2006年02月28日(火) |
Vフォー・ヴェンデッタ、ファイヤーウォール、SPIRIT、ブラッドレイン、ククーシュカ、南極物語 |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『Vフォー・ヴェンデッタ』“V for Vendetta” 『マトリックス』のウォシャオスキー兄弟の脚本、製作によ るパラレルワールド・アンチユートピア作品。イギリス出身 のコミックス作家デイヴィッド・ロイドが1980年代に発表し たグラフィックノヴェルの映画化。 昨年5月のカンヌ映画祭に、ナタリー・ポートマンが坊主頭 で来場して話題になったが、その原因がこの作品だった。共 演は、『マトリックス』でエージェント・スミス役のウーゴ ・ウィーヴィング。 第2次大戦より後のある時代。アメリカはその後に引き起こ した第3次大戦で疲弊し、今やイギリスの植民地と化してい る。そのイギリスの隆盛は、混乱期に導入した全体主義的な 国家体制が功を奏したもの。しかしその体制は、今や独裁主 義へと変貌していた。 そして、ある夜間外出禁止令が発令された夜のこと。主人公 のイヴィーは勤務先であるテレビ局の上司の家に招かれてい たが、用意に手間取り街頭で外出禁止時間になってしまう。 しかも隠れようとして入った路地で自警団に捕まり、あわや となるのだが‥ Vと名乗る仮面の男は、イヴィーを自警団から救い出し、彼 女をとある建物の屋上に導く。そしてその夜、ロンドン中に 鳴り響く「序曲『1812年』」の調べと共に華々しい打ち上げ 花火が夜空を彩り、Vの活動が開幕する。 物語のキーワードは11月5日。イギリスではガイ・フォーク ス・デイと呼ばれ、1603年にガイ・フォークスらによる国家 転覆計画が失敗したことを祝う祝日だが、映画での意味は異 なる。映画でVが被っている仮面はそのガイ・フォークスの 顔を表わしたものだ。 原作の書かれた1980年代は、ヴェトナム戦争で疲弊していた アメリカが、ソ連のアフガン侵攻失敗などをてこに、地球唯 一の強国に成り上がって行く時代だが、ソ連の失敗が無けれ ばこんな世界も有り得たかもしれない、そんな物語だ。 いやある意味、今のアメリカがここに描かれたイギリスその ものではないか、そんな視点も見え隠れする。そんな映画の 作りにもなっている。 実際、映画の中ではマスコミ操作による国家体制維持のため の姑息な手法なども描かれるが、これなどはアメリカのテロ 対策では当然行っている思われるものだ。しかも国民は、そ のことを暗に知りながらも全く行動を起こそうとしない。 そんなアメリカ批判とも取れる作品の全体に漂う雰囲気が、 多分Varietyなどの体制派映画マスコミでの批判的論調にも つながったのだろうが、僕などは見ていて溜飲が下がる思い がしたものだ。 日本公開は4月29日、アメリカでは3月中旬の公開だが、こ の作品に対する大衆の反応がその国の健全さの指標にもなり そうな、そんな問題提起を含んだ作品にも見えた。 なお、映画では巻頭からナレーションや長台詞が満載で、文 字の多いグラフィックノヴェルを髱髴とさせる。特にウィー ヴィングの台詞は、さすがに舞台役者でもある人らしく朗々 としてリズムがあり、聞いていて心地良かった。もっとも、 彼の顔は終始仮面の陰なので、どんな長台詞でも苦はなかっ たとは思われるが… 実は本作は、当初昨年秋に公開の予定が爆弾テロ事件などの 影響で公開が控えられた。その理由となったシーンは、かな り強烈なもので、見る人によっては神経を逆撫でされるだろ うとは思うものの、思わず見惚れてしまうものだった。
『ファイヤーウォール』“Firewall” 小さな銀行だが世界一のセキュリティを自認する銀行のセキ ュリティ担当重役が、家族を人質に取られ、がんじ絡らめの 状況の中で、自らの立てたファイアウォールの穴を探しつつ 犯人たちへの反撃を試みるというアクションサスペンス。 主演のハリスン・フォードが久々にアクションに帰ってきた と言われている作品。フォードのこの前のアクションという と、1997年の『エアフォース・ワン』辺りになるのかな。前 回はアメリカ大統領、今回は銀行の重役という役柄だ。 主人公は、小さな銀行のネットセキュリティ担当重役。そん な彼が構築したファイアウォールは、難攻不落の電子の要塞 だったが、ネット犯罪の被害を経費として計上した方が安上 がりと考える同僚重役とは、セキュリティ予算を巡って争い が絶えない。 