井口健二のOn the Production
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2005年07月31日(日) キャプテン・ウルフ、真夜中のピアニスト、蝋人形の館、800発の銃弾、ヘイフラワーとキルトシュー、ふたりの5つの分かれ路

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『キャプテン・ウルフ』“The Pacifier”        
『リディック』『XXX』『ワイルド・スピード』などのア
クション俳優ヴィン・ディーゼル主演によるホーム・コメデ
ィ。監督は、『女神が家にやってきた』のアダム・シャンク
マン。                        
アクション俳優がコメディに挑戦するのはハリウッドでは定
番の路線だが、それぞれそれなりの成果を上げるのは、アク
ションの身のこなしや勘所が、コメディの演技にも通用する
ということなのだろうか。本作もそんな感じの作品だ。  
主人公は海軍特殊部隊のリーダー。今日も、重要機密を握る
博士の救出作戦を敢行するのだが、今一歩のところで作戦は
失敗、自分は重傷を負い博士も死なせてしまう。     
そして2カ月後、傷の癒えた主人公に新たな任務が発せられ
る。それは、博士の重要機密を入手するため未亡人がスイス
の貸金庫に向かう間、家に残る5人の子供たちの身の安全を
守り抜くこと。                    
しかし子供たちは、父親を亡くしたばかりで情緒不安定。一
方、子供の頃から寄宿制の士官学校で育った主人公には、子
供の扱い方など判るはずもない。こうして悪戦苦闘の任務が
開始されるのだが…                  
映画はいきなり救出作戦のアクションから始まり、その後も
ことあるごとにアクションが展開する。しかし、それを単純
などたばたコメディにはせず、アクションはアクション、コ
メディはコメディと、それぞれがしっかり描かれているのが
素晴らしいところだ。                 
この辺は、多分アクションはお任せで行けそうなディーゼル
と、コメディをしっかりと撮れるシャンクマンの息がピッタ
リと合っているというところだろう。          
しかも、展開の中に『サウンド・オブ・ミュージック』がう
まく援用されていて、その辺の捻りもうまく機能していた。
つまり、軍隊のように育てられた子供たちの許に現れる奔放
なマリア先生とは正反対に、自由気ままな子供たちの中に軍
人の主人公が現れるという訳だが、そんな裏返しのギャップ
もうまく描かれていた。まあ無茶な展開も多少はあるが、そ
れなりにバランスは取れていた感じだ。         
慣れない男の子供の世話ということでは、エディ・マーフィ
の“Daddy's Day Care”と比較できるが、全員幼児のマーフ
ィ作に比べて、こちらの長男長女はハイティーンの設定。そ
こには青春映画に雰囲気もちょっとあって、それも良い感じ
だった。                       
なお試写会は日本語吹き替え版で、小学生以下の子供が満載
の会場だったが、そこそこ静かに見られたのは、アクション
に絡めた笑いがうまく機能していたと言うところだろう。さ
すがディズニーという感じの作品だった。        
                           
『真夜中のピアニスト』                
          “De Battre Mon Cœr S'est Arrêté”
1978年に公開されたハーヴェイ・カイテル主演のアメリカ映
画“Fingers”(邦題:マッド・フィンガー)を、現代のパ
リを舞台にリメイクした2005年のフランス映画。     
かなり暴力的な手段で地上げを行う不動産ブローカーの主人
公が、ある日、昔の知人から彼の隠された才能であるピアニ
ストのオーディションを受けることを勧められる。そして、
再びピアノに向かい始めた彼は、ピアノこそが自分の人生で
あることに気付くのだが…               
オリジナルは、ガイド本によるとかなり高い評価を受けてい
る。しかし本作の脚本を手掛けたトニーノ・ブナキスタはオ
リジナルが気に入らなかったのだそうで、その辺が修正され
ての本作となっているようだ。             
ということで、本当はここでオリジナルとの比較をできると
良いのだが、残念ながら僕はオリジナルを見ていない。従っ
てその比較はできないが、本作だけで見ると実にフランス映
画らしい人間味に溢れた作品になっていた。       
ここであえてフィルム・ノアールと呼ぶ気はないが、非合法
すれすれの世界で生きる主人公の悩みもうまく描かれている
し、その一方で、ピアノを必死に練習する主人公の姿にも好
ましい雰囲気があった。                
僕自身、小学生の頃にピアノを習っていたことがある。と言
っても、妹に教えに来ていた家庭教師に、ついでに教えられ
ていた程度のものだったが、映画の中でレッスンを受ける主
人公の様子には、何となく自分ことも思い出して懐かしくも
あった。                       
また、このレッスン教師が東洋人の留学生という設定になっ
ているのだが、その雰囲気も良い感じだった。正直なところ
は、もっとレッスンのシーンが長くても良いような感じもし
たくらいのものだ。                  
といっても、点描のように描かれるこのシーンによって、主
人公の別の顔も際立たせられているもので、この辺の長さの
バランスが一番良いというところなのだろう。      
主演はロマン・デュリス。彼はこの後には『ルパン』の公開
があるようだ。                    
                           
