井口健二のOn the Production
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2005年10月30日(日) ディア・ウェンディ、ザ・コーポレーション、RIZE、三年身籠る、イントゥ・ザ・サン、変身、NOEL、ポビーとディンガン

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『ディア・ウェンディ』“Dear Wendy”
『ドッグヴィル』のラース・フォン=トリアーが脚本を担当
したデンマーク映画。ただし台詞はすべて英語で、題名も英
語で表記されていたようだ。
町のほとんどの男は炭坑で働いている炭坑町。向かって左側
には採掘中の坑口があり、右には廃坑となった坑口が残され
ている。町はその2つの坑口に対向するように形成された広
場を中心に、わずかな商店が軒を並べているだけのものだ。
そして主人公は炭鉱夫の息子だが、父に連れていかれた地下
の炭坑に入って行くことができず、その後は商店で働いてい
るが、男としては負け犬と見なされる存在だ。しかし、玩具
として購入した小型銃が、実は本物と判ったときから徐々に
人生が変り始める。
主人公は平和主義者と自称し、銃の玩具が売られていること
自体にも嫌悪感を示していたのだが、やはり負け犬だが銃の
知識の豊富な友人と、廃坑の地下で銃を試射したときから自
信が付き始め、その自信は荒くれな坑夫たちとも対向できる
ものになって行く。
しかし彼自身は平和主義者であって、銃は外で撃ってはいけ
ないと誓っていた。そんな主人公が、やはり負け犬の町の若
者を集め、彼らもまた銃を撃つことで自信を深めて行く。そ
して彼自身も、シェリフから保護司を委託されるまでになっ
て行くのだが…
僕自身も平和主義者のつもりだから、この主人公の気持ちは
結構理解できる感じがした。僕自身も同じ状況になったら、
同じことをしてしまうのではないかという共感だ。幸い、日
本は銃のない国だから、この立場に追い込まれることはない
だろうが…
確かに映画は絵空事というか、普通では起こらないような部
分も多いが、主人公の心情に立ったときには…いや、主人公
の心情に関係なくこの状況に追い込まれて行く姿が、何か恐
ろしくも感じられた。
主人公は当初は自主性も何もなく、銃を持つことで自主性が
育まれたと感じているのかも知れないが、それも結局は周囲
の流れに押し流されていくだけの幻想でしかない。そんな自
主性のない現代の若者たちの姿を見事に写し出した作品にも
感じられた。
なお、撮影は軍用基地の中に建設されたオープンセットで行
われたようだが、その風景はセットの無かったドッグヴィル
にセットがあったらこんなだったのではないか、そんな風に
も感じられて面白かった。

『ザ・コーポレーション』“The Corporation”
“Just Words: Constitutional Rights and Social Wrong”
などの著作で、政治力の及ぶ限界を指摘し続けているカナダ
の論客ジョエル・ベイカンのアドヴァイスに基づいて製作さ
れたドキュメンタリー。
なおベイカンは、本作に描かれた内容を“The Corporation:
The Pathological Pursuit of Prifit and Pawer”の題名
で著作としても発表している。
アメリカでは奴隷解放を掲げた憲法の条文が、法律的な人格
である企業にも適用され、それによって企業活動が野放しに
なっている。その結果、搾取や公害の垂れ流しが横行し、そ
れは地球を破滅に追い込もうとしている。
このドキュメンタリーの主張は、そこに集約されると言って
いいだろう。その主張を検証するため、企業活動のもたらし
た悪行が様々な角度から描かれて行く。
それは、衣料品メーカーのK.L.ギフォードによるホンジ
ュラスでの労働搾取の問題であったり、ロイヤル・ダッチ・
シェルの公害問題であったり、モンサント社の牛成長ホルモ
ンに関する報道妨害の問題であったり、IBMとナチスとの
関係であったりする。
その一方で、世界各国で進められている公営企業の民営化が
もたらす弊害の問題が、ボリビアの水道事業に関して述べら
れたり、インドで古来使われてきたニームの木に関する米企
業による特許取得の問題が提示されたり、本当にありとあら
ゆる問題が描かれている。
そして、これらの提示された企業活動の問題点を人間に喩え
て列挙し、それを人間と同様に心理分析すると、反省心や罪
の意識の無いサイコパスの結論になるということだ。
それにしても企業というのは、利益の追求の名の許に実に悪
行を重ねてきたものだ。そしてそのツケが、今や世界を破滅
の縁に追い込もうとしている。それは公害の垂れ流しを筆頭
に、資源の枯渇であったり、遺伝子の破壊であったりするの
だが、このドキュメンタリーでは、それらの問題に対する取
り組みの弱さも指摘している。
しかも全てが否定だけで終っているのではなく、問題に真剣
に取り組り組むことを宣言したカーペットメーカー=インタ
ーフェイス社の姿勢や、グッドイヤーのCEOの発言なども
紹介されるので、それなりに信憑性というか、納得できる仕
組みにもなっている。
それにしても、すごい剣幕で問題が突きつけられるという感
じで、ここまでやられると、正直なところは印象が散漫にな
ってしまっている面もないではない。しかしどの問題も、正
に自分に身近なところにあるものだけに、2時間25分の上映
時間をスクリーンから目を離せなくなってしまうことは確か
だった。
ただ、作品はインタヴュー中心の構成で、他の映像が流れて
いる部分でも重ねて意見が述べられている。このため常に字
幕を読んでいなければならず、その結果、映像をあまり見る
ことができなかった。重要な問題も多く、できればヴォイス
・オーヴァーなどの吹き替えを付けて貰えると有りがたいと
感じたものだ。

