井口健二のOn the Production
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2006年03月14日(火) キスキス,バンバン、隠された記憶、ぼくを葬る、プロデューサーズ、戦場のアリア、僕の大事なコレクション

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『キスキス,バンバン』“Kiss Kiss,Bang Bang”
『リーサル・ウェポン』でアクション映画の新時代を切り拓
いたと言われる脚本家シェーン・ブラックが、自らの脚本を
初監督した作品。
ひょんなことからハリウッドでスクリーンテストを受けるこ
とになった元こそ泥の男が、役作りのためにゲイを公言して
いるタフガイ探偵と行動を供にすることになるが、彼らの向
かうところに死体が次々に登場してしまう。
その一方で、主人公は幼馴染みの女性と再会し…
ブラックは、子供の頃からハードボイルド・ミステリーのマ
ニアだったそうで、その思いの丈をスクリーンにぶつけたと
言えそうな作品。名文句になりそうな台詞や、パロディ掛か
った演出も満載で、同じ趣味の人には思わずニヤリという感
じのものだ。
謎の美女が登場したり、無関係に思えた2つの事件が結びつ
いて大きな事件に発展して行くというのは、映画の中で主人
公が説明するハードボイルドの展開そのもの。そんなハード
ボイルドの解説も兼ねた作品になっている。
作者の分身とも言える元こそ泥を演じるロバート・ダウニー
Jr.や、探偵を演じるヴァル・キルマーもはまっているし、
物語には洒落も利いていて、同じような傾向の作品では、以
前にハリスン・フォードの主演で『ハリウッド的殺人事件』
というのがあったが、僕は本作の方が面白く感じた。
ただ、主人公がナレーションも勤めるという構成は、ハード
ボイルドものではよくあるとはいうものの、ちょっと現代に
は時代錯誤という感じもする。それでフィルムを止めたり、
巻き戻したりという演出も、ちょっと才に走ったという感じ
もしてしまう。
実際は、パロディにしたいのか、ハードボイルドの復権を目
指すのか、その辺をもう少し明確にして欲しかった気もする
が、逆にちょっとやりすぎにも思える演出で、それらの作品
の面白さを現代に再現するということでは成功しているとも
言えそうだ。
ブラックの本当の狙いはこの作品だけでなく、この後にもっ
と本格的なハードボイルドが続いてくれることを期待してい
るのかも知れない。その呼び水になってくれれば良い、そん
な感じにも思える作品だった。

『隠された記憶』“Cache”
ドイツ生まれのミヒャエル・ハネケ監督の2005年作品。カン
ヌ映画祭の監督賞やヨーロッパ映画賞の作品賞なども受賞し
ている。
ハネケ監督は、前作のカンヌでグランプリを受賞した『ピア
ニスト』が、作品の見事さは理解できるもののどうにも自分
の性に合わず、困ってしまった記憶がある。今回の作品も一
面ではそれに近いところもあるが、今回はそれに勝るものが
あると感じた。
主人公はテレビで文芸番組のホストなども勤める人物。出版
社に勤める妻と思春期の息子がいて、生活は安定していた。
しかしその彼の元に1本のビデオカセットが届けられたこと
から全てが狂い始める。
そのカセットの映像には、彼の家の正面が延々と写されてい
るだけだったが、それは彼が監視下に置かれていることを暗
示するものだった。そのカセットを最初は放置した主人公だ
ったが、次には無気味な絵が添えられて届き、そこには彼の
生家が写されていた。
そして主人公は、その絵の内容と生家の映像から、幼児期の
記憶を呼び起こされることになる。それは家で働いていたア
ルジェリア人の一家に関するもので、暴動に巻き込まれて一
家の夫妻が亡くなった後、家に引き取ったその一人息子を、
自分が迫害した記憶だった。
そしてビデオの映像に導かれるまま、彼はそのアルジェリア
人の後を追うことになるのだが…謎の監視者とアルジェリア
人との関係、やがて息子が行方不明となり、主人公の焦燥が
頂点に達する。
展開は有り勝ちなものだが、演出の巧さで主人公の焦燥が痛
いように伝わってくる。プレス資料に掲載された海外映画評
では、いろいろな社会問題と関連が見いだされているようだ
が、僕にはもっと根元的な恐怖を体験する感じだった。
なおラストカットの衝撃というのが宣伝コピーだが、最近の
社会情勢などを見ていると、僕はさほど衝撃には感じなかっ
た。しかしこのラストカットによって恐怖の本質が明らかに
されることは確かだろう。そしてこれが現実ということだ。
主演はダニエル・オートゥイユと、その妻役のジュリエット
・ビノシェ。また、主人公の寝たきりの母親役でアニー・ジ
ラルドが出演していた。

