井口健二のOn the Production
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2005年07月30日(土) 私の頭の中の消しゴム、シン・シティ、愛を綴る詩、そしてひと粒のひかり、エコーズ、チャーリーとチョコレート工場

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『私の頭の中の消しゴム』(韓国映画)         
若年性アルツハイマーを題材にした純愛ドラマ。原作は、読
売テレビが2001年に製作した『Pure Soul』という
番組で、これを韓国を舞台にリメイクしたもののようだ。 
主人公の女性は、最近ちょっと物忘れが多いことを気にして
いた。コンビニで買ったものと財布を忘れたり、会社に来る
道筋が判らなくなったり。しかしそんなものは、彼女が最近
感じた強いストレスのせいだと思っていたのだが…    
一方、その健忘症は彼女に幸運ももたらす。コンビニで買っ
たものを忘れたことが、一人の男性との出会いを演出してく
れたのだ。そしてその男性との出会いから、彼女の幸福な人
生が始まると思われたが…               
前にも書いたと思うが、ごく近い近親者に同じ病気の患者が
いる関係で、この種の物語にはいろいろ思うところがある。
実際、試写会では半信半疑で見ている人も多いのかも知れな
いが、僕自身は自分の経験に照らしてほとんどが納得して見
ている。                       
もちろん、現実はこんなに甘くはない面もあるし、現実に自
分の近親者の周囲での無理解による不愉快の経験も無い訳で
はない。だからこの作品が、周囲の人の理解の中で終わるに
しても、これからが大変だと思ってしまうところはある。 
とは言っても、このような幸せが訪れることを本当に祝福し
たくなるのも、本心から言えるところだ。でも、そういうこ
とも患者本人は記憶していられない訳で、周囲の自己満足で
しかないことも確かなことだ。             
それにしても、今年に入ってからだけでも何本もの同様の作
品があり、それだけ関心も高いのだろうが、それぞれの作品
で症例が見事に異なっているのも、この病気の多様性と、対
応の難しさを見せているようだ。            
映画では前半で、人を許すことの重要性が説かれる。そこで
は人が過去にした行為を忘れることと説かれるのだが、それ
が後半の物語に見事に反映されて行く。僕は原作の番組は見
ていないが、この対比の仕方が見事なドラマを作り上げてい
た。                         
アルツハイマーではない自分には、この前半の物語も重要に
捉えたいと感じたものだ。               
                           
