2006年09月10日(日) |
キング/罪の王、アタゴオルは猫の森、人生は奇跡の詩、シャギー・ドッグ、スキャナー・ダークリー、オーロラ、ライアンを探せ! |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『キング/罪の王』“The King” ハリー・ベリーにオスカーをもたらし、自らも脚本賞の候補 となった『チョコレート』のミロ・アディカの脚本を、『天 国の口、終りの楽園。』などのガエル・ガルシア・ベルナル 主演で映画化した作品。監督は、ドキュメンタリー出身のジ ェームズ・マーシュ。 脚本家は前作と同様、本作でもアメリカの抱える問題という か、社会の矛盾を鋭くえぐり出して見せる。前作も本作も、 物語の背景は特殊なシチュエーションではあるけれど、その 本質は、ある意味普遍的な人間の愛憎を描いたものだ。 映画の冒頭で、主人公は海軍を退役する。水兵だった彼は、 支給されていたM−1ライフルやセイラーのユニフォームを バッグに詰めてバスに乗り込み、テキサスのとある町を目指 す。そこでは、1人の牧師が熱狂的な信者の前で説話を繰り 広げていた。 主人公の目的はただ一つ、その牧師に家族として認めてもら うこと。彼の母親は、その牧師の精を受け彼を身籠もったの だ。しかし、主人公の話から事実を悟った牧師は、彼を冷た く拒絶する。それは現在の家族を守るためだったが…。そし て、その仕打ちに主人公は… Kingという単語を王様の意味で使うときは冠詞は付けないも のだ。だから“The King”という原題は、ただの王様を指す のではない。それはthe King of Kingsの意味とも取れる。 つまりキリスト教では全能の神のことだ。 物語の全体は復讐劇だが、主人公は恐らく最初から全てを計 画的に行ったものではないだろう。しかし、ある時点からは 明らかに全てを見通して行動を起して行く。だから、邦題の 『罪の王』というのも、その意味では的を突いたものだ。 牧師とその家族のシーンでは、ロック音楽まで演奏される最 近のアメリカの宗教の様子が描かれる。また、ダーウィン進 化論を否定するインテリジェント・デザインの理論なども紹 介される。そしてその牧師の取る行動の非情さなども克明に 描かれて行く。 映画の全体には聖書からの引用や暗喩の様なものも随所に見 られ、作品はキリスト教へのかなり強烈な批判のようにも取 れる。しかもそれが極めて巧みに描かれている。実際、平穏 な描写の中に点描的に描かれる事の異常さが見事な効果を出 している。 主人公の行動は、本来なら嫌悪すべきものだろう。しかし、 余りに強烈な物語に、その全てが吹き飛んでしまうような作 品でもある。特に、ガルシア・ベルナルの巧みな演技が、甘 いマスクとは裏腹な非情さを浮き彫りにして行く。 因に、物語の舞台となる町の名前は、コープス・クリスティ (キリストの死体=キリストが生きた証の意味だそうだ)。 町は実在し、映画は現地で撮影されている。
『アタゴオルは猫の森』 漫画家のますむらひろしが、1976年から書き続けている猫の ヒデヨシを主人公にした漫画シリーズのアニメーション化。 ピクサーやドリームワークス・アニメーションなどの海外作 品ではおなじみの3D−CGアニメーションだが、日本では 初の長編作品とのことだ。そのアニメーションは、『デス・ ノート』の死神リュークなども手掛けたデジタル・フロンテ ィアが制作している。 物語は、アタゴオルの森のお祭りの日、浮かれたヒデヨシは 湖の底から怪しい箱を引き上げ、食物が入っていないかと箱 をこじ開けてしまう。その箱にはブヨブヨした物体が入って いたが、それは地上の支配を狙う植物の女王だった。 こうして覚醒した植物の女王は、アタゴオルの住民たちを歌 声で酔わせ、住民たちを植物に変えてしまおうとする。しか し、食べることと遊ぶことにしか興味のないヒデヨシは、女 王の歌声にも惑わされることがない。 その一方で、女王の覚醒に合わせて植物の王・輝彦宮が誕生 する。しかし輝彦宮はまだ幼子で、これから女王と対抗する ため立派な父親の許で正しく成長しなければならなかったの だが…その輝彦宮はヒデヨシを父親に選んでしまう。 こうして、史上もっともいい加減な植物の王が誕生してしま うことに…、果たして輝彦宮は女王を倒し、地上を元の状態 に戻すことができるのか… 原作は初期のものしか知らないが、ヒデヨシのキャラクター は、山寺宏一の声も含めて、よく描かれている感じがした。 