井口健二のOn the Production
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2006年08月31日(木) Oiビシクレッタ、旅の贈りもの−0:00発、アダム、雨音にきみを想う、白日夢、もしも昨日が選べたら、待合室

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『Oiビシクレッタ』“O Caminho das Nuvens”
ブラジルの風景と言うと、直にはアマゾンのジャングルか、
リオデジャネイロの喧噪しか思い浮かばないが、2004年8月
に紹介した映画『ビハインド・ザ・サン』では、ちょっと砂
漠にも似た気候風土が背景になっていた。
この作品は、そんな地域が舞台になっている感じだ。
ブラジルの北東部、と言ってもプレス資料の地図で見るとア
マゾンよりは南で、つまりリオデジャネイロより北東の地域
を指すらしいが、ブラジルでも最も貧困と言われるその地域
の町から、4台の自転車に家族7人が分乗、リオを目指して
3200kmを走破した一家の物語。
現実にリオの市街地の外れには、北東部から移住した人々が
集まって住む地区があるそうだ。ただし、そこにいる人々の
大半は貨物トラックの荷台に揺られてやって来た。しかしこ
の一家は、父親が家族と離れることを拒み、一家で自転車を
漕いでリオを目指す。
因に、物語は実話に基づくが、実話の一家は自転車4台に家
族は8人だったそうだ。なお、邦題の『ビシクレッタ』とい
うのは自転車の意味だ。
そんな一家は、当然野宿で、路傍のサーヴィスステーション
などで夜を過ごすのだが、そこでは暖かく迎えられたり暴力
で追い出されたり、そんな現実が、それでも何となく明るい
一家の生活ぶりとともに語られて行く。
実は、父親は非識字者で、リオに行けば家族を平穏に養える
という夢ともつかない信念だけで進んで行くものだが、母親
は字も読めるし唄も歌えて、ギターを弾く次男とともに稼い
だりもできる。そんなちょっと歪な関係が余計に父親を駆り
立てる面もありそうだ。
そして家族の中では、ちょっと父親に似た性格の長男の存在
もドラマを造り出す。この父親と長男を演じるのは、『ビハ
インド…』では兄弟役で共演していたヴァグネル・モーラと
ラヴィ・ラモス・アセルダ。他に母親役で、1997年の『クア
トロ・ディアス』に出演のクラウジア・アレウが出ている。
映画は、ブラジルで国民的歌手といわれるロベルト・カルロ
スの音楽を随所の取り入れて描かれたもので、最後には本人
の姿も登場する。このことはこの映画が、それだけの支持を
受けて作られたことの証明でもあるようだ。またブラジルで
の試写会は、北東部出身者の大統領の前でも行われ、大統領
は感涙に咽んだそうだ。

『旅の贈りもの−0:00発』
大阪駅を月に1回だけ午前0:00に発車する企画列車。そ
れは行く先不詳のミステリートレインだが、9800円の往復切
符を買えば誰でも乗れる列車だった。
そんな列車に、ある者はたまたまそこに居合わせたことによ
る偶然から、またある者は忘れていた貰いものの切符を思い
出して、またある者は意を決して乗り込んでくる。そんな男
女5人を乗せた列車がたどり着いた先は…
ファンタシーを期待した人には、残念ながらそういう物語で
はない。しかし、描かれた物語は現代の寓話でもあり、充分
にファンタスティックなものだ。
たどり着いた先は、住民が「あの頃町」と自嘲気味に呼ぶ昔
栄えた湊町。北前船の風待ち港として立ち寄る舟人を暖かく
迎えた気風の残る町だが、若者の姿はほとんどなく、老人ば
かりが暮らす典型的な過疎の町。そこに、都会の喧噪に疲れ
た男女が降り立つ。
まあ、タイトルから推察されるように、男女はそこで人生を
見詰め直し、新たな人生に立ち向かって行く勇気を贈られる
わけだが、正直に言って物語は甘すぎるくらいに甘い。でも
そんな甘さが、唯々心地よいというのも良いものだ。
脚本は、(株)日本旅行での国内旅行企画を経て新版『ウルト
ラQ〜dark fantasy〜』などを手掛けた篠原高志。監督は、
平成版『ウルトラマン』シリーズでレギュラー監督を務めた
原田昌樹。如何にも「成程な」と思わせる作品だった。
なお撮影には、昭和33年製造の電気機関車EF58−150
と、昭和13年製造の一等展望車マイテ49−2が使用され、
これに客車スハフ12−702を挟んだ3両編成の列車が、
深夜の大阪駅を出発、夜が明けると海沿いの線路を走行する
姿が写されている。
また、車輪をアップにした固定カメラでは、ポイント通過の
様子も写されるなど、鉄チャン=鉄道マニアには大喜びの作
品とも言えそうだ。JR西日本の協力により製作された作品
で、すでに発売中の前売り鑑賞券には、映画に登場する硬券
切符形のものもあるようだ。
出演者では、健康上の理由で一時活動を休止していた歌手の
徳永英明が映画初出演、挿入歌で「時代」をカヴァーしてい
る他、新曲も披露している。また、サウンドクリエーターの
浅倉大介が音楽を担当している。

