井口健二のOn the Production
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2005年10月31日(月) 博士の愛した数式、ソウ2、TAKESHIS’、ハリー・ポッターと炎のゴブレット

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『博士の愛した数式』                 
『雨あがる』、『阿弥陀堂だより』の監督小泉堯史、主演寺
尾聰のコンビによる第3作。2003年に発表された小川洋子に
よる同名の小説の映画化。               
80分間しか記憶を保てない天才的数学博士と、博士の身の回
りの世話をするために派遣された家政婦、そして彼女の息子
の物語。                       
最近、記憶の問題を扱った作品は実に多いが、本編もその流
れを汲む。そしてこの作品では、80分というタイムリミット
が設けられ、このタイムリミットの中での博士と母子の交流
が描かれて行く。                   
以前にも書いたように、自分の身内にも老人性ではあるが記
憶傷害の患者を持つ者としては、この種のドラマは必要以上
に真剣に見てしまっていると思う。その目で見てこの作品で
は、深津絵里が演じる家政婦の対応が素晴らしいものに感じ
られた。                       
患者は前日の記憶を持っていないのだから、通いの家政婦の
場合は毎日が初対面となる。そこでは当然同じ質問が繰り返
される。ここで最初はその質問に答えるのだが、次に同じ質
問をされると、彼女はその回答に対する博士の説明も先回り
してしまう。これによって博士が同じ説明をする無駄を省い
てしまっている。                   
もちろんそこに至るまでには試行錯誤があり、映画はそれを
省略したという設定かも知れないが、この対応の仕方一つに
も感心してしまった。                 
実際、自分の身内はもっと短時間の記憶傷害で、もっと頻繁
に同じ質問を繰り返してくるが、僕はそれに何度でも同じ回
答を繰り返してきた。周囲から見るとそれも異様ではあるよ
うだが、僕は割り切ってそれをしているものだ。     
つまり僕には、この家政婦のような応対はできなかった。自
分ではそうすることが患者を傷つけるのではないかと思った
部分もあったが、ここで描かれた対応の仕方には、改めて納
得してしまったものだ。                
ということも含めて、本作は記憶傷害の患者との交流が巧み
に描かれた作品ではあるのだが、実はこの映画のテーマはそ
こだけにあるのではない。この作品では、数学という学問が
実に魅力的に描かれているのだ。            
この点について原作者の小川は、試写会後に行われた記者会
見で、「小説では描き切れなかった公式の美しさが、映画で
は見事に表現されていた」と語っていたが、実際に黒板にチ
ョークで説明されて行く完全数や友愛数の物語は、実に魅力
的なものだった。                   
同じ記者会見で寺尾も言っていたが、これによって数学離れ
の進む日本の学生が数学に興味を持ってくれたら、それも映
画の素晴らしい効果と言えそうだ。それこそ、日能研の算数
の先生に推薦文でも書いてもらいたいような作品だった。 
なお記者会見の中で、記憶傷害のはずの博士と母子の交流が
徐々に深まっていくように見えることについて質問が出た。
それに対する制作者の回答は「フィクションですから」とい
うものだった。                    
しかし最近になって、脳以外の臓器にも記憶能力があるとい
う説が登場してきている。従って、これは制作者の意図では
ないかも知れないが、この映画でそれを感じられたことは、
僕にとっては多少の希望も持ちたくなるような素晴らしい展
開にも感じられた。                  
                           
