2005年10月14日(金) |
女は男の未来だ、秘密のかけら、僕のNYライフ、ダイヤモンド・イン・パラダイス、少林キョンシー、七人のマッハ、トレジャー・ハンターズ |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『女は男の未来だ』(韓国映画) ホン・サンス監督による2004年カンヌ映画祭コンペティショ ン部門の正式出品作品。 サンス監督の作品では、2000年以降の『オー!スジョン』と 『気まぐれな唇』は見ているが、各映画祭で受賞した1990年 代の2作品は見ていない。また、見ている2本はいずれも男 女の関係を描いたもので、特にその大胆なベッドシーンの描 写には驚かされたものだ。 そして今回の作品もベッドシーンはもちろん健在だが、監督 は以前にも増してシニカルに男女の関係を見ているようで、 ますます面白くなってきたような感じがする。 登場人物は、大学の美術講師の男と、その先輩で映画監督の 男。映画監督がアメリカから帰国して美術講師の家を訪ねる が、過去に経緯があったらしい講師の妻は監督を家に上げる ことを許さない。しかし講師は監督を庭にまでは引き入れ、 初雪を踏ませ、プレゼントという。この辺りは意味深だ。 そして2人は、近所の中華料理屋で酒を酌み交わしながら思 い出話を始めるが、交互に給仕の女性を口説くなど本性が現 れてくる。やがて話は、監督が渡米前につきあっていたソナ のことに及び、2人は彼女の住む町に向かうことになるが… 他愛ない会話と、そこに潜む厳しい現実。女は男を忘れてい ないが、男はそんな女の気持ちに応えられず、ぐずぐずした ままちょっとした行き違いで全てを失って行く。願望と現実 が交錯して、現実の厳しさが突きつけられる。 物語全体は、喜劇と言うほどではないが軽い小噺集のように 作られている。しかし、その小噺の積み上げがぐさぐさと刃 を突き立ててくる。サンス監督の作劇は、ある意味男女の関 係に絶望しているかのようにも見えるが、監督の現実はどう なのだろうか。 出演は、サンスの分身とも言える映画監督役に『JSA』な どのキム・テウ、美術講師役に『ナチュラル・シティ』など のユ・ジテ、そしてソナ役は元準ミスコリアで本作が初主演 のソン・ヒョナ。それぞれ駄目な男と駄目な女を見事に演じ ている。 監督の新作『映画物語』は、今年のカンヌ映画祭のコンペテ ィション部門に2年連続で出品されたようだが、この物語の 先に何があるのか早く見てみたいものだ。
『秘密のかけら』“Where the Truth Lies” 2003年7月に『アララトの聖母』を紹介しているアトム・エ ゴヤン監督の最新作。 実はエゴヤンの作品は、今回より前には『アララトの聖母』 しか見ていない。その感想は以前に書いているが、東欧から の移民の子であることや前作の印象で、何となく政治的な背 景の強い人のような印象を持っていた。 ところが今回の作品は、元々が2004年のネロ・ウルフ賞を受 賞したというミステリー小説の映画化であり、しかも背景が 1950年代のアメリカ芸能界と1970年代のハリウッドというこ とで、僕には興味津々、実に楽しめる作品だった。 発端は1972年。1人の女性新進ジャーナリストが、15年前の とある事件の謎を追求しようとしていた。それは当時女子大 生だった女性の死にまつわるもので、その事件は、チャリテ ィにも熱心だった人気コンビの解散につながった、とも言わ れていた。 取材の過程でコンビの一方に面会した彼女は、彼が執筆中だ という自伝の原稿を渡されて、記事をまとめても無駄になる と言われてしまう。しかしコンビの他方と面会した彼女は、 100万ドルの契約金で全てを語るという約束を取り付ける。 ところが彼女が取材を進めるうちに、事件は思わぬ方向へと 進展して行く。そしてついに事件の全貌が明らかにされるの だが…映画はその事件の顛末の謎解きを、2つの時代を交差 させながら見事に描き挙げたものだ。 主人公のジャーナリストを演じるのはアリソン・ローマン。 『ホワイト・オランダー』や『マッチスティックメン』では あっと驚く演技を見せてくれたローマンだが、今回は成熟し た女性の役で、今までとはかなり違った雰囲気を見せる。 そして取材対象のコンビを演じるのが、ケヴィン・ベーコン とコリン・ファース。2人はそれぞれ15年の時間を置いた役 を演じているが、特にファースの変容ぶりは見事だった。ま た、ベーコンの控え目ながらも確実に年を経た雰囲気は完璧 と言えるものだ。 