『ぼくを葬る』“Le temps qui reste”
『8人の女たち』や『ふたりの5つの分かれ路』などのフラ
ンソワーズ・オゾン監督の最新作。オゾン監督の作品はいつ
も女性が主人公だと思っていたが、本作は、僕が見た中では
初めて男性を主人公にした作品だった。
その主人公は、ファッションカメラマンとして将来が期待さ
れていた。ところが撮影中に倒れてしまう。そして診断の結
果は、複数の臓器がガンに侵されて手術は不能。化学療法を
拒否した彼の余命は3カ月程度と宣告されてしまう。
その3カ月間で、彼が何をしたかが綴られる作品だ。
同様の物語では、2003年8月に『死ぬまでにしたい10のこ
と』という作品を紹介しているが、女性(主婦)が主人公の
前の作品が、極めて計画的に死を迎えるまでの準備をしてい
たのに対して、今回の作品の主人公の場当たり的なこと。
実は、前の作品は脚本監督も女性だったものだが、今回、脚
本監督のオゾンは男性ということで、男女の違いが見事に表
わされた2作というところだ。
とは言え、場当たり的とは言っても主人公のやってみせるこ
とは、人間としては実に見事に正しいことであって、その点
では見終って清々しい気持ちにさせられた。然もそれが、何
ら特別なことではなく、自分でもその立場なら同じようなこ
とをしただろうと思えることで、納得して見ていられたもの
だ。
特には、確執のあった姉との関係や、事情を抱えた夫婦との
関係では、予想以上に見事な主人公の行動が素晴らしくも感
じられた。この辺りは、自分がその行動を思いつけるかどう
か自信がないが、その点でもこの物語に感心した。
主演は、フランスの若手有望株と言われるメルヴィル・プポ
ー。また、主人公の祖母役でジャンヌ・モローが素晴らしい
演技を見せている。
なお邦題は「葬る」と書いて「おくる」と読ませるようだ。
因に、本作の原題は「残された時間」という意味だが、そう
言えば、2003年の作品の原題は“My Life Without Me”とい
うもので、どちらも原題は抽象的な表現が使われていた。一
方、邦題には、死や葬という言葉があってかなり直接的な感
じだ。
まあ、日本の観客には、これくらい直接的にしないとアピー
ルしないのかも知れないが、何となく、日本人の死に対する
感覚が変わってきているような感じがして、ちょっと気にな
ったところだ。