『ソウ2』“Saw 2”                  
(本作は10月29日に公開されたものですが、紹介しておきま
す)                         
昨年1月のサンダンス映画祭で絶賛され、ちょうど今頃に日
米同時に一般公開された『ソウ』の続編。前作同様、一つの
場所に閉じ込められた複数の人間が、自分の命をかけて闘う
様子が描かれる。                   
前作は、脚本監督主演を分担したリー・ワネルとジェームズ
・ワンが、自費で作り上げた8分のフッテージを製作会社や
俳優に見せて歩き、それが評価されて映画化に漕ぎ着けたと
いうものだったが、今回もまた製作に至る過程が面白い。 
今回の場合は、前作のフッテージを見たヴィデオ監督のダー
レン・リン・バウマンがその映像を気に入って、自作の脚本
を映画化する際の撮影を撮影監督のデイヴィッド・アームス
トロングに依頼したことに始まる。ところがアームストロン
グは、ちょうど“Saw 2”のアイデアを探していた前作の製
作者にこの脚本を見せ、一気に続編としての映画化が決った
というものだ。                    
そこで、試写後に行われたティーチインで、バウマン監督に
元脚本のアイデアと映画化との違いを聞いてみた。それによ
ると、深作欣二監督の『バトル・ロワイアル』に触発された
という元脚本は単純に殺し合うだけのものだったそうだ。そ
こに、前作を手掛けたワネルがいろいろな仕掛けを盛り込ん
で“Saw 2”に仕立てて行ったということだ。           
というところで物語の紹介だが、今回は、前作で捜査に当っ
ていた刑事が前面に登場し、しかも早々に犯人ジグソウとそ
のアジトが発見されてしまう。しかしそこで彼は、息子がジ
グソウの手に掛かり、他の男女と共に位置不明の建物に拉致
されていることを知る。そして救出までのタイムリミットが
提示され、ゲームが始まるというものだ。        
一方、閉じ込められた男女にも徐々にヒントが与えられ、彼
ら自身もサヴァイバルの闘いを始めることになるが…   
実は、ティーチインの中で聴衆にアンケートが行われたが、
1、2のどちらが面白かったかと言われて、僕は2に手を挙
げた。確かに1は不条理劇として見事に成立していて、その
点の良さは認めるが、不条理劇と言うのは得てして後味が悪
いものだ。                      
その点で本作は、不条理劇としての出来は多少落ちるかも知
れないが、大衆向けの面白さという点では良かったように思
える。特に前作では、登場人物たちの過ちは言葉で語られる
だけだったが、本作では映画の中でそれが明示される点にも
脚本の巧みさを感じた。                
なお、本作は日本ではR−15指定で、誰にでも勧められるも
のではないが、映画ファンとしては納得できる作品だったと
言える。またティーチインでは、さらなる続編の質問が出た
が、製作者の一人がブログの中で“Saw 3”で頭が痛いと書
いてしまっているそうだ。               
                           
『TAKESHIS’』                
2003年の前作以来となる北野武監督作品。今年のヴェネチア
映画祭でサプライズ上映されて話題を呼んだ。      
監督の前作についてはいろいろあって、自分のサイトからは
紹介文を削除したが、基本的に北野作品は、一部作品の暴力
描写には辟易するところはあるものの、気に入っている作品
が多い。                       
特に1998年の『HANA-BI』、99年の『菊次郎の夏』、2002年
の『Dolls』に関しては、監督の感性が自分に合っていると
感じさせてくれたものだ。そして本作も、その気持ちは変わ
らない。自分もこんな作品を作ってみたい、と思わせてくれ
る作品だった。                    
主人公は、人気タレントのビートたけしと、売れない役者の
北野武。この2人がそれぞれの夢を語りつつ、相互にその夢
が物語として描かれて行く。ある意味、願望充足型の作品で
あり、その意味では実に無邪気な作品である。      
ここで普通なら、夢の世界と現実の世界をパラレルワールド
で描くような設定だが、北野監督はいずれも現実(夢)とし
て描いて行く。従って相互に行き交う部分もあるし、しかも
それぞれを各俳優の1人多役で描くから、これは実に楽しい
作品に仕上がっているものだ。                
因に、プレス資料によると、監督自身、編集が一番楽しいと
語っているようだが、確かにこの作品を、きっちりと判りや
すく編集するのはかなり頭の要る仕事だろう。その意味では
本当に楽しいことのように思えるものだ。        
また、今回はその中で刻まれるリズムが映像としてもちゃん
と整えられているのは、それなりに認められるところだ。ま
あ多少ぎこちなくはないが、こんなところだろう。それと、
巻頭で倒れる兵士のたてる音の感じが、何かが始まるぞとい
う雰囲気が出ていて良かった。             
なお、物語に関しては、何を書いてもspoilerになりそうな
ので紹介しないが、一つ言えることは、本作はタケシチルド
レンへの豪華のプレゼントだということだ。       
今までの作品でも、ファン以外の観客は無視している傾向は
あったが、特に本作はそれが前面に押し出されている感じの
ものだ。この作品を存分に楽しめるのは、ファンの特権と言
えるかも知れない。                  
最後に一ついちゃもんを付けておくと、プレスに大きく書か
れた「ファンタジック」というのは、いい加減やめにして欲
しい。これは昔、無知な出版社が誤って使ったことに端を発
したもので、正しくは「ファンタスティック」。世界の北野
ならこの辺りは気をつけてもらいたいものだ。      
                           
