井口健二のOn the Production
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2006年07月20日(木) ミートボール・マシン、キャッチボール屋、グエムル、セプテンバー・テープ、ザ・フォッグ、鬘、ニキフォル、日本以外全部沈没

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『ミートボール・マシン』
『魁!!クロマティ高校』の山口雄大監督によるスプラッター
作品。
登場するのは人体に寄生する謎の生物。宇宙から飛来した奴
らの目的は、人間に寄生し、寄生した人間を戦闘マシンに変
身させて、人間同士を戦わせるというものだ。そして今、一
組のカップルがその犠牲となる。
山口監督のスプラッター作品では、以前に『楳図かずお劇場
/プレゼント』を紹介している。その作品は、中編ではある
ものの、日本映画では限界に近い血飛沫に、大いに納得した
ものだった。本作は、その山口監督に、これも和製スプラッ
ターでは限界に挑んだ『自殺サークル』の西村喜廣特技監督
が加わって、最凶の期待を持てるタッグが成立したはずなの
だが…
結局のところ、ネクロボーグと称する半分メカの造形を登場
させたところで、本作からスプラッターの要素が減少してし
まっている。これでは『仮面ライダー』の戦いだし、造形の
腕をいくら引き千切っても、それはスプラッターとは言えな
いものだ。特に本作は、造形が雨宮慶太ということで、ます
ます『仮面ライダー』になってしまっている。
スプラッターである以上は、もっと生身の人間がずたずたに
なって行くのでなければ意味がない。その線で言えば『ハイ
テンション』などの方が真髄を突いているし、物語が目茶苦
茶でも評価してしまうのはその点だ。
因に本作には、共同監督を務める山本淳一による1999年製作
のオリジナルがあるようだが、そのオリジナルがどのような
ものだったか気になるところだ。それがもし生身の人間のス
プラッターだとしたら、本作では造形によってその魅力を減
じてしまったことになる。
実は本作でも、前半にはなかなかのシーンが描かれていた。
最近は日本映画もCGIの進出でスマートになってきている
が、もっとどろどろしたものを描くことは、今の造形や特殊
メイクの技術で可能なはずだ。そこにこそスプラッターの魅
力がある。そんな作品を期待したいものだ。

『キャッチボール屋』
北野武、竹中直人らの助監督を務めてきた大崎章による監督
デビュー作。近々工事で閉鎖される公園を舞台に、10分100
円でキャッチボールをする男と、その客たちとの交流と、彼
らが人生を再出発するまでを描いた、一瞬の人生ドラマ。
主人公は、北関東の名門校の野球部で3年間補欠だった男。
卒業後は上京して就職したものの、どうやらリストラされた
らしい。そんな主人公が故郷に舞い戻るのだが、ひょんなこ
とから東京に送り返されて、公園のベンチで目を覚ます。
その公園には髭面のキャッチボール屋がいて、その髭の男は
主人公に店番を頼んだまま姿をくらましてしまう。そして、
その男の住んでいたアパートも譲られた主人公は、跡を継い
でキャッチボール屋となるが…
そこには、常連客の元甲子園球児や、OLや、キャッチボー
ルをしたことの無い中年親父や、小学生や、いろいろな客が
いて、それぞれ人生の再出発のきっかけを求めていた。
いろいろな意味で日本映画を感じさせる作品だ。キャッチボ
ールという行為そのものが、野球の無いヨーロッパはもちろ
ん、アメリカ映画でも少なくとも最近は見た記憶が無い。ま
してやそんなものを商売にするなんて発想は、日本人だけだ
ろうなと思ってしまう。
この発想自体がどこから来たものかは知らないが、映画の中
ではいろいろ名言のようなものも出てくるから、それなりに
普遍的なアイデアなのかも知れない。しかし、いずれにして
も日本でしか成立しないお話のように思える。
かと言って時代遅れの内容と言う訳でもない。いろいろ現代
の日本を集約している部分もあったりもする。でも、結局見
終って、ああそうですかの一言で終ってしまいそうな作品で
もある。それも日本映画を感じさせる要因かも知れない。
確かに、描いている内容に関しては、それぞれ良く描き込ま
れている感じはするのだが、何かそれがこちらの心に響いて
来ない。最近の日本映画を見ていると、時々こんな感じに陥
ることがある。物語が淡々と進みすぎて映画に熱さが感じら
れないようにも思えた。