『プロデューサーズ』“The Producers”
1968年度のアカデミー賞オリジナル脚本賞を受賞したメル・
ブルックス監督の同名の映画(日本未公開)を、2001年にブ
ルックス自身の脚色、作詞、作曲で舞台化し、さらにそれを
映画化した作品。
なお舞台作品はトニー賞で史上最多の12部門で受賞し、その
際の演出及び振り付けのスーザン・ストローマン(両賞受賞)
と、主演のネイサン・レーン(受賞)、マシュー・ブロデリ
ック(ノミネート)がそのまま映画化にも参加している。
ブルックスの映画作品は、『ブレージングサドル』や『ヤン
グ・フランケンシュタイン』などいろいろ見てきたが、パロ
ディは秀逸、だけどギャグは泥臭くて、なかなか日本では受
け入れられ難い映画作家だったように思う。
そしてアメリカでの人気も、1970年代がピークと言われ、映
画作品は1993年の『ロビン・フッド』辺りが最後だったよう
だ。この作品も悪くはないけれど、これを面白がるには、相
当の知識とブルックスコメディへの思い入れが要求されたも
のだ。
そのブルックスが大復活を遂げた作品ということで、僕は期
待半分、心配半分という感じで見に行ったのだが…心配はま
ったく無用。パロディは実に判りやすく、ギャグは日本で言
えば吉本新喜劇というところだが、吉本と同様、充分に市民
権を得られるものだった。
物語の舞台は1959年のニューヨーク。レーンが扮するのは、
昔はヒット作を生んだこともあるブロードウェイのプロデュ
ーサー。しかし今は落ち目で、ようやく完成した新作の舞台
も、初日で打ち切りの憂き目にあってしまう。
ところが、彼のオフィスに帳簿の整理にやってきたブロデリ
ック扮する会計士が、ある事実に気づく。それは、舞台が失
敗すると俳優やその他の経費を払わずに逃げることが出来、
うまくやれば集めた出資金を持ち逃げすることも可能だとい
うことだ。
そこで製作者と会計士は、絶対当らない脚本と、ろくな演出
のできない演出家と、演技も踊りも駄目な俳優を集めて、絶
対に失敗する舞台を製作。そこに小金を溜め込んだ未亡人た
ちから出資金を集め、200万ドルをせしめる計画を立てる。
そのため選ばれた脚本は社会的なタブーに触れるもので、演
出家はゲイ、俳優はド素人のドイツ人と英語もろくに話せな
いスウェーデン女優という舞台が製作される。そしてその舞
台が初日を迎えるのだが…
これに飛んだり跳ねたり、転けたりのベタなギャグや、ちょ
っとエッチなくすぐりなども満載で物語が進行するものだ。
もちろん映画や舞台のパロディもいろいろ登場するが、そん
なこと一々考えていられないほどテンポが速く、上映時間の
2時間14分はあっという間に過ぎてしまった感じがした。そ
して、僕が映画を見ながら声を上げて笑ったのは、本当に久
しぶりのことだった。
出演者は舞台からのメムバーがほとんどだが、中でウィル・
フェレルが演じるドイツ人とユマ・サーマンが演じるスウェ
ーデン女優が映画用にキャスティングされている。この内で
サーマンはそれなりの感じだが、フェレルの芸達者ぶりには
舌を巻いた。
フェレルの演技は、昨年はニコール・キッドマン主演の『奥
様は魔女』と、その後でBSで放送された『エルフ』を見た
が、どの作品も感心して見てしまったものだ。そのフェレル
の芸が今回も最高に発揮されていた。
なお試写会場で、映画から舞台になってまた映画化された作
品が他にあるかというような話をしている人がいたが、本作
以外でも、1960年のロジャー・コーマン作品が舞台ミュージ
カルになり、さらに1986年に映画化された『リトルショップ
・オブ・ホラーズ』などがそれに当る。
その他にも、『サウンド・オブ・ミュージック』は1956年の
西ドイツ映画『菩提樹』が元になっているし、『オペラ座の
怪人』もガストン・ルルーの原作のミュージカル化というよ
りは、1925年のロン・チェニー版映画の演出を踏襲している
部分が多いものだ。
なお、自作にいつも登場するブルックスは、エンドクレジッ
トでは今回は鳩と猫という人を食った役名が表示されていた
が、本人は映画の最後の最後に登場している。実は、長年連
れ添ったアン・バンクロフトが昨年6月に亡くなって、この
シーンの撮影はその後だと思うが、彼の表情にちょっと哀愁
を感じたのは僕だけだろうか。

『戦場のアリア』“Joyeux Noël”
1914年、第1次世界大戦の勃発した年のクリスマスに起きた
出来事の実話に基づくフランス映画。フランスでは2005年の
観客動員第1位を記録した作品ということだ。
1914年8月3日に第1次世界大戦が開戦して4カ月半が過ぎ
た頃。ドイツ占領下のフランス北部の村デルソーでは、ドイ
ツとフランス+スコットランドの部隊が1軒の農場を巡って
対峙していた。
スコットランド部隊にはある教区から来た若者とその教区か
ら派遣された神父が従軍しており、ドイツ部隊にはベルリン
オペラの花形だったテノール歌手が従軍していた。そしてフ
ランス部隊はその戦場からさほど遠くない町出身の若い中尉
に率いられていた。
第1次世界大戦は、元々はドイツが圧倒的な優位のうちにフ
ランスを占領して終わるはずのものだった。しかしイギリス
の援護を受けたフランスが予想以上の抵抗を見せて膠着状態
となってしまう。
そんな戦場のクリスマスが近づいたある日、ドイツ軍は余裕
を見せつけるために最前線にクリスマスツリーを並べ、そこ
にベルリンからテノール歌手の妻が慰問に訪れる。一方スコ
ットランド軍はバグパイプの演奏を始め、フランス軍にはシ
ャンパンが振舞われていた。
そしてドイツ軍から流れたテノール歌手の歌声にスコットラ
ンド軍のバグパイプが伴奏を合わせ、その歌声にフランス軍
から喝采の拍手が沸き起こった時、テノール歌手はツリーを
手にノーマンズランドに飛び出してしまう。
しかしその行動は、フランスとスコットランドの兵士たちも
ノーマンズランドに誘い出すこととなり、そして3軍の現地
司令はクリスマス休戦を取り決めるが…
毒ガス兵器が使われるなど、最初の近代戦とも言われる第1
次世界大戦だが、最初の頃はまだ殺伐としたものではなく、
この年のクリスマスだけでなく、翌年のイースターにも休戦
が実現した戦線もあったようだ。
もちろんこの事実は軍の公式記録には載ることもなく、人々
の間で言い伝えられているだけのものだったが、近年、そこ
にいた兵士たちが家族に宛てた手紙などによってその事実が
立証され、それらの取材に基づいてこの作品が作られたとい
うことだ。
人間が、本当に人間らしくいられた頃の物語。そしてこの作
品は、それに対する戦争が如何に非人間的なものであったか
を、見事に描き出している。
なお、原題のJoyeux Noëlは、英語のMerry Christmasに当る
フランス語で、さらにドイツ語のFrohe Weihnachtenと共に
映画の中で交わされるものだ。

