井口健二のOn the Production
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2006年10月20日(金) 映画監督って何だ!、TANNKA、モンスター・ハウス、父親たちの星条旗、手紙、ナイトメアー・ビフォア・クリスマス−3D

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『映画監督って何だ!』
日本映画監督協会創立70周年記念映画と銘打たれた作品。
1970年施行の新著作権法第29条における「映画の著作権は映
画製作者に帰属する」という条項について、施行以来反対運
動を続けている日本監督協会の主張を、インタヴューや再現
ドラマを通じて検証したプロパガンダ作品。
映画の著作権の帰属については、1970年当時に問題にされた
ことは記憶にあるが、その後に何の進展もなかったというこ
とにまず驚かされた。この点は協会の運動不足が否めない感
じだ。それがようやく反対の意思表示をした作品を作り上げ
たというものだ。
その反対の根拠として、実は1970年法以前に施行されていた
1931年改正による旧著作権法では、「映画の著作権は最初に
監督に帰属し、その完成と同時に映画会社に移る」とする解
釈が成立していたということは改めて認識した。
本作では、その著作権法が、1970年の法改正に向けた国会審
議の中で歪められて行く過程が、国会議事録に基づく再現ド
ラマの中で克明に描かれている。その再現ドラマを始め、著
作権法を解説するコントなどが、約200人の映画監督のメイ
演技で演じられたものだ。
映画監督といっても、テレビのレポーターやコメンテーター
などで知った顔も多く、その人たちはそれなりの演技をして
いるから、見ていてわっと言うようなところはなかった。
ただし、五所平之介監督作品の脚本を3人の監督が独自の解
釈で撮り直し、監督の独自性を示すという試みは、準備不足
なのか多少無理があるように感じたし、江戸時代の長屋を舞
台にした法律の説明コントも、かえって判り難くしているよ
うにも感じられた。
これに対して、国会の再現ドラマは思いが込められているせ
いかかなりの熱演ぶりだ。中でも、藤本真澄東宝社長の審議
委員会での証言のシーンなどは、後で全面否定される部分も
含めて、こんな詭弁がまかり通っていたのかと驚かされた。
それでも結局は、共産党も含めた全会一致で法案は可決され
てしまうのだから、ここでも監督協会の力不足が再認識され
てしまう。今なら発言力のある監督も多いし、今からでもも
っと声を上げるべきではないのか、そんなことも感じた。
なお、藤本証言は、「戦後、映画製作者は戦犯として訴追さ
れたが、監督でその嫌疑をかけられた者はいない」とするも
の、しかしこれは、実際には戦犯ではなく、企業家に対する
公職追放の話で、それも3年で解除されたそうだ。
それに対して、「『黒い雪』や『愛のコリーダ』で監督は被
告席に立ったが、映画製作者は一人も訴追されなかった」と
言う意見にはなるほどと思わされた。
なお、エンディングでは、宇崎竜童が歌うラップによる日本
映画の題名100本以上を綴った主題歌が流れ、これはかなり
面白かった。

『TANNKA』
歌人の俵万智が読売新聞に連載した処女小説の映画化。
この原作から作詞家の阿木燿子が脚色し、映画監督デビュー
を飾った作品。
女性フリーライターとして活躍する主人公は33歳。不倫では
あるが男性カメラマンと9年越しの関係を持ち、仕事も恋も
充実した日々を送っていると思っている。ところがそこに若
い男性が現れ、彼の情熱に惑う彼女は、やがて自分の生き方
にも疑問を持ち始める。
僕は男だから描かれている女性の心理には判らないところが
多いが、結局彼女は、今回のことがなければ、不倫のまま満
足して一生を送れたのだろうか。確かに『地下鉄に乗って』
の常盤貴子の役もそんな女性のように思えるが、女性はこれ
に納得できるのかな?
男性の観客としては、そんなことを考えながら見終えた作品
だが、恐らく僕などは想定外の観客なのだろうし、本作は女
性が見て共感を呼ぶことができれば、それで充分なものだろ
う。その点は、残念ながら僕には判断できないところだ。
なお物語の要所には、過去に俵が発表した短歌の中からそれ
ぞれマッチしたものが選ばれて挿入されており、その感覚は
なかなか良いものだった。
主演は黒谷友香。その年上の恋人に村上弘明、年下の恋人に
黄川田将也が共演。特にモデル出身で、『SHINOBI』
などにも出ている黒谷のR−15指定を受けた体当たりの演技
には迫力があった。他に、高島礼子、西郷輝彦、萬田久子、
中山忍、本田博太郎。
また、音楽を阿木の夫の宇崎竜童が担当しており、アラビア
風の音楽をつけているが、この音楽に合わせたベリーダンス
は、もう少し見せてほしかったところだ。
我が家は読売新聞を購読しているので、原作は連載当時に気
になったが、男女の三角関係(triangle=トライアングル)
の物語に対して、わざわざ『トリアングル』と題名を振る感
覚に鳥肌が立って、読む気が起こらなかったものだ。
今回の映画化で、その題名を変えてくれたことにはほっとし
たが、ローマ字でNを重ねるのは何の意味なのだろう。ワー
プロではそうするが、後が母音でなければ1回で「ん」に変
換されるし、母音の時も「’」を付けるのが普通の表記法だ
ったと思うのだが?