『グエムル−漢江の怪物−』(韓国映画)
『殺人の追憶』のポン・ジュノ監督が、韓国映画には珍しい
怪獣映画に挑んだ作品。
首都ソウルを流れる大河・漢江。韓国では平和の象徴とも呼
ばれ、河岸には四季を通じて観光客や遊覧客で賑わうこの河
から、突如巨大な怪物が出現。怪物は素早い動きと怪力でそ
の場にいた人々を襲い、食い始める。
主人公の一家は、その河岸で飲食物の屋台を営業していた。
その日、父親と共に店番をしていた一家の長男は、怪物の出
現を間近で目撃し、居合わせた一人娘の手を引いて避難しよ
うとするのだが、雑踏の中で手が離れ、娘は怪物に連れ去ら
れてしまう。
このため娘は死んだものと見做され、被害者の合同慰霊祭の
会場に遺影が飾られる。そして駆け付けた次男、長女と共に
一家4人で悲しみに沈んでいたとき、突然防護服を着た一団
が現われ、一家は強制的に施設に隔離されてしまう。
ところが、その収容先で長男の携帯電話に助けを求める娘の
声が届く。しかしその事実を訴えても当局は取り合ってくれ
ない。そこで、一家は自分たちの能力を駆使して娘の救出に
向かうことにするが…
これに、一家の次男が元学生運動の闘士で、長女がアーチェ
リーの名手という伏線があり、頼りにならない当局の裏を掻
いて一家が娘の救出に向かう顛末が描かれる。
日本の怪獣映画は、どちらと言うと当局の主導で、大掛かり
な対抗策を描くのが売りものとなる。従って本作のように、
市井の一家が単独で怪物と対決するという展開は、確かに新
機軸と言えるものかも知れない。その着眼点は面白いと感じ
る作品だった。
一方、登場する怪物は、体長4〜5mほどの巨大ナマズに手
足が着いたような感じで、グロテスクではあるがそれなりに
リアルに描かれたものだ。この怪物を、『炎のゴブレット』
などのオーファネージ、『キングコング』などのWETA、
それに『スクービー・ドゥー』を手掛けたジョン・コックス
というハリウッド映画でも活躍するVFXスタジオが共同で
作り上げている。
韓国映画でも、未来都市のCG映像などは見た記憶があり、
それなりの水準だとは思っていたが、怪獣映画となるとまた
違った技術が必要になる。その点で外部の力を導入するのは
正しいやり方だろう。実際、怪物の縦横無尽の動きの良さな
どは見事なものだった。
とまあ映画の作り方はいいと思うのだが、どうもお話が歯痒
い感じだ。特に、映画の発端で原因が駐留アメリカ軍にある
ことを匂わせ、途中でもアメリカ軍の強引な作戦などという
話もちらほら出てくるのだが、その経緯を明確に描かない。
確かに、映画のコンセプトは市井の一家が活躍するというも
のだから、それはそれでも良いのだが、観客としては歯痒さ
が残ってしまうものだ。それに結末も、ちょっと観客として
は納得できないものだった。まあ、これが韓国映画のリアル
さなのかも知れないが。

出演は、ソン・ガンホ、ピョン・ヒボン、パク・ヘイル、ペ
・ドゥナ、それに14歳のコ・アソンが怪物に連れ去られる娘
役を見事に演じている。

『セプテンバー・テープ』“September Tapes”
2002年、アフガニスタン−パキスタンの国境付近で8本のヴ
ィデオテープとヴォイスレコーダーが発見された。それは、
9/11以降にアフガニスタンに潜入し消息を絶ったドキュ
メンタリー監督のものだった…という触れ込みで始まるフェ
イクドキュメンタリー作品。
実際、この映画に監督役で登場するのは、『バンド・オブ・
ブラザース』などに出演しているジョージ・カリルという俳
優だし、通訳を演じているのも、ハリウッド唯一のアフガン
系俳優として活躍しているワリ・ラザキという作品だ。
しかし、撮影は現実のアフガニスタンで行われており、登場
する武器商人や賞金稼ぎ、それに警官なども、事前の協力は
得ているものの全て本物ということで、使用されている銃器
にも実弾が込められているという。
また、撮影されたテープは帰国時にアメリカ国防総省に提出
を求められ、その内のムジャヒディンの戦士との会見を撮影
した8時間分が未返還のままとも言われているものだ。
本作が2004年にアメリカで公開されたときには、『ブレア・
ウィッチ・プロジェクト』のポリティカル版という言い方も
されていた。確かに描き方を踏襲している部分は多々見られ
る。しかし僕には、それが損か得か判らなくなってしまうと
ころだ。
恐らく監督は『ブレア…』からこのコンセプトを思いつき、
そのアイデアに従って忠実に完成させたもので、それはそれ
でも良いのだが。しかし、折角危険を犯してここまで撮影し
ながら、ホラー映画の亜流のように見られてしまうのは、も
ったいない感じもしてしまう。
確かに、ヴィデオ撮影の映像は画質の良いものばかりではな
いが、それでも工夫をすればもっとストレートな物語を作れ
たのではないか。しかしこの構成では、亜流に見えることは
否めないし、逆にアフガニスタンで撮影されたことも疑って
しまうことにもなる。
もちろん、監督に言いたいことはエンディングにあるから、
それを活かすためにはこの構成は外せない物ではあるが…。
その前に『ブレア…』があったことがこの作品の不幸だった
のかもしれない。ただし、それなしにこの構成を思いつけた
かどうかは判らないが。