『RIZE』“Rize”
ロサンゼルスのサウス・セントラル。1992年の暴動でも知ら
れるこの街に、ミュージックヴィデオの監督や、セレブのポ
ートレート写真で著名な写真家デイヴィッド・ラシャペルが
入り込んで記録したダンスに生きる若者たちのドキュメンタ
リー。
暴動が起きたのと同じ1992年、この街に住む子供の誕生日を
祝うため、1人の黒人男性がピエロの恰好をする。それによ
りトミー・ザ・クラウンと名乗った彼は、即興で踊ったダン
スが評判を呼んだことから、若者たちにダンスを教えるよう
になる。
そのダンスは、アフリカ黒人に流れる血を表わしているかの
ような激しい踊りで、瞬く間に若者たちを虜にし、今までギ
ャングになって生きるか死ぬかの二者択一だった若者たちに
新しい生き方を教えることとなる。
それから10数年が経ち、今でも街には銃が溢れ、人殺しも絶
えない場所であることは変わらないが、若者たちの間には多
少の希望も生まれている。そしてトミー・ザ・クラウン主催
で開かれるダンスバトルが、映画のクライマックスを彩る。
映画の最初には、この作品には早廻しは有りませんというテ
ロップが出るが、何しろ激しいダンスが演じられる。その源
流は映画の中でも、資料映像のアフリカ現地人のダンスとの
共通性が示されているが、本当に黒人特有のものと言えそう
だ。
実は映画の前半で、ライスクラウンと称するアジア系のグル
ープが登場し、後半では彼らの踊りや、他にも白人の踊りな
ども紹介されるのだが、全く次元の違う世界であることの証
明にしかなっていなかった。
そんな激しい踊りを堪能させてくれる作品ではあるが、同時
に現実の厳しさもいろいろな角度から提示され、そん中で暮
らしを続けなければならない彼らの苦悩も見事に描き出され
ている。
トミーは元麻薬の売人ということだが、「その頃は、殺され
るか刑務所に入るかは神様次第。自分は神様の思し召しで刑
務所に入った」などという言葉は、試写会場で笑い声は聞こ
えたが、笑うに笑えないギャグというところだ。
それから、これは途中で気がついたことだが、アメリカ映画
で、しかも若者を描いていて、ドラッグや大麻はおろか、タ
バコも全く出てこない映画というのは珍しいだろう。激しい
踊りのためにはタバコも肺活量への影響になると考えている
のかも知れないが、この事実にはちょっと凄いと感じた。