ところがある日、彼の許に覚えの無いネットギャンブルの取 立て屋が現れる。そしてその夕刻、彼は友人に誘われセキュ リティ会社を設立しようとする起業家の誘いを受けるが…そ の間に彼の住居が襲われ、家族を人質に取られてしまう。 犯人たちの要求は、彼の銀行の大口預金者を選んで、その口 座から一定額づつを指定の口座に振り込むというもの。その 総額は1億ドルに及ぶが、各口座から奪われる金額は少ない ため発覚までには時間がかかるという計算だ。 その犯行自体は、主人公が指示に従えば雑作もないことだっ た。しかし、事態は犯人たちの予測していなかった方向に進 んでしまう。そして犯行を焦る犯人と主人公との頭脳戦が繰 り広げられることになる。 フォードの主演作ということでは、絶対に主人公が勝ち、平 和な生活が取り戻せるだろうという安心感がある。しかし犯 行が進み、主人公がどんどん窮地に追い込まれて行くと、彼 は一体どうやってこの窮地を脱するのか…。その辺りでぐい ぐい引き込まれて行く感じの作品だ。 正直に言って、俳優フォードにとってこのような観客の側の 捉え方が、徳なのか損なのかは難しいところだが、もはやこ れがブランドになってしまった感があるところでは、これか らもこの路線を全うしてもらいたいと思うところだ。 相手役には、イギリスからポール・ベタニー、『サイドウェ イ』のヴァージニア・マドセン、『24』のメアリ・アン・ ライスカブ、『T2』のT-1000役が鮮烈なロバート・パトリ ック、ロバート・フォースター、アラン・アーキンなど。 特に、ベタニーの知的だが冷酷な犯人像は映画全体に良い味 を付けている。また女優2人の役柄も魅力的だったし、パト リックの役柄の雰囲気も良い感じだった。なおマドセンのデ ビュー作が『砂の惑星』だったというのは嬉しい情報だ。 因に本作は、当初は“The Wrong Element”という題名で製 作されていたものだが、その後に原題が変更になっている。 その理由は、ドイツで“Long Elephant”と紹介されたため だと言うのだが、そんなことで題名を変えてしまうものなの だろうか。
『SPIRIT』“霍元甲” 霍元甲(フォ・ユァンジア)は、中国武道を統一し、1840年 の阿片戦争に破れてから自信を失っていた中国国民の希望の 星となったと言われる人物。この霍元甲をジェット・リーが 演じ、1910年10月に上海で行われた史上初の異種格闘技戦の 実話に基づく格闘技映画。 霍元甲は、天津で霍流を名告る武芸家の家に育ったが、幼い 頃に病弱だった息子に父親は武芸を禁じ、学芸の道を歩ませ ようとする。しかし見よう見真似で鍛練を積んだ元甲は、や がて父の死後にその道場を継いで、天津では並ぶものの無い 武芸者となる。 ところが、ただ強くありたいという思いだけで成長した元甲 は、ある日、弟子の受けた暴行への復讐のために他流の武芸 者を挑発し、その闘いの末に相手を殺してしまう。だが、そ の復讐はさらに復讐の連鎖を生み、その結果は… これにより闘いの空しさを知った元甲は天津を出奔し、各地 を放浪して自らの武芸のあり方を見つめ直す。そして道を極 め天津に舞い戻った元甲が目の当りにしたのは、その時代の 中国が西欧や日本などの列強に屈し、その歴史や文化が失わ れつつある現実だった。 この現実に気づいた元甲は、屈強な西洋人の武芸者を倒し、 中国人の喝采を受けて中国人に自信を取り戻させるが、その 元甲の動きは列強国の反感を買うことになる。そして元甲の 行動を封じるため、史上初の異種格闘技戦の開催となるが… この異種格闘技戦の日本代表・田中安野役には中村獅童が扮 し、映画のクライマックスを盛り上げている。 監督は、2003年の『フレディvsジェイソン』などのロニー・ ユー。元々は中国出身だが、最近はハリウッドで活躍してい る監督の久々の中国映画ということだ。 その監督のコメントの中で、マーシャルアートをカットの切 り替えや編集テクニックではなく、ロングで取ることが出来 るキャストという言葉があった。確かに、この作品で演じら れている闘いのシーンは、それぞれの演技者がほぼ全身を見 せて闘っているものだ。 もちろんそこには、ワイアーワークなども使用されてはいる が、そのワイアーワークにしても、出演者自身の実際の吊り によって演じられているもので、CGIなどによる誤魔化し もなく、見ていてすっきりするものだった。 上映時間は1時間43分。多少のドラマはあるが、全編のほと んどのシーンが格闘技という凄まじい構成。しかもどの闘い も変化に富んだ見応えのあるものばかりで、格闘技映画のフ ァンには堪能できる作品と言えるものだろう。 その分、女性客の反応が気になるところだが、そこはリーと 獅童の人気でカヴァーして欲しいという感じになりそうだ。 なお、エンディングのクレジットではリーと獅童の2人が主 演とされ、それぞれ単独で表記されていたものだ。
