2006年08月20日(日) |
トンマッコル、サッド・ムービー、遙かなる時空〜、靴に恋する〜、地下鉄に乗って、地獄の変異、サイレントノイズ、ユアマイサンシャイン |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『トンマッコルへようこそ』(韓国映画) 題名のトンマッコルとは、「子供のように純粋な場所」とい う意味のようだ。 時代は1950年。朝鮮戦争の最中、米軍は仁川に上陸し、ピョ ンヤンに向けて侵攻を開始している。そんな中で補給路の調 査を行っていた米軍偵察機が行方不明となり、次いでその捜 索に向かった戦闘機も同じ空域で消息を絶つ。 一方、敗走を続けていた北朝鮮人民軍の兵士の一団が山岳地 帯に迷い込み、次々に遭難してついに3人だけとなった彼ら の前に、ちょっと不思議な雰囲気を持った少女が現れる。彼 女は銃も知らないようだった。 そして、脱走した韓国軍兵士が2人。彼らもまた、山中で少 年に出会い。その案内で、とある山里に辿り着く。こうして 山里の村には、米、韓、北朝鮮の3軍の兵士が顔を揃えるこ とになるが、その村には、一種不思議な雰囲気があった。 何しろその村には争いが存在しない。村人たちは、間違った ことを言っても互いに穏やかにその間違いを訂正し、間違え た方もすぐに非を認めるなど、言い争いさえ起こらない。そ んな中で、韓国、北朝鮮の兵士たちは互いに銃を突きつけ合 うのだが… 殺伐とした現実世界の人間が桃源郷に紛れ込む。物語の形式 は、正しくジェームズ・ヒルトンの『失われた地平線』だろ う。映画は、その舞台を朝鮮半島に代え、米、韓、北朝鮮の 3軍の兵士を主人公に描いたものだ。 韓国と北朝鮮の関係というのは、韓国映画の特殊性として常 に感じるところだが、逆に、この映画のように見事に利用さ れると、誤解されることを承知で言えば、うらやましくも感 じてしまうところだ。 そして最後は南北の民族融和を歌い上げ、感動的な結末に繋 げて行く。結末は、こうなることが必然のものではあるが、 そこに持って行く展開の上手さがこの映画にはあるようにも 思えた。理詰めの展開という訳ではないが、確かに上手い展 開だ。 その結末は、かなりの規模のCGIも使用したもので、それ も良くできていた。正直に言って戦闘を描く映画は好まない が、この映画の展開には納得せざるを得ない。また、余韻と いうか、いろいろな想像を掻き立てられる最後のワンカット も素敵だった。 この映画の宣伝文の中に、「ポップコーンが空から降ってき たら素敵だと思う?」というのがあるが、その通りのシーン が作られているのも見事だった。 なお音楽を、宮崎アニメや北野作品でお馴染みの久石譲が担 当している。
『サッド・ムービー』(韓国映画) 題名通り悲しさに満ちあふれた作品。「愛は終る瞬間に一番 輝く」という観点から、4組の愛の終りを綴った作品。イギ リス映画の『ラブ・アクチュアリー』が描いた恋の始まりに 対する結末編のような作品だ。 あざといと言ったらこんなにもあざとい作品はないだろう。 でも、それをカタログ的に見せることで、誰もがどれかを体 験しているような、そんないろいろな別れの姿が描かれる。 別れは誰かに責任のあるものではない…そんな観点で作られ た作品とも言える。この作品には人の責任とは言えない別れ が多く描かれている。でも、別れの当事者はそれでも責任を 感じざるを得ない。そんな悲しさが伝わってくる。 物語に登場するのは、テレビで手話通訳を務める女性と熱血 消防士、耳の不自由な女性と彼女の真の姿を描こうとする画 家の卵、自分の失恋に気付かないまま他人の恋の終りの演出 する男とその彼女、病に倒れた母親と幼い息子。 シチュエーションも様々だし、それが自分とかけ離れたもの であっても、その中に描かれる物語には、そのどこかに自分 がいるような、そんな感じも抱かせる。その結末も、それぞ れ予想はできてしまうが、それでもその描き方が上手い。 どれか一つを取り上げてねちねちと描かれたら、多分途中で 席を立ってしまいそうな物語だが、それらの物語を相互にう まく連携させながら、見事に最後の瞬間に纏め上げて行く。 その構成の巧みさにも感心させられた。 特に、半分狂言回しのように登場するチャ・テヒョンが演じ る他人の恋の終りの演出する男の存在が、それぞれの物語に 直接絡むことなく描かれることで、この物語の全体を象徴的 に見事に纏め上げている感じもした。 出演は、『僕の、世界の中心は、君だ』のテヒョンのほか、 『私の頭の中の消しゴム』のチョン・ウソン、『箪笥』のイ ム・スジョン、『甘い生活』のシン・ミナ、『ビッグ・スウ ィンドル』のヨム・ジョンアなど韓国映画を代表する男女優 が顔を揃えている。 恋は終る瞬間が一番輝くが、映画にはそれ以前の物語もたっ ぷりと描かれている。