『ザ・フォッグ』“The Fog”
1980年製作のジョン・カーペンター監督作品のリメイク。オ
リジナル版の脚本家で、監督の盟友でもあった故デブラ・ヒ
ルが死の直前まで製作に携わった作品で、クレジットには彼
女への献示も掲げられている。
1980年のオリジナルは当時見ているが、全体の恐怖演出は良
かったものの、結末で明らかにされる真相があっけなくて、
僕自身はちょっと肩空かしな印象を持った記憶がある。
そんな訳で今回は、予め結末というか、因縁話の部分は了解
して見ていたものだが、今回はその因縁話の部分から丁寧に
描かれていて、その点ではオリジナルより全体的に納得して
見ることができた感じだ。
物語の舞台は、オレゴン州の小さな港町アントニオ・ベイ。
その町は100年を超える歴史を持っていたが、今年の周年祭
には、100年以上も前に町の基礎を築いた4人の男たちを称
える銅像の除幕式も行うことになっていた。
ところがその数日前から、海岸に難破船からの物と思われる
古い懐中時計やオルゴール、ヘアブラシなどが流れ着き始め
る。そして町では原因不明の火災や事故などが起き始め、さ
らに沖合からは濃密な霧が町を襲おうとしていた。
日本で、このような海岸線の霧がどのくらい発生するものか
知らないが、アメリカの特に西海岸では、サンフランシスコ
の霧に代表されるような濃密な霧の被害はいろいろあるよう
だ。そんな自然現象と、開拓時代のアメリカ人の気風が物語
の基になっている。
しかし物語の発端は1871年ということで、日本で言えば明治
初期の時代、そう考えてみると、これは日本でも起きていて
おかしくない物語だ。普通、洋画のホラー映画はとかく他人
ごとになりやすいものだが、この作品には親近感が湧いた。
過去の怨念が現代に蘇るというのはジャパニーズホラーでは
定番の展開だが、アメリカでも同じような発想の作品が作ら
れていたというのも面白い。しかもオリジナルは、ジャパニ
ーズホラーの始まる前に製作されたものだ。
リメイク版の脚本は『ザ・コア』のクーパー・レイン、監督
は『スティグマータ/聖痕』のルパート・ウェインライト。
また主人公を『ヤング・スーパーマン』のトム・ゥエリング
が演じている。

『鬘』(韓国映画)
末期ガンに冒された妹、姉は最後の時を病院の外で過ごさせ
ることにし、化学療法で頭髪を失った彼女に、長い黒髪の鬘
をプレゼントする。そして、その鬘を着けた妹は、見違える
ように元気を取り戻して行くが…
日本でも以前から韓国製ホラー映画の公開はされているもの
だが、日本で韓国映画というとやはり恋愛映画が中心になっ
てしまう。しかし海外での評価は、アクションとホラーが断
然リードしているものだ。そんな韓国製ホラーの一篇。
韓国製のホラー映画というと、小道具をうまく使っている印
象を持つが、今回は小道具の最たるものとも言える鬘が鍵を
握る。鬘というのは、元々が人の頭髪を使って作られていた
など、怨念が溜まりやすそうなものだが、本作もその辺をう
まく利用したものだ。
しかし本作では、その怨念の矛先が判り始めた辺りからちょ
っと物語が混乱と言うか、そうであるならちょっと描き方が
違うのではないかという感じがしてきた。
映画の発端で鬘を作るシーンが出てきてそこに帰着して行く
のは良いのだが、途中の展開がこれでは巻き込まれる人たち
が浮かばれない感じだ。確かに怨念というのは、過去の作品
でも無差別攻撃的に描かれることが多いが、やはりちょっと
違うような気がする。
それが貞子のように、もっと社会に対する怨念みたいなもの
なら理解もするところだが、本作の場合は個人的な恨みが発
端であるし、確かに社会的な差別を受ける可能性のある設定
はあるが、映画にはそこまでは描かれていなかったようだ。

東洋の女性にとって黒髪は特別の意味を持つ感じがするし、
また見た感じも金髪などとは違ったイメージの湧くものだ。
そんな黒髪の美しさは見事に描かれている。しかも主演女優
がその頭髪を剃って撮影に臨んでいるのも、特別な感じを持
ってしまうところだ。