『シン・シティ』“Sin City”             
原題にはFrank Miller'sという冠が付く。1980年代にバット
マンを描いて、以後のアメリカンコミックスの方向性を決定
づけた立て役者の一人と言われるフランク・ミラーが1992年
に発表したグラフィックノヴェルの映画化。       
このグラフィックノヴェルを、『デスペラード』のロベルト
・ロドリゲス監督が、ミラー自身を共同脚本、共同製作、共
同監督に招き入れて映画化した。さらに、一部の演出にはロ
ドリゲスの盟友クェンティン・タランティーノも参加してい
る。                         
物語の舞台は、ロサンゼルスを模しているようだが、正規に
はベイシン・シティ、通称シン・シティ(罪深き街)と呼ば
れる街のオールドタウン。そこは娼婦たちによって自治が敷
かれ、彼女たちは一定の取り決めの下で折り合いを付けた生
活を続けていた。                   
そして、そこで暮らす女たちとその街に通う男たちとの間で
は、幾多の物語が展開されて行く。しかしその一方で、その
街の支配を狙う外部からの圧力も動き始めていた。    
映画は、原作の第1話、第3話、第4話に基づくという3つ
の物語のオムニバスになっている。それぞれの主人公はミッ
キー・ローク演じるマーヴ、クライヴ・オーウェン演じるド
ワイト、ブルース・ウィリス演じるハーティガン。    
彼らを、ジェシカ・アルバ、デヴォン・青木、ブリタニー・
マーフィ、ロザリオ・ドースン、カーラ・ギグノらの演じる
娼婦たちが囲み、さらに、ベネチオ・デル=トロ、イライジ
ャ・ウッド、ジョッシュ・ハートネット、ニック・スタール
らが敵役で登場する。                 
この顔ぶれが、ロドリゲスがこれを撮ると言った途端に、一
も二もなく参集したというのだから、この原作及び監督の魅
力は相当のものだったということだろう。        
また、3つの物語は、それぞれが復讐であったり、愛しい人
を守る戦いであったり、状況に対する防御であったりといろ
いろだが、そのいずれもが男女の純愛に彩られ、一方、男た
ちはその愛のため、自らを省みず戦いの場に赴くと言う展開
だ。                         
現代では描き難くなった純愛の物語、しかもこれが、原作者
自身の指揮する映像美と、ロドリゲスの強烈なヴァイオレン
スアクションで描かれるとあれば、これは確かに俳優たちに
とっては魅力的な企画だったに違いない。        
そして完成された作品は、僕は残念ながら原作を知らないの
だが、知る人によると、描かれた映像そのものからカメラの
アングルに至るまで、全てが完璧にミラーの世界になってい
るということだ。もちろん、それがミラーを共同監督に呼び
入れた目的という作品だ。               
なお、撮影はテキサス州オースティンにあるロドリゲスの自
前のスタジオで行われたものだが、HDで撮影された全ての
シーンにディジタル処理が施され、モノクロの画面の一部に
だけ着色がされたり、コントラストが強調されるなど原作コ
ミックスの画調が見事に再現されている。        
ディジタル処理とはこんな風にも使えるという実証を行って
いるような、ある意味非常に実験的な作品でもある。しかし
その実験は見事に成功していると言えるだろう。     
1967年に大島渚監督が白土三平原作『忍者武芸帳』を、原作
コミックスの駒絵のモンタージュだけで映画化したことがあ
る。その時にも斬新な映像に感激したものだが、本作はさら
にそれを究極に進めたものとも言える。         
アニメ化でも実写化でもない、コミックスの新しい映像化の
方法が提示された作品。すでに続編の製作も決定しており、
原作は、全7巻で完結されているようだが、その全貌を見た
くなるような作品だ。                 
                           
『愛を綴る詩(仮題)』“Yes”             
『耳に残るは君の歌声』などのイギリスの女流監督サリー・
ポッターの最新作。                  
北アイルランド・ベルファスト生まれの女性と、レバノン・
ベイルート生まれの男性が、ロンドンで巡り会ったことから
始まる運命のドラマ。                 
女性は幼い頃にアメリカに移住して、そこで育ち結婚もした
が、夫婦生活は破綻している。そして義理で出席したパーテ
ィで、料理人として働く男性と出会う。男性は、本国では外
科医だったが、思想の違う患者の治療を禁じる国に幻滅し、
国を捨てた。                     
女性は、宗教嫌いの祖母に育てられたために無宗教だが、男
性は国に幻滅しても宗教は捨てられない。そしてそれぞれ本
人との関わりは無くても爆弾テロの陰がつきまとう。宗教も
主義も主張も異なる2人の恋愛。ある意味現代の縮図のよう
な物語が展開する。                  
そして、脚本も手掛けるポッター監督は、この物語の台詞を
全て韻を踏んだ韻律詞の形式で書き上げている。     
元々が詩人でもあるポッターにとって、台詞に詞の形式を採
ることは自然の流れでもあったようだが、残念ながら字幕で
それは判らないものの、何となくリズムの感じられる映画に
はなっているようだった。               
実は、ポッターの作品は、『オルランド』『タンゴ・レッス
ン』と順番に見ているが、この2作はあまりピンとは来なか
った。しかし前作『耳に残るは…』では、かなり大掛かりな
作品を見事にまとめ挙げて注目したものだ。       
そして本作は、前作ほどの大仕掛けではないが、ベルファス
ト、ベイルート、そして最後はハバナなどにも現地ロケを敢
行して、恋愛劇を見事にまとめている。         
それと、これが目的でもあろうが、詞の形式で書かれた台詞
の饒舌なこと。2人の口論のシーンが最初に書かれたという
ことだが、主に言い争いに終始するいろいろな場面での台詞
の多さが見事に物語を作り上げて行く。         
一方で、狂言回しのように登場する清掃婦の人を食ったよう
な解説も、見事に映画を作り上げていた。        
時節がら、映画の中で爆弾テロなどの話が出るとはっとする
が、物語はそれと直接関わるものではない。しかしその陰の
中で生きなければならない男女の物語だ。        
                           