『遙かなる時空の中で〜舞一夜』 コーエーから発売中の女性向け恋愛ゲームを原作として、す でに連載コミックスやテレビアニメにも展開している物語か ら、劇場向に製作された新作アニメーション作品。 異界の京都・平安京を舞台に、タイムスリップした女1人、 男2人の現代の高校生が、平安京を怨霊から守る力となって 活躍するファンタシー・アドヴェンチャー。 主人公の女子は「竜神の神子」と呼ばれ、都を守る最後の拠 所とされるが、彼女自身にその自覚はない。こんな展開に始 まって、後は愚図愚図と責務を全うするまでが描かれる。 日本アニメーションはあまり観ないが、観た作品の殆どはこ の展開だ。こんな同じ展開ばかりよくまあ描けるものだとも 思ってしまうが、それが受けているのなら仕方がない。しか も、上の設定は殆ど説明されずに物語が始まってしまう。 この設定を説明しないのも、最近の日本のアニメーションの 特徴のようだ。実はシリーズでは設定を説明できるほど事前 に構想を練っておらず、行き当たりばったりの展開なので、 したくてもできないというのも、実情のようだが… というのが僕の日本アニメーションに対する印象だが、この 作品もあまり変わることなく始まってしまう。ところが、こ の作品では丁度良いタイミングで設定の説明が挿入された辺 りから、ちょっと雰囲気が変わってきた。 そして後半は、敵が怨霊となった経緯の物語などが手際よく 語られ、大団円に向かってテンポも軽快に演出されているも のだ。怨霊との闘いもそれなりに描けているし、ファンタシ ーの捉え方もまずまずのようにも感じられた。 それに平安京の描写も、実写ではなかなか得られない空間の 広がりのようなものも描かれていて、そんな雰囲気も好まし い感じだった。 物語は究極の結末には至っていないし、続編が作られるのな ら、また観てみたい感じもしたものだ。
『靴に恋する人魚』“人魚朶朶” 日本のヴァラエティ番組や、コマーシャルでも人気者だった ビビアン・スーが母国の台湾で主演したメルヘンと呼ぶのが 相応しい作品。 香港の人気スター、アンディ・ラウがアジア地域の新しい才 能を発掘するために開始したプロジェクト=FFC(Focus First Cut)の第1作で、本作は台湾のロビン・リー監督の デビュー作ということだ。なお本作は、昨年の東京国際映画 祭でも上映された。 物語は、脚が不自由に生まれた少女が、手術でその不自由を 克服することから始まる。幼い頃から絵本が好きだった少女 は、声を奪われることを心配していたが、そのようなことも なく…そして少女は成長し、素敵な恋をし、結婚もするが… 映画の全体は絵本の構成をモティーフにして、特に前半は、 説明のためのナレーションが絵本の文章のように語られ続け る。本編に入るとそれは減るが、それでも随所に説明的な部 分がある。そんな絵本の雰囲気を見事に映像化した作品だ。 内容も、絵本を髱髴とさせるキャラクターやシチュエーショ ンが登場して、素朴さと優しさに溢れた作品となる。そして その雰囲気が、セットから撮影まで全てに統一された中で、 物語が展開して行く。 物語自体は他愛ないものではあるが、随所に絵本や童話のイ メージが盛り込まれたり、特に、若い女性には魅力的な作品 になっていると思える。相手役は、『僕の恋、彼の秘密』や 『セブン・ソード』などのダンカン・チョウ。 なお主演のスーは、日本でのバラエティアイドルだった頃の イメージとはかなり違って、主人公を透明感のある雰囲気で 見事に演じている。そこに、コミカルなシーンが無理なく挿 入されているのも素晴らしいところだ。 またスーは、台湾では作詞家としても活躍しているそうで、 本作では挿入歌とエンディングの歌を自らの作詞と唄によっ て提供している。 FFCではこの後にも、マレーシア、シンガポール、香港、 中国などの新人監督を起用した作品を製作しており、これら の作品も順次公開されることになりそうだ。