『三年身籠る』
女優の唯野未歩子が、原作、脚本、監督を手掛けたちょっと
メルヘンチックな妊娠物語。唯野自身は出演せず、主人公の
妊婦役はお笑いタレントのオセロ中島知子。その脇を、木内
みどり、西島秀俊、塩見三省、奥田恵梨華らが固めている。
物語は、妊娠9カ月から始まって、いつまで経っても出産せ
ずに、どんどんお腹が大きくなる主人公の姿を追いながら、
その夫や、女系一家の母親に祖母、さらに妹とその愛人の大
学病院の助教授などを巻き込んで、夫の浮気などいろいろな
ドラマが展開される。
実は、3年間の妊娠ということ自体がちょっと特異なテーマ
のようにも見えたので、見る前はそのテーマに沿って物語が
進むのかと思ったのだが、実際はそのテーマ自体はあまり深
追いせず、それより周囲の人々の人間模様を点描的に描いて
いる感じのものだ。
しかも、その描かれている周囲のドラマが結構捻りが利いて
いて、いろいろ笑えるのがうまいという感じの作品だった。
と言ってもクライマックスは当然出産になる訳だが、そこま
で持って行く展開もいろいろありで、それなりに考えられて
いる感じはした。
因にネットで調べてみると、武蔵坊弁慶は17カ月母親の胎内
にいたそうだし、老子に至っては72年間胎内にいて生まれた
ときはすでに白髪の老人だったとか。また、3年胎内にいて
生まれたときに髪と歯が生えていると鬼っ子と呼ばれるとい
う定義(?)もあるなど、長期間胎内にいた人物の伝説はい
ろいろ有るようだ。
従って、3年程度の長さではそれ自体をテーマにするほども
のでもなかったようで、その辺がちゃんとわきまえられてい
るのも良いと感じた。
なお、中島の演技は、悪くないと言うか最初から演技という
ほどのものをしなくて良い脚本になっている感じで、それ自
体は問題ない感じだった。また女性監督らしく、中島を含め
各女優陣を実に可愛らしく撮っているのも良い感じがした。

『イントゥ・ザ・サン』“Into the Sun”
スティーヴン・セガール製作総指揮、主演による東京が舞台
のアクション作品。
シドニー・ポラック監督で、ロバート・ミッチャムと高倉健
が主演した1975年の映画『ザ・ヤクザ』を、セガールの主演
でリメイクするという情報が一時期流れたことがある。その
企画はいつの間にか消えてしまったようだが、本作はそれに
変わって登場してきたという感じもするものだ。
違法滞在の外国人を強制退去させることを公約にして当選し
た東京都知事が暗殺される。その陰に国際テロ組織の存在を
疑うFBIは、CIAの日本支部に協力を要請し、日本の裏
社会に詳しい諜報員のセガール扮するトラヴィスがその捜査
に当たることになる。
しかしトラヴィスは、その犯罪がテロ組織によるものではな
く、日本のヤクザの一部が中国蛇頭と組んだ結果であること
を突き止め、それを放置することは、日本の裏社会の存亡に
関わると判断する。そして、彼はその阻止に立ち上がるが…
と言うことで、日本側には大沢たかお、寺尾聰、伊武雅刀、
豊原功補らも繰り出して、一大抗争劇が展開する。と言って
も、まあセガールの主演なので、東映のヤクザ映画とはかな
り違った、どちらかと言うと格闘技アクション映画という感
じの作品だ。
実際のところ、試写会が終ったところでは、かなり憮然とし
た表情の人もいたようだが、僕自身はなんと言うか、別に拘
わりもなく楽しむことができた。所詮B級なのだし、逆に突
っ込みどころはいろいろあるので話の種にはなるし、そんな
感じ楽しめばいい。
いや、本当に話の種にはいろいろあるので、好きな仲間同士
で見れば、後で盛り上がること必定という感じの作品だ。
なお、ハリウッドからの共演者は、マシュー・デイヴィスや
ウィリアム・アザートンなどそこそこのメムバーが揃えられ
ている。他に日本からは栗山千明も出演しているが、本作の
監督ミンクは、クエンティン・タランティーノの門下生だそ
うだ。

『変身』
1991年に発表された東野圭吾原作の映画化。東野原作の映画
化はすでに何本かあり、それぞれそれなりの成功は納めてい
るようだ。
物語は、無器用だが一人の女性を愛していた男が、ある事情
で脳外科の手術を受け、徐々に人格が変化して行く。男は自
分が愛していたはずの女性を愛せなくなっていることに気づ
き、自分の受けた手術の真相を突き止めようとするが…とい
うもの。
実は、僕は原作を読んでいないのだが、読んだ家人の話によ
ると、原作は一人称で書かれたもので、徐々に自分の人格が
失われて行く様子が見事に描かれていて、大変恐い作品なの
だそうだ。
しかし映画で一人称というのは、本当は最も描きにくいもの
の一つで、モノローグばかりでは映画にならないし、それを
映像だけで描き切るのは至難の技と言えるものだ。それに果
敢に挑んだのが、助監督出身でこれがデビュー作の佐野智樹
監督ということだ。
さて映画は、原作を知らないでみると実にうまく作られてい
る。事前に原作が一人称であることは知っていたが、その部
分は最小限のモノローグに納めて、しかも変身して行く過程
が、丁寧な演出と映像で良く表現されていると言っていいだ
ろう。
もちろんそこには、主演の玉木宏の演技力もあるが、正直に
言って今年何本か見た玉木の演技では、この作品が一番良い
と感じたものだ。
特に、変身が始まってからの作り笑いと、それ以前の自然な
笑いとの演じ分けはよくされていたし、突然凶暴になる辺り
は、どちらかと言うと日本映画ではよくあるパターンかもし
れないが、うまく演じられていたように思えた。
ある種、最近流行りのアルツハイマーにも通じるテーマにも
捉えられるし、その点では以前から書いているように僕なり
の思い入れもあるのだが、その部分でも納得して見ることが
できたものだ。