『ブラッドレイン』“Bloodrayne” ドイツ出身でハリウッドに渡ったウーヴェ・ボル監督による 2005年作品。 この作品の製作に関しては、2004年8月15日付の第69回でも 紹介しているが、先に製作された『ハウス・オブ・ザ・デッ ド』などの成功でヴィデオゲームの映画化に関して定評を得 たボル監督が、今後も継続する同様の作品群の中で手掛けた 作品と言えるものだ。 物語の舞台は、18世紀のトランシルヴァニア。主人公のレイ ンは、吸血鬼の父親が人間の母親を犯したことによって生ま れたが、その存在は吸血鬼を滅ぼすものとされる。そして、 その誕生を知った吸血鬼が襲ったときには母親の機転で救わ れるが、母親は目の前で惨殺されてしまう。 こうして命を存え成長したレインだったが、ある日、吸血鬼 の血が目覚め、周囲の人々を襲ったことから、吸血鬼と闘う 「業火の会」のハンターたちからも追われることになる。 一方、吸血鬼の魔手は「業火の会」の中枢を襲い、最後の闘 いの日が迫っていた。こうして父と娘の対決となるが、その 闘いの鍵として、吸血鬼の力を究極に高める3つの遺物の存 在があった。 この3つの遺物という辺りは、如何にもゲームという感じの ものだが、オリジナルのゲームは第2次大戦のナチスドイツ が舞台となっていたようだ。しかし、ドイツ出身の監督の意 向かどうかは知らないが、映画化では舞台が変えられたもの だ。とは言え、全体にクラシカルな雰囲気は、往年のホラー 映画の再来という感じにも仕上がっている。 実際、ハリウッドでも同様の舞台設定による『ヴァン・ヘル シンク』は作られているが、VFX満載の作品とはまたちょ っと違った味がこの作品には漂っていた。それは換言すると 安っぽさとも言えるかも知れないが、そんな雰囲気はホラー には似合っているものだ。 出演は、レイン役に『T3』のクリスティーナ・ロケン、父 親の吸血鬼役に『サウンド・オブ・サンダー』にも出ていた アカデミー賞スターのベン・キングズレー、そして吸血鬼ハ ンター役に『バイオハザード』のミシェル・ロドリゲス。 他に、『処女の生血』のウド・キアー、『フィラデルフィア ・エクスペリメント』のマイケル・パレなどホラーSF映画 ファンに懐かしい名前も並んでいる。また、預言者役でジェ ラルディン・チャップリンも出演していた。 この一見豪華なキャスティングは、ボル監督の作品では今後 も継続されるようで、その点でも注目して行きたいものだ。
『ククーシュカ』“Kukushka” 第2次大戦末期のソ連−フィンランド戦線となったラップラ ンドを舞台に、フィンランド人青年と、ロシア人の兵士と、 そして現地のサーミ人の女性の織り成す物語。 2002年のロシア映画で、同年のモスクワ国際映画祭では監督 賞、主演男優賞など5部門を受賞したということだ。 第2次大戦中、フィンランドはドイツと同盟を結び、以前に ソ連に奪われた領土を奪還するため、ラップランドでの闘い を繰り広げていた。 そんな第2次大戦も末期の頃。主人公のフィンランド人青年 は、大学から学徒動員されてラップランド戦線で狙撃兵とな っていたが、反戦思想の持ち主であったために他の兵士たち によって岩に鎖でつながれ、わずかな食料と共に置き去りに されてしまう。 対するロシア人の兵士は、彼も反戦的な通信を送ったことを 疑われて本部に護送中だったが、友軍機に誤爆され、護送し ていた上官と兵士は死亡、彼だけが重症で生き存える。 そしてそんな戦場のラップランドで、徴兵された夫の留守を 護り一人で暮らしてきた女性が、最初にロシア人の兵士を発 見して自宅に連れ帰り、看護を始める。一方、鎖を逃れた青 年も援助を求めて女性の家にたどり着く。 