また本作では、石井竜也が音楽を担当して、作詞作曲による 7曲を提供しているが、米米CLUBでも知られる石井の楽 曲は見事に映画の雰囲気に填っていた。 これなら、恐らく原作のファンにも躊躇なく受け入れられる ことだろう。その意味では、この作品は極めて幸せな映像化 が行われたと言えそうだ。 と、ここまでは文句なしだが、物語の結末はこれで良かった のだろうかと考えてしまう。恐らくこの結末は、原作の通り で動かしようがなかったのだろうが、これでは最近の日本ア ニメと変わらないものになってしまった感じだ。まあ、本作 も日本アニメだから当然ではあるけれど… 実際、その直前までのヒデヨシのせりふでは、もっと違う結 末を期待したものだ。無い物ねだりは百も承知で言わせて貰 えれば、ここはヒデヨシの馬鹿パワーで、もっとあっけらか んとした結末でも良かったのではないかとも考えた。 でも、まあ映画自体は悪くはない。これでキャラクターのデ ータはできたのだから、もっと他の物語も作って欲しいと思 うところだ。
『人生は、奇跡の詩』“La Tigre e la neve” 1998年のアカデミー賞で主演男優賞に輝いた『ライフ・イズ ・ビューティフル』のロベルト・ベニーニ脚本、監督、主演 による2005年作品。ベニーニは2002年に『ピノッキオ』を発 表しているが、本作は『ライフ…』以来の人の愛情を全面に 描いた作品だ。 主人公は大学教授で詩人。最近出版した『タイガー・アンド ・スノー』と題された詩集も好評に迎えられ、大学の女性職 員から想いを寄せられて戸惑ったり、2人の娘の通学の送り 迎えを忘れたりすることはあるが、概ね順調な生活を送って いる。 しかし彼には一つの悩みがある。それは夜毎見る夢のこと。 その夢ではファンタスティックな結婚式が行われているが、 新郎の彼に素晴らしい愛の詩を捧げてくれる花嫁は、実在の 女性なのだ。しかも、かなり間近にいる。 そんな訳で、彼は彼女を理想の女性として愛を捧げようとす るのだが、彼女は全くつれない反応しか示してくれない。そ してある日、作家の彼女は、彼の友人でもあるイラク出身の 詩人の本を完成させるため、戦乱納まらない彼の国へと旅立 ってしまう。 とは言え、やがて帰ってくると信じていた彼の許に、ある夜 恐ろしい知らせが届く。彼女が爆発の巻き添えで意識不明の 重体となったというのだ。その知らせに彼は直ちに行動を起 し、戦乱のバグダッドへと彼女の救出に向かうのだが… そしてここからは、ベニーニ特有のユーモアに満ちた語り口 で、主人公の孤軍奮闘振りが描かれるのことになるのだが、 何しろ脳水腫で余命数時間という患者を、医薬品も何もない 状況で救うというのだから、これはもう大変な騒ぎだ。 しかもこれが、多分医学的に嘘はないと思うのだが、見た目 は極めて理論的に行われて行くのだから、その顛末は見事と しか言いようのない物語だった。 というところで、実は僕はプレス資料を読まずに映画を見て いたのだが、映画ではある事実が見事に隠されていて、ある 意味のシャマラン的な落ちが付いているものだった。ところ がこれがプレス資料の物語には完全に書かれていて、後で読 んで愕然としてしまった。 そんな訳でこの映画を見るときには、ぜひとも物語の紹介は 事前に読まずに見て欲しいのだが、こんなことを書くだけで やはりネタばれしてると言われてしまうのだろう。 『ライフ・イズ・ビューティフル』もそうだったが、ぜひこ の映画は、上記以外の物語は知らずに見て欲しい。そして、 物語を知った上でもう一度見て欲しい作品だ。
『シャギー・ドッグ』“The Shaggy Dog” 1959年にディズニーがアメリカ国内では初の実写作品として 製作した『ぼくはむく犬』をオリジナルとする2006年作品。 オリジナルは、犬恐怖症の郵便配達の父親の許で暮らす息子 が、古代の魔除けの呪いで犬に変身させられたものだが、実 は1976年にはその続編が作られ、続編ではその息子が成長し て、突然犬に変身する体質を隠しながら、地方検事に立候補 する話だったようだ。 そして本作は、両方の物語にインスパイアされたもので、主 人公は前2作とは異なるが、地方検事という設定。しかし犬 嫌いで、さらに仕事に追われ家庭も顧みない駄目父親。