『そして、ひと粒のひかり』“Maria Full of Grace”   
アメリカのケーブル向けの番組製作会社HBOの資金提供で
製作されたアメリカ=コロンビア合作映画。       
昨年のサンダンス映画祭で観客賞を受賞して全米公開された
作品。主演のカタリーナ・サンディノ・モレノは今年のアカ
デミー賞主演女優賞に、コロンビア出身の俳優としては初め
てノミネートされた。                
主人公のマリアは17歳。コロンビアの花卉農園で働いていた
が、監督主任との折り合いが悪く仕事を止めてしまう。しか
し家には働きの無い姉などがいて、一家の家計は彼女の肩に
掛かっている。しかも愛してもいない男の子供を身籠もって
しまう。                       
そんな人生を逃げ出そうと彼女は首都に働き口を求めるが、
働き口は簡単に見つかるものではない。しかし首都に送って
くれたバイク乗りの男から簡単に金の稼げる運び屋の仕事を
紹介される。それは麻薬をつめたゴムの粒を胃袋に納め渡米
するというものだった。                
そして67粒の麻薬とひと粒の命をお腹に抱いて、彼女はアメ
リカへと向かう飛行機に乗り込むが…          
原題の副題には、Based on 1000 true storiesと書かれてい
る。物語は、ジョシュア・マーストン監督の脚本によるもの
だが、彼は偶然に取材した運び屋で逮捕されたコロンビア人
女性の話からこの物語を思いつき、綿密な調査の上、脚本を
書き上げたということだ。               
実際、映画の中に登場するアメリカ側で彼女たちの更生を支
援する男性も、実在している人物ということで、彼は今まで
に400体以上の途中で死んだ、若しくは殺された女性たち遺
体をコロンビアに送り返したという。          
つまりこの物語は、すべて実話に基づき、このようなことが
今も現実に行われているということなのだ。しかもその映画
がコロンビアで作られたということにも驚かされる。最早こ
の実態は、隠しようもない事実ということなのだろう。  
ただし、映画はフィクションとして結末もちゃんと設けられ
ており、その部分では救われる感じもする。その一方で、ド
キュメンタリー調の演出も見事な作品だった。また、モレノ
の容姿と演技力にはこれからの活躍も期待させた。    
                           
『エコーズ』“Stir of Echoes”            
リチャード・マシスンの1958年作で、早川SFシリーズにも
納められた『渦まく谺』を、『スパイダーマン』や『宇宙戦
争』の脚本家デイヴィッド・コープが自らの脚本、監督で映
画化した1999年製作の作品。              
元々の映画化権は、原作の発表直後からユニヴァーサル映画
が40年にわたって所有していたものだったが、コープが偶然
見つけた原作本に惚れ込み、映画化権を買い取って自ら映画
化を進めた作品。その入魂の脚本は、流行のスプラッターや
ホラーコメディの路線を排し、極めてオーソドックスなホラ
ーサスペンスに仕上がっている。            
ふとしたことから死者の霊を見ることのできる能力を身に付
けてしまった主人公が、その霊の導きによって殺人事件を解
決して行くことになるが…という『シックス・センス』『ア
ザーズ』を髣髴とさせる物語。ただし本作は、アメリカでは
『シックス・センス』に1カ月遅れで公開されたものだ。 
残念ながら僕は原作を未読だが、映画は主人公の苦しみや、
事件が解き明かされるにしたがって主人公を襲う恐怖などが
手際よくまとめられており、結末の良さも含めて極めて満足
度の高い作品になっていた。              
そしてこの主人公を、『ミスティック・リバー』などのケヴ
ィン・ベーコンが演じ、狂気との狭間をさ迷いながらも、真
実に近付いて行く男を鬼気迫る演技で好演している。なおベ
ーコンがホラー映画に出演するのは、無名時代『13金』に出
て以来だったそうだが、この翌年にはSFホラーの佳作『イ
ンビジブル』にも主演している。            
しかし、そのベーコンが顔負けの素晴らしい演技を見せるの
が、主人公の息子を演じたザカリー・デイヴィッド・コープ
という子役。撮影当時6歳だった彼の演技力には感心した。
因にこの子役は監督と似た名前だが、苗字のコープはCopeと
書き、親戚ではないそうだ。              
コープの監督作品では、昨年『シークレット・ウィンドウ』
が公開されたが、この作品は僕にはあまり買えるものではな
かった。しかし本作は、見事なストーリーテリングと丁寧な
映像演出でこのような作品なら、また期待してみたいと思っ
たものだ。                      
                           