『モンスター・ハウス』“Monster House”
ロバート・ゼメキスのイメージ・ムーヴァースとスティーヴ
ン・スピルバーグのアムブリンの共同製作によるCGIアニ
メーション。
とある住宅地の一角に建つ、見るからに恐ろしげな雰囲気の
漂う家。その家の住人は、芝生に入った子供たちを追い払っ
たり、飛び込んだおもちゃを取り上げたりして、子供が家に
近づくことを徹底して嫌っていた。
主人公は、その家の向かいに住む12歳のDJと幼友達のチャ
ウダー、そして名門校に通う優等生のジェニー。家が怪しい
と睨んで監視を続けていたDJは、チャウダーのバスケット
ボールが飛び込んだのをきっかけに、ついにその家が生きて
いることを発見する。
ところが警察や大人たちは、当然のようにそんなことは信じ
てくれない。しかもいろいろな経緯から、彼らは3人だけで
その家の謎を突き止めなければならなくなる。こうして、テ
ィーネイジャー直前、子供時代最後のハロウィンの大冒険が
始まる。
ゼメキス監督が、2004年にトム・ハンクスを主演に迎えて発
表した『ポーラー・エクスプレス』と同じく、俳優の演技を
モーションキャプチャーにより取り込んで製作されたCGI
アニメーション。
『ポーラー…』の時は、キャラクターも俳優に似せたため、
パフォーマンスキャプチャーという方式名も付けられたが、
今回は前作ほど俳優をそのまま取り込んではおらず、そのた
めか、技術紹介でも単にモーションキャプチャーとされてい
たようだ。
ただし、老人役のスティーヴ・ブシェミは、キャラクターも
かなり本人に似ている感じだし、演技も忠実に採られている
ように見えたものだ。しかし、その他のキャラクターは、一
般的なアニメキャラの雰囲気で描かれている。
実際の話、お子様向けの作品だし、これを『ポーラー…』並
みにリアルにすると、大林監督の『HOUSE』ようにかな
りグロテスクな作品になりそうで、その辺は周到に計算して
作られている感じだ。
なお、日本公開は来年1月13日だが、その際、関東は舞浜、
多摩、浦和美園の3館で昨年の『チキン・リトル』と同じ方
式による3D上映も行われる。試写会は2Dだったが、一種
胎内巡りの映像は、3Dにすると迫力はかなりすごそうだ。

『父親たちの星条旗』“Flags of Our Fathers”
第2次大戦末期の大激戦地・硫黄島を舞台に、ピュリツァー
賞を受賞し、銅像にもなっている有名な写真の誕生を巡る物
語と、その写真の登場人物であったために一躍英雄とされて
しまった男たちの戸惑いを描いた作品。
実際、この時の合衆国は、戦争資金が底を尽き、後一カ月も
したら日本の和平を申し入れなければならなかった状態だっ
たが、この一枚の写真が疲弊しかけていたアメリカ人に戦勝
意識を呼び起こし、彼らを最大限に利用した宣伝イヴェント
の効果もあって140億ドルもの国債を発行。戦争を勝利に導
いた功労者だったとも言われる。
逆に言えば、彼らとこの写真がなければ、広島、長崎に原爆
が落とされずに済んだかも知れないということにもなりそう
だ。
しかもこの写真が、実は摺鉢山に最初に旗を立てた兵士たち
のものではなく、ある意味やらせであったという事実や、英
雄として迎えられた3人の兵士たちがその事実を言えないた
めに苦しむ姿が丁寧に描かれ、戦争に賭けてその中で踊り続
ける政治家たちの愚かさも浮き彫りにしている。
原作は、写真に写され生き残った3人の内の1人、衛生兵ジ
ョン・ブラッドリーの息子によって書かれたものだが、実は
彼の父親は、生前には戦場でのことを息子には話したがらな
かったそうだ。そんな父親鋸とを、亡くなった後に取材して
纏められた作品という。
僕の父親もそうだが、戦場にいて本当の戦争を知っている人
たちは、戦争のことを口にはしたがらないようだ。そんな重
い口の奥にあった本当の戦争とそれを取り巻く政治や社会の
状況を描いた作品。
今年の春、会見嫌いのクリント・イーストウッドが日本では
初めて登壇した記者会見で、戦争の愚かさを強調していたこ
とを思い出し、監督の意志を再確認できる作品だった。
なお撮影は、現地の硫黄島でも行われているが、俳優のいる
シーンの多くはアイスランドで撮影されている。そして、島
の周囲を埋め尽くす艦船は全てディジタル・ドメイン制作の
CGIによるもので、その豪勢さは戦争が如何に金を浪費す
るものか、そんな感じも伝わってくる映像だった。
本作は東京国際映画祭のオープニングを飾った後、10月28日
から日本公開され、その後には同じイーストウッド監督によ
る日本軍側を描いた作品『硫黄島からの手紙』が12月8日の
公開となる。
今回の作品は、厳密には戦争を描いた映画ではないとも言え
る。しかし12月公開の作品では、正に戦争を描かざるを得な
いもので、そこで如何に戦争の愚かしさを描き切れるか、次
の作品も注目される。