『僕の大事なコレクション』
             “Everything Is Illuminated”
ウクライナを舞台に、アメリカ生まれのユダヤ人の青年が祖
父の残した1枚の写真を手掛かりに、祖父の故郷の地を訪ね
るロード・ムーヴィ。
『スクリーム』などの俳優リーヴ・シュライバーの初監督作
品で、ユダヤ人の青年をイライジャ・ウッドが演じる。
青年の趣味は、所縁の品をジップバッグに封入してコレクシ
ョンすること。それを家族の顔写真と共に壁一面に張り付け
ている。そのコレクションの発端は祖父の臨終。従って祖父
の写真の下にあるのは、臨終の枕元にあったバッタ入り琥珀
のペンダントだけだった。
ところが祖母から1枚の写真を渡される。その写真では祖父
が祖母ではない女性と並んで写っており、女性の胸元は琥珀
のペンダントで飾られていた。そしてその写真の裏には、そ
の女性の名前と祖国ウクライナの地名らしきものが書き込ま
れていた。
こうして青年は、その写真を手にウクライナの地を訪れるこ
とになる。ところがそれを出迎えたのは、ウクライナでユダ
ヤ人の遺跡巡りのガイドを仕事とする一家の若者。怪しげな
英語で通訳もする若者は、運転手の祖父と共に青年の案内を
することになるが…
写真に書き込まれた地名は、旧ソ連時代の地図にも載ってお
らず、人々に訪ねても知らないと言うばかり、しかし運転手
の祖父は青年の希望を叶えようと車を走らせ続ける。
以下、ネタばれあります。
実は戦前のウクライナでは、ナチスの方がましだと言われる
ほどの激しいユダヤ人に対する迫害があったようだ。その事
実は、現代のウクライナ人の若者には教えられておらず、完
全に歴史の中に埋もれてしまっているが、もちろん年配者は
記憶しているものだ。
そんな歴史の隠された一面が、物語の中で徐々に描かれて行
く。そして地図からも消えてしまった村の謎が明らかにされ
て行く。
物語の始めの方では、ウクライナ人の若者もその祖父もユダ
ヤ人を軽蔑するような言動を行っている。それは、彼らがユ
ダヤ人を案内することを一家の仕事としているが故の発言よ
うにも見られるが、実は根強いユダヤ人蔑視の風潮があるこ
とも窺える。
僕は、ウクライナでこのようなユダヤ人の迫害があったこと
は知らなかったし、それによる悲劇のことも全く知らなかっ
た。しかもそれが現地でもほとんど伝えられていないという
事実。同じようなことを近隣の国々にやって、頬被りしてい
る日本人の言えた義理ではないが、ソ連の歴史教育も相当に
歪んだものだったようだ。
もちろん本作は、ユダヤ人の監督と俳優によるユダヤ人の主
張に沿った映画ではあるが、それでもこういうことが描かれ
るだけでも有意義なことと言わざるを得ない。重く深い歴史
の淀みがあるのだろうな、そんなことを考えさせられる作品
だった。
しかし映画は、ある一点を除いては、この題材を重苦しくせ
ずに描いており、その新人脚本家、監督とは思えない手腕に
も感心した。


都合により、製作ニュースの更新は週末になります。


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井口健二