その 父親が突然犬に変身させられ、家族との絆に気付かされると いうお話だ。 映画は、チベットで1匹のむく犬が拉致されるところから始 まる。そのむく犬は、300年以上生存していると推定され、 そのDNAから長寿の秘密を解明するためにアメリカの製薬 企業が拉致を決行したのだ。 一方、その製薬企業には動物実験の疑いがあるとして、近く の高校の教師や生徒たちが真相究明のデモを行っている。そ のデモ隊の中には主人公の長女も入っていた。そして、その 教師が企業の施設への放火の罪で起訴され、主人公はその検 察官に任命される。 ところが、研究施設から逃亡したむく犬が主人公の手に噛み つく。そしてそこから注入されたDNAは、主人公を徐々に むく犬に変身させ始める。こうして変身の始まった主人公の 奇行で裁判は目茶苦茶。そして、変身の完成した主人公は、 人間との言葉も通じなくなって… この変身に至る過程での主人公の奇行振りが、犬好きには堪 らないシーンの連続。演じているティム・アレンは相当の愛 犬家らしいが、如何にもありそうな犬の動作を見事に再現し てくれる。実際に見ていてニヤニヤし通しだった。 多分、足を挙げての放尿などは誰でも思いつくだろうが、そ れ以外にも実にいろいろな、犬ならやってしまいそうなこと をやって見せてくれるのだ。 一方、研究施設内のシーンでは、VFXも駆使して犬になり 掛けのいろいろな動物が登場する。さりげなく登場するから 特別な感じはあまりしないのだが、かなりグロテスクなもの やVFXによる名演技もあって、実はかなり見ものだった。 VFXは、初期の『スター・ウォーズ』で活躍し、その後に ILMから独立したフィル・ティペット主宰のティペット・ スタジオが担当している。 また、変身したむく犬やその他の動物の実写の演技は、『1 01』から『オーシャン・オブ・ファイアー』まで多数の作 品手掛けてきたアニマル・トレーナーが担当しており、こち らも素晴らしい演技を見せてくれる。 関東地区では、舞浜にあるシネマイクスピアリ1館での限定 公開のようだが、犬好きにはぜひお勧めしたい作品だ。
『スキャナー・ダークリー』“A Scanner Darkly” フィリップ・K・ディック原作の映画化。 近未来の物語。人々は物質Dと呼ばれる麻薬に取り憑かれて いる。その麻薬を捜査するための組織が作られ、その捜査員 たちは各方面で内偵を続けているが、その中にはDに侵され てしまう者も少なくない。 主人公のボブ・アークターは、そんな内偵捜査員の1人だっ たが、彼が内偵しているグループはテロをも辞さない危険な 組織になろうとしていた。ただしそれは、Dがもたらす妄想 の一つかも知れない。 そしてアークターには、捜査本部からも精神状態に疑念が出 されている。それでも彼は精神状態のテストを受けながら、 任務を続けていたが… 身分を明かせない捜査員たちが人前に出るときには、数100 万通りの人間の姿が写し出されるというマスクとジャケット を着用するなど、近未来的な要素も多少は登場はするが、描 かれている物語の本質は人間の内面に関わるものだ。 つまり映画では、ディック特有のアイデンティティー喪失の 問題が描かれる。しかしそれは、見る側にも多分に挑戦的に 描かれており、僕は、1度見ただけでは物語をちゃんと把握 できたかどうか自信が持てない。 しかもその混乱を助長しているのが、撮影された映像の全編 をロトスコーピングによってアニメーションまがいの映像に 変換している手法だ。このため、俳優の微妙な演技などはほ とんど消されて、観客は全体的な流れの中でそれを把握する しかなくなってしまう。 この手法が、ディックの異様な世界を描くのに適切だったも のかどうかは、議論の的になりそうだ。確かに『ブレード・ ランナー』以降の定番化したディック的未来世界とは一線を 画しているし、僕にはこの方が正しいと思えるところもある にはあるのだが… 出演者は、キアヌ・リーヴス、ロバート・ダウニーJr.、ウ ッディ・ハレルソン、ウィノナ・ライダー。脚本・監督は、 『テープ』『スクール・オブ・ロック』などのリチャード・ リンクレーター。本作は、後者より前者の雰囲気だ。 日本公開は12月の予定だが、ちゃんと理解するためにはもう 一度ぐらいは見る必要がありそうだ。