『手紙』
『秘密』『変身』などの映画化作品でも知られる東野圭吾原
作の映画化。
上記の2本はいずれもファンタスティックなテーマを含んで
いたものだが、本作はその様な作品とは打って変わって、強
盗殺人の罪で無期懲役となっている兄を持つ男性の姿を描い
た、ある種の社会派ドラマとも言えるものだ。
主人公の兄は、空き巣のつもりで入った家で帰宅した家人と
遭遇し、刃物で反撃されて、その刃物で相手を刺殺してしま
う。そこには偶然の要素も多分に見られるが、罪名は強盗殺
人。それは無期懲役以上の罰を避けられない犯罪だった。
しかも弟にとってその兄は、両親のいない環境で自分に学が
なく苦労しために、弟にだけは大学進学をと、身体を壊して
まで働いてくれた人であり、たった一度の過ちが取り替えし
のつかない事態になってしまったことも明らかだった。
しかし、その兄が服役してからは、数多くの差別が弟の身に
降りかかる。そのため弟は、幾度も仕事場を追われ、住まい
を追われ続けている。物語は、そんな兄弟の間で交わされる
手紙の形式で始まる。そしてその手紙がいろいろなドラマを
生み出して行く。
そんな弟に対する差別が、理不尽なものであることは誰の目
にも明らかなものだ。しかし世間ではそんな差別がまかり通
っていることも明らかな事実だ。物語の中ではネットによる
卑劣な書き込みの話も登場するが、これなどは茶飯事に目に
するものだ。
かと言って、自分がそのような差別に対して何をしているか
と言われると、何も答えられないことも事実だろう。逆にそ
んな差別に逢わないよう汲々としているのが現実というとこ
ろだ。この作品はそんな差別に対する憤りが見事に描かれた
作品だ。
ただし物語は、主人公たちに対しても甘い目を向けているも
のではない。そこにある厳しい現実との対比は、主人公たち
にも非があることを明確にし、その中での救いは、自己が生
み出さなくてはいけないものであることも語っている。
最後に、ほんの少しだけの光明は描かれるが、主人公たちに
は厳しすぎる物語であるかも知れない。作者自身、映画化さ
れるとは思わなかったということだが、今の時代に、誰かが
言わなくてはいけないことをちゃんと言ってくれた、そんな
作品のように思えた。

『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス−3D』
         “The Nightmare Before Christmas:3D”
ティム・バートンの原案とキャラクターデザインで1993年に
発表された人形アニメーション作品の3Dヴァージョンによ
る再公開。
本作のオリジナルについては、2004年9月29日付で10周年記
念再公開の時に紹介しているもので、内容的にはその時の紹
介の通りだが、今回は既存2D作品の3D化ということで、
3Dファンにとっては一見の価値がある作品と言える。
後からの3D化では、夏に公開された『スーパーマン・リタ
ーンズ』のIMax上映でも一部行われたが、今回はオリジ
ナルが人形アニメーションなので、その立体化は撮影時のも
のを再現することになる。
因に人形アニメーションの作家たちは、常々3Dでないこと
を残念に思っているのだそうで、そんな作家たちの思いも伝
わってくる作品と言えるものだ。なお本作の3D化に当って
は、当時のスタッフたちの承認を得ながら作業が行われた。
その作業の苦労などはいろいろ伝えられているが、こればか
りは見てもらわないと何の価値もない生じないものだ。
日本公開は10月21日からだが、関東地区は、舞浜、多摩、浦
和美園の3カ所だけ。なぜ都心で行われないのか理由が判ら
ないが、チャンスがあったらぜひ見てほしい。


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井口健二