『地下鉄(メトロ)に乗って』 『鉄道員(ぽっぽや)』などの浅田次郎の原点とも言われ、 1995年吉川英治文学新人賞を受賞した原作の映画化。 始まりは現代。銀座線赤坂見附駅から半蔵門線永田町駅に続 く長い地下道を、重いキャリングケースを引きながら歩く中 年の男。しかし、ようやく辿り着いた半蔵門駅で地下鉄は不 通になっており、男は止むなく道を戻り始めるが… ふと見掛けたセーター姿の若者に、若くして亡くなった兄の 面影を見た主人公は、思わず後を追い掛ける。そして見知ら ぬ出口階段を昇ると、そこには、昭和39年、兄が死んだ日の 新中野の商店街が広がっていた。 こうして、時代をタイムスリップした主人公は、兄の死を阻 止するべく奔走し、そして横暴だった父の真の姿と、その時 代を見ることになるが…主人公はこの後も、現代と、昭和39 年と、太平洋戦争の末期や終戦後の混乱期などの時代を行き 来しながら、物語は綴られて行く。 タイムスリップの原因などは説明されないが、主人公が即座 にそれに順応してくれるのはSFファンとしてほっとすると ころだ。さすが現代の人気作家の原作だけのことはある。本 作の本質はSFではないが、ちゃんとそれを踏まえての作品 というところだ。 それに、相談相手の男性が『罪と罰』を読んでいるのには、 思わずニヤリとした。この『罪と罰』は多分原作にもあるの だろうし、物語的にちゃんと意味も持つものだが、同時期に 公開されるハリウッド製の似たテーマの作品のことを考える とタイミングが良すぎる感じのものだ。 それはさて置き、映画はこれらの各時代を表現するため、今 はない映画館を含む新中野の商店街や、戦後の闇市などを見 事に再現して行く。特に、闇市の雑踏の再現は見事だし、ま た、本作では東京メトロの全面協力を得て、駅中でのロケー ションや古い銀座線車両の内装なども撮影されていた。 ただし、僕は東京にいて地下鉄もよく利用するし、赤坂見附 駅と永田町駅の間の地下道も何度も往復しているからこの物 語には入りやすかったが、そうでないとするとどうなのだろ うか。その辺はちょっと心配になったところだ。 ある意味、地下鉄の路線の複雑さがテーマになった作品でも ある訳だが、その複雑さが東京にいない人にどのように伝わ るかも気になる。SFファンとしては、その路線の複雑さが 時空のゆがみを引き起こしたとも言いたくなるのだが… それから物語の始まりを現代としてしまったのは、ちょっと 主人公たちの年齢設定に無理が生じるように感じた。実際、 演じている堤真一は1964年生まれと言うことだから、年齢的 には15年ほどずれることになる訳で、原作が発表された年な らまだ良かったのだが… それと、劇中に登場する青山一丁目駅のシーンは、ここは本 来土手式ホームだから、渋谷行きは車両の進む方向が逆のよ うにも感じたのだが、見間違いだろうか? と、いろいろ文句は言いつつも、SFファンで地下鉄好きの 僕にとっては本当に嬉しくなる作品だった。 なお、本作は編集を『殺人の追憶』などのキム・ソンミンが 行っており、日本人とはちょっと違う切れも感じられた。日 韓映画人の交流の賜物というのも嬉しい作品だ。
『地獄の変異』“The Cave” 鍾乳洞を舞台に繰り広げられる怪奇アクション。 事件の発端は30年前。当時は共産主義国家だったルーマニア の山間部で、男たちの一団の乗った軍用トラックが、立入禁 止の標識の立てられたバリケードを突破、山路を侵入してく る。彼らの狙いは、その奥にある廃虚となった教会。しかし 謎めいたモザイクの施された床を破壊して、彼らが入り込ん だ地下の洞窟には、何やら異様な雰囲気が漂っていた… そして30年後、地下生物を研究する学者たちが、倒壊した教 会の下に巨大な鍾乳洞の入り口を発見。その調査のため、中 米のユカタン半島で海底洞窟の調査に当っていたチームが招 請され、プロのサポートを受けた探検隊が鍾乳洞の調査を始 めることになるが… アメリカ配給はソニー傘下スクリーン・ジェムズが行った作 品で、同社の系統で言うと、『アナコンダ』などの秘境モン スターものに通じる感じだ。状況に詳しいプロがいて、その サポートで行われる探検が、それでも恐怖の事態に陥るとい う展開は共通している。 物語は、当然洞窟の中に怪物がいるものだが、本作ではその 怪物の設定にもちょっと捻りが在るのは面白かった。因に、 怪物のデザインは、『GODZILLA』から『サイレント ヒル』までも手掛けるベテランのパトリック・タトポロスが 担当している。 それに加えて本作では、洞窟探検の様子をかなり丁寧に見せ てくれる。そして、そこでのアクションも、潜水やフリーク ライミングと盛り沢山。さらに美しく撮影された洞窟内の素 晴らしさは、鍾乳洞や洞窟探検が好きな人にも、ちょっとお 勧めしたくなるくらいのものだ。 なお、プレス資料などには解説がなかったが、洞窟内の撮影 にはユカタン半島の鍾乳洞が使われているものだ。つまり、 映画の物語ではユカタンからチームが呼ばれているが、実際 は撮影隊がユカタンに移動したというのも愉快なところだ。 ただし、水中シーンはブカレストの撮影所にフットボールの グラウンドほどもあるプールを作って撮影したとのこと。そ して、その洞窟内と水中シーンの撮影には高感度のHDカメ ラが使用されて、素晴らしい効果を上げているものだ。