そしてこの2人が、歌や掛け合いで進めるチャリティテレソ ンのシーンは、見事に当時のテレビショーの雰囲気を再現し たもので、また、当時の芸能界の裏話的エピソードも、なる ほどありそうと思わせてくれて楽しめるものだった。 以下にネタばれあります。 1950年代の話ということで、そこには差別や偏見など、今以 上に厳しかった世間の対応が描かれる。本作はそれに翻弄さ れた人々の物語でもある。しかし監督は、その物語の中に人 間としての暖かさや優しさを盛り込み、つらかった人々を思 いやっている。 しかも、表面的には見事に謎解きの推理ドラマであり、映画 的な仕掛けも絡めて見事な作品と言えるものだ。また、ロー マンにも彼女らしいシーンが用意されていたのには、思わず ニヤリという感じだった。
『僕のニューヨークライフ』“Anything Else” ウディ・アレン監督・脚本・出演による2003年の作品。 ニューヨークの芸能界を背景に、売れないコント作家と同棲 相手の女優の卵、彼女の母親と作家のマネージャ、そして、 やはり売れない先輩コント作家などが繰り広げる人間模様。 この主人公の作家をジェイソン・ビッグス、女優の卵をクリ スティーナ・リッチが演じ、その母親役がストッカード・チ ャニングと、マネージャをダニー・デヴィート、先輩作家を アレンが演じている。 アレンの作品では、2000年の『おいしい生活』以降の近作は 見ているが、それ以前のアカデミー賞の常連だった頃の作品 は、何となく自分のアレン観に合わない気がしてあまり見て いなかった。 従って、今回の作品が『アニー・ホール』を髣髴とさせると 言われても、僕としては否定も肯定もできないのだが、取り 敢えずこの映画では、アレン自身を思わせる主人公の右往左 往ぶりが微笑ましく、その雰囲気がいたく気に入ってしまっ た。 また、ニューヨーク派のアレンらしく、市中の各所で撮影さ れたシーンも素敵に描かれており、映画の宣伝文の「ニュー ヨークへのラブレター」というのも頷ける。 ところが実際は、去年と今年のアレンの最新作2本はロンド ンで撮影されていて、それを考えるとこの作品は、「ニュー ヨークへの置き手紙」のような気もしないでもない。映画の 内容にも、ちょっとそんなニュアンスも感じられた。 それにしても饒舌な作品で、主人公たちはのべつまくなしに 喋り続ける。その内容は、機知に富んでいたり、どうでもい い話だったり、切羽詰った言い逃れや、いい加減な言い訳な ど状況もばらばらで、これを理解して演じるのはかなり大変 だったと思われる。 しかもプレス資料によると、アレンはかなりの完璧主義者だ ということで、これは、特に若いビッグスとリッチには、相 当のプレッシャーだったはずだ。しかし映画が完成している ということは2人はそれを克服したのだから、これも素晴ら しいことと言える。 『アメリカン・パイ』で人気者になったビッグスも、『アダ ムス・ファミリー』の出身のリッチも、まだまだ若手という 印象が強いが、この映画でのアレンの眼鏡に叶った2人の演 技も楽しみたいところだ。
『ダイヤモンド・イン・パラダイス』“After the Sunset” 007のピアーズ・ブロスナンと、『フリーダ』のサルマ・ ハエック、それにウッディ・ハレルソンの共演で、引退を決 めた宝石泥棒と彼の目の前にぶら下がった最後の宝石を巡る 物語。監督は、『ラッシュアワー』『レッド・ドラゴン』の ブレット・ラトナー。 ナポレオンの剣の柄に填め込まれていたという3個の巨大な ダイヤ。それぞれ数100万ドルとも言われるそのダイヤを、 FBIの目の前から次々に盗み出した怪盗。しかもこの男、 アリバイづくりの名人とも言われ、それゆえ状況証拠だけで は逮捕も不可能だった。 しかし3個のうち2個のダイヤが彼の手に入ったとき、パー トナーの女性は引退を要求、彼は自分の年齢も考えて2人は パラダイスの島で悠々自適の生活を送るようになる。そして 女性は、その島での生活を謳歌するようになるのだが… そんなとき1人の男が彼を訪ねてくる。その男こそ、彼が出 し抜いて何度もその眼前からダイヤを盗み出したFBIの捜 査官。島では捜査権がないことを承知で接近してきた男は、 彼に3個目のダイヤが島に寄港するクルーズ船で展示される という情報をもたらす。 その情報には、彼にそのダイヤを狙わせ、その現場で逮捕し ようという作戦が見え見えだったが…もちろんパートナーは その仕事に猛反対、しかし彼の中では仕事に虫が動き出す。 