス』
1948年4月9日に約1000人の住民が虐殺されたというパレス
チナの村。その場所に立てられた精神病院。そこにはホロコ
ーストで精神を病んだユダヤ人の患者たちが収容されていた
が、治療の目的で村を発掘する作業に従事した患者の前に、
パレスチナ人の霊が現れ始める。
主人公は、アウシュビッツを生き延びてアメリカに渡り成功
した音楽家の息子。彼は志願してイスラエルの兵士となり、
パレスチナの街を警備中に障害を受けて、その精神病院に収
容されている。しかし心に受けた傷は深く、なかなか回復の
目処が立っていない。
そんな彼に、薬物により記憶を選択的にブロックし、精神的
な障害を取り除く治療法が提案される。この知らせに父親も
来院して治療が開始されるのだが、その彼の前にパレスチナ
人の霊が現れ、彼の負った傷の真実が明らかにされる。
この物語に、帰国後のニューヨークでの主人公とパレスチナ
女性との交流などが織り込まれ、時空を超えた物語が繰り広
げられる。
正直に言ってかなり複雑な物語で、物語の中でもどこまでが
真実でどこからが主人公の心の中なのかも判然としない。そ
して物語は、題名にあるように「許し」を描いたものという
のだが、それも何だかユダヤ側からの一方的な主張のような
感じで、釈然としないものだ。
少なくとも映画は、パレスチナ人に対して一方的に「許せ」
と言っているだけで、他方のドイツ人に対して「許す」とは
一言も言っていないもので、それにも納得できなかった。


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井口健二