『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』         
        “Harry Potter and the Goblet of Fire”
全7巻シリーズのちょうど折り返し点となる第4作。ハリー
が「選ばし者」であることが明確になり、宿敵ヴォルデモー
ト卿も真の姿を現す。                 
シリーズも4作目ともなると、それなりにルーティン化とい
うか、お決まりのものが登場するようになってくるが、本シ
リーズでのお決まりと言えば空飛ぶサッカーとも呼べるクデ
ィッチの試合。しかし今回は、ワールドカップの決勝戦が巻
頭を飾るものの、本篇中でのハリーたちの試合は無し。  
替って本作では、ホグワーツ校主催による伝説の3魔法学校
対抗戦が開催されることになり、ハリーは学校の代表として
これを闘うことになるというものだ。そしてこの闘いの様子
は、ハリーの活躍を中心に、3つのステージに渡ってかなり
丁寧に描かれている。                    
また、それに併せて開催される3校交流のダンスパーティで
のエスコート相手探しや初恋など、ハリーたちの青春真っ只
中の物語が展開する。              
映画化の監督は、1994年公開『フォー・ウェディング』など
のマイク・ニューウェル。第1作、第2作のクリス・コロン
バスはアメリカ人、第3作のアルフォンソ・キュアロンはメ
キシコ人だったが、今回はシリーズ初のイギリス人監督とい
うことになる。                    
そこで、ハリーたちが送るイギリス的学園生活の描写には、
男女共学の公立校出身という監督の実体験が反映されている
ということだ。またダンスパーティの雰囲気なども、監督の
実体験に基づくそうで、成程こうなんだろうなという感じの
ものに描かれている。                 
ただし物語は、原作に沿ってはいるが、原書で734ページの
物語はさすがに全部映画化できるものではなく、ハリー以外
のエピソードはほとんど削除されてしまっている。    
特に、ハーマイオニのいろいろな行動はほとんど描かれない
し、ハリーとロンの仲違いのエピソードも、あっと言う間に
解決されてしまう。しかしそれでも上映時間は2時間37分も
あるのだから、これはもう仕方がないという感じだ。   
何しろ次から次に事件が起って、本当に息を継ぐ暇もないと
いう感じの映画だ。逆に、その中でのちょっとした息継ぎが
上記のダンスパーティのシーンとなるものだが、ここでは、
ハリーたちのダンスに加えて、ハーマイオニを演じるエマ・
ワトスンのドレス姿も話題を呼びそうだ。        
僕自身、中学生の頃に好きだった同世代の英国女優が初めて
映画の中でドレス姿を見せてくれたときには、その姿に興奮
した思い出があるが、この作品で、今の主人公たちと同世代
の観客が同じ感動をしてくれたら、それも素晴らしいことの
ように思える。                    
なお、このダンスパーティのシーンには、イギリスロック界
からピックアップされたスペシャルユニットが登場し、映画
のテーマに合わせた新曲を3曲も披露しているもので、ロッ
ク音楽ファンにはこの辺も話題になりそうだ。      
イギリスでは12歳未満の鑑賞には保護者の同伴を求めること
になったようだが、物語は原作と同様かなりダークなものに
なってきている。この雰囲気は、少なくとも発表されている
原作の第6巻までは続くもので、まあ読者も一緒に成長して
いるのだから、これも仕方がないというところだろう。  


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井口健二