『NOEL』“Noel”
ペネロペ・クルス、スーザン・サランドンの共演で、ちょっ
としたクリスマスの奇跡を描いた物語。1993年にロバート・
デニーロが監督デビューに取り上げた『ブロンクス物語』の
原作でも知られる俳優チャズ・パルミンテリの映画監督デビ
ュー作。
他に、アラン・アーキン、ポール・ウォーカー…らが共演し
ている。特に、『ワイルド・スピード』『タイムライン』の
ウォーカーは、今まではアクション映画しか印象のなかった
俳優なので、彼の新しい面が見えたようで面白かった。また
配役では、重要な登場人物が1人隠されている。
クリスマスイヴ。雪の積もったニューヨーク。
人々が愛に包まれるこの時期に、愛を遠ざけようとする2人
の女性。1人は、離婚経験とアルツハイマーの母の看護で、
自らの愛を拒絶している。もう1人は、結婚式を1週間後に
控えて、嫉妬深い婚約者の態度に愛の行方を案じている。
この他に、14歳の時に病院で迎えたクリスマスが一番楽しか
った思い出だと言う青年の行動などがサブストーリーとして
描かれて行く。そして、これらの愛に迷った人々の心を、聖
夜に舞い降りた天使たちが優しく包み込んで行く。
人々の心にはいろいろな傷がある。その心の傷を癒してくれ
るは、愛情に溢れた人との交流だろう。しかし心の傷が深く
なってくると、その交流すらも疎ましくなってしまう。そん
な人々が様々の切っ掛けで、愛情を取り戻して行く物語だ。
数多くの出演者によっていろいろなエピソードが並行して描
かれ、それらは互いに近づいたり遠ざかったりしながら、そ
れぞれの結末に向かって行く。
アンサンブル劇と言うほどではないが、それぞれのエピソー
ドが印象深い映像と演技で描かれて行く。クリスマスの夜に
誰かと見るには最適な作品と言えるかも知れない。

『ポビーとディンガン』“Opal Dream”
1999年に発表され、日本でも10万部以上発行されているとい
うベン・ライスの原作を、原作者自らの製作総指揮、脚本、
そして『フル・モンティ』のピーター・カッタネオ監督で映
画化した作品。
オーストラリア東南部のライトニングリッジ。オパールの産
地と知られるこの土地には、世界中から一攫千金を狙う人々
が集まり、そこいら中に採掘権を設定して地面を掘りまくっ
ている。アシュモルとケリーアンの兄妹はそんな父と母と一
緒に暮らしている。
しかしそんな生活の中で、周囲と上手く溶け込めないケリー
アンは、ポビーとディンガンというイマジナリーフレンドと
遊ぶようになってしまう。そして、食卓の彼女の食器の左右
には2人分の皿が並ぶようになっている。
そんなある日、近所で母親と子供のパーティがあると知った
父親は、自分は兄とポビーとディンガンを鉱山に連れて行く
と言い、ケリーアンにはパーティに行くように勧める。そこ
には、ケリーアンを架空の友達から独立させようという考え
もあったのだが…
ところが鉱山でちょっとした落盤などがあり、夜遅くに帰宅
した父親と兄に対し、ケリーアンはポビーとディンガンの姿
がないと言い出す。そしてこれが様々な問題を引き起こして
行くことになる。
サン=テグジュペリの『星の王子さま』の中のキツネの言葉
「いちばん大切なものは目に見えない」に準えて、この原作
は21世紀の『星の王子さま』とも呼ばれているようだ。
「見えない架空の友達が行方不明になる」。ある意味究極と
も言える人捜しの物語が展開する。そこには大人の思惑や、
人々の夢見る心なども見事に描き出され、素晴らしい物語と
なって行く。
いや、周囲がこういう少し夢見がちの人々たちだからこそ、
この物語は成立するのかも知れないが、そんな夢見る心が、
ほんの少しだけ自分にも分けてもらえるような、そんな気持
ちにもさせてもらえる作品だった。


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井口健二