『オーロラ』“Aurore” パリのオペラ座を舞台にしたドキュメンタリー作品『エトワ ール』を手掛けたニルス・ダヴェルニエ監督が、オペラ座に 所属する35人のトップダンサーをキャスティングして作り上 げたフィクション作品。踊りの禁じられた王国を舞台に、踊 ることをやめなかった王女の愛を描く。 物語の舞台は、中世と思われる時代の小国の王宮。その国の 王には、美しい王妃と王女と王子がおり、互いに慈しみ合っ て暮らしていた。問題はただ一つ、その国では王の命令で踊 りが禁じられていたことだ。しかし年頃の王女には踊ること が最高の楽しみだった。 ところが、その王国の財政が逼迫し、王は娘を金持ちの国の 王子と結婚させて持参金をもらうしか手がなくなる。そこで 止むなく花婿候補の王子を招いて舞踏会を開くことにするの だが…。王女は、その招待状に添える肖像画を描くために呼 ばれた画家に想いを寄せてしまう。 王女の名前がオーロラということで、『眠れる森の美女』を 予想したが、映画は別のものだった。この物語が何かの伝説 に基づくものかどうかは知らないが、映画は成程オペラ座の トップダンサーをキャスティングしただけのことはある踊り 満載の作品になっている。 主人公のオーロラを演じるのは、若干16歳のマルゴ・シャト リエ。まだ学生のバレリーナということだが、その正確なバ レーの振りは、素人の僕が見ていても納得してしまうほどの ものだ。 そして彼女の回りを囲むのは、僕は名前を聞いても全く判ら ないのだが、数々の受賞歴に輝くパリのオペラ座のトップダ ンサーたちということだ。なおその中には、竹井豊という日 本人ダンサーも重要な役柄で登場する。 そして、このダンサーたちが、日本を含む各国の踊りや、さ らに屋外や雲の上などの舞台で華麗な踊りを繰り広げる。そ の踊りは、門外漢の僕が見ても素晴らしく感じられるのだか ら、恐らくバレーファンの人が見たら堪らない作品だろう。 ただし、その日本人ダンサーの登場するシーンが、何やら暗 黒舞踊のようなものだったのはちょっと衝撃だったが、それ はご愛嬌と言うか、物語の流れでそれも重要なポイントでは あったようだ。 ダンサー以外では、王妃の役で『ユア・アイズ・オンリー』 のキャロル・ブーケ、国王役で『コーラス』のフランソア・ ベルレアンらが共演している。
『ライアンを探せ!』“The Wild” ディズニー制作による3D−CGアニメーション。 主人公はニューヨークの動物園で暮らすライオン父子。父親 は野性味たっぷりの吠え声が自慢だったが、幼い息子は父親 の真似をまだできない。そんな息子が誤って連れ去られ、父 親とその仲間が、その後を追って大都会からジャングルへと 大冒険を繰り広げる。 物語のテーマは『ファインディング・ニモ』、流れは『マダ ガスカル』という感じだが、実際にジャングルに行ってから の動物たちの群舞のシーンなどが始まると、あまりの共通点 にちょっと驚かされてしまったものだ。 もっともこのような群舞のシーンは、動物をキャラクターに したアニメーションでは定番のような気もするが、それにし ても去年の今年ではちょっと間隔が近すぎるという感じもし ないでもない。 という訳で、最初からかなり厳しい目で見られてしまいそう な作品だが、実際に展開される物語は当然違うものだし、目 先だけで軽々しい批判はするべきではない。しかもこの作品 には、ちょっと驚かされる展開も用意されているのだ。 この映画で僕が何に一番驚いたかというと、ヌーが肉食獣に なろうとしているというエピソードだ。彼らのリーダーは、 自分たちが草食だから肉食獣に狙われるのだと主張する。そ してそのシンボルとして、ライオンを食おうと言うのだから かなり過激だ。 こんな話を、ましてやディズニーのアニメーションで聞かさ れようとは思ってもみなかった。それに『ファインディング ・ニモ』の父親は息子を見つけ出すだけで良かったが、本作 ではさらにそこにも捻りがある。この辺の話は父親である身 にはぐさりと来るところだ。 『マダガスカル』もいろいろ捻った物語だったが、本作はそ れをギャグに落とさず、正面から真剣に考えようとしている ところは、さすがディズニーとも言える。もちろんギャグも それなりに挿入されるが、もっといろいろ考えさせてくれる 作品だ。 特に、皮肉屋のコアラのキャラクターは、人間でも実にあり そうな感じで面白かった。
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