『蝋人形の館』“House of Wax”            
1933年公開のフェイ・レイ主演作品“Mysterly of the Wax
Museum”を、1953年にヴィンセント・プライス主演でリメイ
クした作品(肉の蝋人形)のさらにリメイク。1933年のオリ
ジナルには、史上初の現代を舞台にしたホラー映画という歴
史的意義があるそうだ。                
ということで今回のリメイクでは、物語はさらに現代化され
て、アメリカンフットボールの観戦に向かう若者たちが、ふ
と立ち寄った町で事件に巻き込まれることになる。    
カーナビにも出てこないような寂れた町。そこには、教会や
ガソリンスタンドや映画館など共に、なぜか立派な蝋人形館
があり、ごく自然な感じの人々の生活を再現した蝋人形が飾
られている。しかしその町の街路には人影がほとんど無い。
そして、切れたファンベルトの替えを求めて立ち寄った若者
たちに、恐怖の体験が待ち受ける。           
まあ、よくある巻き込まれ形ティーンズホラーのパターンと
いうことにはなるが、さすが3度も映画化されただけのこと
はあって、その無気味な雰囲気や、いろいろ仕込まれた仕掛
けには、楽しめるものが一杯という感じの作品だ。    
特に蝋人形館の無気味さには、他では到底出せない特別なも
のがある。蝋人形館は、世界各地に作られているが、そのい
ずれにも恐怖がテーマのコーナーが設けられているのは、元
来そういう雰囲気があるからなのだろう。この作品はそうい
う特性を存分に活かしている。             
出演は、『24』のエリシャ・カスバートと、やはりテレビ出
身のチャド・マイクル・マーレイ、それにホテル王ヒルトン
の令嬢パリス・ヒルトン。因にヒルトンの演技は、まあ話の
種にはなるという感じだ。               
しかし、そういったことを凌駕するのが、クライマックスの
VFXの見事さ。元々この作品では、蝋人形の溶けるシーン
が売り物になるが、これが現代のVFXを駆使するとここま
で描けるのかというくらいの豪華さで、これは大いに満足で
きるものだった。                   
製作は、ロバート・ゼメキス、ジョール・シルヴァ主宰のダ
ークキャッスル。ホラー専門のブランドだが、手を替え品を
替え、まだまだ種は尽きそうにない。          
                           
『800発の銃弾』“800 Balas”            
『どつかれてアンダルシア(仮)』などのアレックス・デ・ラ
・イグレシア監督による2002年作品。          
かつて、400本以上のマカロニ・ウェスタンが撮影されたと
いうスペイン南部アルメリア地方。その“西部劇の聖地”を
舞台に男のロマンを歌い上げた作品。          
主人公はかつてスタントマンとして活躍し、クリント・イー
ストウッドやジョージ・C・スコットのスタントダブルを務
めたことが自慢の老優。今は名残りのウェスタン村でスタン
ト・ショウの座長を務めている。しかし観光客も減り、村の
先行きは不透明だ。                  
そんな彼には一つの暗い過去があり、そのために家族とも別
れ、一人で老境を迎えようとしている。ところがその彼の許
に、孫と名乗る少年が現れる。そしてその孫の登場が、飛ん
でもない事態の引き金となってしまう。         
ウェスタン村というのは日本にもいろいろあるが、どこも西
部劇ごっこが好きでたまらない良い年の大人たちが楽しみで
やっているような雰囲気がある。この主人公たちもそれに似
たところがあって、生活は苦しくてもそれが生き甲斐という
感じが好ましい。                   
でも、現実はそんなことばかりは言ってられず、不況やその
他諸々の世間の波が彼らにも襲いかかってくる。そうなった
ときに一体どうすればいいのか。この主人公の行動は余りに
過激だけれど、やれるものなら…これが男のロマンというも
のだろう。もちろん蛮勇に過ぎないことは明らかだが。  
なお撮影地は、マカロニ・ウェスタンの他にも、『アラビア
のロレンス』『ドクトル・ジバゴ』『パットン大戦車軍団』
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』なども撮影された場
所だそうで、そう言えば見たような風景が出てくるのも楽し
かった。                       
主演は、実際に『さすらいの一匹狼』などのマカロニ・ウェ
スタンで活躍していた1936年生まれのサンチョ・グラシア。
因に、彼はハリウッド西部劇の『100挺のライフル』にも
出演していて、劇中の台詞にあるラクエル・ウェルチとも共
演しているそうだ。                  
                           