そして地元の警察や顔役までもが登場して、虚々実々のドラ マが展開する。 この怪盗をブロスナン、パートナーをハエック、捜査官をハ レルソンが演じ、他に、『オーシャンズ11』のドン・チード ル、『28日後...』のナオミ・ハリスらが共演。 怪盗ものといっても、007や『ミッション・インポッシブ ル』のような大仕掛けがある訳ではない。ただしそこそこの 仕掛けは登場し、それが逆に現実味もあるのだが…まあその 辺が微妙なところと言えるかも知れない。 ブロスナンも、007で見せる精悍さと言うよりは、多少は 老境が入っているという感じで、特にハエックに振り回され ている感じは面白かった。バハマで撮影された海洋シーンも 美しく、大作映画でないことを納得すれば、それなりの作品 という感じだろう。 また、チームは2人の個人営業なのに、うまく外部の組織を 利用して情報を集めさせるなど、いわゆるアウトソーシング をしているところは、最近の経済活動などにも通じるところ があって、その辺にも興味を引かれた。
『少林キョンシー』“少林疆屍” 1980年代の後半に日本でも一大ブームとなった中国製ゾンビ =キョンシー映画の久々の復活版。本家本元の香港で2004年 に製作された作品ということだ。 以前のブームの時には、元祖の『霊幻道士』シリーズは見た 記憶がある。サモ・ハン・キンポー製作によるこのシリーズ は、アクション+コミカルな要素もうまくアレンジされて、 実に楽しめるものだった。 そのキョンシー・ブームは1990年代の前半には消滅していた ようだが、今回の作品は、当時のイメージそのままにそれが 復活したものだ。 キョンシーとは、他所で死んだ人の遺体を故郷に連れ帰るた め、輸送手段もない時代に、その遺体を一時的に復活させ、 霊幻道士の先導で夜間に行列を作って故郷へと向かって行く もの。多分、子供に夜遊びをさせないための親の作り話なの だろうが、何となく理に適っていて昔もなるほどと思ったも のだ。 そのキョンシーと霊幻道士の一団がとある村に差し掛かる。 その村には徒ならぬ妖気が漂っていた。そして彼らは浮かば れない霊魂の集団に襲われ、あわやというところに別の道士 が現れて霊魂たちを退治してしまうのだが…そのやり方はか なり手荒いものだった。 実は、後から来た道士は主人公の兄弟子だったが、師匠は息 子でもあるその男には跡を継がせず、主人公に跡を譲ったの だった。そんな確執のある2人の道士を巡って、強大な力を 持つ妖魔との闘いが始まる。 賑やかな食堂での食事が、突然飛んでもないものに変ってし まう昔ながらのエピソードに始まって、ワイヤーアクション や、最後はディジタルエフェクトまでも投入しての大アクシ ョンが展開する。また題名の通り、少林寺ばりの集団演武も 見られるというサーヴィスてんこ盛りの作品だ。 キョンシーの衣装や主人公の服装などは昔のまま。助手の女 性の衣装の露出が多少増えたかなという程度で、風景や雰囲 気なども昔のままというのは、その伝統の重さのようなもの も感じられて感心するところだった。 ただまあ、上記の通りサーヴィスてんこ盛りなのは良いのだ が、上映時間が2時間2分というのはいささか長い。その分 アクションは堪能できるので、そのファンの人には良いのか もしれないし、コストパフォーマンスは間違いなく良いと思 えるが、見るには多少体力の要る作品にも思えた。
『七人のマッハ!!!!!!』(タイ映画) 2004年5月31日付で紹介した『マッハ』に主演のトニー・ジ ャーの師匠であり、同作のアクション監督も務めたパンナー ・リットグライが、原作、監督、アクション監督を手掛けた 作品。原題には、リットグライが自主製作したデビュー作の 題名が付けられているそうだ。 国境近くの村を舞台に、武装ゲリラとの闘いを、サッカー、 セパタクロー、体操、ラグビー、テコンドーなど本物のタイ 国チャンピオンたちの演技を交えて描いた作品。 主人公はバンコク警察の刑事。テコンドーの名手でもある彼 は、大きな犠牲と引き換えに大物活動家の逮捕に成功する。 しかし、その犠牲へのショックの癒えない彼は休職し、やは りテコンドーの使い手の妹と共に、国境の村への慰問活動に 同行することとなる。そしてその慰問団には、いろいろな競 技のアスリートたちも参加していた。 ところが、その慰問活動も終りかけた頃、突如武装ゲリラが 村を襲い、村人を虐殺しながらその模様を閣議の場にネット 中継するという事件が勃発する。