『アダム』“Godsend”
ロバート・デニーロの出演で、人クローンの問題をテーマに
した2004年作品。
生物の教師とプロカメラマンの夫妻の間に育った一人息子の
アダム。その8歳の誕生日の翌日、幸せだった一家を悲劇が
襲う。不慮の事故で息子が亡くなったのだ。そして葬儀の相
談に行った教会の出口で、夫妻は一人の遺伝子学者に呼び止
められる。
その学者の提案は、まだ保存されている遺体から細胞を採取
してクローンを造り出すこと。その成育には、母親の子宮も
利用して分娩は自然に行うというものだ。なお母体は、先の
息子の出産時に障害を受け不妊だったが、子宮の機能は問題
ないということだった。
もちろん、人クローンの実験は倫理に違反するものだ。その
倫理と、息子を取り戻したいという感情との狭間に揺れる夫
妻、だがついに提案を受け入れてしまう。そして生まれた赤
ん坊は、出産時の状況からして亡くなった息子と全く同じも
のだったが…
やがてその赤ん坊が8歳に成長し、過去のトレースではない
新たな道を歩み始めたとき、予想もしなかった事態が湧き起
こってくる。
正直に言って、この後の映画の展開はちょっと飛躍があり過
ぎの感じだ。これでは夫妻ならずとも裏切られた感じで一杯
になる。それがテーマだから仕方がないとは言っても、これ
はないだろうという感じもしてしまうものだ。
ただし、イギリス出身で2001年の『穴』などが話題になった
ニック・ハム監督は、この作品を見事にホラーに仕立て、細
かい描写などにはぞくぞくさせる要素をたっぷりと詰め込ん
でいる。そんな描写を楽しむ作品とも言えそうだ。
つまりこの作品は、メインのテーマはSFの領域だが、描か
れたものはホラーと呼んだ方が良いとも言える。SFからは
一、二歩、別の領域に踏み込みすぎた感じのする作品だ。

主人公の夫妻役は、『ふたりにクギづけ』のグレッグ・キニ
アと『ファム・ファタール』のレベッカ・ローミン。また、
新旧のアダム役を、『ウルトラ・ヴァイオレット』のキャメ
ロン・ブライトが演じている。