『チャーリーとチョコレート工場』           
         “Charlie and the Chocolate Factory”
ロアルド・ダールの1964年作『チョコレート工場の秘密』の
映画化。同作は1971年に“Willy Wonka and the Chocolate
Factory”の題名で映画化されたことがあり、本作はそのリ
メイクでもあるが、前作の脚本も手掛けた原作者は前作の出
来が気に入らなかったそうだ。             
そこで今回の映画化では、監督をティム・バートンが担当。
彼は1996年に製作を担当したダール原作『ジャイアント・ピ
ーチ』の映画化でダールの遺族に認められ、今回は原作の発
表40周年の記念事業としての映画化に、遺族側から指名され
たものだ。                      
さらに、主演のウィリー・ウォンカ役を、監督とは4度目の
コラボレーションとなるジョニー・デップ、またチャーリー
・バケット役には、デップと『ネバーランド』で共演したば
かりのフレディ・ハイモアが起用されている。      
なお、脚色は『チャーリーズ・エンジェル』のジョン・オー
ガストが担当した。                  
物語の舞台は、従業員はいないのに製品だけ出荷されてくる
謎に包まれたウィリー・ウォンカのチョコレート工場。その
工場主ウォンカから、世界中に5枚だけ封入されたゴールデ
ン・ティケットを見つけた子供たちを工場見学に招待すると
いう発表が行われる。                 
そしてその5枚目の発見者となったチャーリーは、元工場の
従業員だった祖父を付き添いに工場見学に参加するのだが、
同行するのは大金持ちの娘やテレビゲーム狂いなど変な奴ば
かり。そしてその見学コースにはいろいろな罠が仕掛けられ
ていた。                       
原作は、イギリスでは『ハリー・ポッター』『指輪物語』に
次いで第3位の子供の支持を受けているということだが、そ
の子供心をくすぐる謎に包まれた工場内での、大仕掛け満載
の、ちょっと意地悪な冒険物語が見事に映画化されている。
物語自体はほぼ原作通りで、実は原作者が脚色した1971年の
映画化でも、その辺はちゃんとしていたとは思うのだが、今
回の作品と比較すると、そのセットや装置の大掛かりなこと
と、VFXを駆使した見事な映像化に大きな違いがあると言
えそうだ。                      
中でも、すべて1人の俳優で演じられているウンパルンパの
無気味さや、本物のリスを使った殻剥き場のシーンなどは、
到底1971年の技術では作れなかったものだろう。     
また、1971年作はアンソニー・ニューリーの楽曲によるミュ
ージカル仕立てで、その中では『マダガスカル』でも歌われ
た‘Candy Man’の歌なども登場していたものだが、本作で
も歌はふんだんに登場する。ただし今回の歌は、原作に書か
れたダールの詩にダニー・エルフマンが曲を付けたもので、
かなり毒の詰まった歌が登場するという仕掛けだ。    
この他、ウンパルンパの踊りが往年のMGMミュージカルの
パロディになっていたり、またあっと驚くMGM作品のパロ
ディも登場する。これはまるでMGMは昨年ソニーに買収さ
れたが、往年の名作はワーナーに権利があることを主張して
いるかのようだった。                 
なお、デップとハイモア以外では、チャーリーの母親役を監
督夫人でもあるヘレナ・ボナム=カーターが演じ、またクリ
ストファー・リーが重要な役で出演している。      


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井口健二