こうして3人の生活が始まるのだが、フィンランド語しか話 せない青年と、ロシア語しか話せない兵士、それにサーミ語 しか話せない女性の間では、言葉によるコミュニケーション は全く出来ず、わずかにジェスチャーのみで意志を通じさせ ることになる。 しかもいろいろな誤解が、特に2人の男性の間では確執とな るのだが、一方の女性は、実は夫が徴兵されてから4年間を 男なしに暮らしていたのだった。こんな3人の間での可笑し くも悲しい物語が展開する。 もちろん反戦思想が色濃く打ち出された作品ではあるが、そ こにはもっと根元的な人間が生きることへの賛歌のようなも のが歌い上げられている。それはリアルなサヴァイヴァルで あったり、ある面ではファンタスティックであったりもする が、それらが見事に融合して物語を作り上げている。 特に、前半のリアルから後半のファンタスティックな展開へ の移行の巧みさが見事に作品の完成度を高めているものだ。 また、四季を通じてのラップランドの大自然の美しさも見事 に写し出されていた。 なお題名は、ロシア語で鳥のカッコウの意味だが、狙撃兵の 隠語でもあるようだ。それともう一つ別の意味も含まれてい る。
『南極物語』“Eight Below” 1983年に公開されたフジテレビ製作『南極物語』のハリウッ ドリメイク。 クレジットでは、Suggested by the Film:“Nankyoku Mono- gatari”と表記され、当時の蔵原監督の名前も掲げられてい たようだ。 オリジナルは1958年の南極越冬隊での出来事を描いたものだ ったが、今回は物語の背景を1990年代とし、数あるアメリカ の基地の一つで起った物語としている。天候の急変によって 犬を置き去りにしなければならなかったという物語は変えら れないが、現代にマッチさせるためにはこの程度の改編は仕 方がないというところだろう。 そして主人公は、全米科学財団の南極基地に駐在しNo.1と言 われる山岳ガイド。その基地に隕石調査の学者が現れるとこ ろから物語は始まる。その調査地は先陣争いのために学者の 到着まで曖昧にされおり、その学者が告げた目的地は主人公 が当初聞いていた方角とは違うものだった。 しかし上司の命令でガイドを引き受けた主人公は、氷の状態 を判断して8頭立ての犬ぞりを使うこととし、目的地である メルボルン山に向かう。ところが現地に到着した直後に天候 の悪化が報告され、基地には放棄脱出の命令が伝えられる。 この事態の中、ぎりぎりの調査で成果を得た主人公たちは基 地への帰還を開始するが、アクシデントで帰還が遅れ、基地 に着いたときには天候の悪化が始まってしまう。そしてまず 怪我人のいる人間の避難が優先され、後続便で犬を運ぶこと が決められるが… 凍傷で意識を失った主人公が目を覚ましたときには、後続便 が飛ばなかったことが明らかにされる。 一方、基地の残された8頭の犬たちは、最初はただ飛行機の 飛び去った方角を見つめているが、やがて人間が戻ってこな いことを悟ると、首輪を抜け出し、リーダー犬の許で食料を 捜し、生き抜く道を捜し始める。 20年以上も前に見たオリジナルの記憶は曖昧だが、残された 犬たちがオーロラを見るシーンなどは印象的なものだった。 そのシーンは今回もちゃんと再現され、その他にも端々のシ ーンはかなり忠実に作られていたようにも思える。 それに加えて、オリジナルでは映像化できなかったカモメを 狩るシーンや、オットセイとの闘いなどが、ILMのCGI やスタン・ウィンストンのアニマトロニクスで映像化され、 当然、人間によって作られたストーリーではあるにせよ、そ れなりにうまく物語になっていた。 日本映画での感動大作のような作りにはなってはいないが、 淡々とした中にも犬たちの頑張りや主人公の救出に賭ける努 力なども描かれ、日本映画とは違う側面での娯楽作としての 完成度の高い作品になっていた。それが、アメリカでの公開 1週目に第1位の記録にもつながったのだろう。 なお、字幕の中で「イタリア基地にあるランボルギーニばり の雪上車」というような訳があったが、ランボルギーニ社は 元々トラクターのメーカーで、この時代のイタリア基地には 実際にランボルギーニ社製の雪上車があったはず。原語の台 詞は聞き逃したが、この翻訳はちょっと疑問に感じた。
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