『雨音にきみを想う』“摯愛”
台湾のテレビで人気の若手俳優ディラン・クォが香港に招か
れて映画初出演した作品。相手役は、香港のアイドル歌手で
もあるフィオナ・シッ。香港の裏社会に暮らす男と、遺伝的
な病魔におびえる女を巡る恋愛ドラマ。
主人公の男は、表向きはバイクの修理屋のようだが、多分手
先が器用なのだろう、その特技(?)を活かしてこそ泥生活
を送っているようだ。そして女は、元世界的なヴァイオリニ
ストだった兄と、その幼い娘を助けて内職のような裁縫仕事
で細々と暮らしている。
彼女の兄は、中風で身体が不自由になり、当然ヴァイオリン
も弾けなくなった身体だが、その病の素は、彼女の身体や兄
の娘も遺伝的に持っているものと考えられている。しかし彼
女は、発病の切っ掛けとなる身体を冷やす危険を避けながら
健気に暮らしていた。
そんなある日、兄の娘が遊んでもらえない寂しさから町にさ
迷い出て、犯行現場から出てきた男と出くわしてしまう。そ
して少女の求めによって家に送ってきた男は…。こうして巡
り会った2人だったが、男は裏社会との繋がりが危険な状態
になっていた。
裏社会を背景としたいわゆる香港ノアールの系統の作品とい
うことになるのだろうが、この映画は派手なアクションや銃
撃シーンがあるものではなく、静かな雰囲気の中で展開して
行く。確かに特異なシチュエーションだし、メインとなる純
愛は他愛のないものだが…
物語全体の静かな雰囲気は、香港映画というより本土の映画
の感じがした。ジョー・マ監督は香港でコメディ作品のヒッ
トメーカーのようだが、本作ではコメディ要素はほとんど排
し、リアルな展開の中で見事なドラマを展開している。その
手腕は確かなものだ。
実際、余分な会話や描写を徹底的に刈り込んだ脚本編集は、
監督=演出家の手腕が問われるものだが、この作品はその点
でも成功している。特に、幼い少女をじっくりと撮った演出
には感心させられた。
共演は、元サッカー香港代表選手だったチャン・コキョン。
それに彼の娘役で名演技を見せてくれるチャン・チンユー。
香港も南方の土地だから、この映画のような豪雨は当然ある
のだろうが、何か新しい香港を見せてくれたような、そんな
感じもした。

『白日夢』
1964年製作、翌年発表される『黒い雪』で刑事裁判にまで発
展した猥褻論争を巻き起こす武智鉄二監督の劇映画第1作。
今年の秋、「武智鉄二全集」と称して10作品が連続上映され
る予定の1本。
僕は、この映画の製作当時は未成年だったから直接作品を見
ることはできなかったが、その後に出版されたキネマ旬報の
エロス特集号などでスチル写真を見て妄想を逞しくしていた
作品の1本だった。
物語は、谷崎順一郎の戦前に発表された戯曲に基づくが、映
画化は歯科医に治療に来ていた男性患者が抜歯のために麻酔
され、その中での夢想として描かれる。そこでは、歯科医の
前で大きく口を開ける女性がエロスを醸し出すのだ。
題名からして、かなりファンタスティックな内容を期待した
が、その展開は期待以上のものだった。それは今回はアヴァ
ンギャルドという言葉で括られるが、当時のフランスのヌー
ヴェルヴァーグが進もうとしていた道にも通じていたとも言
えそうだ。
男の夢想によって展開する物語だから展開は取り留めもない
し、その展開の中でいろいろなエロスの形が繰り広げられて
行く。その描写は、42年後の今にしても斬新なものだし、極
限的にファンタスティックなものでもある。
もちろん全体の雰囲気はレトロなものではあるけれど、モノ
クロ(パートカラー)の映像には鮮烈さと、何より新しい物
を造り出して行こうとする意欲に満ちあふれている。まさに
意欲的な作品で、その想いは今にもはっきりと伝わってくる
ものだ。
監督は1912年の生まれというから、当時52歳。42年前の52歳
は現代よりずっと老けた感じがしたはずだが、それでこの作
品は、いやその後も1987年まで作品(遺作は『白日夢2』と
言われる)を作り続けた原動力は…何がそうさせたかも考え
たくなる。
もちろん猥褻な作品だし、芸術的に描かれてはいるが、目的
が猥褻性であることは明白なものだ。しかもその猥褻さは、
42年後の今も充分に通用するものだった。
なお、クライマックスは銀座晴海通りでロケーション撮影さ
れており、イエナ書店などがちらっと写っていたのは懐かし
かった。