『ニキフォル』“Moj Nikifor”
1895年から1968年までの73年間の生涯をポーランド南部の町
クリニッツアで暮らし、約4万点の作品を残したと言われる
画家ニキフォルの晩年を描いた作品。
物語の始まりは1960年。クリニッツアの役所の管理部で美術
担当のマリアンは、自分のアトリエに居座ってしまった老画
家に手を焼いていた。その老画家ニキフォルは、天衣無縫に
絵を描き、画家でもあるマリアンの作品に駄作だと言い続け
る。しかし、自分の才能の限界に気づいているマリアンは、
それに返す言葉もない。
そんなある日、マリアンは大都市クラクフの文化省に栄転の
決まった上司から同行を求められる。願ってもないチャンス
に妻や家族は大喜びだったが、マリアンはニキフォルのこと
が気掛かりで行くことを躊躇してしまう。そして老画家の戸
籍を確定するため奔走するマリアンだったが、やがて老画家
が肺結核の末期だということを知らされる。
この事態に、役所は老画家をアトリエから追い出し、マリア
ンは自分が保証人となって療養所に老画家を入院させること
になる。そして家族はクラクフへの引っ越しを求めるが、マ
リアンは退院までそこにいることを主張、家族は別れて妻の
実家へ引っ越してしまう。
やがて退院を出迎えたマリアンは、老画家をワルシャワで開
かれた個展につれて行くが…
実際にニキフォルは、1960年代にはアメリカで注目され、晩
年は自ら「高名な画家ニキフォル(Nikifor Matejko)」と
署名する程だったということだが、当時は社会主義国家のポ
ーランドで、その実体はほとんど紹介されなかったようだ。
そんなニキフォルの晩年を支えたのが、マリアン・ヴォシン
スキという人物で、この物語はその実話に基づいている。
因に、水彩や色鉛筆で1日3枚ずつ工場生産のように描かれ
たというニキフォルの絵は、映画の中でも何点か紹介されて
いるが、作風自体は素朴なものの味わいが感じられ、特に色
彩の豊かさには感銘を覚えた。
なお、映画の中でニキフォルを演じているのは、1920年生ま
れのクリスティーナ・フェルドマンという女優で、85歳の女
優が70歳の男性画家を演じているものだが、その風貌も含め
た見事な演技にも感銘した。

『日本以外全部沈没』
1974年開催の日本SF大会で、星雲賞日本長編部門の『日本
沈没』と並んで、日本短編部門を受賞した筒井康隆原作の映
画化。地球規模の地殻変動で日本列島以外の世界中の大陸が
沈没し、世界中の難民が日本に押し寄せた事態を描いたパニ
ックパロディ作品。
元々の筒井の原作は、クラブのカウンターでの会話形式で進
められるものだが、この映画化では世間の様子も描かれ、特
に外国人難民との関り合いのシーンなどは、もちろん戯画化
はされているが、現実にもありそうな感じに見事に描かれて
いる。また、ちやほやされるだけで無策の政治家が、突然強
行路線に走る場当たり的な政策転換の様子も如何にもありそ
うで、その意味では見事な風刺ドラマにもなっている。
因に、今年リメイクされた本家の映画化を僕は全く認めてい
ないが、中でも不満に感じるのは、映画の中で一般人の姿が
ほとんど描かれないことだ。それに対してこの作品では、そ
の点もちゃんと描いているのには感心した。
ミニチュアを用いた特撮シーンは見るからにチープだが、そ
れが逆に外国人ホームレスの段ボールハウスが焼かれるシー
ンでは、本火とCGの炎が組み合わされてなかなかの効果を
上げていた。その他にもいろいろなアイデアが駆使されてい
るという感じの作品だ。
正直に言って、僕はもっとぐちゃぐちゃな作品になることを
予想していたが、予想外にまともな風刺パロディになってい
る。その意味では、筒井ファンにはちょっと期待外れになる
かも知れないが、僕はこの作品でリメイク版で感じた溜飲が
下がる思いがした。
出演は、小橋賢児、柏原収史、松尾政寿。また、藤岡弘、、
村野武範という、過去の映画版及びテレビ版『日本沈没』で
主人公小野寺を演じた2人の俳優が顔を揃えているのも良く
やったというところだ。他に、中田博久、寺田農、黒田アー
サー、土肥美緒、松尾貴史、デーブ・スペクター、さらに筒
井康隆の特別出演もある。
監督は、『いかレスラー』や『コアラ課長』など一連のパロ
ディ作品が話題の河崎実。この起用には多少危惧もしたが、
実は、彼は学生時代には8mm映画のアマチュア特撮で注目を
集めていたということで、本作の特撮シーンのこだわりもそ
れで納得したところだ。できたら、本家の再リメイクをこの
監督でお願いしたいとも思ってしまった。


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井口健二