『ヘイフラワーとキルトシュー』            
             “Heinahattu ja Vilttitpssu”
フィンランドで2002年に公開され、同国の歴代興行成績第1
位を記録したというカイサ・ラスティモ監督作品。    
元々は童話の原作があるようだが、物語の主人公は、小学校
に上がる直前の姉と幼い妹の姉妹。その姉ヘイフラワーには
一つ心配事がある。それは、自分が学校に行ったら妹キルト
シューの面倒を誰が見るのかということ。        
実は、父親はジャガイモ研究を続けている研究者で、家には
居るのだが何時も研究に没頭し、家族のことなど顧みない。
一方、母親は大学出の今は専業主婦だが、料理も洗濯も苦手
で、大学出の女性が家事をするのはおかしいと主張、外での
仕事を探している。                  
そしてヘイフラワーは、何時も良い子で妹の面倒を見、両親
もそんなヘイフラワーに妹を任せきり。だからヘイフラワー
は、自分が学校に行ったら、キルトシューが独りぼっちにな
ってしまうのではないかと心配なのだ。         
しかし、キルトシューはそんな姉の心配などお構いなしに、
いろいろな我儘や主張をして姉を困らせる。そして両親は、
何時でもヘイフラワーに我慢するように言い続けるのだが…
ついにヘイフラワーが切れる日がやってくる。      
僕自身は次男だが、兄は年が離れていてすぐ下に妹がいた。
だから、境遇的にはヘイフラワーに似たところがあるが、僕
の妹はこんなに我儘ではなかったから、妹のせいでこんな風
になったことはないと思う。              
しかし、何時も良い子でいることには何となくそう躾られて
いた感じがあって、確かにこんな風に切れてしまいたいと思
ったことはあったと思う。そんな気持ちで見ていると、この
姉の姿は本当に愛しくなってしまうものだ。       
弟妹というのは、疎ましくもあるが、愛しくもあるもので、
これは独りっ子の多い現代では通用しなくなってしまう感情
かも知れないが、それを知っているものには、本当に愛しい
と思える作品。世のお兄さんお姉さんに捧げたい作品だ。 
                           
『ふたりの5つの分かれ路』“5×2”          
『8人の女たち』『スイミング・プール』などのフランソワ
ーズ・オゾン監督の2004年作品。            
オゾンは1998年の長編第1作以来毎年1本ずつ新作を発表し
ている。僕は最近の3作しか見ていないが、どれも女性が主
人公で、しかもかなり芯の強い女性が描かれている感じがす
る。この作品も、主人公は男女のカップルだが、やはり女性
の方が中心の映画だ。                 
物語は、離婚調停を進めるカップルの姿から始まる。やがて
調停は完了するが、そのまま2人でホテルに行ってしまうよ
うなカップルだ。つまり、憎くて別れたのではないというこ
と。ではなぜ離婚するのかというと、それが時間を遡って検
証される。                      
2人には子供がいるが、その子が幼い頃、出産の時、結婚式
の夜、そして出会いの時。これに最初のシーンが加わって5
つの分かれ路となるが、確かに男女の関係ってこんなものか
も知れないと思わせるような微妙な関係が描かれる。   
そしてそれぞれの時に別の路が選ばれていたなら、多分2人
の人生は全く別のものだったのだろう。でも、だからといっ
て2人の歩んだ路が、結局は離婚という結末であったとして
も、それはそれで満足だったのではないか、そんなことも思
わせる。                       
僕自身、結婚生活がそろそろ30年近くなってくると、確かに
このような分かれ路はあったのかなあと思えてくる。日本の
社会はこの物語ほど開放されてはいなかったと思うし、こん
なに具体的なことが起こるような社会でもないと思うが、精
神的には…という感じだ。               
だからこの映画には、それなりの共感が持てるというところ
だろう。その意味では、オゾン監督の前の2作よりも身近に
感じられる作品だった。                
なお映画では、時間の移動のタイミングごとに往年のポップ
スが流され、ボビー・ソロの『頬にかかる涙』、ウィルマ・
ゴイクの『愛のめざめ』、ザ・プラターズの『煙が目にしみ
る』など懐かしい曲を聞けたのも嬉しかった。  


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井口健二