『もしも昨日が選べたら』“Click”
アダム・サンドラーの主演で、今年6月のアメリカ公開では
初登場第1位を獲得したファンタスティックコメディ。
主人公は、建築事務所に勤めるデザイナー。ケイト・ベッキ
ンセール扮する優しい妻と幼い息子と娘に恵まれているが、
才能の認められる彼には会社の要求も多く、自宅でも仕事に
追われる毎日。しかし彼には将来の事務所の共同経営者の席
も待っているのだ。
ところが、家庭を顧みなくなった彼には、妻も子供も愛想を
尽かし始めている。そして大きな仕事を抱えて帰宅した夜、
予想外の操作ばかり行う万能リモコンに業を煮やした主人公
は、深夜の町で新しい万能リモコンを買い求めるが…
終夜営業の量販店の奥に迷い込んだ主人公は、そこでクリス
トファー・ウォーケン扮する怪しい発明家然とした男から、
自分の人生を巻戻して見たり、フリーズや早送りもできる万
能リモコンを手に入れる。それは自己学習機能も付いた優れ
ものだった。
こうして、口うるさい妻の要求や渋滞の時間ロスを早送りし
たり、音声ミュートやバイリンガル機能を有効に使いこなす
ようになった主人公だが、そこには大きな落し穴が待ってい
た。物語としては、ディケンズの『クリスマス・キャロル』
を思わせるもので…と言ってしまうとネタばれになるが、そ
ういう感じの作品だ。
厳しい内容を、笑いのオブラートに包んで提示して見せるの
は、ハリウッドコメディの定番と言える作品でもある。
内容的には悪くないと思う。特に後半の自分が原因で人生が
ドツボに填って行く過程は、同じように忙しく働かされてい
る現代人にはドキリとさせられ、身に染みて感じる人も多い
だろう。その点では、サンドラー作品の中では日本人にも判
りやすい作品と言える。
中では日本人企業家集団が出てきたり、ヤンキース松井の映
像や、イチローの話題も飛び出すなど、ちょっと日本人を意
識しているとも言えそうな感じだ。もっとも、日本人の当事
者からすると、ちょっと苦笑いという感じでもあるが。
それと、飼犬がやたらマウンティングしたり、何かと下着を
見せるなど、ちょっと下品なギャグが目に付くのもサンドラ
ー作品の問題点で、特別な指定を受けていないからアメリカ
人には認められているのだろうが、日本人の感覚には…とい
うところもある。でもそういうことに目をつぶると…

本作は見事にファンタスティックで、またそれを支えるVF
Xなどの使用も見事に決まった作品と言える。特に、サンド
ラーやベッキンセールが若くなったり老けたりの特殊効果や
視覚効果は見事なものだ。
サンドラー作品の中でも、特にファンタシー物は、日本では
ちょっと評価されていない感じがする。実際、僕も評価して
いない作品もあるが、本作はその中では判りやすいし、とり
わけSFに理解のある人には受け入れてもらえそうな感じが
した。

『待合室』
富司純子と寺島しのぶが母娘初共演した作品。と言っても、
2人が演じるのは、主人公とその若い頃の役で、直接の顔合
せはないものだが。
東北岩手の小繋駅。東北新幹線の八戸営業開始により「いわ
て銀河鉄道」と呼ばれるようになった路線の小さな駅。その
駅はJRの寝台急行や貨物列車はノンストップ通過して行く
が、3両編成の旅客列車が地元の人たちの通勤通学の足とな
っている。
そこの待合室に置かれた数冊のノート。そこには駅を訪れた
人たちのいろいろな思いが綴られ、その綴られた文章に一つ
一つ返事を書く女性がいた。
映画の中でも語られるが、通りすがりの旅人が書いたものに
返事を書いても、それが読まれる可能性はほとんどない。で
もそこに書かれた事柄は、他の旅人の目に触れ、それがまた
別のドラマを作り上げているのかも知れない。
映画は、その返事を書き続ける女性の人生と、そこに記入を
して行く旅人のエピソードを綴りながら、岩手県でも北部に
位置するこの駅の周囲の四季が見事に写し出されて行く。
物語は、「命のノート」と呼ばれるそのノートの実話からイ
ンスパイアされたものだが、描かれるその女性の人生は、ど
こまでが実話でどこからがフィクションかは判らない。
とは言え、雪深い駅周辺の冬の風景は紛れもない実景だし、
そこで綴られる物語は、それはそれとして理解すればいいも
のだろう。ただし、全体に「死」が多く語られているのは気
になったところだが…
脚本は任侠シリーズなどを手掛けてきた板倉真琴。彼の監督
デビュー作でもある。
それにしても見事な雪景色で、それがまた見事に写されてい
る。撮影はフランス・トムソン社製のHDヴィデオカメラで
行われたようだが、白一色の雪景色の中の微妙な変化も良く
再現されていた。
ただし、僕の見た試写会では、2台の映写機の内の一方の画
面左側の1/4ほどのピントが甘くて、その効果を存分に堪
能できなかったのは残念だった。できたらしっかり管理され
た映画館で見てみたいものだ。


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井口健二