『サイレント・ノイズ』“White Noise” EVP(Electronic Voice Phenomena)=電磁波を媒介とし て死者の声が現世に伝えられる、という現象を描いた怪奇ド ラマ。なお、真偽のほどは明らかではないが、映画の巻頭で は、この現象に言及したとされる発明王エジソンの言葉も引 用されている。 最愛の人を不慮の事故で亡くしたとき、残された人が欲する のは、失った人の声を、姿をもう一度を聞きたい、見たいと いうこと。そして、その手段としてEVPの存在を知ったと き、主人公の周囲に怪奇な現象が起こり始める。 昔のEVPは、多分音声中心だったのだろうが、現代ではこ れがVTRに取って変わる。空きチャンネルの空電を録画し たテープの映像と音声をコンピュータに取り込み加工しなが ら、EVPを求めて行く。その過程も現代的でなかなか良い センスだった。 因に、原題のwhite noiseというのは、電気用語では、対象 とする周波数帯域で、全ての周波数の信号を一様に含む雑音 のこと。逆にそこからは全ての信号(情報)が取り出せると もされ、その中から反重力の原理を見つけ出すというSF短 編を、昔雑誌で読んだ記憶がある。 本作では、その中から死者の声と姿を取り出すというものだ が…。まあ、上記の理論からすると、そんな設定も理解でき ないことはない。ただし、本作は飽くまでもEVPという現 象が前提となっている作品だ。 従って、作品のジャンルとしてはホラーだが、科学的な側面 の捉え方からすると、SFと呼べないこともない。 主演はマイクル・キートン。それにチャンドラ・ウェスト、 デボラ・カーラ・アンガー、イアン・マクニースらカナダ、 イギリスの俳優が共演している。また、監督以下のスタッフ は殆どイギリス人による、カナダ=イギリス合作映画だ。 キートンは、旧シリーズの『バットマン』で、最初の2作の 主人公を務めたが、ちょっと憂いのある雰囲気は本作にピッ タリの感じがした。そのキートン自身は、「超常現象は信じ ないが、主人公の心情は理解できる」として本作の出演を決 めたそうだ。その演技には、成程と思わせるものもあった。
『ユア・マイ・サンシャイン』(韓国映画) 韓国での実話を基にしたラヴ・ストーリー。 暴力を奮う夫から逃れ、生活のために身体を売るような仕事 もしてきた女性が、純愛を捧げる男性と出会い、過去を隠し て結婚、幸せな生活を送ろうとする。しかし、そこに元の夫 が現れ、しかもその時、彼女はHIVのキャリアであること が判明する。 時代は、韓国−日本W杯が開催された2002年。韓国チームの ベスト4進出に韓国中が湧いているその陰で、HIVに感染 した女性に、それでも純愛を捧げた男性の物語。 監督は、ドキュメンタリー出身のパク・チンピョ。監督は事 件を報じた新聞記事を見て取材を開始、女性の裁判も傍聴、 実在の2人にも会って物語を作り上げたということだ。 その物語は、実話は50%ぐらいだそうだが、ドキュメンタリ ータッチとドラマが見事に混交されたものだ。特に、ドキュ メンタリストらしい飾り気の無さが、素朴な純愛という現代 では得がたい題材を見事に映画にしている。 物語自体は、状況から考えれば実にありそうなこと。日本で も、作家と風俗穣の結婚話がベストセラーになったこともあ るが、今の時代ではさらにそれを複雑にする要素が加わって いるということだ。 映画では、被疑者に対する記者会見など、韓国特有の場面も あって、日本との違いも感じさせてくれるし、母親=オモニ 優先の文化と言われる韓国庶民の姿も丁寧に描かれている。 そんな韓国文化を知るのにも良い作品かも知れない。ただし HIVに対する無知ぶりは、日本と余り変わらないようだ。 主演はミュージカル俳優でもあるというファン・ジョンミン と、『初恋のアルバム〜人魚姫のいた島』での1人2役が印 象に残るチョン・ドヨン。特にドヨンは、『初恋…』での少 女役からは打って変わっての役柄だが、いつも初々しい感じ なのが素晴らしい。 因に、実話は4年前のことになるが、監督のインタヴューに よると、実在の主人公の2人は、女性も発症を免れており、 現在も元気に生活しているそうだ。
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