そしてゲリラの要求は、先 に逮捕された大物活動家の身柄を開放させることだった。 この武装ゲリラに、徒手空拳のアスリートたちが闘いを挑む 姿が描かれて行く。 まあ、テコンドーは当然として、サッカーやセパタクロー、 ラグビーなどの技も想像できるが、体操は…結局はこれもま あ予想通りであったりはしたが、それなりにうまくアレンジ されていて面白く見られた。逆に体操の技が決まったときの 方が、見た目も美しく良い感じだったとも言える。 そんな訳で、結構楽しく見られる作品だったのだが、実は見 ている間に、段々その描き方のシリアスさに、ただの娯楽を 超えた意志のようなものが感じられて、居住まいを正す気持 ちにさせられた。 実際、ゲリラが無差別に村人を虐殺するシーンには、単なる ドラマ以上の迫力が感じられ、反撃しようとする主人公たち の思いが通常のヒーロー映画の感覚以上に迫ってきて、その 気持ちに共感させられるところが大きかった。 実は、反撃の切っ掛けには、タイ国歌が流れたり、国王の肖 像画が登場したりしてナショナリズムの発露のようにも見え る。しかしこの映画から感じるのは、もっと根元的な自分の 住む場所を守ろうとする気持ちの現れであり、それは抽象的 な国家とは異なるものだ。 言い換えれば、愛国と称して戦犯を奉った神社を参拝するよ うな見てくれだけではない、真の愛国心をこの映画は見せて くれているようにも感じられた。 僕自身は非戦論者だし、この映画では多分無惨に殺されてし まう村人の一人だろうとは思うが、見ていて、こんな愛国心 なら自分にもあるのかな、とも感じさせられた。 考えてみたら、最近いろいろと公開されるタイ映画は、どれ も真剣に作られているものばかりで、生半可な態度で作られ たような作品は思いつかない。その辺は、島国根性で国民皆 がボーとし、ヒトラーもどきに支配を許している国とは違う 世界のようにも感じた。 なお劇中には、タイ映画の特徴でもある爆破シーンもたくさ ん用意されているので、その辺も充分に堪能できる。特に、 前半に登場する斜面の村の大破壊シーンは、ジャッキー・チ ェン主演の1985年作『ポリス・ストーリー』を髣髴とさせて 見事なものだった。
『トレジャー・ハンターズ』“Without a Paddle” ある切っ掛けで再会した30歳前後の3人の男が、子供の頃に 目指していた宝の在処を求めて大冒険を繰り広げるアドヴェ ンチャー・コメディ。 『ミニミニ大作戦』のセス・グリーン、『スクービー・ドゥ ー』のマシュー・リラード、それにテレビの人気者のダック ス・シェパードが主演し、『リトル★ニッキー』『Mr.ディ ーズ』などのスティーヴン・ブリルが監督した。 主人公たちは、子供の頃には樹上の秘密基地を作るなどもし た4人組だったが、それぞれは成長して町を離れ、そろそろ 落ち着かなければならない年代に差し掛かっていた。 そんな折、仲間の1人の死が伝えられ、葬儀の場で再会した 3人は昔の基地を再訪。そこで死んだ仲間が子供の頃に探し ていた宝の在処を割り出し、その場所に向かおうとしていた ことを知る。そして3人は、弔いも兼ねてそこを目指すこと にするが… 大柄のリラードとシェパード、それに小柄なグリーンという 凸凹3人組が、最初は軽い気持ちで出発点の川に行き、そこ からカヌーで川下りをして目的地を目指すのだが、そこには 飛んでもない出来事が待ち受けていた。 実は、共演者にはバート・レイノルズがいて、全体の流れは 1972年のレイノルズの出世作『脱出』のパロディのようにも なっているのだが(レイノルズは30年山を下りなかった男と いう設定だ)、そこには現代的なアレンジもいろいろあって 楽しめた。 監督のブリルについては、上記の作品はどちらもアダム・サ ンドラーの主演で、僕はどちらもあまり気に入っていなかっ た。その点で多少心配したのだが、本作は実にストレートな アクション・コメディで、気持ち良く笑える作品だった。 実際、物語の展開にも無理がなく、多少のシモネタもあるが 下品というほどではないし、それに川下りのアクションもか なり爽快で、その意味でも結構楽しめたものだ。 また、本来は巻き込まれ型のグリーンの役柄が、終始おたお たしながらも活躍するというのも良い感じで、友情のあり方 もうまく表現されていた。 主人公たちと同世代の男性は、一番映画を見ない世代かも知 れないが、特に彼らにお勧めしたい作品と言えそうだ。
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